何でもない日の物語【無常堂夜話:幕間回】
ある日、空は大学の非常勤講師として講義に出かけたが、食事会に誘われ瀬緒里との昼食の約束をすっぽかしてしまい……。
化野空と瀬緒里の日常?を描いた物語です。
【序の段】我が背の午前
我が背・化野空様の朝は早い。午前4時には起床し、顔を洗い口を漱ぐと、どんな天気であっても、私との愛の巣である『無常堂』から数百メートルにある月詠神社に向かい、狩衣に着替えて初水と初穂を供え、祝詞を奏上する。
この祝詞が、朝の空に突き抜けて行くように素敵なのだ。私は我が背が祖神様に真剣にお仕えする姿を見ながら境内を掃除し、心行くまで我が背の透き通った美声を堪能する。
(はぁ……空様の祝詞を聞いていると落ち着きますね。芯があり鋭く、でも包み込むような温かさがあります。ここが月宮の里で、月宮様の神社に二人っきりで暮らせたら、私はもっと幸せなのかもしれません。
そうだ、この際、空様を無理やり月宮の里にお連れして、お父様に私たちを閉じ込めていただこうかしら……うふふ……)
「……瀬緒里さん、何をニヤニヤしているんです?」
「ふぇっ!?」
私は、不思議そうな顔をした空様から話しかけられてびっくりする。私ったら、空様がこんなに近くに来られるまで気付かないなんて、神、いえ、妻失格です。
でも、空様のお声は私の心を鷲掴みにし、そのまま身も心も蕩けさせてしまうほど素敵なんですもの。私は彼のお声を聞いて、危なく神去ろうとしてしまったことだって何度もあるくらいです。
「な、何でもありません。朝の勤仕が終わりましたら、朝餉にいたしましょう」
私がそう言うと、空様は笑ってうなずき、
「分かりました。ちょっと着替えて、境内を見回ったらすぐに戻ります」
そう言って社務所に消えていく。本来はこの社務所を私と空様の新居にするはずだったが、空様が人間相手に商いをされているので、『無常堂』の一室(16畳)を私の部屋兼二人の寝室に使わせていただいているのだ。
かと言って、私が『無常堂』を嫌っているわけでもない。何より雰囲気が落ち着いているし、お客だって稀に迷い込んで来る人以外は、ほとんどが常連さんだ。当然、常連さんたちは私と空様の関係をご存じだ……あの、一条戻子とかいう女子大生を除いては。
(……あぁ、だから私は空様が商売なんてなさるのを本気で応援できないのよ。
空様も空様よ! 私という者がありながら、なんで空様は人間の女子なんかに興味をお持ちなのよ。
私と空様との縁は、空様が生まれる前から繋がっていて、それは三貴人の一柱であらせられる月詠命様も認めていらっしゃる……ううん、何だったら月詠命様は私たちの仲人様と言っても過言じゃないわ。
それなのに、他の女に話しかける空様なんて許せないです!)
悶々と考えていた私は、いつの間にか『無常堂』の前まで来ていた。
『無常堂』は、私が知る70年ほど前の造りだ。古くなって端っこが反り返った板壁、歪んだガラスがはまった、ちょっと建付けが悪い木製の引き戸が玄関で、瓦は釉がかかった上等なものではなく、まるでコンクリートで作ったかのようにザラザラしている。
それに、元は緑色だったものが日に焼けてカーキ色になってしまった帆布製の庇……私は『無常堂』と陽刻された木製の立て看板を見て、ちょっと懐かしさで微笑んだ。
「瀬緒里さま、瀬緒里さま……川津媛様!」
「はっ!」
また私はぼんやりしていたらしい。目の前には、数人の巫女装束を着た式女を連れ、同じく巫女装束に身を包んだ美女、佐代里どのがいた。
「……また空様のことを考えておられたのですか? 朝餉の支度は済んでいますので、わたしたちはこれで退散いたしますね?」
佐代里どのは、今から5百年前に生きていた巫女で、龍佐代里という。『生きていた』という言い方をしたが、彼女が死んでいるわけではない。
彼女は、龍神を閉じ込めた一族の一人で、一族の没落を承知で龍神を解放した。
彼女は龍神の世話をする『誓約』という役職を継いだ時、龍神の呪いによって死を封じられた。しかし竜神の解放によって呪いは解かれ、その死に際して生前の善行を神々から嘉された彼女は、最期の願いが聞き届けられ、常世の国から戻って来た。
そのため、彼女は竜神を解き放った時の姿のまま、月詠命様の眷属として迎えられた。
我が背とも多少の縁があったため、私の婿取りと共に護衛を兼ねた侍女頭として私に仕えてくれている。
まあ、空様に対する恋慕の情がたまに漏れる時はあるが、自分の立場はしっかり弁えていて、私の目を盗んで空様に迫ったりはしない。そこは彼女の評価が高いところだ。
