『神器』 第32回
振り返った時、シャッターの向こうが黒煙に覆われた。完全に密閉されている為音波は届かないが、爆発が起こったらしくガラスがビリビリと震動する。咄嗟に「先輩!」と叫んでしまった僕だったが、間もなく煙の中に昆虫の如きドローンと人型のシルエットが浮かび上がった。真栗先輩は撃たれた訳ではないらしい。
何故先程までのように迎撃しないのだろう、と思った時、由憐に袖を引かれた。
「あったよ、コンソール」
彼女の指し示す方に視線を向けると、奥の壁際──制御室自体は四畳半程の空間だったが、様々な機器が所狭しと並んでいた──に飛行機の操縦席のような制御盤があり、台に埋め込まれたパネルとキーボードが目に入った。
僕は努めて背後を見ないようにしながら、その前へと駆け寄る。パネルに管理者権限の情報入力画面が表示されており、事前に考えてきたクラッキングの手法を頭の中で思い起こす。
「水鏡、万が一だ。入口の所で、真栗先輩の様子を見ていてくれ」
「分かった」
きびきびと返事をし、彼女が身を翻す。僕はウェストポーチから、ギルガメシュと機能停止プログラムのファイルを納めたUSBを取り出して傍らに置いた。
──ハッキング開始。
特殊な言語であるKUにより制御されているこの場所で、このように直接攻撃者が忍び込んでシステムへの侵入を試みる可能性は非常に低い上、エミュレータが対応しない為従来のマルウェアは使えない。そして、制御プログラムの変更権限を持った人間は香宗我部博士ただ一人。他のエンジニアは一切手を加えない。ならばこの”入口”もパスワードなど形許りのものに違いない、と僕は見当をつけた。
実際、その暗号化アルゴリズムは時代遅れのDES──鍵長五十六ビット(+パリティチェック用の八ビットで六十四ビット)、八文字までしか有効でない──で、回数制限すら設けられていないようだった。携帯端末と有線接続し、総当たり攻撃で容易に突破は可能だ。
テラスの内部システムのセキュリティレベルの低さを見た時、もしかしたらと思った事は全て現実になった。ものの数分でパスワードは解除され、僕は端末のコネクタを引き抜くとすぐにUSBを挿す。
とうとう、僕たちがテラスの息の根を止める瞬間がやって来た。
インストール開始のボタンを押した時、不思議と「やりきった」という気持ちが発生しなかったのは、僕にまだ実感が湧かなかったというよりも、今まで十何年も風代市民を支配し、多くの人命を奪ってきた高次存在にチェックメイトを掛けるにしては、最後の一手があまりに地味すぎた為だった。
プロセスの開始を示すシークバーが、小窓で表示された。
(でも、これで本当に終わりだ)
──総司、香宗我部博士、君嶋先輩、露木、諏佐、雷先輩……
僕は一人一人の名を心の中で呼び、黙祷した。皆の命は無駄ではなかった──そう伝えたかった。
行動の終了を告げるべく、由憐の方を振り向こうとした。
視界の端にイレギュラーを捉えたのは、まさにそのタイミングだった。
徐々に右側に進みつつあったインストールの進捗を示すシークバーが、突然五十パーセントの手前で停止したのだ。一瞬の「ヒヤリ、ハット」はすぐに増大させられる。その要因は、バーのウィンドウが消え、代わりに『不審なプログラムを検出しました』という警告メッセージが表示された事だった。
「マルウェア対策……?」
ぽつりと呟いた時、
「何か言った?」
由憐が振り返り、声を掛けてきた。が、僕はそれに応えられなかった。
有り得ない──テラスのメインプログラムにフィルターの類が存在しない事は、あの遺跡に現れたオーパーツを解析した時点で確認している。では何故、このような警告が表示されるのか? まさか、テラスが自らシステムを改変した?
落ち着け、と、僕は自らの頭を拳で叩く。警告メッセージが『違法行為は然るべき場所へと報告され、相応の措置が採られます』という、機械特有の脅迫めいたものに変化した瞬間、僕ははっとした。
市内各地の反テラス団体に配布したツールキット。その中に、配布者に怪しまれないよう偽装は施したが確かにこの作戦で使用するものと同種のKUで記述したプログラムがあった。インターネット経由で送信した場合、システムに侵入しようとした時点でテラスは気付き、それを実行しようとしている端末のIPアドレスを特定し、逆ハッキングを仕掛ける。カオスを通じて”人心”に介入し、報復する所以だ。
その際、「機械仕掛けの神」は自身にとって真に脅威になりそうなものは記憶し、同様の攻撃は処理を拒むのではないか。ファイヤーウォールとまでは行かないが、迷惑メール防止フィルター程度の規模で。
僕たちが作戦に使う機能停止プログラムと同様のものが一斉に使用された為、テラスは凄まじい学習速度でそれをシグネチャのパターンファイルに取り込んだのではないか。そして、以降のインストールを拒否したのではないか──。
「水鏡、緊急事態だ!」
僕は彼女に向かって叫んだ。由憐はぎょっとしたように一瞬身を引き、すぐに状況を察したようにこちらの隣に駆け寄って来た。
「何これ? テラスにセキュリティ対策は……」
先程の僕と同じ思考を口にした彼女に、僕は自らの推測を語る。作戦前のプログラム配布の事に言及した時、彼女の表情は増々険しさを増した。
「……ギルガメシュはある?」
数秒の沈黙の後、彼女は徐ろにそう問うてきた。僕は肯く。
「同じUSBの中に」
「プログラムを組み直そう。ギルガメシュのAIには、オーパーツの解析で蓄積されたデータがまだ残っている。手作業で単語ごとの翻訳をした時のログも。KU、神語は一単語が非常に多義的だったはずだ、既存のパターンが崩れるまで並び替えても同じ処理になる語順はきっとある」
「それじゃあ、時間が掛かりすぎるんじゃ──」
言いかけた時、シャッターが一際激しく震動した。
僕と由憐はびくりとして振り返る。目に入ったのは、そこに背中から激突した真栗先輩の体だった。
そしてその向こうから、パラポネラが嬲るように接近していた。僕は先輩の手にアグネアストラがない事に気付いて背筋が冷たくなり、素早く周囲を見回した。それはすぐに見つかる──パラポネラの触角、砲身の隙間に、半ば拉げて弾倉を露出させ、引っ掛かっていた。
袋小路のシャッター前で、真栗先輩が迎撃をせず敵に砲撃を許した理由が分かった。迎撃しなかったのではなく、出来なかったのだ。
それでは──彼女は先程から今まで、どうやって攻防を繰り広げていたのだろう?
「真栗先輩……!」
先に声を上げたのは、由憐の方だった。
「だから私は言ったんです、元々対戦車ロケット弾をぶっ放すなんて柄じゃないのに、あなたって人は!」
彼女の叫びは厚いガラスに遮られ、先輩に届く事はないだろう。
だが、先輩は自分がぶつかった衝撃で僕たちが気付き、心配すると思ったらしい。腰が痛む、というように背中に手を回しつつ、顰めるような笑みを浮かべながら振り向いて歯を見せ、サムズアップしてきた。
その口の端から一筋血液が流れているのは、口腔内を切った為か、或いは内臓に深刻な損傷を負ってしまったのか。
真栗先輩は口を動かしたが、向こうからもこちらに音を伝える事は出来ない。彼女が何と言っているのか見極めようと目を凝らした時、パラポネラの照準が彼女へ──恐らくはその頭部に固定された。
僕は自分が狙われたかのような気分になった。




