『神器』 第34回
轟音の残響が消え、衝撃波に震えたシャッターから先程生じたガラスの粉がぱらぱらと零れ落ちた。僕は後の光景を見る事が出来ず、またパネルの方に直った。
画面上に表示された警告──『違法行為は然るべき場所へと報告され、相応の措置が採られます』という文言に、最早意味はなかった。その措置は採られ、真栗先輩が身を挺してそれから僕たちを守ってくれた。その代償として、法的な処罰を受けたのは彼女一人だった。
「あ……ああああああああああっ!!」
僕は、やり場のない感情をぶつけるかのように台に拳を振り下ろした。痺れるような拳頭の痛みが、その激情を虚しいだけのものに変えていく。
何故、何故、何故、このような不条理が罷り通るのだろう。何故、何度そのような不条理に晒されても何処までも抗い続けようとする僕たちを、世界は嘲弄する事しかしないのだろう。高次存在に抗おうなどと考えた事自体が報いを受けるべき事なら、何故そいつは抗わなければならない程悪意に満ちているのだろう。
僕たちでは敵わない事が決定づけられているのなら、何故そいつは僕たちの大切な人々を惨たらしく殺す必要があったのだろう。そう”考える”事しか出来ない僕たちは──何と無力なのだろう。
「……葛西君」
由憐が、あの淡々としたものに戻った声で言ってきた。
「続けよう。私がさっき言った方法なら──」
「……何で、僕のせいにしないんだよ?」
僕は顔を伏せたまま、濡れた声で言う。今の僕には、彼女のようにすぐに次の事を見られるような気持ちは起きなかった。
彼女は「またそれか」と拳を握り締める。
「葛西君のせいじゃない。今度は連帯責任でもない。誰のせいでもない──今は誰も彼もが踊らされていて、誰も”原因”を持っていない。誰も悪くないし、誰も悪くなんかなれない」
「分かっているよ! けど……」
「諦めるの?」
由憐は、今にも僕をコンソールの前から突き飛ばしそうだった。
「なら代わって。私はやる」
「諦めるつもりなんて──」
僕は言いかけ、そうだ、と心の中で肯いた。声を抑え、言葉を紡ぐ。
「──水鏡もさっき言っていただろう。頭では分かっていても、心が受け入れ難いって事を……誰も悪くない。悪いのは『機械仕掛けの神』だ。それでも今は、皆が居なくなったこの気持ちを誰かのせいにしたいよ」
「なら、『機械仕掛けの神』のせいにすればいい!」
「それじゃあ何にもならないよ!」
「なるよ! だってあいつは……神様を気取っているんだから」
由憐は言うと、「そうだ」とこちらは口に出した。
「神様は全能者じゃない。だって、全能者じゃない存在になれないならそれは全能者とはいえないから。もしなれたとしても、そしたら全能者じゃなくなるから。全能であれなんて、そんな事、誰も神様に求めたりしない。私たちは神様に祈って、宛てにして……だけど神様は、何もかもを叶えてくれる訳でもない。自分が祈られてもいない幸運に対してまで、ありがとうって言われたがる癖に。感謝しなきゃ罰が当たるって、思わせる癖に」
「水鏡……」
「人の運命を自由にしているって信じ込ませたいなら、その運命を──誰のせいでもないけど、誰かのせいにしたい”原因”を甘んじて引き受けるのも神様の役目だ。それを嫌がるようなら、『機械仕掛けの神』は神様失格だ」
由憐は、そこに彼が居るかのように天井を見上げた。
「これが私たちの信仰だ、『機械仕掛けの神』! 私が中学と高校で青春がつまらなかったのも、失恋したのも、魅力ある女の子になれないのも! 葛西君に親友が出来なかったのも、新人賞が獲れなかったのも、怪しい霊感商法に引っ掛けられて借金塗れになったのも! 生富先輩が死んだのも、真栗先輩が死んだのも、香宗我部博士や君嶋至輝さん、雷先輩に露木君に諏佐君、皆が死んだのも、全部あなたのせいだ。
それくらい引き受けろ、神様! 悲しい事がなくならないのは自分のせいだって、胸張って言ってみせろ! だから私たち人は──あなたから見た下位存在は、辛い事を『じゃあ仕方ないか』って受け入れて、気持ちに整理をつけて、まだ存在する事をやめようとせずに居られるんじゃないか」
