『神器』 第14回
それは、錆色をした楕円形の平たい人工物だった。長軸は三メートル程あり、それを囲むように六本の”脚”が付いている。背面には砲塔が取り付けられ、忙しなく回転しながら三百六十度を狙っているのは二本並んだ触角の如き砲身。後尾部にはハサミムシのような湾曲した一対の刃が備わり、近接攻撃を想定しているらしいその前時代的な形状が不気味だった。
「パラポネラ……!?」
雷先輩が、動揺を露わにした声でその名を言った。
MLD - 25 - 2、パラポネラ。テラスの警備を行うドローンのうち、市街地での行動を想定した高機動性多脚機。一昨日BCSTが運用を開始した最新兵器だった。
AIで制御される陸自の無人兵器のうち、このパラポネラの前身に当たる白蟻が軍用車両のジムニーと同等の大きさであったのに対し、こちらは小型車以下のサイズに軽量小型化されていた。ターマイトが肝腎のテラス内部など閉所での行動に適さなかった事から改良が加えられたパラポネラは、伸縮するカーボンナノチューブの脚を持ち、胴部に対して上向きの力を発生させる事で接地面の圧力を緩和し、建造物の屋根や壁面までをも移動する事が可能となっている。
ニュースでその開発を知っていた僕だが、実物が目の前で動くとやはり事前知識はあっても驚きに打たれてしまった。
パラポネラは神曲ゼミナール信者を踏み潰した脚を振り回し、関根の下腹部に回し蹴りを叩き込んだ。その蹠には、コンディションの悪い地面でも問題なく活動出来るようにチェーン処理を施されたタイヤが取り付けられていた。
彼は交通事故に遭ったかのように吹き飛ばされ、ブロック塀に背中から激突して蜘蛛の巣状の亀裂を生じさせる。パラポネラは弱っている彼を集中的に攻撃すべしと判断したのか、タレットを回してサブマシンガンを連射した。関根のスーツに蜂の巣の如く無数の黒点が生じ、そこから血液が流れ出す頃には彼は塀に擦ったような赤黒い痕を残して力なく頽れていた。
たちまちにして人間二人の命を奪ったドローンを見、僕は確信する。神曲ゼミナールと真栗先輩たちが二時間もの追逃の果てに辿り着いたこの人気のない場所に来た時、脳裏に浮かんだ嫌な予感が、半分当たって半分外れた事を。
「機械仕掛けの神」は、神曲ゼミナールを用済みと判断したのだ。彼らを使って僕の住むアパートを襲い、彼らが放火犯だという既成事実を作った後、僕たちをも巻き込まれた不幸な被害者として抹殺を図る。彼は自分にとって不要な、或いは害を及ぼす存在をまとめて殲滅しようとした。
僕が拳を握り込んだ時、真栗先輩が「散開して!」と叫んだ。
半ば脊髄反射に近い動きで僕が跳び退るのと、パラポネラが次の動きに移るのはほぼ同時だった。
関根の血に塗れた壁に、ドローンの前脚が這った。中脚と後脚で立ち上がるように伸び上がり、前脚を軸に道路から垂直な壁にするりと機体を乗り上げる。機体の縦幅よりも明らかに道幅が狭い道路と低い塀でいとも簡単に方向転換を完了したパラポネラは、道路と壁面を使ってドリフトをするように半月を描き──そこまで正確に見えた訳ではなかったが、タイヤが描いた血の軌跡がその動きを証明していた──、機体に回転を掛けながら弾を撃ってくる。
今度は単発射撃だった。僕とは反対方向に跳躍した由憐の頰を弾が掠め、一筋の擦過傷と共にショートボブの先端を斜めに焼き切る。彼女が怯む事なく反撃に銃を撃ったのは驚くべき胆力だといえたが、その時には既にパラポネラは坂の下の三叉路が交わる点、やや幅の広い座標に位置を替えていた。
「あんなのまで出てくるのかよ……」
交戦していた神曲ゼミナールの信者を絞め落とし、露木が唖然と呟いた。
またもやタレットが回転し、仕様が変更されたようだった。僕は、最早機械の域を逸脱しているとすらいえるパラポネラの生々しい生物的な動きに生理的な拒絶を覚える。よく見るとタレットの下部に付いた一眼のメインカメラが見えるが、それも散大した人間の瞳孔を思わせる絞りを持っていた。
「偉大なる神よ!」
倭文が、両腕を広げつつ叫んだ。声を震わせながらも、辛うじて”導師”としての威厳ある口調を保とうと努めている。
「私がお分かりになりませんか! あなたの使徒、師尊の聖別を受けしタブリス、今の名はアーヴェナビ・シトリ……主よ、その器を通して私がお見えならば、どうか……」
刹那、こちらを狙う砲口が明滅した。電波受信方式で充電されるという電磁砲が放った弾はまた一発だったが、それは先程までと異なり、散開した僕たちに特に狙いを付けているようにも見えない。
