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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第2回


          *   *   *


 大学を出ると、歩いて五分程の場所にある「ステーションキャンパス」に向かい、その目の前にある風代大学前駅の高架に上った。持ち歩いている文庫本を読み始めて五分程で電車が到着し、通勤通学ラッシュも過ぎて疎らになった乗客の中に紛れ込む。

 ──一昨日あのような目に遭ったばかりだというのに、僕はまだこの街の公共交通機関を利用する事を恐れてはいない。

 自らに確かめるようにそう思ってから、そう思う事自体が、自分が既に徐々にエントロピーを増大させる街の空気に()てられている証左なのではないかと気付き、慌てて頭を振った。

 ゆっくりと流れ出す窓外に、巨大コンピュータが屹然と佇んでいる。

 高さ百メートルというあまりの巨大さ故に市内の何処からでも見えるそれは、自分を追い駆けて来るものだと信じていた小さい頃の月を想起させた。

 社会実験が開始されて十余年、既に風代の風景の一部となったTERAS(テラス)(Terminal Environmental Relation Administrating Structure:集積型環境的相関管制構造体)。市内のあらゆる電子機器がネットワークを通じてアクセス可能で、政治経済システムや各種インフラをも統括する超大型情報基盤。風代市という共同体のICTを個人・社会両レベルで()()するシステム。

 少子高齢化に伴う、地方自治や各種産業の維持、老朽化したインフラの再整備などに必要な労働力不足。それをAI、ビッグデータ、IoT(Internet of Things:モノのインターネット)を活用して補填するという考え方は二〇一〇年代から存在したが、テラスの登用はその究極的な帰結点だった。この自動運転列車が東京の中心部と同様の路線数、運行本数で動き、天候などによる混乱が発生しない事も、テラスによって街中の人流の情報が収集され、綿密な演算とシミュレーションにより時刻表が作られている為だ。仮に一本電車が止まっても、代替の移動手段が幾つも用意されている。

 市からのHME配布もテラスの運用に関連している。各端末にはテラスへのアクセス権限が付与され、検索エンジンの利用からテラスの仲介した家電製品への接続までも行う事が出来る。

 テラスはいわば、風代独自のネットワークシステムだった。それも、従来のグローバルネットワークに匹敵する規模にして、サービスの提供に人の手を必要としない。自己メンテナンスとアップデートをも司る、ICTの産物によるICTの提供。自ら進化する有機コンピュータ。

 そのテラスが、三年前の遺跡出現を境に狂いを見せ始めた。テラスを信頼し、生活の多くをそれに依存していた人々は最初、突如頻発するようになった”事故”の原因が身の回りの機器の起こしていた不具合にあると本気で気が付かなかった。信頼していた分、その衝撃は著しく、生じた疑心暗鬼も大きかった。

 最初、テラスに超常の存在が居るという噂は陰謀論の(たぐい)に過ぎなかった。AIが進化しすぎた結果、それが人間を支配する側に回る──昔からよくあるSFのテーマだ。特に日本が独自に始めた社会実験に、その業界の権威とはいえ一プログラマーに過ぎない香宗我部博士が世界最高レベルのコンピュータを開発して登用し、仕組みの(ほとん)どがブラックボックスともなれば。

 特に、異変が起こり始めた年の十二月二十五日、未曾有の大惨事となった「ナイトメアクリスマス」事件の後は人々のテラスへの疑念が膨れ上がった。あまりにもそれが顕著化したが故に会見が開かれ、(おおやけ)の場に姿を見せた香宗我部博士は「テラスが意思を持つ事は有り得ない」と強調した上で、頻発する電子機器の不具合は同時期に開発された端末の経年劣化の可能性もあるとして調査を進めていると語った。

