『神器』 第8回
「この端末のデータもテラスにバックアップされているけれど、明日には拠点を替えるつもりだったし」
彼女が再生すると、雑然とした部屋の様子が映し出された。無地の白Tシャツの上から白衣を羽織った老人がバストアップで映っているが、その輪郭がゆらゆらと揺らめいている。僕はそれで、私室に見える背景が合成映像である事を悟った。
『竪琴真栗さん、並びにアウトサイダーの皆さん。香宗我部です。君たちがこの映像を観る頃には、私は既にこの世に居ないだろう。……なんて芝居がかった事を言うと、ふざけていると思われるかな?』
あらかじめ台本を用意したのか、老人──香宗我部剛典博士の口調は文章を読み上げるかのようだった。やや苦笑気味に言う彼のユーモアは苦しく、僕は却って気管が詰まったような気分になった。
『この世に暇乞いをする前に、君たちに最後のお願いをしたいと思う。私の孫、至輝を守って欲しいという事だ。父親の名字は君嶋という。君嶋至輝──このディスクは彼に託して、彼の名義で生富君の拠点に発送して貰うつもりだ。これを観ているという事は、君たちもラベルにこの名前があるのを目にした事だろう。
神曲ゼミナールの喧伝する”神のプログラムコード”、これによってテラスが動いているという推測について、彼は度々私に探りを入れてきた。どうやら、彼は後輩と一緒にこの事を調べているらしくてね。葛西慈郎君という名前だそうだ。
私は今まで、彼に対して真実を語らなかった。国からの依頼を受けて私がテラスを設計した時、そのコードは国家機密レベルの情報だったからというのもある。だがそれは詭弁に過ぎず、私は至輝を危険に晒したくなかったのだ。しかし彼は、恐らく葛西君もだろうが、私に断られた程度で諦めようとはしなかった。彼は自身でテラスの内部データを得ようとし、先月例の遺跡で彼が古代スクリプトと呼んでいた紋様の羅列が発見されてからはAIによるその翻訳に着手した。そこまで暴き立てれば、私にエビデンスに基づく推論を提示し、口を割らせられると思っていたようだ。実際彼は何度も、絶対に私に吐く気にさせると直接宣誓してきた。
事態がここまで進んだ以上、私はいつまでもはぐらかしている訳には行かない。至輝の行っている事はテラスには筒抜けだ、彼が決定的なところまで踏み込んだ時、手が下される危険性があった。ならば私は最期に、彼が結論を出す前に肉声の言葉を以て全てを語ろうと思う。
アウトサイダーの皆さん、この遺言は至輝にも見せて欲しい。私が今から言う事は、彼と葛西君に対しての言葉なのだから。
告白しよう、私はテラスの制御スクリプトを記述したが、それは私が編み出したものではない。私は国から業務を委託された時、それは風代の社会システムという広大で総体的な守備範囲を持つAIでありながら、畢竟局地的なものに過ぎないという点からフレームを定められると思った。時間は掛かるだろうが、数年もあれば自力で集積型環境的相関管制構造体、巨大コンピュータ・テラスを設計出来るだろうと楽観視していた。しかし、手順を簡略化させる為にプログラムの自動生成AIを導入した頃から、おかしな事が始まったのだ。
AIが選択し、私に提示した情報のソースに「機械仕掛けの神」が意図的にサイバー空間に撒いた情報が含まれていたらしい。次第にAIによる設計が私に理解不能なものに変わって行き、また私の手による細部調整に奇妙な”提案”が入るようになった。徐々にそれらはエスカレートし、最終的には統合開発環境そのものの見直し、インタプリタを用いた専用言語の作成までを勧奨された。
