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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第16回


          *   *   *


 二時間後、僕は商業ビルを駆け回っていた。

 昼を過ぎた頃、オーパーツをアルファベットに直す作業が全て完了した。僕が君嶋先輩にHMEで送信した画像を基にメモ帳アプリにそれらを書き写すと、テキスト量はフルスクリーン表示の十分の一程とそこまで多くはなかった。

 次は手作業による文法の抽出だが、その前に真栗先輩から由憐を探して来るように命じられた。先輩が「罰則」として言い渡した時間は十分間だったが、彼女は二時間経っても戻って来なかった。

「ユレちゃんも抵抗運動(レジスタンス)の自覚はあるんだから、そう遠くまでぶらついたら危険だって事は分かっているはず。でも時々あの子、病んだような真似して自暴自棄に振舞ってみるとこあるからさ、BCSTに捕まったりしていないといいんだけど」

「GPSは?」

「あの子、携帯置いて行っちゃった」

 先輩はプリペイド携帯を摘まみ上げて言い、僕はそこで居ても立っても居られなくなった。僕が探しに行きます、と言うと、彼女は

「当たり前でしょ」

 そう返してきた。

「どれだけ男女平等の時代でも、こういう時には男の方から歩み寄るものよ。喧嘩していつまでも知らん顔している男は、()()()()()()()()()軽蔑されても仕方がない」

 先輩の言葉が、いちいち僕の胸を刺した。僕をというよりも由憐を心配してか、諏佐が食べかけのカップ焼きそばを置いて同行しようとしてきたが、雷先輩が無言で彼の肩に手を置き、止めた。

 彼らもここ五日間のうちに、僕の言動に対して相当鬱憤を蓄積させたに違いない。真栗先輩の使った「八つ当たり」という言葉からも、彼らが僕の苛立っている理由を分かっている事は明白だ。それを考えると、申し訳なさで一杯になる。

 露木が重篤な状態になり、彼らは僕よりもずっと心を痛めているだろう。彼らの培ってきた時間は、一週間前に出会ったばかりの僕とは比べ物にならない程長いのだ──。

(水鏡にも酷い事を言った)

 ──水鏡はそもそも、本当にその生富先輩が好きだったのかよ?

 そのような事を言うつもりはなかったのだ。本気でやっているように見えない──八つ当たりのその言葉が、彼女の心を侮辱する台詞になってしまった。このように言葉を大切にしないから、僕の書いた作品は新人賞を逃したのだろうか。

 思考をループさせながら彷徨っていると、彼女の姿はすぐに見つかった。

 真栗先輩の予想通り、彼女は遠くへは行っていなかった。「オフィール」の入ったビルの二階、チェーン店のカフェの窓際で、彼女は何を注文するでもなく座り、机上に浮かぶARウェイトレスのホロ映像を指先で弄んでいた。

 怯懦が頭を(もた)げたが、それを無理矢理押し込めて入店する。

 気付いているのか、気付かない振りをしているのか、僕が近づいても彼女は顔を上げなかった。が、「水鏡」と声を掛けると、

「葛西君?」

 彼女は素直に反応してくれた。僕は言葉を探したが──そのまま「ごめん」と謝れば良かったのだろうが、何故かその三文字が出てきてくれなかった──、こちらが何かを言う前に彼女が「いいよ」と言った。「あなたの言う通りなんだから。きっと私は、本気でやっていないんだと思う」

「違う、水鏡が頑張っている事は分かっているんだ」

 もどかしい──自分が情けない。

 世田谷への移動中に車内で彼女と口論になった時も、彼女に先に謝らせてしまった。僕は彼女に対して、(いささ)かどころでなく甘えすぎている。

 由憐は(かぶり)を振った。

「そうじゃなくて、生富先輩の方。多分、図星だったから」

「そんな事は」

「本当に。最初に彼の事を話した時、知り合いが居ない環境でたまたま同郷の彼を見つけたから特別に感じたのかも、なんて言ったでしょう。あれが本当のところ。高校に入ったら急に皆誰かと付き合い始めて、私も()()()付き合いたくて、そしたら彼が居た。いちばん縁が出来そうだった。その程度」

 そこまで自虐的になる必要があるのか、と僕は戸惑ったが、口を開くよりも先に彼女が向かいの椅子を示してきた。黙ったまま腰を下ろす。由憐は電子煙草を取り出したが、壁に貼られた「全席禁煙」の表示を認めて再びそれを懐にしまった。

「アウトサイダーに入った理由もそう。彼らの一員として『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』と戦えたらっていうのが最初の動機で、生半可な気持ちじゃ真栗先輩に断られるのが目に見えていたから、ちょっと気になっていた、程度の生富先輩を理由にした」

「生半可って……」

「きっと、先輩からしたらそう見えるよ。葛西君、私が中学の頃どう思っていた? ……いいよ、別に絡まなかったんだし。私は自分の事を、普通だと思っていた。葛西君の事もそう思っていたけど、あなたみたいな『個性を持った一人のクラスメイト』っていう意味じゃなくて、個性が『普通』って感じで。私はそれが嫌で、普通に社交的で、普通に何か得意な事があって、普通に男の子と話せて、普通に友達と恋バナで盛り上がれる、そんな普通に『個性が「普通」じゃない女子高生』になりたかった。