 この時点では誰もが、摩訶不思議な遺跡の出現とテラスに概括される機器の一斉不具合を結びつけて考えてはいなかった。

 陰謀論が「機械の反抗」から「”神”がテラスを掌握した」という方面にシフトを始めた原因は、神曲ゼミナールの──厳密にはその前身、教祖・姿(スガタ)樟脳(ショウノウ)の開いた「カンフルセツルメント」の出現だった。

 駅前や、市内の大学や専門学校の校門前でビラを配りながら「世界はプログラミングで動く」と喧伝するこの団体の姿はあからさまに、中学高校時代を通じて散々注意を呼び掛けられる怪しげな宗教団体そのものだった。このフレーズについて、君嶋先輩は「二十年代に言旧(ことふ)られた言い回し」と小馬鹿にしていたが、カンフルセツルメントの時代、姿の主張した事は掃いて捨てる程ある新興宗教団体が安易に使用する言葉とは一線を画すものだった。

 ──神曲ゼミナールは、”本気”の訴えを行うにはあまりに勃興の時期が遅かった。その上、センセーションを引き起こしすぎた。指導者を失った事が痛すぎた。その結果として陳腐化してしまった。

 今あの団体に残っているのは、姿の遺した主張の上辺と、巻き起こしたセンセーションに便乗して騒ぎ立てる連中だけだ。僕は大学入学と共に、テラスに宿るものの正体を暴く為に彼らに接触を試み、そしてそこには求めるものがなくなっていた事を知って失望せざるを得なかった。

 そして、本来の目的を果たせないと分かって尚、僕はそこから逃れる事が出来ないでいる。どのような人に相談しようとも、僕の動機が理解される事はなく、「若者によくあるケース」に当て嵌められて片づけられてしまう事は分かっているからだ。

 だから僕は、今自力で(しがらみ)を振り(ほど)こうとしている。

 先輩には伝えていない。

 彼はきっと、僕を愚かだと言うだろう。自分でもそう思うが、彼に──僕が通過しなければならない壁である彼に見下される事だけは、矜持が許さない。


          *   *   *


 神曲ゼミナールの活動拠点は、ターミナルである風代駅から十五分程歩いた繫華街の雑居ビルにあった。エレベーターで七階まで上がると、すぐに正面受付がある。僕はそこに座っている女性二人──恐らく僕と同じく大学生──の所に行き、慌てたように立ち上がる彼女らに会員証を提示した。

葛西(カサイ)慈郎です。売上代金を納めに参りました」

「あ、ああ……はい。先生なら、今は中にいらっしゃいます」

 覇気のない声で言い、一人がカウンター横の観音開きの扉を示す。僕は軽く会釈して受付を離れると、その扉に向かって「失礼します」と呼び掛けてから押し開いた。

 二十畳程の部屋だった。奥に窓があり、入口の部分を靴脱ぎのスペースに空けて畳──武道場にあるようなマット型──が敷き詰められている。本来は屋内スポーツにも使われる多目的室で、中央を間仕切り壁で二分出来るようになっているが、それは神曲ゼミナールが入ってから一度も使用されていない。

 中程に屏風が立てられ、その前に二人の青年が座っていた。一人は灰色のスーツに身を包んだ、何処にでも居る就活生に見える男。もう一人はドレッドにヘアバンドをし、純白のローブを纏った髭の男。こちらは一見年齢不詳だが、元大学院生の二十四歳である事が説明されている。

 前者は会計係の関根(セキネ)、後者は二代目の代表・倭文(シトリ)無忘(ムボウ)。倭文は偽名で、本人曰く姿の後継者となった後改名したのだそうだ。とはいえ、無論戸籍までは操作されていない。

 僕が入って行くと、倭文は穏やかな表情で座礼をした。

「ご機嫌()う、葛西さん」

「ご無沙汰しています、倭文先生。今月分の返済額を持参しました」

「ありがとう。ヒゼキヤ、お願いします」

 号で指名された関根は僕の差し出した封筒を受け取ると、中身を確認した。交通機関を除く市内の決済方法はキャッシュレスが百パーセントだが、僕はここでの支払方法を直接手渡しにしている為いちいち現金化している。

