『神器』 第33回
「真栗先輩、死なないで!」
由憐が叫んだ時、先輩が思わぬアクションを起こした。
警備ドローンの砲口が弾を発射する直前、彼女は拳銃──相手の装甲の前では無力だと本人が言っていた──を抜き、引き金を引いたのだ。
微塵も、躊躇を見せる事なく。
その狙いは、パラポネラの頭部に引っ掛かったアグネアストラの弾倉だった。
(そうか、最初にこいつと戦った時)
僕は、アウトサイダーの武装が強化される前にパラポネラに襲撃された時の事──自宅アパートが神曲ゼミナールの会員に放火され、住宅街で彼らと対峙したあの戦いを思い出す。
あの時、由憐はパラポネラの榴弾発射直前、驚くべき正確さで四十四口径の砲口に銃弾を叩き込んだ。
あの神業に比べれば、それなりの大きさのある対象を近距離から狙い撃つ事にそれ程のハードルの高さは感じられないのかもしれない。しかし問題は、位置取りが近距離すぎるという事だった。そして真栗先輩は、それを全く意に介さないのだ。
装填されていた榴弾を、一直線に飛んだ銃弾が貫いた。炸裂──パラポネラの吐き出そうとしていた過剰攻撃気味の砲弾が誘爆。
最後のパラポネラの上部が、火山噴火の如き勢いで爆発した。搭載AIの本体ともいえるOSやCPUもそれに巻き込まれたらしい。多脚ドローンは六本のカーボンナノチューブ製の脚を折り、がくりと床の上に倒れて動かなくなった。
同時に、衝撃波が真栗先輩を襲った。ガラスに押しつけられる先輩の背中。そこを中心に蜘蛛の巣状の亀裂が広がり、飛散した血液がガラスに散ってだらだらと流れる。それはあたかも、シャッター自体が出血しているかのようだった。
防爆仕様のそれは、砕け散る事はなかった。ただ、ひびが入り、小さな穴が開いた事で向こうの音が聞こえるようになる。その時既に爆発は過去のものとなり、残響だけが微かに尾を引いていた。
「真栗先輩……」
「ミッション・コンプリート。害虫駆除は恙なく完了しましたとさ」
彼女は、相変わらずの冗談めかした言い回しで言った。
「だから言ったでしょ? 私一人でも大丈夫だって。ところで、そっちは?」
「機能停止プログラムは……」
由憐が下唇を噛む。元のサマーコートの色が見えなくなる程、細かなガラスの粒子が突き刺さった先輩の背中には血が滲み出していた。一つ一つの傷は浅いようだが、傷口が夥しい。彼女はそれから視線を逸らすように横を向き、非情なメッセージの表示されたコンソール画面に向き直る。
僕は、開口する事を躊躇していた。こちらの作業すら完遂されれば戦いは終わる、どれだけの深手を負おうとも、この後に待っているのが諸々の罪状による逮捕だとしても行動が報われた事になる。先輩は、そう思って戦ったに違いなかった。
卑怯ともいえる怯懦から、僕は由憐が先輩に報告してくれるのを無意識のうちに待っていた。が、画面を改めて捉えた彼女の目は、そこで大きく見開かれた。
「『相応の措置』って……!?」
僕がその独白に反応するよりも先に、由憐は「先輩!」と叫んでいた。
「逃げて下さい、早く!」
「何よ、そんなに焦っちゃって──」
言いかけた真栗先輩の笑顔が、凍りついた。
未だ晴れきらない黒煙の向こう、暗闇の中から、断続的な破裂音が響く。
無数の煌めきが見えた途端、シャッターが白変した。先輩の血が亀裂に流れ込んだ強化ガラスに、何十発分もの弾痕が穿たれたのだ。
真栗先輩の上体が、半分こちらを向いたまま何度もその場で跳ねた。雨粒が弾かれるように、細かな血飛沫が床や側壁に飛び散る。
由憐の声が、潰れたようにひび割れた。
「先輩、先輩……ああっ、何て事を……っ!」
「侵入者に告げる! そこを動くな!」
反響の掛かった声が飛び、パラポネラの残骸の向こうから幾つもの影が靴音を鳴らして駆けて来た。
僕たちのサイバー攻撃を検知したテラスが通報し、動員されたBCSTだった。残骸の手前まで進んで来た彼らの銃口からは、一様に硝煙が立ち昇っている。
真栗先輩は、全身を撃ち抜かれながらもシャッターに縋って身を起こした。
「いいのかな……私たちなんかに、かまけていて……」
撃たれて尚、彼女の笑みは消えなかった。
「格納庫でスタンバってた蟻さんたちも、この分じゃ回路がいかれちゃったんじゃないかな……? 今頃、外に居る人たちはどうなっているのかな……”正義の味方”であるあなたたちが助けてくれるのを、今か今かと待ちながら……あなたたちを恨んで、死んでいってるんじゃない、かな……」
「無駄なお喋りをするな、テロリストめが」
