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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第26回


          *   *   *


 二週間後、七月下旬の梅雨明けだった。

 真栗先輩と雷先輩は、実に忙しなく街中を飛び回っては各方面と交渉を進めていた。香宗我部博士の遺したDVDと、警察ですら資料を発見出来なかった──博士の”自殺”の時点で敵に削除されてしまっていたのだから当然だ──テラスの実態に関わる情報を学生たちが持っている事について、或いはアウトサイダーがどのような団体なのかについては僕に設定(シナリオ)の製作が求められた。

 いつしか連載どころではなくなり、日課にしていた執筆活動をする暇もなくなった僕に再び”物語”の創作に関する仕事が回ってきたのはシニカルな出来事だった。

 KUのサンプルが、各種サイバー攻撃に対するセキュリティ強化プログラムだった事は本当に幸いだった。”神のプログラムコード”に含まれていた単語からギルガメシュによる類推を行った事柄だけで、機能停止プログラムは順調に組み上がっていく。無論みるみるうちにとはいかないが、当初予定していたよりも進捗率がかなり良好である事は確かだった。

 それは同時に、作業が常軌を逸した急ピッチで行われているという事でもあった。

「オフィール」の個室は荒れ果てていた。真栗先輩が毎日のように利用時間を更新して代金を払うので、掃除用ロボットも入って来ない。ゴミは室内に蓄積され、指定ゴミ袋の塊は移動してきた当初から既に五つまで増加している。先輩たちは朝早くに出て行き、夜遅くに帰って来るが、僕たち”同期組”の荒廃させた室内の様子に頓着する様子も特に見せなかった。

「出来た?」「まだです」

 そのような会話が挨拶代わりになった。

 拠点を替えないのは、移動に伴う位置特定のリスクが、一所に留まるリスクを上回ったと判断されたからだった。また、何がどう判断されたのか、”缶詰め”三日目には生富先輩の住んでいたアパート──かつてのアウトサイダーの拠点が、自動運転機能に不具合を起こした工事用大型車両の突撃を受けて半壊したという情報が入った。

 僕たちの戦いの終わりは近づき、またそれよりも早く、恐れていた事態も到来した。

 作業に没頭するうちに、いつの間にかネットカフェから人気(ひとけ)が一切なくなっていた事に気付かなかったのは不覚だった。

「交替だ」

 テーブルに頭突きをくれるようにしながら手を動かしている僕の肩を、諏佐が叩いてきた。はっと顔を上げ、重い頭を両手で押さえる。「あ、ああ」

「大丈夫か、慈郎?」

「ええ……水鏡は?」

「まだ寝ている。寝かせといてやろうぜ、いちばん頑張ってるのはあいつなんだから」

 最後の追い込みを掛け、僕たちは昨日から夜を徹して作業を行っていた。僕と由憐と諏佐、三人で交互に仮眠を取りながら最後の数行をコーディングしていたのだ。数行といっても、前後の組み合わせを考慮して一単語を選ぶだけでも一苦労である事はこれまでKUと付き合ってきた通りだ。

 遅くまで作業をしていると、帰って来た真栗先輩からは「程々にしなよ」と声を掛けられた。おざなりに「きりのいいところで寝ます」と言い、結局朝まで寝ずに通してしまった。早くに起きてきた彼女には「早く目が覚めたので」と言い訳をし、彼女もまた何も言ってこなかったが、僕たちが眠っていない事には恐らく気付いていたのだろう、やや咎めるような、憐れむような視線が痛かった。

 僕は目を擦ると、ソファから立ち上がった。向かいでは由憐が手摺りに体を預け、規則正しい寝息を立てている。部屋から毛布を持って来たのは、先に目を覚ました諏佐の配慮に違いない。

「飲み物持って来ますよ。諏佐さんは何がいいですか?」

「コーラで。カフェイン摂らねえと」

「コーヒーの方が、その六倍は摂れるのに……」

「慈郎はよく飲めるよな、あんな苦いもの」

「文豪になる為には必須の飲み物ですから。諏佐さんはまだお子様ですね」

「言ったな!?」

 軽口を叩き合うと、僕は部屋を出た。個室の並ぶ廊下を抜け、飲み放題のドリンクを取りに自動受付パネルのある方へと向かう。

 完全防音の部屋を出た時、開放された窓の外が騒がしくなっていた。

 耳慣れたインディーズバンドの叫び声が聞こえる。

「自分たちの権利を守る為に立ち上がれ! エクス・マキナ!」

『よせ、そのまま動くな……そうだ、早まるんじゃないぞ』

 姿を現した籠城犯に呼び掛ける警官のような、拡声器を通したような機械質な声が被せるように続く。店舗の目の前のようだ、と思った瞬間、フルクラムらしき声がまた「エクス・マキナ!」と叫んだ。

 その時僕は、それが聞き慣れたボーカリストの声でない事に気付いた。

 僕が窓辺に駆け寄った瞬間、シュウウウウッ! という、空気の抜けるような音が(かん)高く鳴り響いた。続いて、ボッ、という火が点いたような音と、断続的に上がる爆発音。窓の外に赤黒い煙が立ち昇った時、怒声が通りを満たした。

 窓からの煙の進入を見、僕は脊髄反射の如き勢いでそれを閉めた。それでも巻き起こった騒音はシャットアウトされる事なく、不安を煽るように店内を満たした。

 店内に他の利用客の気配がない事に僕が気付いたのは、その時だった。

(神曲ゼミナール……?)