 高校はそうも行かなかったな。お昼休みにずっと一緒に話すような友達が出来て、試験が忙しい課題が忙しいって言っているうちに部活動にも入るタイミングを逃して、次の試験まであと何日、三年生になったら受験、そんな事をしているうちに気が付いたら卒業していた。完全に『将来への踏み台』ってだけだった。

 だから大学でこそ何か一つ、私はこれをやり抜いたぞ、って言えるような事をやってみたかった。空っぽな私から生まれ変わりたい、って、()()()思っていた。けど、そんな事を言ったら真栗先輩、笑うでしょう?」

「笑う……かな?」

 少なくとも人を馬鹿にして笑うような人だとは、僕は思わない。

「先輩を信用していない訳じゃないんだよ。だけど、空っぽだなんて大袈裟な、みたいな励まし方はすると思う。過不足も不自由もない学生生活を送っていて、友達が居ない訳でも、成績が悪い訳でもない。それで何処が不満足なのか、って。だって先輩はさ、将来を誓った人が居なくなって、だから仇を取る為に戦っているんだよ?

 ……何それ? どんな格好良い動機なの? 本当に生きている世界が同じ人? そんなんじゃ私、自分の事をあの人に言える訳ないじゃない」

「だけど竪琴さんが、愛する人を喪ったのは悲劇だよ」

「だよね。私と真栗先輩、どっちが不幸かって言われたら、断然先輩の方」

 由憐はまた初めての笑みを浮かべた。

 今度は、皮肉めいた苦笑い。これは出来れば見たくなかった、と思う。

「先輩に比べたら、『普通じゃなくなりたい』なんて贅沢で、空っぽが嫌って何、発想力不足の作者が無理矢理動機づけした主人公か何かか、っていう理由。悩みなんて比べるものじゃないけど、百人居たら百人が、私のはそもそも悩みじゃないよ、なんて言うんだろう。『病んだ振りをするな』って」

「……って事は、水鏡はさ」

 僕は、今までの彼女の発言を思い出しながら尋ねた。

「わざと言っていたのか、今までのは?」

「まあ、時々は本心もあったけど。私、最初は葛西君の動機も私と同じだと思って、気に入らなかった。阿久津君と葛西君、特別に仲がいい訳でもなかったのに、あなたがあそこまでする理由が分からなかった。神曲ゼミナールに入って、借金抱えてまで彼の死んだ理由を解明しようとして。

 だけど、もう分かった。葛西君は、『ナイトメアクリスマス』事件で犠牲になったのが阿久津君だから頑張っていたんじゃない。知り合いがそういう事になったら、きっとそれが誰であっても同じように行動したはず。知ってしまった悲しい事、手を伸ばせば届く場所で苦しんでいる人、そういうのをほっとけないのが葛西君。そういう個性って、滅多にない。他の大勢の人たちが薄情っていうんじゃなくて、大抵手に負えない事は割り切ってしまうのが当たり前。行動家なんて一握りで、あとは物言わぬ大多数サイレント・マジョリティ。行動家は、立派に一つのアイデンティティを持っている。それで、私は増々気に入らなくなった。同族嫌悪が羨望に変わったのかな」

「僕は、別にそんな事はないよ。いや、謙遜とかじゃなくて本当に」

 慌てて両手首を振ると、彼女は目つきを鋭くした。

「そうやって、自覚していないところも。小説の事だってそうだ。この間、車の中で意地悪な事を言ってしまったけど、あれも私が葛西君に嫉妬していたからだと思う。自分の軸をしっかり持っているあなたに。だから、つい揚げ足を取るみたいな事をしてしまったんだな」

 ──何でこう……意味もなく他人を困らせようと、いえ、傷つけようとするのか。

 由憐の台詞が思い出され、僕はそういう事だったのかと納得した。彼女が今淡々と吐露している言葉は、()()()()()()()であってそれ以上でも以下でもない。

 彼女は僕を、羨ましがっている。僕の自覚のなさが気に食わないと言われても、僕としてはこれが自然体なのだからどうしようもない。

「だからごめん、あなたは何も悪くない。だけど私は、あなたをそういう目で見るのをやめられそうにない」

「謝られても困るよ……」

 僕は頭を掻いてから、無理矢理に言葉を絞り出した。彼女は今、慰めすらも欲しがっていないのだと思いながら、一続きの会話を終わらせる為だけに。

「『ともかく僕のそのときまでの二十年の生涯に、なにひとつ特別の出来事がおこらなかったということがいわば僕の個性だった』」

「何、それ?」

「大江健三郎、『叫び声』。……水鏡、僕たちが今している事を、だから『青春』って呼ぶんじゃないかな」

 彼女はそれを──青春をしたかったのではないか。

 その時点で彼女は、全身全霊で青春の真っ盛りに居たのではないか。

「………」

 由憐は、(しば)し黙りこくったまま机に視線を落とし続けていた。僕は別段ポジティブな事を言おうとしたのでも、ネガティブな事を言おうとしたのでもなかったが、彼女はやや背筋を曲げたまま、

「それなら私──」

 ぽつりと、コーヒーの泡を零すように呟いた。

「やっぱり、青春は嫌いかな」

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