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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第18回


          *   *   *


 機械任せは、そこまでだった。

 数えてみたところ、KUの表記に直したセキュリティ強化プログラムに使用されている単語は合計二十八語。この中に各種括弧や演算子などの記号も含まれているとすれば、実際に語彙と呼べるものはもっと少ないだろう。同一の単語が出現する事もあり、語彙数は十種類しかなかった。だがそれでも、空白スペースにランダムに語彙を挿入し、意味生成の変化を総当たりで確かめるのは至難の(わざ)だ。

 二十八個の単語、つまりスペースは二十七個。そこに十種類の語彙+空白を挿入するとすればパターンは二九七通り、更に二つ以上のスペースに複数の語彙を挿入する事も考えれば、×二十七の階乗。スーパーコンピュータでも天文学的な時間が掛かってしまう。故に、以降大切になるのは人間的な”勘”だった。

 語彙を追加しては、収集したオリジナル言語のサンプルを基に全文訳。最終的には言語ごとに「Javaで同様の処理をさせるとすればどのような表記になるか」を確かめ、結果に大きな差異が見られなくなったら確定。覚悟はしていた事だったが、”神のプログラムコード”は、一語を含めるか含めないかだけで訳文ががらりと変わってしまう。セキュリティ強化プログラムであったはずが、工場のロボット制御になったりVR映像の編集になったりするのだ。

 仲間たちに”宿題”を出し、自主的にプログラミングの勉強を続けさせている間、語彙の翻訳作業は僕一人で行っていた。彼らは何とか義務教育レベルの能力水準を取り戻すまでは進んだが、無論それだけでは全く足りない。依然KUへの”実戦”に挑めるのは僕だけで、その僕すらも決して順調とは言えない。

 ネットカフェでのルーティンワークは、それから一ヶ月続いた。

 目を覚ましてシャワーを浴び、食事をし、以降は窓のない部屋で始終各々(おのおの)ディスプレイと睨めっこ。時折生活用品を買う為に外出し、あまり長期間に渡って集団が一つの店に滞在し続けている事が「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」に怪しまれるといけないので──当然こういった施設の顧客管理システムの記録もテラスにフィードバックされる──二回程拠点を別店舗の「オフィール」に移しもしたが、それらは気休め程度の変化だ。

 東京から運んで来た由憐のPCの前で呻吟していると、諏佐が自分の端末を持って隣にやって来た。肩を叩かれ、僕は頭を上げた。

「呼んでくれればいいのに」

「呼んだよ。でも、聞こえねえみたいだからさ。……”宿題”が出来たぞ。チェックしてくれるよな?」

 諏佐の書いたプログラムを実行し、ビルドエラーがない事を確かめてからスクリプトを見る。何箇所か簡略化出来る部分は見つかったが、彼が当初自動運転車のソリッドですら手間取っていた事を考えれば見違える程の成長だといえた。

「……凄いな、諏佐さんは」正直にそう言った。「水鏡も竪琴さんも雷さんも、『やれば出来る』を地で行く人たちだ」

「慈郎、大丈夫か? 昨夜(ゆうべ)も寝てねえんじゃ?」

「寝てますよ、ちゃんと。だけど、ついつい没頭してしまって」

 KUの翻訳と並行して、連載小説の方も相変わらず書き進めていた。睡眠を取れば肉体的な疲労は回復するが、気分転換にはならない。趣味という息抜きは必要だが、それをしている時間があれば翻訳作業をもう一、二パターン程試す事が可能なのではないか、などと考えてしまうのが僕だった。

 結果的に、どちらの作業も「もう少しだけ」を繰り返して睡眠時間が削られる。

 諏佐は大きく息を()くと、背中を軽く叩いてきた。

「休憩だ。たまには外で昼飯にしようぜ」

「えっ? でも、お金はなるべく寝泊まりの為に……」

「栄養あるもの食わなきゃ頭も回らん、(かえ)って非効率だ。ネカフェの利用料金は真栗先輩が出してくれているんだし、あの人はまあ、金持ちだから。それにさ、『今を楽しめ』ってのはアウトサイダーの鉄則だぜ」

