『神器』 第3回
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午後からの講義は六限目まであり、校門を出る頃には十九時半になっていた。
学生アパートまでは徒歩十分程度であり、高校時代のように帰宅に風代駅を経由する必要はない。僕の生まれは風代で、小中高と市内の学校に通っていたが、両親は是非大学に入ったら一人暮らしをするようにと勧めてきた。
神曲ゼミナールへのローン返済の為、大量のアルバイトを行っていても生活は常にぎりぎりだ。年間を通して赤字になっていないので、あと一年続ける事は出来るだろうとは踏んでいるが、節約するに越した事はない。
本当は自炊をすれば食費が浮くのだろうが、課題やら探偵の真似事やら”就職活動”という名の小説執筆──ウェブ連載と新人賞応募を並行して行っている──やらで先輩の言う通り忙しい為、ついコンビニ飯で済ませてしまう。この日も二十一時からの飲食店でのシフトの為に風代駅前に行かねばならず、アパート近くのコンビニでおにぎりとお茶だけを購入した。
店舗を出ると、二十時近くなって日の暮れた駐車場の隅で、ゲリラ的に路上パフォーマンスを行うインディーズバンド「フルクラム」が楽器を掻き鳴らしていた。風代でのコンビニは店を出る時に自動精算される仕組みになっているので店員は居らず、彼らは店から咎められる事もない。
現在は曲同士の繋ぎの最中らしく、ボーカルの青年がバンドのキャッチフレーズを繰り返し叫んでいた。
「自分たちの権利を守る為に立ち上がれ! エクス・マキナ!」
外国語のような舌を巻いた発音でボーカルが叫ぶ度、ベーシストが合いの手のように断続的に和音を二、三度掻き鳴らす。
僕は思わず眉を潜めた。あのキャッチフレーズだけは好きになれない。
テラスに宿る”神”の存在が囁かれ始めてから、神曲ゼミナールに続くように様々な学生組織や団体が興った。主義系の芸術活動もその流れに属するものであり、フルクラムもその一つだった。
(反テラス運動……か)
しかし、路上で叫んで何かが変わるようなら世話がない。
その上彼らは、何を勘違いしているのか「抗うべき」と主張する”神”の名前を声高に唱える。
(『自然に帰れ』みたいなスローガンじゃないんだよ、『機械仕掛けの神』は)
内心で溜め息を吐きながら、僕は演奏を聴く為に集まっている何人かから視線を逸らした。
ここ三日間、立て続けに様々な事が起こりすぎた。もう帰ろう、と思った時、HMEが通知音を響かせる。少々億劫に思いながら画面を点けた僕だったが、それが通知設定をオンにしている出版社のニュースだったので姿勢を正した。
僕の”就職活動”、初めて応募したエンターテインメント小説新人賞の、一次選考の結果発表だった。呼吸を整え、審査を通過した作品一覧に目を通し始める。最初に篩に掛けられ、残されたのは百だった。
九畳有砂というペンネームを探し、画面をスクロールする。ウェブ連載に際してプロフィール欄で性別が男性である事は明言してあるが、本名のアナグラムであるこのペンネーム──「i」は二回入力だ──はどうも発音的に女性の名前だと思われがちらしい。君嶋先輩からは
「性別で作風の先入観が持たれないからいいんじゃない?」
と言われているが。
ない……ない……僕は段々焦燥に駆られてきた。鼓動が速まり、次の曲を奏で始めたフルクラムの演奏が聞こえなくなる。
いちばん下までスクロールを終え、「二次選考の結果は六月下旬頃に発表します」というメッセージまでを読んだ時、冷や汗が脇の下を伝ったのが分かった。見落としがあったかもしれない、と思い、逆方向にページを辿り始める。
が、やはり結果は同じだった。
(まあ、そんなものだろう)
心の中で呟いてみた時、それが却って重石の如く胸の底に落ち込んできた。
多少主張が強めな気がしないでもなかったが、それは僕の自信作であり、投稿する際には手応えを感じていた。具体的には、これが箸にも棒にも掛からないようなら自分の創作は本質的に時代に迎合しないのだろうな、というような気持ちだった。大賞受賞には至らずとも、一、二次選考辺りまでは進むものと思っていた。