さすがにおかしいとは思った。だが、私はこれを自らの研究の結果、自動生成AIの学習が新たな段階に進化したのだと喜んだ。自惚れていたのだ……私はその提案に乗る事にし、機械側から提示される情報をそのまま採用して言語を含む新たな開発ツールを生み出した。そこから、同様にシステムから与えられたデータをそのまま利用してテラスのプログラミングを行ったのだ。その言語が、メソッドを一つ一つ分解して論理的に理解出来るものではない事に気付いたのは、ずっと後の事だった。
分かりにくいかな? つまりは、何故作れたのか分からないけれど作れた──という事だ。創作者は自分の頭の中だけでこういう事がよくあるらしいが、霊的直感とは蓋し核心を突いた表現ではないだろうか。
私の開発したプログラミング言語、Kosokabe's Unit──KUは、関数のバリエーションが極めて少ない。一つの命令に含まれる情報量が異様に大きいのだ。私に原理を理解出来なかった理由もこの辺りにあるらしい。大前提として、情報量とは人がその情報について理解するまでにどれだけの時間を要するか、だ。理解不能であればある程、情報量が多いと言えるんだよ。情報工学を専門とする至輝には、言わずもがなの事だろうがね。KUはその点、限りなくカオスに近いものだった』
香宗我部博士の顔色が、液晶越しにも分かる程苦悩を湛えたものとなった。
『私は、「機械仕掛けの神」の器を開発してしまったのだ。まんまとその思惑に乗せられて。後に姿樟脳が指摘するように、彼は神と呼ぶにはあまりに不可能性が多い。神という言葉でしか呼べない高次的存在、というのが実際のところだろうが、それらが本当の意味で神に──本来互いに干渉し得ない世界に在りながら、高次存在である事を理由に人間を一方的に支配する存在になるべく人の世への窓口を作った。電子レベル、ミクロの領域で限定的な干渉を行う事が精々だったそれらの不可能性が、可能性を以て定義されるようになる閾値を超えた。
これは即ち、テラスを用いた社会実験の発案そのものが、”神の器”を作り出す為に何者かの意思によって”偉い人たち”の中に仕組まれた思考だった事を示唆している。そのような論理思考を形成する為に、彼らが今まで生きてきた環境が働き掛けてきたのだとすれば、「機械仕掛けの神」と同様の存在は他にも居る。各種メディアなどを通じて、そんな些細な働き掛けしか出来なかったそれらは、テラスを以て初めて表舞台に躍り出る事が出来たという訳だ。
私は「機械仕掛けの神」の思惑を、十余年前に分かっていた訳ではない。彼の支配欲に加担してしまったという罪悪感が萌したのは、「試練の季節」が始まった後の事だ。当時はまだ、テラスを依り代とする何者かの存在について思案を巡らす余地すらなかったのだから。それでも私はこの開発資料を、関係各所に提出する事が出来なかった。自らも理解していないコードについて、どうして解説する術があっただろう? しかし、その懸念も杞憂だった。
動的テストの為テラスに接続していた私のPC上で、文書のテンプレート作成に使用していた自動生成AIが、勝手にダミーのレポートを作成していたのだ。まだそうとは知らない「機械仕掛けの神」からの介入がある前に従来のフレームで私が設計しようと考えていた、Javaで記述されたスクリプトのコピーが添付されていた。私はぞっとしたが、これを提出する外なかった』
「竪琴さん──」
僕は目を釘付けにされたまま、震える声で真栗先輩に問うた。
「博士が何を言っているのか、理解出来ますか?」
「情報関連の事は分からないわよ。ジロ君とかお孫さんの方が専門なんじゃない?」
「そういう事ではなく……!」
『たった一つの発明によって、それから加速度的に世界や歴史が変化する事は有り得るだろうか?』
画面の中の博士が再び話し始めたので、僕は口を閉じるしかなかった。