 僕がいいとも悪いとも言わないうちに、諏佐は腕を引いて個室を出た。相変わらず自主勉強を続けていた真栗先輩は、彼が「俺たち今日外で食うんで」と断ると、ごくあっさりと「オッケー」と返した。

 四軒目の「オフィール」は、テラスを中心とした環状線沿い、石切(いしきり)駅の向かいに位置していた。産業道路をぶらぶら歩き、僕は諏佐の歩くままに着いて行ったが、やがて彼は中華屋の前で立ち止まった。由憐を加えた三人で世田谷に行った時もそうだったな、と思い出し、「中華が好きなんですか?」と尋ねると彼は「まあな」と何故か照れるような笑みを浮かべた。

「──それでさ」

 席に就き、モバイルオーダーで料理を注文すると、彼が(おもむ)ろに言った。

 ガラス窓の外の通りを、久々に目撃するフルクラムが「自分たちの権利を守る為に立ち上がれ!」「エクス・マキナ!」と叫びながら過ぎて行く。

「慈郎は今、どういう気持ちなんだ?」

「どうしたんですか、急に?」

 質問の意味が分からなかった。尋ね返すと、彼は「いやさ」と頭を掻く。

「頼られっぱなしで気が滅入るんじゃねえのかな、って。俺たち皆、なかなかお前のやっている作業に参加出来るまでになれねえ。今までお前なしで、テラスをシャットダウンしようなんて考えていたのが馬鹿みたいに思える」

「すみません。この間は僕も、皆さんに酷い事を言ってしまいました」

「いいんだって、それは。由憐ちゃんはまだ気にしているみたいだが、あの子は元々ああいう感じだし。(かえ)って蒸し返さねえ方がいい。……本当のところ、慈郎は何処までやるつもりだったんだ?」

「何処まで、とは」

「『ナイトメアクリスマス』事件で、クラスメイトが死んだ。だから、事件を起こしたのが姿の言う超常の存在なのかを調べようとした。『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』が実在するものなのかを……で、今までの調査と関係なく香宗我部博士がネタばらし。実在します、以上。本当ならそこで、慈郎の目的は達成されたはずだ」

 諏佐に指摘され、僕は「それはそうだ」と思う。

機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」が僕の中で都市伝説に過ぎなかった頃、僕はそれが実在すると証明された後、どうするつもりだったのか。元々調査を始めたのは、総司と同じ悲劇を繰り返したくないという動機だった。しかしそれは、実在が証明されれば究極的にはテラスを止めるしか根本的な解決は図れないという事でもあった。

 由憐には随分買い被られたが、僕は本当に、個人でそこまでしただろうか? 風代市全体の社会基盤であるシステムを独断で停止させる。そのハードルが高い事は重々承知していた。仮に物理的にそれが可能で、やり遂げたとしても、以降僕は犯罪者だ。たかが学生が、国を相手に”完全犯罪”を成し遂げる事が出来るとは思わない。僕は自分自身をそこまで”平均(みんな)”を逸脱した存在だと自惚(うぬぼ)れてはいなかった。

 僕は、仲間たちに「本気でやる気があったのか」と言ってしまった。だが、それは僕もまた然りだったのではないのか?