キャリアセミナーで、企業の人が言っていた台詞が蘇る。
「中学高校は三年間、大学は順調に進めば四年間という短い時間ですが、卒業後は多くの場合、何十年もの間仕事が続きます。長い人生を楽しく生きるには、好きな事を仕事にするのが大切ですよね」
大学への入学当初の僕は、将来は小説を仕事にしたいという明確な目標を持ってはいなかった。高校時代に所属していたコースが情報系であり、同じような学部に進めば就職先が絞れるのではないかという程度の動機が第二で、第一は香宗我部博士を母方の祖父に持つ君嶋先輩に接触する目的だった。
自分がただ頼んだところで博士がテラスの真実を語ってくれる事はないだろう、として僕との仲介役を断った先輩だが、ならばと博士に”本気”を見せるべく行動し始めた僕に対して協力者になってはくれた。普通の先輩として相談に乗ってくれる事もあり、進路について話す事もあったが、その中で”就職活動”の話が出た。その頃、僕はネット上で共に創作を行っていた仲間二人とアンソロジーを主催し、実際に自費出版したそれを夏の文学エキスポで販売した事で、趣味の域に留まっていた小説を将来の仕事にしたいという意志が萌し始めていた。
「先輩は、来年の今頃はインターンとか行くんですか?」
「まあ、行くんだろうね。けど、具体的な事については三年生になってからじゃないと絞れないや」
先輩は「慈郎君は?」と聞き返してきた。
「君は何か、小説書いているうちに大学生活終わりそうだなあ」
「……今まで、趣味を仕事にしてしまったらそれに追われて、好きなものが好きじゃなくなってしまうんじゃないかって不安でした。けど、この間の事で確信した。僕は仕事になっても、創作を嫌いにはならないだろうって」
「ふむふむ。目標が見つかったなら良かったじゃないか」
「何か先生たちも、キャリアセンターの人たちも、将来の仕事を『企業への就職』とイコールで見ているような気がします。好きな事を仕事にするなら、僕は小説家になりたいですね。在学中に賞獲ってデビュー出来たらベストなんですが」
「けど、そう上手く行かない可能性もあるから、取り敢えず何処かに就職して仕事しながら並行してやっていくんだよ」
「そこに何か僕、一種の”捻じれ”……って言うんですか? 違和感を感じるといいますか、愚痴を言いたいところがあるんですよ」
僕はその時、現時点で大学生だからこそ抱くのかもしれない考えを口にした。
「それだと、あくまで企業での仕事はデビューして収入が安定するまでの”繋ぎ”みたいな言い方じゃないですか。けど、在学中に力を入れるように言われるのはそっちなんですよ。僕は、小説家という職に就きたくて練習に励んでいるのに。だから、僕に言わせて貰えば、僕が書き物をするのもれっきとした就職活動なんですよ」
──と、いうような経緯があって、以来先輩は僕の創作を”就職活動”と呼ぶ。その言葉の使い方には何だか、後になってそれが若い頃の「黒歴史」になるのを待つような、理想=若い=経験不足という等式を立てるような感があるので、僕としては自分で言った事ながらやめて欲しい。
「エクス・マキナ!」
一つ覚えのように叫びまくるフルクラムの声で、僕は回想から覚める。
彼らは一体何歳なのだろう、などと考えながら、開きっぱなしになっていたHMEの画面を再度見、タブを閉じる。不意に自分だけが、一般的には「そういうものだ」と言われていながら誰もそのようには感じていない忽々とした繫忙の中に身を置いているような気がして気持ちが悪くなった。
有限の時間を、棒に振りたくない──しかし、遺跡に行けば事故に遭い、神曲ゼミナールからは警戒を仄めかされ、渾身の一作はあえなく落選した。どうにも自分の行動が、いちいち空回りしているような気がしてならない。
「祈ったってどうにもならないか……神様なんて、やっぱりありはしないんだ」
思わず、独白が口を突いていた。
呟いてから、意図せず「神様」という語彙を使っていた事に呆然とする。このような言葉が自然に口に出るようになってしまっていた事が、僕自身も混沌とした現在の街の空気感に染まってしまっている事の示唆のようで焦りを感じた。