「……こ、こほん、今日も大儀でした。佐代里どの、そして皆の者。我が背には皆の献身ぶり、甚く感謝しておられました。これからもよろしくお願いいたしますね?」
私ができるだけ威厳を込めてお礼を言うと、佐代里どのはくすっと微笑んで、
「痛み入ります。空様がそこまでおいでになっておりますので、媛様は早くお迎えして差し上げてください。では、わたしどもはこれで」
佐代里どのと式女たちは、そう言って去って行った。
朝餉が終わった後、私は片づけをしながら空様に予定を訊く。もしも時間があるのなら、私は空様にお願いしてやってみたいことがあったのだ。
「ねぇ空様。今日、特別なご予定がないのなら……って、何をしておられるのですか?」
私は洗い場がある土間から、8畳の居間に顔を出して訊くと、いつもは開店準備のため帳簿や品物の目録をチェックしているはずの空様が8畳の奥の間……空様の部屋でもある……で、何か出かける準備をしている。
空様は私を見て、すまなそうに
「ああ、瀬緒里さんに伝えるのを忘れていました。今日はS大の教授に頼まれて、非常勤講師として授業を受け持っているんですよ。
済みませんが、午前中、店番をお願いできますか?」
そう言うではないか! 私は当てが外れてがっかりしたが、それよりも確認せねばならぬことがあって急いで質問する。
「……お仕事であれば仕方ないですが、講義内容と時間をお教えくださいませんか?」
「ああ、『連続講義:日本古神道とシャーマニズム』だったかな? その中で、古神道に伝わる所作や儀式、口伝なんかを解説することになっています。時間は2時限目、10時半から正午までです」
……後で本当かどうか、式女に確認させましょう。
「S大の教授とは、まさか人文学部の平島梅子准教授のことですか?」
私が訊くと、空様は目を丸くして答えた。
「良く知っていますね? 梅ちゃん准教授とは面識がありましたっけ?」
「あ……ええ。私が空様と暮らし始めてしばらくした頃、迷い込んできた院生ですよね?……ちっ、やはりあの時、縁をぶった切っておくべきでした……」
私は悲しそうな顔でそう答える……もちろん、後の方は小声でだけれど。
「そうそう、その方ですよ」
「彼女、美人でしたね?……」
私が言うと、空様はぎょっとした顔でこちらを見る。私が背負ったおどろ線が見えるのか、空様はいつになく慌てた様子で答えた。ふふ、まるで拾われたばかりの仔猫ちゃんみたい……そんなところも可愛らしいわ。
「び、美人だとは思います。でも、瀬緒里さんにはぼくが、美人とみれば見境なく手を出すような男に見えるのですか?」
……ふむ、だんだんと私の性格を解ってきたみたいですね。うまくかわしましたね、空様。でも、この問いには何て答えるかしら?
「……そうは見えません。私は我が背を信じております。だからこそ、里も父も捨てて、あなたにこの身をお任せしたのです。
でも、我が背の周囲の女子は、軒並み我が背に好意を持っているようです。
もしも、その准教授や樟葉どの、茜どの、そして何より戻子さんから告白されたら、我が背はいかがなさるおつもりでしょうか?」
すると空様は私を抱きしめ、耳元でこうささやいてくださった。
「すみません、心配おかけして。でも、ぼくは縁で結ばれているあなたを一生大事にしようと誓ってここにお迎えしました。これが答えです」
きゃあっ! 嬉しい、嬉しすぎます! 満点花丸の答えです! こんな返しができるほど、我が背は大人になり、私を愛してくださっているのですね!?
「嬉しいです、空様。気を付けて行ってらっしゃいませ。早く帰ってきてくださいね?」
私はそう言い、切り火を切って我が背を送り出した。
機嫌よく空様を送り出し店番をしていた私だったが、ハッと気づいてしまった。
(……でも、考えてみれば、あんな受け答えができるようになったってことは、空様が実は女ったらしで、私の知らない間に遊んでいるからではないかしら?
考えてみれば、『視蓋の森』の古墳の鎮めには戻子さんを助手にしたし、U峠では戻子さんとも一緒だったって聞くし、四国には戻子さんのために樟葉どのの呼び出しに応じてホイホイ行っちゃうし……私は神だから、空様はやはり人間の女とも仲良くしたいのね。そして、私にしてくれたような、あんなことやこんなことを……そんな哀しいこと、考えたくもありません)
そう悶えていると、不意に私に声をかけて来た者がいる。
「……川津媛様、妄想が良くない方向に行っちまってるようですが?」
「はっ! 何奴っ!?」
バシュンッ!