射撃のタイミングで動きの止まったパラポネラに、露木と雷先輩が突進する。無茶をしているようでもあり、この瞬間を逃せばこちらが反撃に転じる事が不可能になる、という状況に最も適切な判断でもあった。
そうと分かっていながら、僕は──自分では動く事が出来なかった。
あの機体に近づいたら死ぬ。逃げなければならない。
──否、逃げたい。そのような願望が萌した時、やや下降軌道を描いて飛来した弾が僕のすぐ後方の地面に到達した。
炸裂──閃光と衝撃波。
真栗先輩が、由憐に飛び掛かって抱き締めるように庇い、コンクリートの上を転がって行った。僕も横方向から圧力の塊を喰らい、更に至近距離で爆風を受け飛んで来た諏佐と縺れ合うように転倒する。
一時的に呼吸を奪われた僕の体が、ラグの発生した痛覚を一斉に処理し始めた。僕は懸命に酸素を貪り、焼けつくような涙を拭い、何が起こったのかを確かめるべく周囲を見回す。陽炎が立っていた。
神曲ゼミナールの者たちは、いつの間にか姿を消していた。逃げ去ってしまったのかもしれないが、これで彼らが倭文の元に戻る事は出来なくなった。導師を裏切った者には死を、とは、先程彼が口にしたばかりの台詞だ。それだけでも「機械仕掛けの神」は、教団に始末をつけるという目的の一部を達成した事になる。
しかし、彼らが倭文を恐れる必要は最早なかった。
「し、倭文……あんた……っ!」
潰れたように塞がる喉を懸命に抉じ開け、僕は声を出した。煙に絶えず刺激され、涙が喉の奥に流れ込む。込み上げてきた胃液と共に、僕は道路に激しく嘔吐く。
榴弾の爆散した場所のすぐ近くから、血液が点々と塀に続いていた。そこには、全身を骨折したのか四肢をあらぬ方向に曲げた倭文が、崩れた表情筋を悶えるかのように戦慄かせ、横向きに倒れていた。
「しっかりしろ、倭文!」
「ジロ君」
這い進む僕の肩に、伸ばされた手が触れた。見上げると真栗先輩と由憐が立ち、僕に肩を貸そうとしてくれていた。
真栗先輩は目元に大きな痣を作り、由憐はコートの左袖の部分が大きく裂けて血を滲ませていたが、幸い大事には至らなかったらしい。僕は彼女らが無事であった事に安心すると、すぐにそうでない者の方に意識が向いた。
「竪琴さん、あの人が……」
「駄目。もう助からない」
真栗先輩は、きっぱりと断言した。僕はつい
「まだ生きているじゃないですか!」
と叫んでしまう。
倭文は、僕にとって敵ではあった。だが、まさか死までを望むはずがない。香宗我部博士に君嶋先輩、それに彼が命を落とせば、この三日間で毎日死者が出た事になる。それは街単位で見れば毎日何人もの人間が亡くなっているはずだが、人智を超えた何かに命を奪われるなど、人間の真面な死に方ではない。
その時、絶叫と共に何かがどさりと炎の中に落ちた。
視線が引き寄せられる。声の主──露木。その横に、尾部を高く掲げたパラポネラ。そこに備わった鋏状のオプションが、立ち昇る陽炎の向こうでぬれぬれと異様な輝きを放っている。
それは、露木の血だった。飛来したものは──銃を握ったまま、肘のすぐ下で切断された彼の右腕。
「阿電! セナっち連れてそこから離れて!」
真栗先輩が呼び掛ける。雷先輩は露木を庇うようにしながらも、
「無理だ!」パラポネラの腹下に入り込み、後脚の一本に取り付いていたままで叫び返した。「真栗たちまでやられてしまう」
「まで、って何ですか──」
由憐が、僕に左肩を貸したまま新たな3Dプリンター銃を抜いた。
「何で先輩と露木君が死ぬのが確定みたいな言い方をするんですかっ!」
引き金が引かれる。二発──壊れた銃を捨て、また新たなもので二発。照準は、パラポネラの前脚と中脚──鋼鉄の約二十倍の強度を誇るカーボンナノチューブではなく、機体が動く度に見え隠れする蹠のタイヤ。
敵のターゲットが雷先輩たちに向いていなければ、その部位に命中する事が確定した時点でパラポネラは対処行動を取っただろう。恐るべき正確さで撃ち込まれた由憐の弾丸は見事に四つのタイヤを貫き、機体ががくりと前方に傾く。彼女は三度交換した銃に弾を込め、より真っ直ぐにこちらを狙う形となった砲口の片方に銃口を向けた。
パラポネラの制御AIがターゲットをこちらに移すのと、由憐が引き金を引くのでは後者の方が先だった。
次の榴弾を装填済みだった砲口に、音速近い速度で銃弾が飛び込む。榴弾がタレットで爆発し、他の炸裂弾も誘爆を起こしたらしくパラポネラの機体上部が吹き飛んだ。彼女はもう一度、「早く離れて下さい!」と叫ぶ。「下敷きになりますよ!」
