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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第27回

「諏佐……さんっ!」

 迷彩服に取り巻かれ、見えなくなった彼に向かって僕は這い進む。

 いつしか、僕に対する攻撃は微塵もなくなっていた。隊員たちはただ、自らも実在の不明な存在を恐れ、その意思に操られているという事実を突き付けられた事をこの上ない屈辱だと感じたようだった。そのような指摘をした諏佐を、テロリストの大義名分を盾に徹底的に潰してやろうという衝動に従っていた。

 僕の指先が、隊員の一人が落としたM9(9mm機関拳銃)に触れた。敢えて立ち上がる事をせず、俯せのまま最も近くに居る隊員の膝裏に狙いを付ける。至近距離から狙わなければ、諏佐を誤射してしまう。

 引き金を引く事を、僕は躊躇わなかった。”一線”を越えてしまう恐ろしさと、諏佐が殺されてしまう恐ろしさ。僕の中で、後者の方が(まさ)った。

 パラベラム弾が、隊員の膝を貫通した。仰角に飛んだ弾は、そのまま誰かの胴を射抜いたらしい。アイシールド越しの、反響のある呻き声と共に、血液がバッと僕の頭に降り掛かってきた。

 群がる自衛隊員の顔が、縺れ合って転倒する数人の体越しに僕の方を向いた。

 僕は素早く両足の底を床に付け、屈んだ姿勢から膝の撥条(ばね)を使って人垣に飛び込む。倒れ込んでくる隊員の体の下をすり抜け、倒れ込んだ諏佐を跨ぐように立つと、M9のつまみをセミオートに変更して再度引き金を引いた。

 血華が(ひら)いた。

 心臓や頭などの急所をこそ防御しているBCST──その事は、最初に彼らと交戦したカーチェイスの際由憐が証明している──だが、当然ながら全身を金属板で鎧っている訳ではない。至近距離から音速近い弾を浴びせられ、穿たれる肉の音や悲鳴を聞きたくなくて、僕は撃っている間中意味のない叫び声を上げ続けた。

 装填数を撃ち尽くし、手応えがなくなると、すぐさま銃を捨てる。衝撃で吹き飛ばされたり、ドミノ倒しになって呻いていたりしている隊員たちに目をくれる事もなく、僕は諏佐の左腕を取って引き立てた。

 その腕を肩に回そうとした時、ずるり、という嫌な感触が伝わった。あたかも、服の袖だけを掴んだような。それでいながら、中にしっかりと”人体”が入っているような。彼の関節は完全に脱臼していた。恐らく骨折も──。

「じ……慈郎……」

 耳元で声を出した彼の口から、ごぼっという音と共に饐えたような臭いのする血液が溢れ出した。僕のシャツが赤黒く染まる。内臓を損傷しているらしい。

「喋らないで! すぐ手当てを……」

「動くな!」

 背後から怒声が上がった。

 反射的に硬直したままちらりと視線だけを動かすと、早くも再起したBCSTの一人がM9をこちらの頭に向けていた。僕は精一杯虚勢を張る。

「警告とは律儀ですね! こんな事をしておきながら!」

「はっ、その減らず口もこれで終わりだな」

 素早く廊下の方を見、僕が扉を外した最初の個室までとの距離を測る。

 ──どう考えても間に合わない。たとえ後方からの最初の射撃を奇跡的に回避出来たとしても、距離を詰めるまでの間にすぐに狙いを修正されて撃たれる。最早自ら立つ事の出来ない諏佐を背負ったまま、逃げる事は不可能だった。

「俺を置いて行け、慈郎……」諏佐が囁いて来た。「せめて、お前だけでも……」

「駄目だ。諏佐さんが居ても居なくても、どうせ逃げられない」

 僕は(かぶり)を振る。

「逃げられるかもしれねえじゃん……?」

「なら、諏佐さんを連れてでも逃げられるかもしれないじゃないですか!」

 言いながらも、具体的な考えは何も浮かばなかった。

 背後のBCST隊員の足音が、ゆっくりと近づいて来る。あたかも獲物を追い詰める猟犬のような、こちらを()らして甚振るかのような。

 と、その時だった。

 廊下の奥の扉──僕たちが拠点としていた部屋の──が激しく開き、人影が飛び出して来た。当然ながらそれは由憐で、彼女は手に何やら隠し持っているらしい。距離が遠くてはっきりとは分からないが、銃ではないようだった。

