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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第22回

 僕は実習室を出ると、再びクリニック経由で病院に戻った。「幽霊の出る病棟」めいた連絡通路に入ったところで、事前に言っていた通り由憐と諏佐に作業終了──作戦成功の連絡を入れようとプリペイド携帯を取り出す。

 と、その時、その携帯がバイブした。

 電話──アドレスは由憐が持っている端末。示し合わせたかのようなタイミング。

 こちらから連絡するとは言っていたが、作業の推定所要時間を伝えていなかった。不安になって向こうから掛けてきたのかもしれない。仮にこちらがまだ作業中だったら出られないのに、と思いながら、僕は通話アイコンに触れた。

「もしもし、水鏡?」

『あ、葛西君……聞こえる?』

 真栗先輩の言う”病みモード”の時でもきびきびと歯切れ良い由憐の口調が、今までで聞いた事がない程に淀んでいた。その時点で、僕はさっと不安の雲が胸裏に宿るのを自覚する。

「聞こえるよ。そっちは無事か? 病院からは脱出出来た?」

『ええ……諏佐君も大丈夫。今、車に居る』

「良かった、僕も今──」

『葛西君』

 僕が首尾を言わないうちに、彼女の声がそれを遮った。

 不意にきっぱりとした声の調子に、僕は得も言われぬ胸騒ぎを覚える。「な、何?」

『作戦は中断。すぐに用意したものを全部持って、こっちに戻って来て』

「なっ……!?」

 僕は絶句した後、早口で閊えながら言った。

「もう終わったよ! ハッキングは終わったし、コピーファイルも出来た。あとはそっちと合流するだけだ」

『そう……それならいいの。作戦は無駄じゃなかった──けど、本来の目的を考えれば大失敗だった』

「大失敗? 何でだよ?」

『言おうとしているんだから黙ってて。……落ち着いて聴いて。葛西君から預けられたハードウェアをサーバに挿して病院を出た直後、あいつがすぐに報復措置を取った。ハッキングに対する対策じゃなくて、報復。テラスが、ICUの全システムをダウンさせたらしい。ここからでも、騒ぎの様子が聞こえてくる』

「そ、それで……?」

 頭から血液が落下するのが、はっきりと分かった。

『五分後──病院から出て来た人が話しているのを聞いた。人の話だから何処まで信用出来るか分からないけど、生命維持装置で命を繋いでいた入院患者の百人近くが亡くなったとか……』

『勿論、そんな短時間で医者がそこまでの死亡確認を出来る訳がねえ』

『ちょっと、諏佐君』

 諏佐が、彼女から携帯を取り上げて割り込んだらしい。彼の声が続けた。

『冷静になれ。まずは事実確認からだ──』

 僕は、非常口の光だけが揺蕩(たゆた)う廊下が腸壁の如くうねり、蠕動しているような錯覚を覚えた。諏佐の声が、次第にフェードアウトしていくように感じられる。彼らも混乱しているだろうに、こちらを──作戦を立案し、実際に作業を行った僕を刺激しないよう注意を払っているかのようなその話し方が、(かえ)ってその言葉の裏に、本当に百人もの人間が一瞬のうちに物言わぬ遺体になったという事実を見え隠れさせるようだった。

 そしてその中に、露木が──危険量の血液を失い、低酸素状態による脳死の一歩手前で昏睡した彼が含まれているかもしれないのだ。具体的に、彼にどのような延命措置が施されているのかは分からない。ただ真栗先輩が医師に説明されたという話では、搬送中に処置が行えなかったのが痛かったらしく、一部酸欠により機能不全を起こした臓器もあるという事だった。

 今、病院に飛び込んで彼の安否を確かめたいと思っているのは、彼の親友である諏佐に違いない。それでもそれを(おくび)にも出さず、不確かな情報を断定口調で語らないのは、或いは彼自身が自分に言い聞かせている為かもしれない。露木が命を奪われた可能性が高い事を理解しながら、それを認めたくない、という。

『聴いている、葛西君?』

 いつの間にか電話は由憐に戻っていた。僕は慌てて「ああ」と返事をする。

「速やかに脱出、だな。行動自体は、当初のプランと変わらない」

『宜しく。警察かBCSTが来る前に、急いで離れよう』

 それ以上の無駄なやり取りをする事なく、通話は向こうから切られた。

 僕は力が抜けてよろめき、壁に携帯を持ったままの右手を突く。頭を振り、もたもたしてはいられないと思い返して院内に続く扉を目指した。

 サーバルームに駆け込んでコネクタを引き抜き、廊下の植木鉢の陰に置かれていたジャマーを拾うと、監視カメラの死角になる曲がり角を抜けた所で妨害電波をオフにする。小走りで内科病棟に出た時、スタッフが二人駆けて来てぶつかりそうになった。

「す、すみません……」

「どけてくれ。システムチェックに行かなきゃならない!」

 白衣を着た男の一人が、こちらを押し退()けるようにして僕が歩いて来た方向へと進んで行く。物的証拠から彼らがすぐに僕がハッキングをしていたと分かる事はないが、それでも緊張が体幹を駆け上がる。

 後ろに続いて来たもう一人が、「おや」と足を止めた。

「大学の人?」

「は、はい。今日の見学に参加していて」

「そうか。だけど、これより向こうに病室はないよ?」

「忘れ物があったんです。それで、一旦キャンパスの方に戻っていて……」

 声が上擦らないように気を付けながら答えると、スタッフは肯いた。

「ちょっと緊急事態が発生したんだ。現場見学は中断、学生さんたちには先生の所に集まるように指示が出ている。君も早く行った方がいい。今詳しい事を話している暇はないから、そこで聞いてくれ」

 先を行っていた方が、「何をしているんだ」と彼に声を掛けた。「早く行くぞ」

「今行きます! ……それじゃあ、そういう事だから」

 スタッフたちは駆け去って行った。

 受付のある一階のロビーに降りた時、病棟を抜ける間にも聞こえていた患者たちの狼狽の声は最高潮に達した。スタッフたちも皆を動揺させないように必死になっていたらしいが、彼ら自身が焦燥に駆られている以上その空気は否が応でも患者たちに伝播してしまうのだろう。

 学生たちも、現在何が起こっているのかを把握しているようだった。罵り合うような声で状況を尋ね合っている者、担当の先生を探して右往左往する者。女子学生の中には、泣き出してしまっている者の姿もあった。

 僕はぎゅっと目を瞑り、病院の外に出た。学生たちに見咎められないようそこで白衣を脱ぎ、ノートPCと一緒に腕に抱えて走り出す。

 プリウスを停めていた場所では、由憐が居ても立っても居られないというように車外に出、携帯の時刻表示と病院の間で視線を往復させていた。

「水鏡!」

「葛西君、大丈夫だった?」

「……分からない」

 何が分からないのか、それすらも分からなかった。

 彼女は後部座席のドアを開け、「葛西君回収完了」と言いながら乗り込んだ。

「先輩たちに、連絡は──」シートベルトを締めつつ、僕は尋ねる。

「しなくていい」

 由憐が答えた。

「帰る頃には……全部分かっているはずだから」

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