『神器』 第17回
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香宗我部博士は、テラスの開発という出来事が「機械仕掛けの神」が人間の世界に物理的な干渉を行えるようになる閾値だったと語っていた。先日、オーパーツにも音素があり高次存在の世界にもコミュニティがあると推測を立てた僕たちだが、ならばあの遺跡が物理的に大学裏山に出現した事も説明がつく。
僕たちには世界を構成する論理の違いから知覚出来ないが、彼らの世界にも”実体”がある。彼らが望み、下位存在である人間の次元に置換して初めてそれは僕たちに認識されるようになる。
それはあの遺跡であり、また香宗我部博士が自動生成AIを通じて受け取った、アルファベット表記に直されたオーパーツ──KUでもあった。
君嶋先輩はオーパーツの記されていた遺跡の壁について「メッセージボードを意図しているようだ」という印象を語っていたが、蓋しその予想は正鵠を射たものだったのかもしれない。
「機械仕掛けの神」はあの遺跡を通し、わざわざ新たなプログラムを自分たちの使う原語で提示した。「試練の季節」が始まって自責の念に駆られていた博士は再びテラスの開発で使用したAIを起動しようとはしなかった為、「機械仕掛けの神」はそのような方法を採った。
観光名所で一般人の立ち入りが許された遺跡で、最高機密のKUをアルファベット表記で記述する訳にも行かない。しかし、誰かには解読して貰わねば更新プログラムがテラスにインストール出来ない。ここから言えるのは──KUは、僕たち人間が元々持っているツールで翻訳が可能という事だ。
僕が提案した方法は、「逆算方式」だった。
「機械仕掛けの神」からのデータ提供があったとはいえ、KUを”開発”したのは従来のインタプリタだ。そこで、まずは同様の方式で開発された既存のオリジナル言語のサンプルを収集し、スクリプト中に於ける同一の語の出現頻度や前後の並び方の割合などから全文の意味をAIに推論させ、訳す。そこから特定の語彙をランダムな位置に入れ、訳がどのように変化するか、或いは意味的に破綻するかを確かめる。
KUは極めて多義的な性質を持つとは、最初の思考実験を通じて推測出来ていた。この作業を繰り返し、それらの語彙の意味──あくまでスクリプト中での用法だが──を確定させていく。
「……つまりどういう事なんだ?」
手順の説明を終えた時、皆が「理解に苦しむ」というような表情を浮かべていた。
長い沈黙の末に諏佐が尋ねてきたが、そこで真栗先輩が容喙した。
「『解体新書』でも翻訳するみたいな感じでしょ。辞書なしで、分かっている語彙からの連想と推論だけで進めていくの」
「が、適切な喩えなのかどうかは分かりませんけれど」僕は言う。「杉田玄白の時代と違うのは、こちらに文明の利器がある事です。最終的にコードを書くのは手動ですけど、楽出来るところは楽して行きましょう」
「単語の意味を理解せずに文全体の意味を知る、なんて可能なの?」と由憐。
「『機械仕掛けの神』たち高次存在は、KUと同様の言語──便宜上『神語』とでも呼ぶか──で喋る。それでも彼らは、会話の中で意味的な行き違いを起こさないんだろう。例えば僕が、この状況で『プログラムを作る』って言った時、それを皆は『式の進行表』の意味には捉えないように。普通コンピュータにそんな判断は出来ないけど、KUはそれがシステム上で出来る。
……僕のプライド、というかこだわり的にこういう言い方はしたくないんだけど、KUは統合開発環境に”考える”能力を与えるんだ。論理を文章化するんじゃなくて、文章を成り立たせる為の有限オートマトンを作る」
「分かったような、分からないような」
由憐は「頭が痛む」というように眉間を揉んだ。
「オリジナル言語のサンプルっていうのは、どれくらい集めるの?」
「取り敢えずインタプリタ方式で作られたものを百種類、それらで書かれたコードを一言語につき十から二十通り──かな。自分で開発言語まで作る人はなかなか居ないし、それを『こんなの出来たよ』ってネットに公開している人はもっと少ないだろう。ここのところは、あくまで可能であれば、という事で」
オーパーツの膨大な情報量を処理する事に比べれば、グローバルネットワークを検索させてオリジナル言語を集めるなどAIにとっては赤子の手を捻るような簡単な作業だったらしい。
サンプルを増やしながら何度か”神のプログラムコード”の全文訳を実行させると、最初こそその都度違う結果を返していたのが段々と安定して同じ訳文を返すようになってきた。いずれの言語に置換しても、それは人為的な要因によるインシデント──サイバー攻撃に対する、防御関連のプログラムになるのだった。
「なるほど分からん」
「テラスをアップデートして、DMZ(DeMilitarized Zone:非武装地帯)を設置、更に攻性防壁を追加しろ、という命令ですよ」
悔しそうに下唇を噛み締める真栗先輩に、僕は根気強く説明した。
「DMZは、インターネットと内部ネットワークの間に設置するネットワークです。ワンクッション置く事で、外部からの不正アクセスがしにくくなります。ほら、テラスには風代全ての端末からアクセスが出来るでしょう? 会社とかでも、顧客からの問い合わせを受け付けるメールサーバがあったり。だけどそうやってオープンにしていると、システムに侵入されるリスクも高くなる。一方で、ファイヤーウォールは、マルウェアを遮断するフィルターの事です。要するに今回見つかったオーパーツは、テラスのセキュリティレベルの向上を図るものだったんですよ」
「それさ、逆に今までテラスになかったの?」