「間違いありませんね。あとで記録につけておきます」

「葛西さん、生活の方は大丈夫なのですか? もしも苦しいようでしたら、ローン返済は遅れても構わないのですよ。その分、若干の利子は上乗せされますが」

「お気遣いありがとうございます、先生。今のところは大丈夫ですよ」

「それに、わざわざご足労を掛けて……口座に振り込んで頂くだけでも結構なのに」

 倭文の言葉に、僕は曖昧な愛想笑いで応じる。

 それでは銀行口座の使用履歴が残ってしまうのだ。調査目的とはいえ、サイバー空間に新興宗教団体と交流を持っているという記録を保存しておきたくない。

 神曲ゼミナールの販売している香や瞑想器具を購入し、友人知人への売却や勧奨を任されている僕は、彼らの信用──典型的ないい鴨だという印象を受ける為にわざと支払いをローンという形で選択していた。商品が売れたらその何割かの額を教団に納めるという形で返済する事になっているが、当然ながら僕は購入した商品に手を付けず、他人に対して販売するような事も行っていない。

 返済に充てているのは、複数掛け持ちしているアルバイトの給料から捻出しているものだった。極限まで生活を切り詰め、貯蓄の事を考えなければ、仕送りで得る額を含めて何とか賄えるレベルだ。昨年度はぎりぎりながらも乗り切る事が出来た。

 返済が完了したら、彼らとは話し合う事なく関わりを断つつもりだった。神のプログラムという教義(テーマ)が形骸化し、その実態を探る事も出来なくなってしまったこの団体に、最早用はない。

「時に、葛西さん」

 さっさと退散しよう、と身を翻しかけていた僕に、倭文が思い出したように呼び掛けてきた。僕は「それでは」と言いかけていた口を閉ざし、「はい」と返事をする。

「昨日、ニュースにあなたが映っているのを見ました。何でも、我々の聖地である神殿が崩れる現場に居合わせたとか」

「は……?」

 僕は、思わずぽかんと口を開けてしまう。警察と共に現場にやって来た地元のメディア関係者は、放送の際にはこちらのプライバシーを守る為顔は写さないようにすると言っており、実際にテレビにもその通り映っていたはずだが。

 僕の疑問を察知したように、倭文が説明を付け加えた。

「いえ、現場を調べる警察の様子がアナウンサーの説明と同時に流れている時、ほんの一瞬ですが近くで様子を見守るあなたが映ったのです。その服装が、インタビューを受けている『地元の大学生』のものと一致していましたので」

「あ、まあ……ええ」

 よくそこまで見ていたな、と呆れつつ、僕は「しまった」と思った。こちらの内心の動揺を知ってか知らでか、倭文は声色を変えずに問い掛けてくる。

「先月発見された”神のプログラムコード”の調査を行っていたとか。やはり、あなたも気になりますか?」

「ええ、それは……我々の、和解すべき相手ですから」

 無難な受け答えをすると、彼は「素晴らしい」と何度も肯いた。

「素晴らしい信仰です。我々は、”彼”のメッセージを理解しなければならない。その意思を汲み取り、”彼”の器たるテラスのもたらす『試練の季節』を乗り切らねばならないのです。その為には、人々が団結する必要がある。その為に、我々は人々の旗印となるべく同志を増やさねばならないのです」

 ──それが、現在の神曲ゼミナールの大義名分。増やす同志……信者とは、マルチ商法の会員。

 その「試練の季節」で、犠牲者が出ているのだ。小遣い稼ぎのつもりで現在の人々の不安に付け込む事は、彼らが目下の状況を好機と捉えている為ではないか。感染症が流行した時、マスクや消毒薬の買い占めと高額転売が横行するようなものだ。