「……って、今更聞くだけ野暮か」

 僕が困っている事を察してか、諏佐は自らお茶を濁すように言った。「真栗先輩、強制参加だって言っていたもんな」

「やっぱり変ですか、普通の学生が、リスクの高い事をするのって? 普通だったら、手に負えないような挑戦は最初からしないのが当たり前ですか?」

「由憐ちゃんにも思う事だけどさ、『普通』ってお前ら、どういう意味で使っている言葉なんだ?」

 言ってから諏佐は「いや、俺が」と付け加えた。

「俺は基本的に、面倒な事とか、危険な事は極力避けてえ。ギャンブルはしねえ──比喩的な意味でも、本当の意味でもだけど。根っこが心配性なんだろうな、たまに行きすぎて由憐ちゃんから怒られたりもする。これは普通か?」

「……平均的ではあると思います」

 では何故彼はアウトサイダーに加わっているのだろう、とちらりと思った。

「だから『平均的』って何だよ? 多分さ、俺は由憐ちゃんを見ていてこう思う。お前らが『普通』って言う時は、今のままでも不自由なく生きていられるけど、理想はもう少し高い、そこになかなか届かなくて、だからそれを持っている人、出来ている人が目に付きやすくて羨ましい、そういう状態を『普通』って呼んでいる」

「そう……なんですかね?」

「露木の奴さ、高校時代からずっと、俗に言う『彼女募集中』だったんだよ。真栗先輩からは『そういう誰でもいいみたいな事を言っているといつまで経っても出来ないよ』なんて言われてたっけ。あいつからすれば、渋谷の駅前で一日一組以上は見かけるカップルは自分が叶えられていねえ理想を叶えている訳だ。自分が目指してもなかなか届かねえものを持った奴が、何十人も居る訳だよ。けど、だから自分が平均以下っていう捉え方もしていねえ。恋人が居る奴と居ねえ奴が居て、自分が含まれているのは後者。どっちも普通だし、どっちも不自然じゃねえ。

 プログラミングが出来る奴と出来ねえ奴、テラスと戦える奴と戦えねえ奴、否定語(ノット)が付かねえ方に属したい、こう考えるのはおかしくねえよ。けど、そこでどっちが普通だとか普通じゃねえとか、そういう言い方をするから訳が分からなくなる」

 諏佐が話している間に、配膳ロボットが餃子定食とあんかけ焼きそばを運んで来た。彼は箱型のその機械に「サンキュー」と言う。

 僕は「それじゃあ」と口を開いた。

「僕は、リスクが高い事でも……それこそ総司の二の舞になる可能性があっても、そこで暮らしているだけで友達の誰かが死ぬかもしれないっていう街が嫌で、何とかしたいと思う人だった。現状維持をするリスクを重視して行動する人と、行動する事に伴うリスクを重視して現状維持をする人、二種類居て、僕は前者だった──こういう言い方なら、納得して貰えますか?」

「そうだな、俺が『ギャンブルはしない派』だから、お前が新鮮に見えるのかもな」

 諏佐は麺を啜り込む。

「けど、水鏡も言っていました。僕と総司は、別に取り分け仲のいい間柄だったという訳でもなかった。それなのに、何故自分の身を危険に晒してまで行動しようとするのか、って。彼女は僕が『そういう性格』だから、って言って、それを普通じゃないって羨んでいるようでした」

「……俺は、どうしてそういう性格なの、みてえな事は聞かねえよ。それって、どうして俺は諏佐汐里(シオリ)なのか、くらい馬鹿馬鹿しい質問だから。けど、お前自身はどう思っているんだよ? 自分が『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』と戦う理由を、突き詰めれば性格的な事だって言って納得出来るのか?」

「僕は──」

 その時僕は初めて、自分自身を見つめたような気がした。

 人は、客観的になどなれない。なったつもりでもそれは、畢竟は客観の振りをした主観だ。僕は自分の事を、感じやすく、堪え性がなく、些細な事に対してこだわりの強い男であり、趣味は読書と執筆活動、特技は文章を書く事、と自己分析しているが、これもあくまで”自己分析”には違いない。

 だが、僕が総司の死をきっかけに「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」に関する調査を始めた事は、由憐が言うような”性格”──簡潔に言う為に誤解を承知で乱暴な言葉を使えば、”本能的な衝動”だったのだろうか?