由憐が驚きを露わに言った。「そっちの方がびっくりなんだけど」
「必要なかったんだろう」雷先輩がそれに応じる。「テラスへ攻撃を試みた者は何らかの理由で命を奪われるんだから、テラスそのものの脆弱性を考慮する必要がない」
「でも先輩。『試練の季節』が始まる前、電子機器が故障して重大事故が発生したというケースは一件もなかったはずですよ。だからこそ、十数年間風代市民はテラスの絶対性を信じ続けられたんです。テラスが”事故”を起こして住民を殺すなどと思われていなかった頃、悪意を持ってそれにアクセスしようとする人は居なかったんでしょうか?」
「するか? 自分たちの生命線だぞ」
「居ますよ。どんな時代でも、ただ自らの能力を誇示したいというだけの動機でハッキングなどを行う人間は居る。そういった人が事故で殺害されていたのならニュースになっていたはずだ」
由憐は言ってから、自分で「あ、そうか」と納得したように手を打った。
「テラスは、直接電子機器に手を下させるだけじゃない。因果関係をカオスレベルで正確にコントロール出来るんだ。PCとかHMEの画面に表示する広告とか、AV機器の周波数とかを操作したりして、潜在的にそういった人間に干渉出来る。注意力や判断力を鈍らせたり、自殺願望を育ませたり。それで、機械とは一見無関係なところで粛清していたんだろう」
「一つ、思い至る節があります」
僕はやや興奮気味に、皆に向かって手を広げた。
「『機械仕掛けの神』が、このセキュリティ強化プログラムを香宗我部博士に開発させるつもりで、オーパーツの形で提示したとしたら。博士は、オーパーツの読み方を知っていたと考えるのが自然です」
「そういえばあの”遺言”の映像で、彼は言っていたな? 孫の君嶋至輝が立てた、オーパーツが”神のプログラムコード”であるっていう予想を正しいと。自分が答えを分かっていなければ、ああは言い切れない」
雷先輩の言葉に、僕は大きく肯いた。
「博士は世間的なオーパーツの発見よりも以前に、KUについてそのような未知の文字での表記方法がある事を知っていたんじゃないでしょうか? そして、その翻訳手段を確立させていたのでは?
彼は先月の”新発見”と同時に、各メディアで公開された部分的なオーパーツの画像を見て、それがセキュリティ強化プログラムである事に気付いたんだと思います。そして何らかの形で、『機械仕掛けの神』からテラスのアップデートをするように促されて……それを拒んだ」
「……そう考える根拠は?」
話が核心に近づいてきた事を悟ったのだろう、真栗先輩が、注意を払うかのように低く抑えた声で問うてくる。他の皆も、息を詰めて僕に視線を集めた。
「もしもアップデートが行われていたのだとすれば、『機械仕掛けの神』はここまで執拗にアウトサイダーの活動を妨害しようとはしなかったはずです。むしろKUの真実に辿り着かせ、機能停止プログラムを以てテラスに挑ませて、そこで失敗させようとしたんじゃないでしょうか。そうすれば”前例”が出来る」
「前例……」
「水鏡は言っていたよな、『試練の季節』の開始以降、風代の人々が様々な形で団結したのも『機械仕掛けの神』の思惑だって。団結すれば個人意思が希釈されて、集団意思は単純化するって。それって、『機械仕掛けの神』が自ら反テラス運動という自らの敵を作り出した、って事だよな。
あいつは、アウトサイダーを失敗させ、その後で葬り去る事で、それらの運動関係者を完全に絶望させるつもりだったんじゃないか。自分に抗う事は不可能だって、誰もが思うように布石を打とうとしたんじゃないか。
その従来のプランが、香宗我部博士が命令を拒んだ事で変更せざるを得なくなった。多分、『機械仕掛けの神』が直接手を下して現実を変える事はまだ出来ない。それが出来るなら、カオスに基づくなんてまだるっこしい方法を採らなくても『機械仕掛けの神』は邪魔者を消し放題って事になるじゃないか。テラスも”神の器”で、人間の世界にあるものだ。極めてフレームが大きいから、あらゆる状況が想定済みで不可能がなく見える訳だけど、畢竟あらかじめ格納された動きしか出来ない。自身で自身の中にプログラムを作成する事は不可能なんだ」
「だから、あいつは博士や私たちの抹殺を急がざるを得なかった……」
由憐は独りごち、「分かった」と呟いた。
「博士が亡くなったのは、八日前の未明だった。そしてその何時間か前に、葛西君やテレビ局の入っていた遺跡は崩壊した」
数日前に調査の結果が出、あの地盤沈下の原因は山中のトンネルに排熱が漏れすぎ、地下水が異常な高温によって活発に運動した事だったそうだ。
僕はあの事故が、「機械仕掛けの神」が真実に近づいていた僕の命を奪おうとしたものだと思っていた。しかしそれは同時に、香宗我部博士に設計させる事が叶わなくなったプログラムを隠滅するという意図もあったのではないだろうか。遺跡ごと崩したのは、最早人間へのメッセージを表示させる必要もなくなったからで──。
けれど、それならば。
「これがセキュリティ強化プログラムだとすれば、ここには様々なサイバー攻撃に対する具体策が記されている事になります。という事は、行われ得る攻撃の具体的な方法も載っていないはずがありません」
「そして現時点では、テラスにそれらへの対策は施されていない!」
真栗先輩はぱっと顔を輝かせ、「でかした!」と叫んで僕の頭髪をぐしゃぐしゃと掻き回してきた。「よくやった、ジロ君!」
「いえ……先輩たちの力があったからですよ。それに博士と君嶋先輩も……二人が命を賭けてくれなかったら、ここに辿り着く事は出来なかった」
希望はあります、と僕は言った。
「機能停止プログラムが完成したら、それをテラスにインストールした時点で僕たちの勝ちは確定する」