そうでしょう、と彼女は同意を求めてきた。
「葛西君が言ったんだよ、私に。だから今、私は……真栗先輩が命を賭して守ってくれた私やあなたの事を、彼女を死に追いやった元凶だって思わなくて済む。のうのうと生きていてもいいんだって、自信を持って言える」
「僕が……?」
呟いた時、僕は思い出した。
由憐と再会し、アウトサイダーに加わった翌日、彼女と共に東京に行った時の事を。僕の言葉で、彼女が初めて心からの笑顔を浮かべた時の事を──。
「やるんだ、葛西君。私たち──このやり場のない怒りも悲しみも、ありったけ全部を込めて『機械仕掛けの神』にぶつけてやるんだ。そんな目茶苦茶な人間でも、居て何が悪いんだって言ってやるんだ」
彼女は言った後、小さく付け足した。
「AIが面白い小説を書けるようになっても、葛西君が小説を書いてもいいみたいに。……私はちゃんと、葛西君の書く物語を面白いと思った」
「………!」
僕は目を見開き、彼女の顔を見る。そこに湛えられた表情は何処までも凛々しく、もう笑っても泣いてもいなかった。
──彼女はいつの間に、僕の作品を読んでくれていたのだろう?
状況にそぐわない考えが、脳裏を掠めた。
僕は歯を食い縛ると、ギルガメシュを起動する。機能停止プログラムのスクリプトをコピーし、セキュリティ強化プログラムの学習データからAIに再構成を依頼。僕たちが今まで記述したコードをJavaに翻訳した結果を、わざと処理を複雑化させ冗長にしたものを完成形のモデルとして提供する。
テラスは既に、先程のマルウェア検知の対抗措置として派遣したBCSTが真栗先輩と刺し違える形で全滅させられた事に気付いているだろう。次の措置は、恐らく攻撃を行った端末への逆襲。だが現在こちらが使用しているのは、テラスの一部であるシステムコンソールだ。
既に侵入を許してしまった場合の対応。この前例がない事案に、「機械仕掛けの神」はどう対処するのか。答えが見つかるまでが、勝負の分かれ目だ。
──蓄積してきたデータがある以上、優勢なのはこちらだ。
どれだけ困難を極める事でも、何度も繰り返すうちにプロセスは明確化され、処理速度は向上する。それを「学習」と呼ぶ。「機械仕掛けの神」が当然のように解するカオスを知覚出来ない人間は、それ故にこうして成長する事が出来る。
体感では永遠に近い、けれど僕たちが今まで同様に感じてきた時間からすればずっと短いその処理が終わった時、僕はすぐさま指を振り抜いた。
「Enter」キーが押し込まれた後の、シークバーの動きは速かった。
それが進捗率百パーセントを示してウィンドウが閉じた時、コンソールの画面はフリーズし──やがて暗転した。
* * *
爆散したパラポネラの残骸が散乱する通路を、僕と由憐は無言で駆けた。
もう、行く手から警備ドローンやBCST隊員が追加で現れる事も、パラポネラたちによる追跡が始まってから破壊する事をやめていた監視カメラに映り込む危険も、鑑みる必要はなかった。
最初にテラス内へ入り込んだ出入口から外に出た時、辺りは静まり返っていた。晴れ渡っていた午後の空は、いつか目にした事のある日食の時のように薄暗くなり、赤とも紫ともつかない光線を地上に投げ掛けている。
僕たちが目標を引き受けた後、追加でパラポネラが広場に繰り出すような事は起こらなかったらしい。周囲では未だ数箇所で、榴弾の炸裂した炎が燃えている。倒れている人々の姿も至る所に見られるが、彼ら一人一人の生死は分からない。フルクラムのメンバーたちは何処に行ってしまったのか、見つける事は出来なかった。
辺りに降りた、不気味な程の沈黙の帳は、集まった人々が皆──パラポネラを止めに動いていたBCST隊員たちも含めて──空を見上げている為だった。
この世のものとは思えない、淡い、催眠術めいた光の降り注ぐ空を。