『答えはイエスだ。例えば、核兵器がそうだよ。第二次世界大戦が核兵器によって終わりを告げた時、戦争は決定的に変わった。次に同規模の戦が起これば、それは核から始まる事になる。第三次世界大戦では人類が滅亡する、というのは有名な説だろう。しかし、そのパラダイムシフトも系譜を辿れば物理兵器から化学兵器に、弓矢から銃に、青銅から鉄に、打製石器から磨製石器にという微細な変化、改良の蓄積があった果てに生み出されたものだ。少しずつ開かれていた地獄の門の開き具合が、ある閾値を超えたら魔物が入って来られる程にまでなった、という喩えは適切かな。
或いは、人間の誕生もそうだ。地球誕生から現在までを一年に置き換えると、現人類の登場した二十万年前は十二月三十一日、大晦日の夜なんだよ。それ程の短期間で人間は生態系の頂点まで上り詰め、コンクリートと鉄で現在の文明を築いた上、今やそれを全滅させられる何倍もの量の兵器を保持している。
これらは、「機械仕掛けの神」もまた然りだ。テラスを得た事で、彼らの在り方は変わった。この街はこれから、指数関数的に無秩序の度合いを上げていくだろう。エントロピーの増大しきった宇宙は熱的死を迎えるしかない。それは人間の想像力が不要となり、ただ抗い難い力に流され、運命の舞台進行をトレースする歯車の一つになり下がるという事を意味している。
なあ、皆。そんなものを見物して、「機械仕掛けの神」は何が楽しいのだろう? 畢竟我らには高次存在である彼らの論理思考をカオスとしか受け止められないという事だろうか。或いは……彼らは人間を、赤子をあやすように遇っているのだろうか』
博士は徐ろに顔を上げ、カメラを真っ直ぐに見つめた。弱々しくも微笑みながら。あたかも、これを観ている僕たちの事を向こうからも見ているかのようだった。
『テラスを止めるんだ。至輝たちの行っている研究は、決して的外れなものではない。竪琴さん、君にこのような事を言うのは心苦しいのだが、私や君たちが今まで出来た事といえば対症療法だけだった。至輝と葛西君は、原因療法を行う事が出来る。本当は私が古代スクリプトの言語モデルと対応するKUの文法を託せられれば良かったが、考えが甘かったらしい。こうして私が死ぬ前に、サーバに保存していたデータは全てが消去されてしまった。
アウトサイダーの皆さん。私の死について、どうか責任を感じないで欲しい。むしろそれは、テラスをシャットダウンするという究極手段に出る為の術を有しながら、勇気を持つ事の出来なかった私にある。自業自得というには、あまりに巻き添えにしてしまったものが多すぎるがね。
……そろそろお別れのようだ。どうか抗い続けてくれ、偽りの神に。絶望するな。それではさようなら、皆さん。さようなら』
映像が暗転した。僕は立ち尽くしたまま、暫しループアイコンと右側に振り切られたシークバーだけが浮かぶディスプレイ画面を見つめ続ける。
この後、博士がダビングを行い、君嶋先輩にそれを託す場面が想像出来なかった。録画を終えた瞬間彼は拳銃で撃たれて死んだのだ、と説明されれば、それを受け入れてしまいそうな程その態度は鬼気迫っていた。
由憐の「博士……」という呟きが鼓膜を揺らした瞬間、僕の奥歯がぐっと鳴った。
「どう思った、ジロ君?」真栗先輩の声色は変化しなかった。「テラスの制御プログラムは、君の言うオーパーツで記述されていた。神様がご丁寧にも、それをKUとかいう人間向きの言語に直してくれたもので。見事に予想が当たっておめでとう。香宗我部博士に確かめたかった事も、全部分かったでしょ?」
「……確かに、そうですね」
僕は口を開いた。その声は、真栗先輩とは対照的に滑稽な程弱々しかった。
「だけど、これが聞けなかったから僕は、一年間ずっと苦労してきた」
