『神器』 第15回
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いちばん堪え性がないのは、僕のようだった。
翌日から僕が”講師”を務めて仲間たちへのプログラミング指導が始まったが、彼らは僕が予想していたよりも遥かに出来なかった。中学までの義務教育で、JavaとPythonの基本的なコーディングは行える程度の技能を身に着けさせるというのは指導要領に含まれているはずだが、彼らは習ったはずのそれらをすっかり忘却していた。
僕たちが今回の作戦に於いて使用するのは、KUという従来とは似ても似つかない言語だ。従来の言語をどれだけ学んだところでそれを応用するという訳には行かないが、重要なのは”プログラミング的思考”だ。
特定の目的を達成する為に、どれだけプロセスを細分化して考えられるかという事が重要なのだった。「機械仕掛けの神」の司るカオスは「風が吹けば桶屋が儲かる」程度にしか僕たちには知覚出来ないが、そこに因果関係がない訳ではない。
「ソートをする時はデータを一時的に格納する変数を作らないと、並び替え先が上書きされて消えるって言ったでしょう。VB(Visual Basic)だけの話じゃない、データの特性上初歩の初歩ですよ。そこまで忘れたんですか」
「分かったからいちいち怒んなよ」
僕に注意された諏佐は、辟易したように手首をぱたぱたと振った。僕は段々、彼らが真面目にやっているように思えなくなってくる。
「あのですね、僕はあなたたちの知識を増やしたいんじゃないんですよ。普段すっ飛ばして考えている事に、もっと目を向けて欲しい。コンピュータは考えません、僕たちが考えた通りにしか動かないんです。だから僕たちが、考える時点でちゃんと論理を理解していなきゃ駄目なんですよ!」
無論僕とて、今まで学校教育で習ってきた事を全て覚えているかといえば決してそうではない。僕が義務教育としてのプログラミングを記憶しているのは現在進行形で使用している為であり、例えば生物基礎で教科書に載っていた落葉広葉樹林の木の種類などは今では覚えていない。
アウトサイダーの皆は、アウトサイダーになる以前は情報工学とは無縁の分野で自分の為の勉強をしていたのだ。それを専門の者から「一度習ったのなら出来るだろう」などと責められては、気持ちが萎えるのも反発したくなるのも当然だろう。
彼らの気持ちを分かっていて、それで尚苛立ちをぶつけてしまうのは僕自身の問題であるようだった。即ち、僕は焦っている。早く作戦を次の工程に移したいのに、それが出来ずに焦れったさを覚えている。テラスから「機械仕掛けの神」を排除するのが一日遅れれば、その一日で新たな犠牲者が出る。嫌という程それを分かっているのは、皆も同じだというのに──。
そして僕を焦らせているもう一つの原因が、一日二日で済むと思われていた自動解析が四日目に突入しても尚終わらなかった事だった。オーパーツの持つ具体的な情報量すらも定かではないので、既にアルファベット表記に直された文字が解析されるまでの時間から残り時間を推測して一日二日という目算をつけた訳だが、それが数日ずれたからといって焦っても仕方がない事は分かる。
だから僕の言動は、完全に「八つ当たり」なのだ。
どれだけ僕の中の冷静な僕が、それについて自己嫌悪と共に反省していたとしても、同じ気持ちを抱えながら八つ当たりされる側は堪ったものではない。
「……こういう先生が担当だったら、プログラミング自体嫌いになるのも分かるわ」
五日目、進度九十五パーセント程で留まっているギルガメシュの解析画面の横で由憐が聞こえよがしに言った。彼女も遂に、僕に対する我慢が限界になったようだった。
「自分に出来る事が、皆にも出来ると思わないで欲しい」
「出来ないからって逆ギレするのは違くないか?」
止せばいいのに、僕は言葉を返してしまう。
「君たちが教えて欲しいって言うから、僕はこうして教えている。だけど僕に言わせて貰えば、どうして今更こんな事を僕が教える必要があるの、って思いが消えない」
「ほら、そうやって心の中じゃ見下しているじゃない」
「それなら自分に聞いてみろよ」
業を煮やし、僕はまくし立てるように言った。
「君たちは僕よりも前に『機械仕掛けの神』の存在を知っていて、最終的にどうするつもりだったんだ? テラスを止める事を考えていたなら、KUがどうこうって以前に、専門用語を一つも知らなくたって、機能停止プログラムをインストールさせなきゃならない事くらいは分かっただろ。それは、独学で作るつもりだったのか? それとも──あいつと直接対決しなきゃいけない状況なんて、想定してもいなかったのか?」
「私たちが、子供の遊びのつもりでアウトサイダーをやっていたと思っているの?」
「じゃあどうして、こんな始末になっているんだよ? 水鏡は言ったね、総司の死の謎を解こうとして神曲ゼミナールに入った僕に、『考えが甘い』って。だけど、こんな事なら言われる筋合いはなかった」
「葛西君は、死んだのが阿久津君じゃなくても同じ事をしたと思う。そうでしょう、あなたは正義感の塊みたいな人だもの。だけど私は、開き直るようで悪いけど生富先輩の遺志を継ごうってだけで後先なんか考えていられなかった。それは、本気になっているって言わないの?」
言ってから彼女は、「違う」と修正した。
「意見なんて要らない。誰がどう言おうと私は本気、ただそれだけ。いいよ、理解力のなさとか、基礎的なスキルが欠けている事なら幾ら馬鹿にしても。本当の事だもの。だけどね、何も知らないあなたに、私の気持ちだけは否定なんてさせない」
「じゃあ結果を見せてくれ! 感情論で、『一生懸命やったから許して』なんて事が罷り通るなら、その生富先輩は”あんな事”にならずに済んだんだろう!」
いけない事を口にした、という自覚はあった。皆の刺すような視線が僕に集中するのを感じたが、僕は口の動きを止められなかった。
「水鏡はそもそも、本当にその生富先輩が好きだったのかよ?」
その瞬間、彼女が凍りついたように動かなくなった。体を強張らせ、口の端をわなわなと震わせる。その喉から、ひゅっと笛のような音が零れた。
我に返った僕が弁明する前に、真栗先輩が「いい加減にしなさい」と言った。叱りつけるようではなく、普段のにこやかな雑談の延長線上にあるような声色だった。
「つまらないからやめてくれる? ジロ君が他の事喋っていると私たちの作業が進まないんだよね、何せ私たちのスキルは小学生以下なんだから。ってな訳で、以降生産性のない喧嘩は禁止します」
「真栗先輩、でも葛西君の言い草は」由憐が反駁しかけたが、
「口答えも禁止します。ユレちゃん、罰として廊下に立っていなさい……っていうのは人権侵害だから、お散歩でもして頭を冷やして来なさい。十分くらいは戻って来ちゃ駄目だから」
真栗先輩は有無を言わせぬ口調で言った。由憐は増々食い下がる。
「どうして葛西君にはそう言わないんですか?」
「ジロ君が居なくなったら、プログラミング教室も何もないじゃない。だけど罰則は科します。しおりんと阿電から聞かれた事以外に十分間喋っちゃ駄目、答える時頭ごなしになったら五分延長。あ、でも私には幾らでも八つ当たりしていいからね。お姉さんは大人だから許してあげる」
「………」
真栗先輩の台詞は、遠回しに僕を自制心がないと揶揄するものだった。僕は慚愧に駆られ、机上を見下ろしたまま口を噤む。
由憐がこれ見よがしに肩を竦め、乱暴にバタン! と扉を閉めて出て行った。