「おわあっと!」
私は思わず神力を出し、帯の扇を取り出して斬り付ける。そして、辛うじて斬撃をかわした人物を見て、神力を収めた。
「なんだ、伏どのですか。急に声をかけないでください。びっくりしますから」
伏周どのは我が背の幼馴染の弟さんだ。力のある狗神使いで、『無常堂』の常連さんの一人でもある。時には我が背の依頼で呪物を仕入れたり、売ったりしてくれているし、我が背と共に依頼に応えたりもしている。
「いや、びっくりしたのはこっちですよ。まさかいきなり抜き討ちが来るとは思いませんからね。俺じゃなきゃやられちゃうね」
伏どのは立ち上がると、黒のジーンズの上下についたほこりを払う。
「それで、今日はどんなご用事? 我が背は今、大学で講義中ですが」
私が言うと、伏どのはニヤリと笑って、
「そうですか~。空さんもうらやまけしからん男だなぁ。瀬緒里さんという者がありながら、今頃は女子大生に囲まれてきゃあきゃあ言われてるのかぁ」
そう言うと、私が何か言うより早く、ずいっと顔を近づけて、
「相思相愛カップルにも悩みは尽きないようですね? しかし空さんは見た目が可愛いし、性格はいいし、おまけに頭も切れる。瀬緒里さんが心配するのも解りますが……」
そう言うと、真剣な顔で続けた。
「……解りますが、空さんは決して他人を、いや、自分の誓約を裏切るような人じゃない。
そこを見込んで、月宮の皇子様はあなたとの縁を結ばれたんじゃないですか?……って、死んだ兄貴が言ってましたよ」
「伏どの……」
私は伏どのの眼を見た。優しい眼差しの中に悲しそうな光が見える。きっと自分の兄上が生涯の友と誓い、自身の弟を託したほどの信頼を寄せた空様に、私がたとえ自分の嫉妬からでも疑いを向けることが悲しいのだろう。
「……そうですね。私はもっと自分に自信を持たないとダメですね?」
私が薄く笑って言うと、伏どのは意外そうな顔で言った。
「え? それだけ美人で、気立ても良い媛なのに、自分のどこに自信が持てないんですか?
神様ってことを差し引いても、今時、瀬緒里さんみたいな女性はなかなかいないと思うがなぁ」
「そうでしょうか?」
私が言うと、戸口から
「そうそう。瀬緒里さんが自分に自信が持てないなんて言っちゃったら、アタシなんかどこを自慢すればいいのよ?」
そう言いながら、革の上下を着た女性がつかつかと歩いて来る。
「おう、樟葉か。一体何の用だ?……って訊くだけ野暮か」
伏どのが笑顔で言うと、樟葉どのは栗色の長い髪をくくった紅白の飾り紐を気にしながら、ぐるりと店内を見回している。
「……我が背なら、大学で講義中ですが?」
私が言うと、樟葉どのは私を見てにこっと笑い、
「あ、聞こえてたんで知ってます。今日はアタシのお客さんのために呪物を見繕いに来たんで、お構いなく~♪」
そう言うと、勝手にアンティークが置いてある場所に行って、品物を眺め始める。
彼女は、林樟葉どの。空様のお父上が拾って鍛え上げた術者で、管狐を使う。私は彼女がちょっと苦手だった。
性格はさばさばして明るく、それでいて出しゃばることもしない。見た目からかなり男性に慣れていると誤解されがちだが、実際は初心で可憐で一途で人情に篤い。
空様のお父様に並々ならぬ恩義を感じており、その報恩の念は息子である空様に向けられている。もちろん、空様への愛情は佐代里どのにも負けないほど深い。
しかもその好意や愛情表現を隠したりしないのが厄介だ。空様に向かって、
「瀬緒里さんは神様に紹介してもらった縁でしょ? つまり瀬緒里さんは神様としてのお嫁さんってことだよね? だったらアタシを人間としてのお嫁さんにしてくれない? そしたら三界師匠から言われたとおり、一生空さんのお世話ができるから」
という爆弾発言を、私の目の前でやってのけるほどの勇者なのだ。
空様も空様で、言うに事欠いて、
「そうだなぁ、確かに神様との結婚は重婚の対象にはなんないかなぁ」
などと答えて、樟葉どのを喜ばせていた。もちろん、私は空様に(冗談のつもりなのは判っていたが)後できちんとお仕置きを与えましたが。
私が、無言で樟葉さんを見ていると、彼女は私を見てにかっと笑って言った。
「そういや瀬緒里さん、空さんとスタンダードなデートってしたことあるの?
なんか空さんから前聞いたところによると、ここに来るまでは空さんが住んでた田舎でしか会ったことがないそうだし、ここに来てからも店番と空さんのお世話ばかりでしょ?