映像の中で、香宗我部博士は君嶋先輩が直接的にテラスのプログラムコードについて彼に尋ね、彼はそれに対して口を割らなかったと語っていた。先輩は僕に対して、誰かから答えを教えて貰うのではつまらない、と言って祖父である博士に僕を合わせる事を拒んでいるようだったが、実際には僕が何も知らない段階で彼に会っても意味がないという事を分かりきっていたのだろう。
香宗我部博士はややもすると──監視されていたのではないだろうか? 彼が君嶋先輩の身を案じたというのは、自分が直接語った瞬間に先輩が「知りすぎ」、抹殺の標的にされるという意味だったのかもしれない。
博士はいつでも手を下されてもおかしくない状態に在りながら、アウトサイダーと接触を持って尚生かされ続けた。風代市内では少数でしか動かないという彼らを一網打尽にする機会を窺うべく博士が利用されていたのだとすれば、遂に手が下されたという事は何を意味するのか。
彼は死の間際、それが不可避的なものになって初めて、短い時間ながら敵の目を解き放たれた。敵が油断したともいえるその一瞬を突き、彼はこのメッセージを遺した──。
「こういう物語の終わり方、何ていうのかご存知ですか?」
僕は言葉を続ける。
「『機械仕掛けの神』ですよ! 突然登場した人物が、今までの展開も、推理も、全部無視して強制的に話を終わらせてしまうんです。ははっ、なるほど、神は居た……機械仕掛けの神の正体は、他ならぬ香宗我部博士だった!」
──洒落が効いている。何のブラックユーモアか。
そう思ったところで涙が出、僕は「ふざけるな!」と叫んで自分の頭を叩いた。
「先輩の言っていた意味が分かった……こんなので、納得出来る訳がないですよ。過程をすっ飛ばして、解だけをぽんと手渡された気分です」
「結論は出たけど、私たちは二年前にはとっくにこれを知っていた。ジロ君、これで終わりじゃないよ。まだだ」
真栗先輩は言い、僕の両肩に手を置いた。「行動は、まだだ」
「正直、俺たちにはちんぷんかんぷんだったんだよ」
露木が、降参というように両手を挙げた。
「でも要するにこれ、プログラミングなんて義務教育で齧った程度の俺たちにKUを勉強させて、そんでもってテラスをハッキングしろって話だろ? 由憐ちゃんでも無理ゲーだっつうの」
「大前提として、私たちには葛西君と君嶋至輝さんが必要」と由憐。「しかも、それをするには漏れなくテラスに接続する必要がある。けど、接続したらテラスは私たちに逆ハッキングを仕掛けて、あらゆる手を尽くして命を奪おうとする。言葉を選ばずに言えば、あなたたちだってどうするのか、何処まで出来るのか疑問」
「だけど、少なくとも君はきっと諦めないだろう」
雷先輩が、彼女の言葉の後を引き取った。
「真栗は『共闘は確定事項』って言っていたが、だからこれは懇願じゃない。君の意志の確認だ。……慈郎、君は追い求めてきた友人の死の真相を知った。それと同じ事がまた誰かに降り掛からないよう、『試練の季節』を終わらせる為に戦う覚悟はあるか?」
「戦います」
僕は即答した。
「君嶋先輩だって、きっと──」
続けて言いかけた時、僕は眦が裂けそうな程に目を見開いた。
オーパーツとテラスのメインプログラムについて、真実に肉薄していた僕はBCSTに命を狙われた。では、解析用プラットフォームを開発し、直接オーパーツを調べようとしていた先輩はどうだったのだろう?
不吉な予感が過ぎった時、由憐のプリペイド携帯が着信音を響かせた。彼女は「失礼します」と断り、側頭部にそれを当てる。
「はい、水鏡です。諏佐君? ……えっ」
彼女の頰から、さっと血の気が引いた。真栗先輩が「どったの?」と尋ねる。
由憐は、仲間たちの顔を見回しながら告げた。
「四号バイパス沿いの生協で籠城事件発生だって。機動隊が突入を強行したらしい」
彼女の口にしたのは、君嶋先輩が夜間バイトを行っている場所だった。




