『神器』 第29回
* * *
当日──。
「晴れて良かったね、葛西君」
向かいの柱の陰から、由憐が声を掛けてくる。スマートウォッチのデジタル表示に視線を落としたままだったので、僕は一瞬自分に話し掛けられたと気付けなかった。彼女の隣では真栗先輩が、即席のステージで熱唱する蜂谷を真っ直ぐに見ている。先輩も彼らに視線を向けたまま
「東京のお正月と終戦の日はいつでも晴れだよ」
と言った。「雨天時は野外ライブも中止だもんね。だけど『機械仕掛けの神』は、さすがに天候までは操れない。そう考えると、彼じゃない神様は私たちの味方をしてくれているって事かな」
終戦記念式典の片づけとフルクラムの電撃ライブの会場設営でごたごたする中、僕、由憐、真栗先輩の三人はメンテナンス用通路の入口に身を隠し、もうかれこれ一時間になろうとしていた。時刻は午後一時二十五分──。
テラスは基本的に、災害や気象の変化──酸性雨など──で構造物自体に損壊が発生すると、配備されているドローンに命令を出して自己修復を行う。内部に埃が溜まれば清掃させるし、熱で劣化したパーツは交換する。人の手は余程の事がない限り介入する余地がないが、このメンテナンス用通路を始め内部に人間が入れるような構造になっているのはその「余程の事」を想定している為だった。実際に本来アップデートされるはずだったセキュリティ強化プログラムは、生みの親である香宗我部博士の手でインストールされる事が予定されていた。
それに実際にテラスを組み立て、内部を整えたのは人間だ。この通路は、その工事の際に技術者たちが出入りした場所でもあった。
「自分たちの権利を守る為に立ち上がれ! ゴット・イスト・トート!」
また一曲の演奏が終わり、蜂谷がいつもの掛け声を上げる。しかし、最後の合言葉だけは変わっていた。
「『神は死んだ』──か。うむ、確かに抗えって言っている相手の名前を唱和するより全然いい」
真栗先輩は腕を組み、吟味するようにこくこくと肯く。僕もそれには賛成だったが、妙な胸騒ぎも覚える。その言葉は、これから僕たちが行おうとしている作戦にあまりにも吻合しており、彼らはこちらの思惑を知っているのか、とすら思わせるものだった。いや、彼らも僕たちも反テラスという立場は同じであり、それ故彼らがこのような言葉を叫ぶ事にも特に不思議な事はないのだが。
「行動開始まで、あと三分」由憐が言った。「ダミーのプログラムの方は、ツールを配布した各々を信じる事にしましょう。雷先輩からは?」
「阿電」
真栗先輩は、トランシーバーに口を寄せた。
「そっちでイレギュラーな動きとかはない?」
『怪しい鞄を持った若者二人が近づこうとしていたから、近くの路地裏まで引っ張って行った。やっぱり神曲ゼミナールだったらしい、縛り上げたからもう大丈夫だ』
「やれやれ、油断も隙もありゃしない」
先輩はうんざりしたように肩を竦めたが、警戒を怠らなくて良かった、という気持ちは伝わってきた。予想通り「機械仕掛けの神」は妨害しようとしてきた訳だが、これでその思惑は挫く事が出来た。
『勿論引き続き哨戒は続ける。そっちも、異常は逐一報告してくれ』
「りょ、気を付けてね」
トランシーバーを腰に戻した真栗先輩に、由憐が「大丈夫ですかね?」と言った。
「私たちが考える事は、『機械仕掛けの神』も考える。あいつの──いや、距離的にはもうこいつのか──妨害が、これだけで済むとは思えない」
「ユレちゃんにしては後ろ向き思考だね。心配性のしおりんの霊でも憑いたかな?」
「不謹慎ですよ、先輩。……慎重なだけです」
「ま、そうだよね。思考のレベルが、私たちは『機械仕掛けの神』に敵わないように出来ているんだから。だけどこの作戦はその上で、彼を『分かってはいるけど防げない』って状況に追い込むのが要旨でしょ」
真栗先輩は、由憐の頭をぽんぽんと叩くように撫でた。
「つまりは真っ向勝負。最後はガッツがものを言う」
「……根性論って、あんまり好きじゃないんですけど」
由憐は言ったが、俯けた顔に微かに見える口元は微笑を湛えていた。それは状況を楽観視している為でも悲観視している為でもなく、もうやるしかない、という一念から生じた表情のようだった。あたかも、コートに入る選手のような。
僕も恐らく、同じ顔をしているのだろう。
アウトサイダーの最大のスローガン──「今を楽しめ」。
「行動開始まで、あと一分」
