第1話 転生したら没落貴族だった!?
「……お兄様っ! ねえ、お兄様っ!」
──遠くで、誰かが必死に叫んでいた。
「お願いです、目を覚ましてください! お兄様っ!」
澄んだ鈴のような声が、ぼんやりした意識の奥を何度も叩く。
ぐいぐいと体を揺すられ、俺は重いまぶたをこじ開ける。
そこにいたのは、見知らぬ少女。
唇を尖らせ、不満げに俺の顔をのぞき込んでいた。
互いの鼻がぶつかりそうなくらいの距離で……って、近っ。
──誰だ、この子。
『お兄様』なんて呼ばれたのは初めてだった。そもそも俺に妹なんていないはず。
なのに、少女は大真面目な顔で、必死に『お兄様』と呼び続けている。俺はその声に導かれるように、ゆっくりと重い頭を持ち上げた。
「ああ、よかった……。急に倒れるんですもの。こっちは心臓が止まるかと思いました……」
いやいや、それはこっちのセリフだ。
目を開けたら、女の子の顔がドアップって、そんなイベント俺の人生にはありえないから。
──ズキン、と後頭部に鈍い痛みが。
どうやら気を失った拍子に、地面に頭をぶつけたらしい。
「ほら、早く起きてください。いくらお兄様が頑丈だからって、いつまでも寝そべっていられては、私が困るのです」
……それ、怪我人に言うセリフ?
心配するどころか、完全に邪魔者扱いじゃないか。
でも、だ。
『お兄様』と呼ばれて、まんざらでもない自分がいた。
そういえば昔、ムカつく兄貴がかわいい妹になればいいのに、なんて意味不明な妄想をしたこともあったし。
うん、いいぞ。もっと、何度でも『お兄様』って呼んでくれていいのだよ。
……などと、しょうもないことを考えていたら、少女が業を煮やしたように、ぐいぐいと手荒に俺を引っ張り起こした。
「いだだだっ! ちょ、力、強すぎっ!」
半ば引きずられるように起き上がった、その瞬間、
ありえない違和感が、全身を駆け抜けた。
「……ん? 俺の体、なんか小さくね!?」
伸ばした腕は細く、短く、頬に触れると、ふにっと柔らかい感触がした。喉から漏れた声も、笛みたいに軽くて高い。
──まさか、これ……。
脳裏に電流が走る。
違う! 俺が縮んだんじゃない! 俺はまったく別人の子どもになっている!
スクッと立ち上がると、すぐさまズボンを下ろして確認した。
「生えてない……!」
──やはり、子どもだ!
「突然ズボンを下ろしてどうしたのですか? お兄様は、頭がパーになったのですか? お兄様はまだ12歳ではないですか」
12歳? それにしては、幼すぎるような気も……。
背は低く、立っていても、やけに地面が近かった。心なしか周りの家屋も大きく見える。発育が遅いのか、体全体が小さすぎて、立つだけでも世界が違って見えた。
……しかし、全然わからない。
俺は、家でゲームをしていたはず……。
なのに、ここはどこなんだ?
これは夢なのか?
いや、夢にしては妙にリアルだ。
地面の感触も、頭のズキズキも、生々しすぎる……。
──まさかとは思うけど……これが、現実!?
俺が呆然としていると、突然、目の前にピコンッ、と半透明のパネルが浮かび上がった。しかも、どこかで見たことのあるデザインで、空中に浮いている。
「……もしかして、これって!?」
そのパネルは、俺がついさっきまで遊んでいたゲーム『アルヴァロス・クロニクル』のステータス画面だった。
そこには、こう書かれている──
───────────────
【名前】エリク・ダークベルク
【種族】人間(転生者)
【年齢】12
【職業】──
【Lv】1
【EXP】0/100
【HP】10/10
【MP】7/7
【攻撃力】2 【防御力】3
【敏捷】3 【魔力】4
【運】1
【スキル】自動回復Lv1
───────────────
「種族、人間……、転生者、だって!?」
俺、本当にゲームの中に転生したのか!? ここは『アルヴァロス・クロニクル』の世界ってこと?
しかも、よりにもよって、よくわからないモブキャラに!?
