『神器』 第23回
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実際には、口伝に伝わった情報の方がやや先行していたのかもしれない。
だが、ICUで全身状態を厳密に管理されていた入院患者たちの生命維持装置が停止されたという事実は、その情報を現実にするには十分すぎるものだった。夕方のニュースで僕たちは、あの瞬間からの死亡者数が百人に達した事、院内システムを管理するサーバにハッキングの形跡が残されていた事、システムダウンの数分前からサーバルーム周辺の監視カメラ映像が途切れている事──即ち、この件が人為的な犯行に基づく可能性が高いという警察の見解を知った。
「──テラスなら、証拠のありなしなんて関係ないんだろうな」
PCの動画サイトのウィンドウを閉じると、雷先輩が独りごつように言った。
「元々慈郎に目を付けていたなら、その犯行だって分かった瞬間に何処かのカメラ映像を偽装して、現場に慈郎が居たようにでっち上げる事も可能だ。その点、作戦に慈郎のPCを使わないっていう由憐の判断は適切だった」
「ユレちゃんのパソコンのIPアドレスは、まだアウトサイダーのものと紐づけて考えられていない」
真栗先輩が、彼の後を引き取って続ける。
「ま、こんな事をしようとするのは私たちくらいなものだし? 見知らぬ端末が急にテネットに現れたとすれば、テラスはすぐにアウトサイダーのものと判断するでしょうね。人間にも出来る初歩的な推理かな」
「露木君は」由憐が開口した。「無事だったんでしょうか? ねえ、真栗先輩。彼を病院に運び込んでお医者さんと話した時、連絡先は自分の携帯にしていたんですよね?」
「まあね。プリペイド携帯だったら怪しまれるでしょ」
「で、病院からの連絡は……?」
「今のところはなし。だけど、半日も経たないうちに百人だよ? 死亡確認と診断書作成だけでも手間取るだろうし、単に連絡が遅れているだけかもしれない」
「何でそんなに冷静なんですか、先輩……!」
諏佐が、膝の上で両拳をわなわなと震わせながら歯軋りした。
「露木が……あいつが、死んでいるかもしれないなんて……!」
「薄情に感じる、しおりん? けど、取り乱せばセナっちが助かっている可能性が高まる訳でもない。言っちゃったらどうしようもないけど、私や阿電は先輩だからね。後輩ちゃんたちの前じゃしゃんとしなきゃいけないの」
「でも」
「しおりんの気持ち、分からないでもないよ。私だって、維和君が死んだ時はそうだったもの」
矢庭に低められた真栗先輩の厳しい声音に、諏佐ははっとしたように歯軋りをやめた。
「すみません、そういうつもりじゃ……」
「いいって事よー」
彼女の口調は、すぐにいつものあっけらかんとしたものに戻った。
僕はこの間、一言も喋らなかった。由憐が気付いたように声を掛けてくる。
「葛西君?」
「……僕のせいだ」
頭の中で繰り返していた言葉が、咄嗟に口を突いてしまった。
テラス管理下のICU患者たちは、ある見方をすれば”人質”である。それは、作戦開始前に僕自身が考えていた事でもあった。だが、テラスが直接僕たちに手を下すのではなく、その”人質”を無差別に殺害するなどと、本当にそのような手段が採られる事は恐らくないだろうと思っていた。
僕のせいでこのような悲劇が起こったのだと、僕を精神的に追い詰める事が敵の目的ならば──「機械仕掛けの神」は人間の良心を理解する。理解した上で、それを弄ぶ事も覚えているのだ。
「『僕たちの』でしょ。何一人で頑張ったみたいに言っているの」
由憐は言うと、「私たち皆の責任」と呟いた。
「アウトサイダーは組織じゃないけど、チームではある。手柄も、失敗も、誰か一人に背負わせようなんて皆考えない」
「水鏡……」
「それに私は、『機械仕掛けの神』の今回の意図は葛西君にショックを与える事じゃないと思うな。大学病院の管理サーバにハッキングの痕跡があって、それが計画的な犯行に見えて、その直後にICUがシステムダウンした。警察は、システムダウンはハッカーの仕業だって考えるんじゃない?」
僕の脳裏に、「試練の季節」が始まってから起こった事件が次々と過ぎる。