今、rootkitを配布した反テラス団体のメンバーたちがPCを立ち上げ、テラスへのアクセスを開始しているはずだ。テラス/「機械仕掛けの神」は既に、インターネット上にばら撒かれたその出所を掴んでいるはずだが、それに意味はない。由憐は広場にやって来る前、最後に残った彼女自身のノートPCを叩き壊していた。
それは、この作戦の失敗が僕たち自身の死を意味しているからだった。敵の犇めく「魔王の城」から脱出し、一から作戦を練り直す事は恐らく出来ない。ならば、この作戦に賭けるチップは”全て”でなければならない。
「終わったら私のデスクトップとノート、どっちも弁償して貰うからね。あと、ノートに居たるりちゃんも」
「えっ、僕?」
面食らってから、僕は彼女が作戦後の事を考えている事に些細な喜びを覚えた。
「なら、何としてでも生きて帰らなきゃな。PC二台とるりちゃんの為に」
「わざわざ強調して言わなくていいの」
少々恥じらうように言う由憐を、僕は初めて”普通の女の子”に思った。
体感時間が、一秒一秒をゆっくりと数えながら流れていく。
フルクラムが次の曲名を高らかに叫び、聴衆が歓声を爆発させる。
全てが臨界に近づいていく。
「状況開始」
由憐の声と共に、スマートウォッチが電子音を響かせた。
誰からともなく、薄暗がりの中へと足を踏み入れる。
僕たちは通路に駆け込むと、揃って銃を抜いた。頭に装着していたミリタリーヘルメットのスコープを目の前に下ろし、こちらが視野に入るよりも先に行く手の監視カメラを目捉する。
「一つ!」
由憐の射撃の腕は、相変わらず鮮やかだった。拡大される視界の中央で、カメラのフレーム中央──レンズだけが正確に砕け散る。
「二つ!」
彼女は僕が銃を構えるより先に、正確に一台ずつカメラを破壊していく。
「私たちの姿が撮られてテラスに知られても」
角を曲がりざま、素早く一発──降り注ぐレンズのガラス。
「映像が突然途切れてテラスに知られても、大して違いはないんだけどね」
走りながら再装填し、また一発。カメラと共に、彼女の手の中で銃もまた弾け飛ぶ。3Dプリンター銃にしては長持ちした方だった。
「けど一秒の猶予があるかないかが、勝負の分かれ目にもなる」
「ユレちゃん、これを」
真栗先輩は素早く自分の拳銃を由憐に渡すと、襷の如く掛けていたホルダーを外して背中からものを取った。無反動砲、アグネアストラ。
「そろそろ蟻んこのお出ましじゃないかな?」
先輩は言ったが、通路は森閑として僕たち三人の足音だけが谺している。多脚ドローンの滑るようなキャタピラの音も、金属部品の擦れ合う音も聞こえない。
何度も角を曲がり、緩やかなカーブを描いて進むうち、殆どテラスの直径を一周したのではないかと思われた。
「先輩、そこにエレベーターが!」
行く手に見えたものを指差した僕だったが、
「駄目」彼女は、外縁の非常階段への出口を示した。「こっちで行こう。エレベーターの落下事故でやられたりしたら、笑うに笑えない」
僕たちは非常口のピクトグラムの下へ、我先にと駆ける。何度か短い階段や数段の梯子を登ったが、それで高度的には二、三階分にまで達しているはずだった。
体当たりするかの如く扉を押し開き、工事現場の足場の如きテラスの外縁部に飛び出した時、真夏の光線に目が眩むかと思われた。薄暗いメンテナンス用通路からの較差に目が慣れるまで、数秒を要する。
先に、音が耳に届いた。フルクラムの演奏──蜂谷の歌うサビ部分。時折聴衆から入れられる合いの手。僕たちはテラスの中で外縁付近を一周しつつ緩やかに高度を上げ、広場に面した出口から外へ出たらしい。聴衆をギャラリーから見下ろすような位置取りで非常階段の踊り場に立っていた。
その数秒の間に、異変が起こった。
眼下のライブ会場で、歓声の中に異質な声が混ざったような気がした。
黄色い声──否、本来の意味での悲鳴。パフォーマンスを行うバンドメンバーたちの姿は、ここのほぼ真下なので死角になって見えない。
アップビートなエレキギターの合間を縫い、滑車のような摩擦音が聞こえた。と、同じタイミングで、カメラのフラッシュにも似た一点の光が閃く。
反射光だった。何か細長い竿のようなものが、僕たちの死角から突き出て聴衆に向けられ、その先端で太陽光が煌めいたのだ──と思う間もなく、それが火を噴いた。破裂音と共に悲鳴が会場全体に広がっていき、フルクラムの演奏が止んだ。
「嘘……でしょ?」
由憐の口から、小鳥の囀るような声が零れた。
パラポネラだった。テラスの周囲に位置する格納庫から突如としてそれらが現れ、聴衆に向けて発砲を開始したのだ。人々が押し合い圧し合い、その場を離れようと動く様が風にそよぐ草を彷彿とさせた。