恋人同士をすっ飛ばしてお嫁に来たみたいで、気が重くなりませんか? たまには二人でデートしてきたらどうです? 店番はアタシと周でやりますから♪」
私は彼女が神様に見えた。いえ、私も神様ですが、私がやりたかったことを見透かされていたようで、思わず私は声が上ずってしまいました。
「え? いいのですか?」
樟葉さんはうんうんとうなずき、
「もちろんですよ♪ 瀬緒里さんは神様枠のお嫁さん、アタシは人間枠のお嫁さん。お嫁さん同士協力しなくちゃいけないわ。そうでしょ、周?」
さっきから何か言いたそうにしている伏どのは、樟葉どのにそう詰め寄られて、なぜかため息をついて答えた。
「……ったく、勝手に俺を巻き込みやがって。
でもまあ、留袖以外の瀬緒里さんの姿も見てみたい気はするなぁ。
分かった、樟葉、一緒に店番は引き受けたぜ」
すると樟葉どのはニコニコして、花柄のランプシェードを指さして訊く。
「話はついたわね。じゃ、空さんにはアタシから連絡しておくわ。
時に瀬緒里さん、このランプシェードだけど」
「あ、それは人間の皮膚でできたランプシェードですね。なんか『しりあるきらあ』という人が犠牲者から作ったって話ですが、それがどうかしましたか?」
私が答えると、樟葉どのは苦笑して、
「瀬緒里さん、『シリアルキラー』は人名じゃないわ。連続殺人鬼のことよ。
で、これ、値札が10万円ってなってるけど、1万円にならない?」
そう言ってくる。
私は彼女に対して借りがある。月宮の皇子様は借りを嫌われる。
だから私は微笑んでうなずいた。
ちなみに、私が我が背と『デート』なるものを挙行するのは、樟葉どのと伏どのの日程調整の関係で、もう少し後のことになる。
しかし、樟葉どのは、デートの日を心待ちにしている私に、洋服のことや化粧の仕方、異国の食事マナー、今の音楽などについて、かなり詳しく教えてくれた。何もかもが初めての経験で珍しく、また貴重な経験だった。
★ ★ ★ ★ ★
【破の段】我が背の午後
「いけないな、思ったより時間食っちゃった」
ぼくは、腰のポケットから懐中時計を取り出してつぶやく。
瀬緒里さんには正午に講義終了だと伝えているから、恐らく12時半過ぎには『無常堂』に戻ると考え、昼ご飯を準備してぼくを待っているに違いない。
だが、久しぶりに会った梅ちゃん准教授や、織田信尚助教に声を掛けられ、しかも戻子さんや鏡子さんまでやって来たものだから、昼食のお誘いを断り切れなかった。
「ソラさん、お久しぶりです。『犬神の里』ではお世話になりました!」
そう言って手を振って来るのは一条戻子さんだ。
豊かで美しい漆黒の髪を持ち、瞳の色は鳶色。性格はおっとりしているが感受性が豊かで、それがたまにとんでもない天然を発揮する要因にもなっている。
彼女はぼくや信尚、梅ちゃん准教授の所に駆けてくると目を輝かせて言う。
「今日のソラさんの講義、とても面白かったです」
「せやな、あないにおもろいんやったら、常勤の外部講師で授業受け持ってもろてもええんちゃうん?」
戻子さんと一緒に駆けて来た、小柄でポニーテールの女性は、貴家鏡子さんといい、戻子さんの親友らしい。
髪の毛は金髪に染めているが、茶色の瞳は好奇心に満ちて、彼女の積極的な性格をよく表している。
「私も学部長に薦めているんだけれど、なかなかクソめんどい決まり事があるみたいなのよ。講義が実践的で面白いだけに、私も残念だわ」
梅ちゃんが言うと、信尚が笑って
「でも、学部長と学長が講義を覗きに来られていましたよ。
バケ野は結構見た目もいいから、中世辺りを担当してもらえれば、本学の女子学生への訴求力は増すんじゃないですか?」
そう言う。ぼくは客寄せか?
そう思ったのはぼくだけじゃなかったらしい。鏡子さんが
「ノブさん、ソラさんは客寄せパンダちゃうねんで? そないな目でソラさんの講義見とったんか? 考えがやらしいなぁ」
そう言うと、梅ちゃんは笑って、
「あら、貴家さんも化野さんのファン? 親友も名乗りを上げて来るなんて、一条さんもうかうかしていられないわね?」
そう言って戻子さんを茶化す。
しかし、さすが信尚だ、話題が自分から逸れたところですかさず、
「そう言えばバケ野、昼飯はどうする? 良ければ一緒に食べないか?」
そう昼食に誘ってきた。
ぼくは正直、『無常堂』で瀬緒里さんが待っていることを考えたら、誘いを断りたかった。これが信尚だけの誘いなら事情を話してお暇しただろう。
だが、梅ちゃんや戻子さん、鏡子さんまでもが信尚の提案に乗っかり、
「それいいわね。じゃあ、化野先生の第3回講義記念として、ランチパーティーでの打ち上げと行きましょうか!?」
「賛成です。ソラさんには前回のお礼もまだしていないし」
「せやな。危機一髪のところを救われたんやからな。ソラさんの分はうちらで出そか?」
そう言う話になったので、なかなか『無常堂』に戻るとは言えなかったのだ。
(……それに、瀬緒里さんの正体は、自身で明かさないといけないって言う制約もあるらしいし、いろいろと詮索されるのも面倒だしな……)
ぼくはそんな思いで、みんなと一緒に梅ちゃんの行きつけであるイタリアンレストランに行ってしまった。
料理が運ばれてくると、鏡子さんや戻子さんは目を輝かせている。確かに、ここのシェフは本場で修行してきたそうなので、彩りといい食材の選定といい、センスを感じさせて素晴らしいと思った。
「……突然だけど、私、化野さんに訊きたいことがあるのよね」
梅ちゃんがそう言いだす。ぼくはパスタを食べるのを止め、梅ちゃんの方を向く。
「……化野さんってさあ、あれだけの知識をどこで勉強したの?
