『神器』 第25回
* * *
日没を回った頃、隠れ家の「オフィール」に先輩二人が帰って来た。
真栗先輩も雷先輩も荒い息を吐き、見るからに憔悴しているようだった。服は砂埃を浴びたように薄黒くなり、所々ほつれてもいる。僕たちは言葉を失ったが、最初に立ち直って声を上げたのは由憐だった。
「先輩!? どうしたんですか、その格好は……」
手を伸ばす彼女を制するように、真栗先輩は無言でプリペイド携帯の画面を僕たちに見せてきた。
そこには、車体がぼこぼこに凹み、強化ガラスに弾痕まで残ったプリウスの写真が映し出されていた。
「市境まで来た時、BCSTが待ち伏せしていてさあ。さすがにあいつらも高速までは追って来なかったけど、街を出る時にナンバーか何かでバレたんだろうね。ちょっとバトっちゃってこの始末」
普段の軽い口調で言おうとする真栗先輩の声は、無理をしているのが明らかだった。
「それで……大丈夫だったんですか? 怪我とかは」
「ない」
「ないって、そんな!」
由憐が声を荒げ、彼女の両肩を乱暴に掴んだ。
「『後輩を心配させない為に強がってみせる先輩』を演じている場合ですか!」
「本当にないのよ、ユレちゃん。私にも、阿電にもね。……実は、こういう訳なんだ」
真栗先輩と雷先輩は、ソファに倒れ込むように腰を下ろした。
「待ち伏せをしていたBCSTは、隊員が五人とパラポネラ一台だった。検問みたいになっていて、他の車は通っていなかったけど、多分テラスの仕業。私たち以外の車のルート設定に、こっちが使う道を通らないように仕組んでいたんだと思う。そこで私と阿電は車を降りるように言われて、車の中を検められた。で、アグネアストラが見つかった瞬間問答無用で銃撃」
「アグネアストラ?」
聞き慣れない語句に僕が首を傾げると、由憐が「バズーカ」と注釈した。
「先輩たちが取りに行った武器って、やっぱりそれでしたか……」
「名前の中二臭さは、自称ラノベ作家だった維和君のせいね。拳銃と同じく3Dプリンターで作って、一回バラして金属で補強した。弾は市販薬として売っているニトロをあれこれして炸裂弾にして──勿論、これも違法。こんなものが見つかったら、まあテラスに洗脳されていなくても過激派だって思われるわね。勿論私たちは覚悟していたから、自衛隊員が撃ってきた瞬間服に隠していた銃で応戦。相手はプロだし人数も多いし、何よりパラポネラが居た。一時的に威嚇して全員を車から引き離して、その場を離れるので手一杯だったな」
真栗先輩は話しているうちに、段々声を詰まらせてきた。
「車の傷は、パラポネラにやられたもの。屋根に組み付かれた時、阿電が車内からアグネアストラを撃ってやっつけたけど、それでトランクは吹っ飛んじゃった。肝腎のサーバは緩衝材を詰めた箱に入れていたから辛うじて無事。半日掛かりで中古ショップまで回ってゲットしたのに、壊れたらお話にならないでしょ?
だけど、本当にぎりぎりだった。車をぴったり寄せられて、ドアをこじ開けられて中に入られそうになって……阿電が撃たれそうになった時」
「聖奈が現れて、金属バットで隊員を殴ったんだ」
後を引き取って告げた雷先輩の言葉に、僕たち”同期組”は耳を疑った。
「露木君……が?」
「セナっちったら、実はとっくに目を覚ましていたんだって。だけど、自分がICUで寝かされているって気付いて、そのまま意識が戻らない振りをしていたって。病院から連絡が行くのは私たちだろうし、彼を病院に運び込む為に私たちが冒したリスクを考えて、もう一回呼び出しに応じさせるのは危険だって判断したみたい。それに右腕がなくなった自分が戻って、足手まといになるよりはって」
「けど、それはいつ頃の事なんでしょう?」
僕はまだ信じられない気持ちで、そう呟く事しか出来なかった。
「もし先月なら、そんなに長い期間医者に悟られないように……」
「臓器に障害が発生していたとはいえ、呼吸とかのバイタルは安定していたんだろう。だからこそ彼も、こんな大勝負に出られた。……彼は、昨日のどさくさで病院から抜け出して俺たちを探していたそうだ。白いプリウスって事だけを手掛かりに聞いて回るうち、BCSTが同じ車を追っている事に気付いた。寝たきりで筋力も落ちていただろうに、必死にあいつらを止めようとして」
雷先輩が言葉を切った時、僕は気付く。先輩たち二人だけが帰って来てこれを話しているという状況が意味する、至極当然の事に。
「あいつは……露木の奴は、先輩たちを逃がしたんですね」
諏佐が、強張った声で言った。
「だけど体力が落ちて右腕もねえあいつが、訓練された自衛隊員五人を相手にして勝てる訳がねえ」