約三十人が犠牲となった「ナイトメアクリスマス」事件。十四人が即死し、その他大勢の人々が未だに健康被害に苦しんでいるCS脱会者集団毒殺事件。今回の件は間違いなくそれらの系譜に連なる──否、それらを遥かに凌駕する規模だ。
その犯人が、僕たちという事にされる。証拠の捏造までが許されるのなら、一度捕まれば僕たちに免罪は有り得ない。
「まんまとしてやられたって事か、俺たち」
諏佐は左掌に右拳を打ちつけた。
「これで顔が公開されりゃ、俺たちゃテロリストだ」
「そうなったら、誰も私たちの言葉は信じなくなるね」
真栗先輩は言ったが、それは絶望的なニュアンスで使われた言葉ではなかった。
「幸い、ジロ君のファイル作成は間に合ってくれた。それを持ってって、病院のシステム移行の件を他の人に話そう。急かもしれないけれど、明日にでも」
「明日?」
僕と由憐、諏佐の声が重なった。
「そそ。大人──社会人の皆さんは頭が固いし、ジロ君たちの”作戦”の事を話したら全部を聴く前に通報しかねないから、風代大の学生さんを通じて上に呼び掛けて貰おう。今時学生運動なんて、気運が高まっているなんて事はないと思うけど、反テラス運動は若者の方が中心になっている。私たちの事を『然るべき有力筋』なんて言って説得力を持たせられるのは、彼らだと思う」
「……上手く行くと思いますか?」
「分かんない」
恐る恐る尋ねた諏佐に、真栗先輩は呆気なく首を振った。
「正直なところ、望み薄だとすら思う。だけど、もうやるしかないじゃない? 手をこまねいている時間はない、せっかく技術面での準備が出来たのに、本当に全てが台なしになるよ。こんな言い方をしちゃ悪いけど、亡くなった人たちだって──無駄死にって事にされてしまう」
「博打に出るしかないって事ですね」
「そういう事なら、真栗」
雷先輩が、皆をぐるりと見回した。
「明日は風代を出て、慈郎が言っていたもう一台必要なサーバを手に入れよう。車に積んで運べば、わざわざ郵送を頼む手間が省ける。それと、警察が俺たちを容疑者として本格的に捜査を始めたらすぐにこの場所が特定される。そしたら、BCSTが乗り込んで来る可能性もある」
何故そう言えるのか、と思った僕だが、すぐに思い出した。
由憐に保護された最初の夜、僕たちはアーケード街の「オフィール」の端末を使って香宗我部博士の”遺言”のDVDを観ている。その個室の使用料を払ったICカードと同一のものから、その後三度別な店舗で「オフィール」に支払いがされ、長期間に渡って同じ部屋に滞在している記録が発見されれば、「機械仕掛けの神」は自分に反抗するアウトサイダーがネットカフェを拠点としているという推測を働かせる。
一人で肯いた僕をちらりと見、雷先輩は微かに顎を引いた。
「ついでに東京に行って、念の為に武器を補充しよう。またパラポネラを相手にする事になるかもしれない。拳銃だけじゃ心細いから、もっと大型の機動兵器に対応出来る装備品が必要だ」
「その間、葛西君が大学関係者と話をする訳ですね。風代大は市内の名門だ、葛西君以外にも、高校の同級生で進学した人は居るでしょう」
由憐は「いいよね?」と確認してくる。僕は躊躇なく肯いた。
「やります。何処まで信じて貰えるかは、分からないけれど」
「それは私たちも重々承知。駄目元でいいんだよ、二進も三進も行かないってなった時には私が何とかする。で、ユレちゃんとしおりんには」
真栗先輩は、由憐と諏佐を見た。
「今日、例の”神のプログラムコード”に書かれているセキュリティ強化プログラムの単語の用途が全て特定された。二人には明日、機能停止プログラムのコーディングを始めて貰おうと思う」
「えっ?」
声を出したのは、指名を受けた彼ら二人と僕だった。
「慈郎抜きでですか?」と諏佐。
「もう私たち皆、用語一つ聞いただけでわけわかめって状態じゃなくなったでしょ? それにKUに関しては、ジロ君も全くの素人。彼を頼る事に、そこまでの意味はないんじゃないかな」
言われてみればその通りだった。授業以外でかなり応用的なところまで踏み込んで勉強した僕の専門スキルを完全に再現出来るとまでは行かないが、作戦に必要な能力については仲間たち皆が僕と遜色ないレベルにまで達している。その上で、KUを研究してきた時間は皆同じなのだ。
僕は二人に向かって「頼む」と頭を下げた。
「これがチーム戦だって事を思い出させてくれたのは、二人だから」