幅広い知識を身に着けるだけなら、今はネットもあるし、情報の選択さえ間違わなければ難しいことじゃないって思うけど、古代から現代まで、そして東洋や西洋のみならずアメリカやアフリカの原住民に伝わる伝承や魔術の類まで、あまりに広く、そして深く知りすぎているのよね。
まるで前世の記憶や知識を持ったまま転生を続けているみたい。そうとも思わないと、到底納得できないんだけど?」
これにはぼくも困ってしまって、ただ笑いを浮かべるしかなかった。
困っているぼくを見て、梅ちゃんはため息をつくと、首を振って別のことを訊いてきた。
「はあ……その知識習得の秘密が分かれば、私ももっと深い研究ができるかなって期待していたんだけれどな~。
ま、いっか。ところで化野さんって、恋人はいるのかな?」
この問いには、鏡子さんや戻子さん、ついでに信尚まで反応して聞き耳を立てているのがよく分かった。三人とも、食べる手が止まったからだ。
「それ、オレも気になっていたんだよな。バケ野のところは代々神官とか僧侶とかを輩出して、一子相伝の秘法を継承しているって来島了慶和尚から聞いたことがある。お前のことだから婚外子なんて作らないだろうし、子どもがいないと一子相伝も何もないだろうからな」
信尚がそんなことを言ってニヤニヤ笑っている。こいつ、これ以上何か言ったら友だちの縁を切ってやる。
「そう言えば、四国で林樟葉さんっていう、すごい美人さんと会ったんですけど、彼女、ソラさんの恋人って自己紹介してくれましたよ?」
戻子さんが無邪気な顔でそう言う。それに鏡子さんまで便乗した。
「せやせや、せやった♪ でもまだ彼女さんとはええことしてへんのやろ? あれだけの美人さんやで、早う唾つけといた方がええんとちゃう?」
「ふふーん、林樟葉……っと。鏡子さん、その女性のこと、後でじっくり話を聞かせてもらっていいかしら?」
「ええでええで! 梅ちゃんも気になるんやろ?」
「別に……化野さんを非常勤講師に推薦したからには、スキャンダラスな要素は把握しておかないと。事件になったら大学の名前も出ますし」
梅ちゃんはそう言ってぼくを睨む。あれ、ぼくは何か睨まれなきゃいけないことをしたっけ? そして梅ちゃんはどうして顔が赤いんだ?
「いや、樟葉は父の弟子で、今はぼくの仕事を手伝ってくれている仲間だ。確か四国ではもう一人、伏周っていう若者も一緒だったろう? 彼と一緒になって、『無常堂』の仕入れとか販売とかを手伝ってくれているんだ」
ぼくはそう言いながら、瀬緒里さんのことを話さなくてよくなったことで、密かに安堵のため息をついていた。
結局、そこの支払いは梅ちゃん准教授が行った。ぼくはお仕えする祖神様が借りを作るのを嫌うので、そうした事情を話して代金を払おうとしたが、梅ちゃんはニヤリと笑い、
「そう、あなたの神社の神様って、そう言うお方なのね?
だったら、余計に私はあなたに貸しを作りたいわ。それなら、あなたとのご縁も続くだろうしね♪」
そう言って取り合ってくれなかった。
「バケ野、諦めろ。梅ちゃんはこうと言い出したら聞かない性格だ。それに、気に入った相手にはとことん尽くすタイプだからな。お前、気に入られているんだ」
信尚がそう言って慰めてくれたが、ぼくにはどう見ても、事の成り行きを楽しんでいるようにしか見えなかった。
こうして、ぼくが四人から解放されたのは13時半に近い頃だった。そこでぼくは、瀬緒里さんのことを思い出して青くなる。
(いけない、瀬緒里さんのことだ、昼食も食べずにぼくを待っているに違いない。早く帰らないと!)