 倭文が異常な死に方をした事は、既にニュースになっていた。無論、そこにパラポネラが関与した事は伏せられたまま。しかし、導師を失って尚残党ともいえるメンバーが活動を続けている事も、(ちまた)では囁かれ続けていた。

 ──もしそうだとしたら、彼らは何故フルクラムの振りをしたのか?

 ──いや、それ以前に彼らは、()()()()()()()

「水鏡! 諏佐さん!」

 僕はマグカップを投げ出すと、部屋に蜻蛉(とんぼ)返りした。扉を叩き、「開けてくれ!」と叫ぶ。こちらの声で分かったらしく、諏佐はいつもの合言葉を聞く事もせず──ややもすると僕の尋常でない声の調子に、聞く事自体を忘れたのかもしれない──扉を開けた。

「慈郎?」

「水鏡を起こして下さい! 敵です、BCSTが来ました!」

 最初こそ警官のような、という感想を抱いた僕だったが、気付けば事実を確かめる事もなく、確信を持ってBCSTと言っていた。言ってから改めて、「そうだ」と自らの中で得心が行く。

 フルクラムに偽装した神曲ゼミナールは、きっかけに過ぎない。

 たまたま市内を移動していたBCSTが「オフィール」の前を通り掛かり、たまたまそこで暴徒と化した反テラス運動の集団が路上を占拠。彼らはたまたま争いになり、膠着状態の中たまたま我慢の限界に達した暴徒の一人が手製の爆発物を自衛隊員に投擲した。そして、現場となった店内にはたまたま僕たちが居た──。

 そのようなシナリオが成立するよう、「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」が”調和(プログラミング)”したのだ。

 証拠に基づいて捜査を進める警察を動かさず、より危険分子の殺傷に特化した武器を持つBCSTを動かして僕たちを葬る為に。

「逃げる?」

 事態をすぐに悟ってか、由憐が寝起きとは思えない明瞭な声で言った。

「非常階段を使えば、今ならまだ脱出も間に合うはずだ」

「無駄だ、そんな事をしても」

 きっぱりと言い切ったのは、諏佐だった。

「最初から俺たちの始末が目的なら、あいつはどうにか理由をでっち上げてBCSTを裏にも回しているはずだ。それに……車は今先輩たちが使っているんだ、徒歩で逃げようったってこの荷物は持って行けねえ」

 彼はデスクトップPCを指差した。「こいつがぶっ壊されたら、俺たちの苦労はパーだぜ。作戦は実行出来なくなり、露木の死だって無駄になる」

「それじゃあ」

「機能停止プログラムの完成はあと一歩ってとこなんだろ? なら由憐ちゃん、やってくれ。俺と慈郎はちょっくら出て、あいつらと戦って来る」

「えっ?」

 僕と由憐が、同時に声を上げた。

「何びっくりしてんだよ? あいつらと戦う事になっても心配要らねえって真栗先輩に言ったのは、由憐ちゃんだぜ」

「だけど、相手が何人居るかも分からないんですよ」僕が言うと、

「こっちが建物の中に居るのがラッキーだ。こう狭いと四方八方から攻めて来る、なんて事も難しいだろうし、銃撃戦なんかしたら連中が自滅する事になるかもしれねえぜ? なら、肉弾戦は俺たちの体格の方が向いている」

 諏佐は「な?」と逆に僕に対して同意を求めてきた。由憐は言葉を失ったように彼と僕を交互に見、また僕の背後の廊下に視線を移した。

「諏佐君、あなた……危険な賭けはしない主義じゃなかったの?」

「ああ、そうさ。けどな、裏口から脱出する事の方が、俺には今あいつらを迎え撃つよりも危ねえ選択に感じるんだよ」

 僕はそこで、握り込まれた諏佐の拳が小刻みに痙攣している事に気付いた。

 彼は、怖がっていない訳ではない。

「………」

 由憐は(しば)緘黙(かんもく)してから、素早く身を翻した。自分が寝起きしている個室に飛び込んで行き、数秒の後、3Dプリンター製の銃器を一杯に詰め込んだナップザックを引き摺って戻って来る。

「葛西君もそれでいい? ()()()()()()()って事で?」

「……ああ」

 僕は覚悟を決め、顎を引く。そのような言い方をされては、異を唱えられるはずがなかった。諏佐は「ありがとな」と言ってナップザックを背負うと、僕の横を抜け、右手と顎をしゃくって合図をしてきた。