「そうなら、そうって言ってくれ。俺がこんな事を聞くのは、結局は自分の為だ──俺たちが、アウトサイダーの目標の為に、自分からグループに入った訳じゃねえ慈郎に色々と背負わせすぎているって思われちゃいねえか、って」

「……そうですね」

 僕は、考えた末に再度言った。

「実際にそういう人は居ませんでしたけど、もし嫌いな奴がクラスに居たとして……そいつが総司の代わりに死んでいたら、僕はあんなに悩まなかったかもしれません。いや、いっそクラスメイトじゃない知り合い──有人カフェの店員さんとか──がそうだったとしても」

「倭文の時は──」

「あっちは、動機とは関係ありませんよ。確かに水鏡が言うみたいに、目の前で起こっている事を放っておけないっていうのも、僕の”性格”の一部ではあるんでしょう。それに()()は、ブレるのが当たり前だと思います。

 総司が……クラスメイトの彼が居なくなって悲しかったし、ショックを受けたのも、皆が『仕方ない』みたいな顔をしている事に違和感を覚えたのも本当です。だけど、彼個人じゃない、他の()()()()()()が死んでいても僕が動いただろうと思うのも、また本当の事だろうと思います。彼らは友達だった。けど僕は、同じクラスに居てお互いを認識していて、話す事があれば話す、っていう意味の友達じゃない、いつもつるんでいるような相手が欲しかった。諏佐さんの言った、現状より少しだけ高い、けれど叶えている人は叶えている理想です」

「友達が居なくて困っていた訳じゃないけれど……か」

「はい。だけど、それを高望みだとも、贅沢だとも思わない。友達が居れば、親友を望んではいけない訳でもないでしょう? 僕は総司を──総司たちを、そうで在ってくれたらいいなと思っていた。総司は、”そう思っていた中の一人”じゃないんです。()()がそうで在ってくれたらいい、()()がそうで在ってくれたらいい、皆個人個人なんですよ」

 ──僕は今、言葉に出来ない事を言葉にしている。

 僕はそう思った。同語反復(トートロジー)ではない。

 執筆をする時なら、「言葉に出来ない気持ち」などという甘えた表現は絶対に使わないだろう。ただ、その”気持ち”自体はあるのだ。それを、無理にでも言葉にしようとするのが人間であり、創作なのだ──。

「それじゃあ、慈郎」諏佐は、安心したように言った。「お前は、ちゃんとまだ自分の意思で『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』に挑んでいるんだな?」

「当然です」

 僕は肯いてから、今度はこちらから気になっていた事を尋ねる事にした。

「諏佐さんはどうして、アウトサイダーに入ったんですか? 『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』と戦って、実際に生富先輩は命を奪われた。そんなに危険な相手だって分かっても挑むのをやめないのは、さっき言っていた『ギャンブルはしない』主義に反しているように感じるんですが……」

「そうだな──」

 諏佐はまた一口焼きそばを啜り、一拍溜める。僕も餃子を一つ口に入れ、黙って彼の言葉を待つ。

「露木が『面白そうじゃん』って言って、真栗先輩に協力する事にした。真栗先輩は仲間が増えるならそれで良くて、別に動機が高尚だとか、そういう事は気にしねえ。来る者は拒まず、去る者は追わず、だ。俺は露木と高校時代からつるんでいたから、一緒に参加する事にした」

「えっ?」僕は絶句した。「さっき言っていた事と矛盾しませんか?」

「今さっき『人間はブレるのが当たり前』って言ったのはお前だろ? 最初から最後まで首尾一貫している奴の方が珍しいよ。それに、俺にとっちゃ最初の動機なんて、もうそこまでの意味はねえよ。『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』に挑む事のリスクが分かったからって、ここで引き返すつもりはねえ」

 諏佐の口調は、自らに対して言い聞かせているかのようだった。

「あいつと戦って、露木はICUに入院して昏睡する羽目になった。ここで俺が退()く訳には行かねえだろ。……仇討ちとかじゃねえよ、露木の戦いを無駄にはしたくねえっていう事だけだ」

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