ぼくは急いで『無常堂』に足を向けたが、ハッと気づいてあるお店に入った。
ぼくが『無常堂』に帰ってみると、案の定瀬緒里さんは、食事を並べて待っていた。
「ただいま、瀬緒里さん」
ぼくが恐る恐るそう言うと、彼女は冷たい目でぼくを見て、
「……遅かったですね? 我が背が何か事件にでも巻き込まれたのではないか、事故にでも遭ってしまったのではないかと、とても心配いたしました」
そう静かに言うが、身体の周りには水色の神力が揺蕩っている。うん、ぼくが悪いとはいえ、これはかなりお冠だ。
ぼくがひきつった笑いを浮かべていると、彼女はすんすんと鼻を鳴らし、
「……料理と複数の女子の匂いがいたします。月宮の坊、どういうことか説明していただけますよね?」
そう、ぼくを問い詰めてくる。
彼女はぼくのことを普通『空様』と呼ぶが、デレたい時には『我が背』と呼ぶ。
その一方で、知らない他人がいる時や非常に怒った時には、昔ながらの『月宮の坊』呼びをする。つまり、今は激おこ状態なわけだ。
ぼくはまず、瀬緒里さんを待たせてしまったことを謝ってから、講義の打ち上げに梅ちゃん准教授や信尚から誘われたこと、その時たまたまそこに居た戻子さんたちが、四国で助けられた件でお礼をしたいと言ったので、彼女たちも打ち上げに参加したこと……を説明した。
瀬緒里さんは終始黙って、ハイライトのないジト目でぼくの釈明を聞いていたが、
「……事情は承りました。仕事の一貫と考えれば、ただ1点を除いて理解できます。
が、そう言うことなら電話の1本も入れてくだされば、私がこんなに心配することもなかったのです。月宮の坊には、その点をしっかり反省していただきたいです」
「はい……すみません」
まだ神力は収まっていないし、『月宮の坊』呼びは続いている。つまりは瀬緒里さんの怒りのスイッチが入ったのは、彼女が言う『理解できない1点』にあるのだろう。
ぼくは恐る恐る訊く。
「あの……『ただ1点』とは?」
すると瀬緒里さんは立ち上がって神力を開放し、白い留袖と青い帯の上から龍田川と紅葉の刺繡がされた打掛を羽織り、
「知りません! ご自分の胸に手を当てて、よく考えてごらんなさい!」
そう言い捨て、ぷいっと横を向くと自分の部屋に籠ってしまった。
(……川津媛の姿に戻ってまでお怒りなんて、ぼくは相当マズいことをやらかしちゃったんだろうなぁ……)
ぼくは茫然としながら、買ってきたものを冷蔵庫にしまうと、すっかり冷めた料理に手を付ける。
お腹がすいていないこともあるが、考え事をしながら一人で食べるご飯は、砂を噛むように味気なかった。
★ ★ ★ ★ ★
【急の段】我が背の夕べ
私は、我が背が大学の講師という大役を仰せ付かったということについては、誇らしくもあり嬉しくもあった。我が背がまだ小学生になる前から、彼のことを見守って来た私は、姉に似た感情があふれ出すこともしばしばあったのだ。
(だって、我が背は幼い頃から可愛らしかったんですもん。成人した今は凛々しさと男らしさが加わって、20年近く見守ってきた私の努力が報われたと、喜びに浸っています。
ああ、“神婚の儀”を執り行った夜のことは、今思い出しても感激で神去りそうになってしまいます……)
そんな思いと共に、私はいそいそと昼食の支度をする。幸い『無常堂』がある広場には商店街というものがあり、お魚やお野菜、それに駄菓子も簡単に手に入れることができた。
「おっ、化野さんところの店員さん。今日も相変わらず別嬪さんだね」
すっかり顔なじみになった魚屋のおじさんが元気な声をかけてくる。魚屋さんは鮮度が命なので、11時頃にはほとんど品物は残っていないが、
「あのぅ、朝お電話したお魚はございますか?」
私は、電話という神の世界にはない人間の利器を使って、その日に使う食材を取り置きしてもらっているのだ。
「おう、寒ブリとシイラだね。はいどうぞ!」
「ありがとうございます」
お金を支払ってお魚を受け取る私に、向かいの八百屋のおばさんが声をかけてくる。
「あら、瀬緒里さんじゃないの。寒ブリには大根が合うよ。見て行かないかい?」
「はい、ちょうど私もそう思っていたところでした。うわぁ、大きい大根ですねぇ!」
私は、私の腕よりも太い大根を見て感嘆の声を上げる。この大根が育った土地の神は、人間からとても大切に扱われているに違いない。神徳がない土地では、いかなる野菜もその本来の美味しさや美しさを発現することはできない。
「お魚と一緒に煮付たら美味しそうですね。これと、その白菜、そして馬鈴薯をいただいてよろしいですか?」
おばさんはニコニコしながら野菜を新聞紙で包み、私の買い物かごに入れてくれる。そして、
「はい、エノキともやしはサービスするね? 旦那さんに美味しいものをいっぱい食べさせておやり」
と、サービスまでしてくださった。
「ありがとうございますっ!」
私はお金を払うと、笑顔でそう言う。月宮の里に長くいて、ここに来る前の5年間は、年に1度会いに来てくれる空様以外とは誰とも話したことがなかった私だったが、人間の世界で何とか上手くやれていることに満足していた。
(旦那様に美味しい料理を……か……。私は空様とそんな風に見られているのですね?