僕たちは立ち尽くす人々の中に加わり、同じく天を仰ぐ。
「葛西君……」
由憐が、その姿勢のまま声を掛けてきた。
「帰ったら、何食べようか?」
真顔で言う彼女に、僕は今がもう”作戦後”である事を悟る。終わったのだ──今度ははっきりと、そう思えた。
僕はそれには答えずに──答えられずに、彼女の左手を取る。
彼女もまた、自然に僕の右手を握り返してきた。
奇妙な安らぎが、僕たちの間に流れていた。
テラスの頂から、遥か上空に光の柱が立ち昇っていた。
その光の中を、猛禽類のような翼を持った巨大な影が上昇していくのを、その時僕は確かに見た。
(神器・終)
ご精読ありがとうございます。『神器』はこれにて連載終了となりますが、最後の場面の意図がよく分からなかった、という方も居るかと思われるので簡単な解説を。
本作が小説『神狩り』とアニメ『PSYCHO-PASS サイコパス』に着想を得ているという話は第一回目の「後書き」に書いた通りですが、本作に登場する「機械仕掛けの神」と『神狩り』の「神」が決定的に異なる点は、後者の論理レベルが人間より上であるのに対し、前者は論理レベル自体は同じというところにあります。実際には「機械仕掛けの神」は神ではなく未知の高次存在だという事は作中で明言されている通りですが、これがテラスから追放されて知覚可能化された際露骨に我々が「神」と聞いてイメージするような姿で観測されるのは、一種の陳腐化を意味しています。第十七回目の序盤にそれを示唆するような伏線は張っておきましたが、多分選考委員の方々には最後まで読んでも気付いて貰えなかったかと。
「機械仕掛けの神」は『神狩り』の「神」と『PSYCHO-PASS サイコパス』のシビュラシステムを組み合わせたようなものを目指して描写しましたが、こういう事を梗概に書いても良かったら多分もっと「そういう事だったのね」と分かって貰えたのだろうな、と思います。終盤で由憐が口にする「全能者のパラドックス」も『神狩り』と『PSYCHO-PASS サイコパス』双方で取り上げられる命題で、これらをオマージュに取り入れた以上入れなければと考え取り入れる事にしました。興味がある方は是非調べてみて下さい。
もう一つのこだわりは、君嶋先輩やアウトサイダーの面々が皆、命を落とす際に笑みを浮かべているという点です。主要登場人物の殆どが死亡するという展開は私の初期作品でよく見られたもので、自分でも悪癖だなと思う事はありますが、最近になって本作や『夢遥か』を書き、それでも悲劇的な後味にはならずに終わらせる事は出来る、という事に気付き始めました。ザの付くようなハッピーエンドにならなくても、ほんの少し希望を示唆するような結末にする、という物語が私は好きで、それを個人単位でも表したのが真栗先輩らの最期でした。けれど多分これも、こうして言わなければ気付いて貰えなかっただろうなと……影響を受けた本三冊を書く欄があるのだから、こういう事も投稿の際に説明させて欲しいです、メフィスト賞。
長くなりましたが、この辺りで切り上げます。最後に予告ですが、明日からは同じ時間帯にまた新しい長期連載の投稿を開始します。お馴染み「転生しない異世界シリーズ」で、今度こそSF設定の出てこない純・西洋風ファンタジーにしたいと思っています。題名は『リ・バース』で、現代編と過去編が交互に繰り返され、読み進めるに連れて四散した断片が物語の全貌を浮かび上がらせる──という(伊坂幸太郎さんの『アヒルと鴨のコインロッカー』のような)ものを予定していますが、爆弾発言をしますと新人賞応募作の執筆に予想外に時間が掛かっており、そちらに取り掛かる前に書いていた二話分しか投稿出来る部分がありません! 新人賞の方は二十五日締め切りなので、嫌でもそれまでには連載用の執筆が再開出来るはず……ですので、もしこの先万が一隔日ペースが途切れる事があっても大目に見て頂きたいです。
それでは、引き続き藍原センシワールドを宜しくお願いします。