「私たちが最後に見たのは、全身を撃ち抜かれながらも戦い続けた彼が限界になって倒れる瞬間だった。彼、それでも笑ってたっけな。その時こっちの車は角を曲がって、連中の目の届かない場所まで逃げられていたって訳」
真栗先輩は両手で顔の上半分を隠すと、口の端を上げた。しかし、それが小刻みに戦慄いている事は一目瞭然だった。「……寂しいね、しおりん」
「先輩……っ」
諏佐は声を詰まらせ、顔を伏せて「すまねえ」と言った。
「少し、俺に黙る時間を下さい」
「いいよ、私だってそうしたいもの。……ジロ君とユレちゃんは、大丈夫?」
「ええ……何とか」「私も大丈夫です」
僕と由憐は答えた。だが、僕は内心では胸が押し潰されそうになるのを堪えていたし、由憐もまたそうであろう事は考えずとも分かった。
それでも気丈なのは彼女の方で、数秒の沈黙の後「私たちも報告します」と言った。
「ギルガメシュの助けを借りて、Javaに直して答え合わせをしながらですが、一応KUを用いてのプログラミングは進みました。如何せん未知の言語なので、目標の何割かも分かりませんが」
「そう……頑張ったのね」
真栗先輩は顔から手を離し、何度か軽く頰を張ってから頭を振った。普段の調子を取り戻そうとするかのように、軽く咳払いを繰り返す。「ジロ君は?」
「僕の方は──」
僕は病院で起こった出来事──由憐、諏佐には既に話してあった──を説明し、医師の一人にSDカードを託した由を語った。その際、「疑わしければウイルススキャンを掛けてみて下さい」とも伝えてある。
「ここからは、先輩たちにお任せする事になりそうです。病院には一応融通が利きそうですが、僕たちが今までの作戦で違法行為を重ねてきた事は事実ですから。香宗我部博士の事やテラスの事、『機械仕掛けの神』の実在について……改めて詳しく説明しなければならない事も色々あります」
「そこは勿論、私や阿電に丸投げしてくれて結構よ。その分飛び回る事も増えて、なかなかジロ君たちに付きっきりで一緒に作業したり、みたいな事は難しくなるだろうけど」
「子供ですか、私たちは」
由憐が呆れたように言う。「そこは問題ないですよ、先輩。機能停止プログラムの事は引き続き私たちにお任せ下さい」
「ええ、まあその通りなんだけど──」
真栗先輩は、そこで表情をやや険しくした。
「これから先は、今日みたいな事が増えるかもしれない。仮に病院が”融通”を利かせてくれて、外部には犯罪者の私たちの関与を隠しながら、街ぐるみでのネットワーク移行を主導してくれたとして……『機械仕掛けの神』は、それでこの戦いに於けるアウトサイダーの優位性が高まってきた事を知る」
「当然、俺たちと外部とのコンタクトも多くなる」と雷先輩。「外の人間全てに、市外から調達したプリペイド端末を使えというのも無茶だ。通信の記録から、どれだけ俺たちが場所を替えてもあいつには痕跡を辿られる。そしたら、あいつは本格的に俺たちの排除に乗り出すだろう。BCSTが形振り構わず襲って来る可能性も、増々高くなるだろう。その時に、由憐たちだけに──」
「その点も、心配は要りませんよ」
段々申し訳なさそうな声になる彼を、由憐が遮った。
「雷先輩には敵わないけど、私も諏佐君も一応武闘派なんですよ。少なくとも真栗先輩よりは、実戦に向いています」
「……何か、しれっと先輩をディスってない?」
真栗先輩はやや湿度の高い視線で彼女を見、すぐに表情を和らげる。「そっか、頼もしい限りだ」
「ま、理想的なのはそうならない事なんですけどね」
由憐は付け加えると、ちらりと僕を一瞥した。
彼女の言わんとする事は明らかだった。アウトサイダーの活動に伴う全ての”戦い”には、誰かの死が必ず含まれている。先輩たちがより殺傷力の高い武器を持って来た事からもその覚悟は窺えたが、次に人間を──BCSTの隊員を手に掛ける事になるのは、僕たちの方かもしれない。
僕たちは目的の為に、手段を選んではこなかった。しかしそれでも尚、殺人行為だけは越えてはならぬ一線だという不文律は当然のように存在していた。
香宗我部博士、君嶋先輩、倭文、露木。遺跡の崩壊現場に居た福寿テレビの関係者。放火された僕のアパートに居た住民たち。百人のICU患者。「機械仕掛けの神」は本質的に人間を虐殺するものであり、それは恐らくBCST隊員に対しても例外ではない。もしも僕たち自身が手を下せば、その時は──。
(踊らされるな)
幾らそう繰り返したところで、僕たちの誰もがその忌むべき行為を正当化出来る事はないだろう。
僕は目を伏せ、由憐の視線を避けた。