本当のことだけれど、やっぱりそう見られていることは正直嬉しいですね……。
でも、これが10年前だったら、私は空様のお姉さんに見られたのかしら? そして20年前なら、若いお母さんに見られていたかもですね……そう考えると、お父様が仰っていたとおり、空様が迎えに来てくださるのを待っていて正解でした)
そんな、ウキウキした気持ちで『無常堂』に帰った私は、早速ブリを調理し始める。
里にいた時は、式女たちが家事全般をすべてやってくれていましたが、空様のお側に行くと決めた後、私は佐代里殿にお願いして家事、特に料理を教えてもらっていた。
最初は生臭くて苦手だった魚介類の下ごしらえも、今では難なくこなしている。まったく、愛があれば何でもできるという言葉は、一面の真理を突いていると思う。
12時ちょうど、ご飯が炊きあがった。朝のご飯も少し残っているが、仕事をして帰って来る我が背に冷ご飯なんか食べさせられない。
今の時代、電子炊飯器などという便利な器械があるそうだが、『お米はお釜で薪を使って炊く』という先入観がこびりついている私は、やっとガスという奇怪な気体を使って炊飯することを覚えたばかりだった。
お店の柱時計が12時半を回った。
「もうそろそろ空様が戻って来るから、煮付を温め直して待っておきましょう」
私は独り言を言いながら、台所へと歩くのだった。
だが、空様は約束の時間になっても帰ってこなかった。もしやお店の柱時計が進んでいるのかと思って、商品の時計をすべて確認したが、どれも時刻は13時を指している。
(……まさか、何か事件や事故に巻き込まれた!? でも、我が背のことですから、たいていのことは処理できるはず。だったら大丈夫ですよね?
でも、それなら何か連絡があるはずです。我が背が私に連絡もできないほどの状況、我が背が処理できないほどのことって……)
私は半ばパニックになりながらも、お店の留守番はあるし、探しに行くとしても、もし大学に居なかったらどこを探していいか判らないしで、結局つくねんと居間に座って我が背の帰りを待つしかなかった。
そこに、おずおずと我が背が帰ってきた。私は空様の無事な姿を見てホッとすると共に、その気まずそうな、後ろめたそうな様子を見て、神の勘、いえ、女の勘が働いた。
(……連絡もせずにいたなんて、きっと人間の女子といたに違いない! 私が待っていることを知りながら、他の女子と食事をするなんて許せない、許せない許せない!)
この瞬間、私は無意識に神力を発動し、空様に冷え冷えとした声で言葉をかけていた。
空様の話を聞いて、何故昼食に間に合うように帰って来れなかったかは理解した私だったが、私がなぜ怒っているのかの根本的な問題をまだよく解っていないようだったので、私は月宮の坊にお仕置きをすることにした。
「知りません! ご自分の胸に手を当てて、よく考えてごらんなさい!」
そう言い捨て、私が自分の部屋に籠って1時間ほど経つ。
それまで月宮の坊は、私の部屋に来ることはなかった。ただ、居間の方で食事をする音と、その後食器を台所で洗う音が聞こえたので、私が作ったお昼は食べてくれたらしい。
それからしばらくして、月宮の坊がふすま越しに話しかけて来た。
「あの、瀬緒里さん。ちょっとお話してくれませんか?」
私は無視を決め込む。ふすまは中から心張棒をかましているので、月宮の坊には開けられない。もし、力づくで開けようとしたらどうなるかは、彼は解っているはずだ。
「……ぼくが悪かったです。お願いですから、話をさせてください」
月宮の坊の声には、困惑と悲哀が混じっている。これはまだ、本質にたどり着いていない証拠だ。私は再び無視する。
数分後、月宮の坊は遂に諦めたか、哀しそうなため息を残して居間に戻った。
(何ですか情けない。私が少し無視したくらいで諦めるなんて。やっぱりまだまだ月宮の坊はおこちゃまなのですね……私の教育が至らなかったせいかしら……)
私が少し残念に思っていると、再び月宮の坊がふすまの前に立つ。何か紙袋のようなものを持っている音がする。
「瀬緒里さん、ぼく、あなたに連絡しそびれたことに気付いて、お詫びに瀬緒里さんが好きな最中を買ってきました。
お話しできなくてもいいですから、せめてこれでも食べてください。お昼、食べていないんでしょう?」
月宮の坊がしおらしくそう言ってくる。私は食べ物に釣られたわけではないが、彼が『遅れてしまったこと』に関しては反省しているフシが窺えたのでこう訊いた。
「……最中? どちらのでしょうか?」
私が訊くと、月宮の坊は
「あの……瀬緒里さんが一度食べて美味しいと仰ってた、馬井製菓店の練り餡と粒餡です」
そう答える。選択は間違っていないし、私がそれを食べたのは半年以上前だ。それを覚えていてくれたことに免じて、私は心張棒を外すためのヒントを口にする。
「私がご用意していたお昼はいかがでしたか?」
そこで空様はハッと気づいたように言う。気付くのが遅いのよ、空様。
「お昼、美味しかったです。作って待っておられることは分かっていたのに、誘いを断れなくてすみません」
……う~ん、そうじゃないのよねぇ。でもまぁ、決して食べ物に釣られたわけじゃないけれど、最中があるなら話してあげてもいいかしら。
私は心張棒を外し、ふすまを開ける。空様はしょんぼりと肩を落とし、うなだれて立っていた。そして私を、捨てられた子犬のような眼で見てくる。