雷先輩は、それで彼女が何をしたのか──どのような無謀をやり遂げたのかを理解したようだった。ベルトで肘を縛り上げている露木を担ぎ上げ、大股にこちらに向かって駆けて来る。
彼が走り抜けた直後、推進手段を奪われたパラポネラは脚を折って路上に倒れた。
真栗先輩と由憐に半ば引き摺られ、こちらより重傷ながらも自力で立ち上がって追って来た諏佐に背中を支えられながら、僕は見知った風景の中に突如として出現した惨状にぼんやりと視線を向け続けた。
今や、倭文の体はぴくりとも動かない。助けられなかった……僕は、また。
後悔と共に、このアウトサイダーの仲間たちが居なければこの状況を脱する事も出来なかったのだ、という実感が去来した。
* * *
ここまで僕たちを運んで来たプリウスに皆で乗り、距離の近い風代大の付属病院に露木を運び込んだ。救急車を呼ぶまでもなかったが、もしも呼んでいれば逸早く先程の一部始終を把握していたであろう「機械仕掛けの神」に妨害され、更なる攻撃を受ける事になっていただろう。
君嶋先輩の時のように救急車が到着しないか、或いは交通事故を起こして僕たちまでをも死傷に追い込んだか──。
病院に到着した時点で出血量が危険域に達し、気を失っていた露木は救急部で輸血などの応急処置を受け、血管縫合の緊急手術を施されると、その日のうちにICU(集中治療室)に移された。切断された腕に留まらず、全身に大きな傷を負っていた為に血液の排出量が著しく、治療開始時点で脳に血液が──即ち酸素が回っていなかったらしい。脳死には至っていないものの、昏睡状態という事だった。
事情説明を求められた真栗先輩は、露木が自分たちの知り合いである事は話したが、当然ながら神曲ゼミナールとの乱闘やパラポネラの乱入については語らなかったそうだ。彼とは風代で偶然にも再会し、彼が近くの路地裏で倒れていたところを発見して近くのこの病院に連れ込んだ、という説明に、そのような偶然があるのか、という点を除けば取り立てておかしな事はない。
だが、問題はこの一件からどのようにしても”事件性”を揉み消す事は出来ないという事だった。真栗先輩が昨夜を明かした「オフィール」にて医師への説明の件について皆に報告すると、由憐がその点を指摘した。
「その『路地裏』の具体的な位置まで説明は求められたんでしょう? 病院側としては警察に通報するしかありませんし、警察が調べれば付近の防犯カメラなどに証拠がない事はすぐに分かります。それよりもパラポネラが破壊された件で付近の調査が行われれば露木君が現場に居た事はすぐに分かり、二つの事件は結びつけられて先輩が嘘を言った事もきっとバレます」
「分かっているわよ、そんな事」
他に即興で説明のしようがある? と真栗先輩は言った。
「相手が『機械仕掛けの神』で、私たちの顔が割れていればどんなもっともらしい嘘を言ってもバレる。あの時は、病院スタッフにそのまま通報されて私たちが警察に引き渡される事が避けられればそれで良かった。こうして隠れなきゃいけないのは、今に始まった事じゃないし。もう、あの病院には近づかないつもりよ」
「露木の見舞いには……面会には、行けねえって事ですか」
諏佐が悔しそうに呟く。先輩は首を振って窘めた。
「私たちが、それを出来る状況だと思う? 幾ら感情を優先させる事、楽しむ事が目標だとしても、お見舞いに行って私たちが楽しむ訳でもない、むしろ身を危険に晒す事になるって思ったら、セナっちはどう感じるかな」
「……分かっています。すみません」
諏佐が黙ると、空気が一瞬たりとも滞る事は許さない、とでも言わんばかりに雷先輩が開口した。「由憐、慈郎」
露木を除いた僕たちの中に危険な程の重傷者は居なかったので、病院で医師から皆が怪我をしているという点で怪しまれないよう、移動中の車内で各々の応急手当ては済ませていた。雷先輩はパラポネラと直接肉弾戦を行った為最も酷い傷を負っており、現在では体の至る所に包帯を巻いていた。
「デスクトップPCは確保出来たのか?」
「ええ」由憐が答える。「トランクに入っています。向こうで実験しましたが、ギルガメシュもちゃんと動きます。すぐにここに運び込んでアプリを起動すれば、自動解析はあと一日か二日で済むでしょう」
「なら、すぐにそうしよう。PCは点けっぱにするんだよね?」
と真栗先輩。僕は、皆が感傷に浸る事もなくすぐに未来の話を始めたのでやや複雑な気持ちになったが、黙ったままでいる事にした。感情的である事が常に、人間的な温かみを持っているとして肯定される訳でもない。