警告なしで、再び隊員が発砲した。巧妙に頭を避け、すぐには殺さず甚振ろうとするかのようにそれは先輩の鎖骨下に着弾する。本当に危険なテロリストに対する行為には、僕には見えなかった。
「いい……の、かな……」真栗先輩は尚も続ける。「そんな悠長に、お仕事の最中に遊ぶような事しちゃってさ……お姉さん、怖いんだぞー……? 今まであなたたち……調子に乗って、私の事……怒らせすぎちゃった、もんね……」
言いながら、先輩が指を動かす。床に広がっていく血溜まりの中で、両手の指先が痙攣しながらシャッターに密着した腰の後ろ側に回る。時間を掛け、留め金が外れたままのポーチの中にそれを差し込むと、中で何かを握り締めたようだった。
──何か、などと暈す必要はない。その中に入っているものなど、一つしかないではないか。
「真栗先輩、何を……?」
分かり切った事を尋ねる由憐もまた、それを認めたくないのだと僕は思った。
先輩はちらりとこちらを見、微笑み続けるだけで何も言わない。ポーチから抜かれた手の中で、手製炸裂弾は既に安全ピンを抜かれていた。
「やめて下さい、先輩……そんな痛い事、先輩には似合わない」
「ユレちゃんは私に、死ねって言うのかな……このまんまで居ても、どうせあの人たちに撃たれちゃうよ……あはは、さすが。維和君が天国に行っても、私がかっこいい事するの……そんなに嫌なんだ」
「ふざけないで下さい! 分かってる、先輩が最後まで私たちの役に立ってくれようとするなら、そうするしかないって事も。理性では分かっているんですよ。ですけどね……私の心がそれを駄目だって言っているんですよ!」
由憐は、それを叫ぶ事で隊員たちが察してしまうかもしれない事など、意にも介していないようだった。
真栗先輩はそれを聞くと、増々笑みを大きくした。
「いい子だねえ……ユレちゃんは本当に」
「奥の二人」
隊員が、僕たちに向かって声を放った。
「両手を挙げて投降しろ。さもなくば、この仲間を撃ち殺す」
「……っ!」
由憐が歯噛みする。俯き、前髪に顔を隠す。その口元の戦慄きが、徐々に感情を失っていくかのように小さくなっていった。
真栗先輩は膝を立てて腰を振り、シャッターに寄り掛かりながら立とうとする。
「あなたたちも、やっぱり人間だね……私、わざわざ撃たなくたって、もう長くないのにさ……だけどやっぱり、撃たれた方がこの子たちは悲しむよね、苦しむよね……そんな……情が分かるくらいには、ちゃんと人間、やってるんだ」
彼女は言いざま、床を蹴った。その最初の力だけで、あとは慣性に従うように真っ直ぐにBCST隊員の集団の中へと飛び込んで行く。
じゃあね、と、彼女は口の動きだけで僕たちに言った。
またね、ではなかった。それは暗に、僕と由憐には自分と同じ場所には来るなと言っているかのようだった。
隊員たちが、面食らったように再び発砲した。しかしそれで真栗先輩の体が後方に飛ばされる事はなく、むしろその弾丸は彼女がいつの間にか胸の前まで回していた手に握られた、榴弾への刺激として作用した。
光焔が通路を照らし出した。
人間二人分程のサイズのドローンを、一撃で爆散させる程の代物だ。目を盲さんばかりの閃光の中で、群がっていたBCST隊員の集団は瞬く間にシルエットと化し、風に吹かれたかの如く消し飛んでしまった。
今日と明日で『神器』は終了します。SF・サイバーパンクなどと謳ってはいますが、登場する技術自体はほぼ現在と変わらないので拍子抜けされた方も多いかと思われます。自動運転や完全キャッシュレス化、スマート家電の普及など「近い将来はこうなっているでしょう」と様々な場面で言われている社会像をそのまま世界観として取り入れましたが、これくらいの方が却って現実味があるかもしれません。
作中に登場するアウトサイダーというグループ名はEveさんの楽曲「アウトサイダー」に由来しており、物語の筋や彼らの行動にも私がこのMVを視聴して解釈した事が根底に流れています(よく分からなくても大丈夫です)。メンバーたちの名前の由来は世界各地のトリックスターで、以下に一覧で示しておきます。
・水鏡由憐…十四世紀ドイツのオイレンシュピーゲル(Eulenspiegel、「梟と鏡」の意味)。
・竪琴真栗…ギリシア神話のヘルメスと同一視されるローマ神話の神マーキュリー(メルクリウス)と、ヘルメスの象徴である竪琴。
・露木聖奈…北欧神話の悪神ロキと、彼の登場する古詩「ロカセナ(ロキの口論)」。
・諏佐汐里…日本神話の素戔嗚と、彼が八岐大蛇退治に用いた八塩折之酒。
・雷電児…江戸時代の創作物に登場する児雷也(自来也)。
・生富維和…草原インディアンの民話に登場するイクトミと、大岩のエピソードより。