(もう、そんな顔するなんて反則ですよ! いつもの空様とのギャップに萌えちゃうじゃありませんか……あっ、いけませんいけません。ここで甘い顔をしては)
「……お入りください。その前に、最中は冷蔵庫に入れてきてください。月宮の坊がしっかり反省してくださったら、お茶にいたしましょう」
私が冷たい声で言うと、空様はごそごそと最中を1個取り出して、私に差し出す。
「お腹すきませんか? せめてこれを食べてください。でないと心配です」
(あぁ~ん、このどうでもいいところで優しさを発揮するのって狡くありませんか? 空様って自覚していないだけで、ひょっとしたら天性の女ったらしなのかもしれません。
だとしたら、私はとんでもない男性との縁が結ばれてしまっているのかも……でも、いまさら空様との縁を切ろうなんて考えは、ぜんぜん、まったく、露ほども、1ミリもございませんが)
私は、不意打ちを受けた動揺が声に現れていないことを念じながら、できるだけ冷たい声で言う。
「……分かりました、ありがとうございます。部屋に入ってお座りください」
空様は最中を冷蔵庫にしまうと、再び私の部屋に来て1個差し出す。だが、私の表情が微動だにしないことを見て取ると、ため息をついて正座した。
私は彼の前に座って訊く。
「先ほど私が言った、『理解できない1点』とは何か、解っていただけましたか?」
空様はゆっくりと首を振る。
私はため息をつきながら、
「……ご自分の身になって考えてくださいませ。仮に私が、理由も経緯も何も説明せず、しかも連絡もなしに他の男神が集う宴会に出たとしたら、空様はどんな気持ちになられますか? しかもそのことを、後から私が報告したら」
そう問いかける。
空様は、おずおずと答える。
「そ、それは……やはり心穏やかではありません」
「……いかがでしょう? 私が他の男神と関係を持ったと邪推されませんか?」
空様はきゅっと唇を引き結び、言葉を選んで話す。
「せ、瀬緒里さんに限ってそんなことはないと信じていますが……」
「私が前後不覚に酔わされるかもしれませんよ?」
「うっ……」
空様がみるみる苦しそうな表情を浮かべる。
「准教授や助教は、月宮の坊とは仕事上で深い付き合いがある人物。今後の付き合いもございますから、坊の努力を労いたいというご芳志を受けられることに関して、私が文句を言う筋合いはございません。そこはお間違えの無いようにお願いいたしますよ?」
空様がうなずく。
私は少し表情を緩め、
「ですから、お誘いがあった時にご一報いただければ、私は月宮の坊は少し遅くなり、お昼もいらなくなると理解して、坊の身の上については心配しませんでした。
……ここまで申し上げて、まだ私が何に怒っているかお分かりになりませんか?」
そう言うと、空様は何かに気付いたように『あっ』という表情をし、そして半ば呆れたような顔で、恐る恐る答えた。
「……まさかとは思いますが、戻子さんや鏡子さんが食事会に参加していたからでしょうか?」
私はうなずいて言った。
「やっと分かっていただけましたね? 四国の件でお礼がしたければ、『無常堂』に来れば良いだけのこと。
それを空様への労いの席に便乗するのは、私には考えが足りぬか、下心があるかとしか思えませんでした。今後は、空様からも注意して差し上げてくださいませ」
空様はうなずいたが、
「……あの、瀬緒里さんが言われることはいちいち尤もなんですが、もう少しぼくのことを信じていただければ嬉しいんですが?」
そう言うので、私は笑顔でうなずいて、
「もちろん、私は空様を信じておりますよ? でも先ほど私が、『前後不覚に酔わされるかも知れませんよ』と言った時、空様はなぜ黙られました?」
そう言うと、再び黙ってしまった空様に、可愛らしい笑顔で、でも圧を込めて教えて差し上げた。
「いつか言いましたよ?『神は嫉妬深いんです』と」
すると空様の顔には恐怖の色が浮かぶ。いけない、薬が効きすぎたら怖がられてしまい、嫌われてしまう……そう焦った私を救うように、私のお腹がぐう~っと鳴った。
思わず赤くなる私に、空様はくすくす笑いながら最中を差し出し、
「すみません、ぼくの理解が遅くて瀬緒里さんにひもじい思いをさせてしまいましたね?
これ、食べてください。その間に、冷蔵庫から持ってきます」
そう言うと、立ち上がって部屋を出て行く。私は渡された最中を見て、包みを開け、それを頬張った。甘い香りが鼻に抜け、餡子のくどくない甘味が、私を幸せな気持ちにする。
「……お茶を、準備しましょうか」
私は1個を食べ切ると、ゆっくりと立ち上がって居間へと向かう。我が背がニコニコしながら私を待っています。
(……願わくば、こんな我が背との日々が、長く続きますように……)
そんな思いを抱えながら、私は我が背と最中を堪能します。
こうして、我が背と私の一日は、何事もなく過ぎていくのでした。
(無常堂夜話 幕間回:何でもない日の物語 終わり)
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
こんな、「日常の中で起こるちょっとした出来事」って、書いていて面白いですね。
特に、瀬緒里さんのデレ具合は考えながらニヤついていました。傍から見るときっと気色悪かったに違いありません。
さて、次回はまた事件の話になります。お楽しみに!