「葛西君、諏佐君!」

 突然現れた彼女に、後方から動揺の声が上がる。

「頭下げて!」

 こちらに駆け寄って来た彼女はそう叫ぶと、大きくフォームを作って手に持ったものを投擲した。

 僕は、諏佐と共に倒れ込むように屈む。頭上を一瞬影が舞い、次の瞬間背後で轟音と衝撃が発生した。僕は諏佐諸共、それに突き崩されるように俯せに転倒した。

 猛烈な圧力が去って振り返ろうとした僕を、すぐ近くまで来ていた由憐が制した。

「見ちゃ駄目。アグネアストラの弾を──手榴弾を投げた」

「水鏡、僕は……」

 先程自分が行った斉射を思い出し、背後から漂い始めた蛋白質の臭いに嘔気を催す。

 由憐は、先程まで見えなかったショルダーバッグを軽く上げてみせた。

「葛西君は誰も殺していない。というか、まだ誰かが死んだかどうかも分からない。それでいいでしょう、もう。……壁の方を向いて、そのままエレベーターに。こいつらが突入してきた以上正面はそう固められていないはずだから、出たら裏の連中に気付かれる前にすぐ石切駅駅構内に逃げ込む」

「ここには──」

「もう、戻って来られないでしょうね。大丈夫、必要最低限のものはこれに詰めて来たからさ。機能停止プログラムも完成した……葛西君たちが、居てくれたから」

 彼女はそこまで言うと、諏佐を見、微かに顔を歪めた。

 僕はもう何も言う事なく、彼女が反対側から諏佐の肩を支えるのを手伝った。僕は顔を背け、由憐は前だけを見ながら、三人で開きっぱなしのエレベーターに駆け込んだ。籠内の鏡に映った背後の光景を見る前に、僕はぎゅっと目を瞑った。


          *   *   *


「この辺で下ろそうか」

 石切駅地下、市営地下鉄の連絡通路まで走ると、由憐は(おもむ)ろに足を止めた。

 不思議な事に、産業道路から駅構内まで、平日の昼間だというのに全く人とは遭遇しなかった。先程のBCST襲来で何があったのか、一般市民には完全に隠蔽しようという意図が働いているようだった。

 ──誰の? 当然、「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」の。

 しかし、それを認めるにはあまりに静かすぎた。誰もが示し合わせたように、僕たちを世界から疎外しているかのようだった。最早この街に、()の意思に(まつろ)わぬ人間など居なくなってしまったかのように。

「下ろすって、諏佐さんを?」

「他に誰が居るの」

 由憐は言い、目を逸らす。僕は言い募ろうとし、すぐに口を噤む。

 僕の有害な感傷で、彼女を余計に苦しめたくはなかった。逃げる途中で彼女が(いち)早く気付いていた事を、僕は既に察していた。諏佐が、もう生きてはいない事を。

「……可哀想だよね。こんな所に置いて行くなんて」

 堪えきれずに言うと、彼女は泣き笑いのような表情になった。

「多分、こうして人払いがされている間に警察が来るよ。暴行された死体を見つけて、捜査をしようとして……だけどその頃には、一切の証拠はテラスに消されている。それでおしまい。諏佐君は名もなき行旅死亡人として処理される」

「そうだろうな。だけど……いや、その方がいいんだろうな。余計なトラブル処理をしたくない『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』としては、裁判で時間を掛けて僕たちを殺すような事はしないはずだ」

 指名手配すらされなければ、一応行動の制限はない。外部の各方面と連携し、作戦の最終局面に向けて準備を進められる余地はあるという事だ。

 僕たちは諏佐を地面に下ろし、壁に背中を凭せ掛けた。暴行で脊椎まで折られていたのか、彼の体は水揚げされた海月(くらげ)の如くだらりと弛緩してずり落ちた。それでも尚、僕にはその表情が苦しげなものには見られなかったから不思議だ。諏佐は皮下出血で腫れ上がった顔に、穏やかな笑みを浮かべて眠っているようだった。

 短い黙祷の後、由憐は携帯を取り出した。

「電話してくる。真栗先輩に伝えて、新しい拠点の事とか聞かなきゃ」

「水鏡……」

 背を向けた彼女に、僕は声を掛けた。彼女は肩を痙攣させる。

「おかしいね、私たち……まだやる気満々みたい」

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