──踊らされるな。僕の意思は、僕だけのものだ。
いつもの自己暗示をリフレインさせ始めた時、
「神は居るよ」
突如として、横方向から声を掛けられた。僕はぎょっとしてそちらを見る。
背の高い女性が立っていた。春物のベージュのトレンチコートを纏い、デニム地の長ズボンを穿いている。黒いキャスケットを被っていて顔が良く見えなかったが、その声には聞き覚えがあるような気がした。
「この街には神が居る──居ちゃいけない神が」
「『機械仕掛けの神』の事?」
僕は反射的に聞いてから、相手が誰だと尋ねる方が先だった、と思い直した。
「そうだよ、葛西君。あいつらの固有名詞を使うのは癪だけどさ」
「どうして僕の名前を知っている?」
神曲ゼミナールからの尾行者か、或いはその人物が目撃したという正体不明の別の尾行者か。倭文の言っていた事は本当だったのか。
様々な考えがシナプスを伝播する。無意識のうちに身構えるような姿勢になってしまっていたのか、女性は慌てたようにキャスケットの鍔を上げた。
「気付かない? 私、私だってば」
「………?」
現れたメイクの薄い顔──若く、少女と言われても通用する──とショートボブに切り揃えられた髪を見ても、僕は即座にぴんと来なかった。が、数秒の後、僕はあっと叫んでしまった。
「水鏡? もしかして、水鏡なのか?」
相手は、中学校の同級生だった。名前は水鏡由憐という。
僕は眉間を押さえ、失礼だという意識を忘れて彼女をまじまじと見つめてしまう。
「ごめん、気付かなくて……けど、雰囲気が違いすぎて」
「まあ、中学じゃ私服なんて見せないしね。今はコンタクトだし」
彼女は言うと、ブレストポケットから白い楕円形の物体を取り出し、その中に何かを挿入した。それを唇に咥えたところで、僕は電子煙草であると気付く。
「あ、煙気になる?」こちらの視線に気付き、彼女が問うてきた。
「いや……でも、僕と同い歳だろう」
「私、誕生日四月だから。もう二十歳、お酒も煙草も法律上OK」
「そうだったんだ」僕は知らなかった。「だけど、水鏡は吸うんだね」
「二十歳になったら、すぐに手をつけた。どん詰まりになった時、それに逃げられるものを作っておきたかったから」
やや逃避的なその言葉に、僕はやはり由憐が変わったのだと思う。中学時代の彼女はクラスで取り分け目立つ訳でも、逆に疎外感があった訳でもない。校則通りのスカート丈と黒縁眼鏡が多少大人しい印象を抱かせるくらいで、僕も「女子の一人」という以上に特別視する事はなかったし、事務的な事以外で関わる事もほぼなかった。
現実には、通行人Aも「名もなきクラスメイト」も存在しない。ごく当たり前の事ではあるが、僕の中で卒業後の彼女がどのような時間を過ごしてきたのか、思いを巡らす事は難しかった。
「葛西君は、あんまり変わらないよね」
僕の思考を読んだように、由憐が言ってきた。
「そうかな?」
「クラスに全員分顔と名前が一致するくらいの人数が居て、一人一人『この人はこういう人だ』って覚えられてて、その中の一人として葛西君も居るよ、みたいな感じ。色んな行事でそれぞれ自分を発揮出来る人が居て、葛西君もその中の一人だよ、みたいな。無個性っていうんじゃないよ、皆が一つ二つ持っているのと同じに特徴はある。真面目で、よく読書をしていた」
彼女は長く喋ると、「でも」と付け加えた。「インドア派って公言していた割に、最近は行動的になったんじゃない?」
その言葉で、僕ははっと思い出した。
「水鏡、僕を見張っていたのか? まさか、神曲ゼミナールの差し金で……」
「違う。いえ、監視があったのは確かだけど、それはあいつらとは無関係」
彼女は二口三口吸っただけで電子煙草をデバイスから抜き取り、何処からか取り出した吸い殻入れに放り込んだ。トレンチコートのポケットにそれをしまいながら、淡々と言葉を紡ぐ。
「私たちは、葛西君を拉致りに来た」
「はあ……?」
何を言われたのか分からない僕の眼前に、
「あなたは知りすぎた──って、一回言ってみたかったな」
大して冗談めかしてもいない口調で、彼女がポケットから出した手を突き付けた。
そこには、のっぺりとした緑一色の3Dプリンター銃が握られていた。