「お兄様? 頭をぶつけて記憶をなくしてしまったのですか? 思い出してください。私の名前はローズ。私たちはダークベルク家の子息ですよ。れっきとした貴族なのです!」
「おっ、俺……、貴族なの?」
「ええ、貴族です!」
ローズは胸を張って断言する。
その姿はやたら誇らしげで、まるで“勝ちヒロイン確定”みたいなオーラを放っていた。
だが、俺にはとても貴族には見えなかった。
だって、服は継ぎはぎだらけでボロボロだし、全身泥と埃で薄汚れてるし……。これが上級貴族のお嬢様だなんて、誰が信じるというのか。
貴族どころか、平民にも見えない……。いや、むしろ“貧民”といっていい惨めさだった。
──これは絶対、裏があるな。
そう直感した俺は、ローズに案内されるまま家に戻った。そして、目に飛び込んできた光景に、思わず言葉を失った。
我が家はまるで、ホラー映画に出てきそうなオンボロ小屋だった。壁は崩れ、屋根には穴、扉は今にも落ちそうだ。
これ“家”っていうより、完全に“廃墟”だろ……。
「……俺たちに、ここに住んでるの?」
「そうですよ、ここが私たちの“新しい”お屋敷です!」
俺は思わず頭を抱えた。
どうやら、俺が転生したのは没落貴族で確定らしい。
政敵に追いやられ、ここに押し込められた、残念すぎるエリート一家。
なのに貴族のプライドを残すローズは、ボロは着てても心は錦──なんて言葉をそのまま体現しているかのように堂々と胸を張っていた。
彼女には悪いが、俺にはそんな信念まったく伝わってこない。現実を突きつけられて、ただただ悲しくなっていた。
「お母様、ただいま帰りました!」
「ああ……、おかえりなさい……」
出迎えたのは、驚くほど美人な母親だった。だが、ぐったりと疲れ果て、生気は風前のともしびのようにか細い。
ローズが明るく振る舞っているのとは対照的に、母親は言葉を絞り出すのが精一杯のご様子。
──これじゃあ、とても質問タイムどころじゃない……。
どうして没落したのか、父親はどこにいるのか、聞きたいことは山ほどあったけど、空気があまりに重くて断念した。
仕方がないから、ここはエリクになりきってやり過ごすことにする。
──しばらくして、夕食の時間になった。
テーブルに並んだのはカッチカチに乾いたパンと、シャバシャバの味気ないスープ。匂いはほとんどせず、見るからに栄養がなさそうだ。
スープを口にすると、むしろ水を飲んだ方がマシと思えるほどマズかった。
それでもローズはお上品にスープを口に運んでいた。まるで王宮の晩餐にでも出ているかのような優雅さだ。
このスープを飲んでそんな顔できるとか、精神力カンストしてるよな……。
──どうやら、これが没落貴族の食卓らしい。
「お兄様ったら、急に気を失って頭をぶつけたんですよ。しかも記憶がなくなったみたいなんです」
「……あら、そう……、大変だったわね、エリク……」
「だ、大丈夫だよ。気にしないで……」
「お兄様はダークベルク家の子息だったことを忘れちゃったんですよ! こんな大事なことを忘れるなんて、だらしないですよね、お母様!」
「……ええ、そうね……」
「私たち家族は、由緒正しきダークベルク家なんですから!」
「……はあ……」
母親の声がどんどん薄くなっていく。しまいには、ため息しか出なくなってしまった。
それでもローズは通常運転。
「それにお兄様、変なことをするのです。急にズボンを下ろして、私におチ◯チ◯を見せつけてくるのです」
「おまっ……!? ちょ、ちょっと待て、ローズ! その言い方はやめろ! それじゃあ、俺がただの変態じゃないか!」
「……でも、出したのよね……」
「い、いや、お母さん!? そこ食いつくところじゃないから!」
──何だこの地獄の会話は!
思わずスープを吹き出しちゃったじゃないか!
ローズに睨みつけられながら、俺は天井を仰いだ。
ただでさえ、ワケもわからず転生させられたのに、行き着いた先が没落貴族の一家とは……。
普通、転生するなら主人公でしょうが。誰が望んでモブキャラなんかになりたがるんだよ。
ああ〜もう、しんどい……。やり直せるのなら、今すぐリセットボタンを連打したい。
そんな愚痴を胸の内でこぼしていると、突然、
──ドンドンドンドンッ!!
「おい、ドアを開けろ! 中にいるのだろう!」
乱暴にドアを叩く音がした。
怒鳴り声には、苛立ちと明らさまな侮蔑が混じっている。ただの訪問者じゃないことはすぐにわかった。
母親がおそるおそるドアを開けると、その隙間を押しのけるようにして中に入ってきたのは立派なスーツを身に包み、いかにも権力をかさに着たタイプの男だった。
顔は下卑ていて、口角がいやらしく曲がっている。
典型的な悪役顔だった。
「我が名はセルヴァ。このアクシアの地を治める辺境伯、ゲネス・ダークベルク様の執事である。エリク、貴様に用がある。今すぐ私について来い!」
──えっ!? 俺っすか!?
ちょ、ちょっと、待ってくれよ。
よりによって“ラスボス”からご指名って、こと!?
ヤバい、ヤバい、ヤバすぎる……。これ、どう考えても、ロクなことにならないパターンだろ!!