 彼に続きながら、もう一度由憐を振り返る。「頼んだ」

「頼まれた。葛西君にも、私から頼んだ」

 僕は自然に微笑み、「頼まれた」と返して駆け出した。

 早くも、廊下の先でエレベーターの扉が開くアナウンスが聞こえていた。階段の方からも、大勢の不規則な靴音が慌ただしく上って来る。

 僕と諏佐は左右の壁際に分かれ、廊下の開始位置に最も近い向かい合わせの個室の扉を開け放つと、その陰に身を隠した。左手でノブを握り締め、諏佐が投げて寄越した拳銃を右手で受け取り、構える。弾は既に装填されていた。

 自衛隊員の影が、廊下に差した。

 刹那、合図を交わす事もなく僕と諏佐は手を伸ばし、発砲する。

「がっ!」

 差し込んでいた影が、後方に吹き飛んで行った。

 次の瞬間空気を満たす、無数の銃声/扉を震わせる衝撃。これが破れた時、僕たちは全身を蜂の巣にされる。

 僕は室内に飛び込むと、扉を勢い良く閉めた。銃声が半減し、靴音に置換される。何人かが”目標(てき)”が室内に逃げ込んだ、と判断したらしく、溶断カッターのような振動音を響かせながら接近して来る。

 僕が思い切り扉を開けるのと、向かいから諏佐が発砲したのはほぼ同時だった。

 蝶番(ヒンジ)が先程の連射──恐らくはサブマシンガンの照射──で壊れかかっていたのか、扉は外れて自衛隊員たちの脳天を直撃した。彼らを下敷きにして倒れる扉に、諏佐の撃った追加の二発が直撃する。弾に抉られたプラスチック片が飛散する様がスローモーションで見えた。

 また示し合わせる事もなく、僕たちは横方向に動いた。弾を避けるように姿勢を低く保ち、スライディングするかの如く先陣の隊員たちの足元に滑り込む。

「さっきの弾、僕に当たるところでしたよ!」

「当たらなかっただろう!」

 言葉を交わし、同時に敵の懐に飛び込んだ。

 味方を誤射する可能性がある以上、向こうはもう迂闊な発砲は出来ない。

 僕の目の前に居た隊員が、腰から警棒のような近接武器を抜いた。僕は無我夢中でその両手首を掴み、足を引っ掛けようとする。僕は元々運動がそこまで得意ではないので、力での勝負になれば負けは目に見えた。

 しかし、転倒を狙ったのは敵もまた同じだった。僕が足を掬うよりも早く、相手が横から脛を蹴りつけてくる。バランスの悪い状態のところに激痛を加えられ、僕は相手諸共縺れ合うように横倒しになった。

 頭に警棒を振り下ろされそうになり、僕は溺れるように四肢をばたつかせ、ひたすら防御に徹する。ぐにゃりという感触が膝頭に生じ、自分の足が敵の下腹部を強撃した事が分かった時、僕に()し掛かっていた相手が横ざまに転がる。僕は指先で引っ掛けるようにしてその手から警棒を奪うと、考える事なく後頭部へと振り下ろした。

 (したた)かに床に顔を打ちつけ、首を曲げて動かなくなる隊員を見ながら、命を奪ってしまったのではないかという恐れが込み上げた。だが、すぐにその口から呻き声が漏れ、安堵の息を()く。

 彼らが目を覚まし、更に大掛かりな部隊編成をして”テロリスト”狩りに現れる事を考えれば──今度は偶然を装う事なく、堂々と僕たちを襲撃出来る──、生き残りは可能な限り出さない方が都合が良い。それでも命を奪う事への忌避感を、理性で抑え込めない事を心の弱さだとは思いたくなかった。

 ちらりと隣を窺うと、諏佐は既に二人の隊員を昏倒させていたが、三人目に床に組み伏せられて右腕を()め上げられていた。関節が外されかかっているのか、ゴキゴキという嫌な音が絶えず耳に届く。それでも、彼は屈しなかった。

「今どういう気持ちか言ってみろよ、ああ?」

 不敵な笑みを浮かべ、眉を顰めながらも上目遣いに敵を睨んでいる。

「傭兵のてめえら、今テラスに……たかが鉄の塊に、いいように使われてんだぜ? 悔しく、ねえのかよ……っ!?」

「全く以て最悪の気分だね。違いない」

 初めて言葉で応じた隊員の声には、凄まじい怒気が孕まれていた。

「それを分かっているなら、俺がこうする事もテラスのせいって言えるよな?」

 隊員の声の昂りが最高潮に達した時、ゴキリという鈍い音が響いた。諏佐の口から、圧搾された空気のような悲鳴の塊が短く迸る。関節を折られたのだという事に気付き、僕は咄嗟に「やめろ!」と叫んでいた。

 しかし、彼は完全に自衛隊員の地雷を踏んだようだった。

「本当に涙が出そうだ。もっと分かりやすく教えてやるよ!」

 肩も外される。諏佐が上げかけた左腕は別の隊員が踏みつけ、靴底で踏み躙る。手の甲が床の上で何度か跳ね、動かなくなった瞬間血が滲み出した。

 一種の合図だった。BCSTの隊員たちは彼に群がると、手に手に警棒を振るい、その全身を滅多打ちにし始めた。

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