 調査の結果命まで危険に晒した僕は、今更ながら不快感を感じずにはいられない。しかし、今は感情的になっている場合ではなかった。

「しかし、気を付けた方がいいでしょう。”彼”はあなたが急激に自身の領域に踏み込む事を望みません。……『生成変化を乱したくなければ、動きすぎてはいけない』」

「……ジル・ドゥルーズ」

「ええ。ややもするとあなたが立ち入っている間に神殿が崩壊したのは、起こった出来事の通り”彼”があなたを狙ったものかもしれませんよ」

 倭文の言葉に、増々顔が強張るのを感じた。人が死んだというのに不謹慎だ。脅すつもりか。反発は無数にあったが、同時に──恐らく彼は当てずっぽうに口にしたに違いないだろうが──あの時感じた畏怖に近い感情を思い出すと、さもありなんという気もしてくるのだから恐ろしい。

 踊らされるな。調査に当たって、繰り返し自らに掛ける暗示(サジェッション)を脳内で唱える。

 僕は、風代の人々の言う”神”を信じているのか? 信じていないのか?

 何処かで中間的な結論を出さねばと思いながら、僕にとってそれを信じる気持ちは、幽霊や超常現象に対する気持ちのまま留まっていた。非科学(オカルト)的なものを否定する一方、心霊スポットを訪れるのは怖いような。

 その曖昧さが命取りになるよ、と、君嶋先輩が脳裏で囁くようだった。

「推測ではなく、あなたが何者かに付け狙われているようだという声も身内から上がっています。何でもあなたのアルバイト帰りの道で、尾行者らしき不審な人影を見た、とか」

「そうですか……」拳を握り、平坦な声を維持する。

「”彼”は人心にも介入します。くれぐれも、適切な距離感を見誤らないように」

「ご忠告ありがとうございます、先生。肝に銘じて参ります」

 僕は今度こそ、「それでは」と(いとま)を乞うた。「午後からは講義がありますので、そろそろ失礼させて頂きます」

「ええ、それではさようなら。葛西さんの心が、大いなる調和を得られますように」

 合掌して頭を下げる倭文と関根に同様の挨拶を返すと、ともすれば早歩きになりそうな足を宥めつつ部屋を後にした。

 フロントの女の子たちに再び愛想笑いと共に会釈し、エレベーターに乗り込んで扉を閉めたところで壁面を拳で叩く。覚悟していたより、ストレスが大きかった。

 偶然にも映り込んでいたテレビの映像から、事故現場に居合わせた「地元の大学生」である事がバレたのは、予想外ではあったがまだ許せる。それだけで、僕が彼らに接触している目的までを暴かれる事はないだろう。しかし、それを抜きにしても以前から倭文に警戒されていたというのなら話は別だ。

 彼は、僕が何者かに尾行されているようだと言った。それを、身内からの報告によって知ったと。いずれの真偽も不明だが、彼はそれとなく自分たちが僕の動向を探っていると仄めかしたのだ。

 たとえ嘘だとしても、それは彼らが僕を牽制したという事だ。そのような事をする必要があるとすれば──それは、僕が単なる末端会員、鴨としては認識されていないという事を意味する。

 もしも気付かれたとするなら、それはいつの事だろう?

 考えても分からないが、陰湿なやり口だというのが率直な感想だった。

「だけど、もう意味はない」

 口に出し、無理矢理口角を上げてみた。

 やっと、目的の為に一歩前進したのだ。君嶋先輩と共に、香宗我部博士に会って口を割らせるだけの材料を得る為に取っ掛かりを掴んだ。あとは時間との勝負だ。

 もしも神曲ゼミナールが、()()()()()()()()である現在という状況──姿の唱えた「試練の季節」を終わらせたくないが為に、僕たちが”神のプログラムコード”の正体を暴く事を阻もうとするならば。

 逃げ切る事で彼らと敵対する覚悟は出来ていた。

 ──つもりだった、と内心で付け加え、虚勢の笑みが硬直した。

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