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神器  作者: 藍原センシ
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『神器』 第12回


          *   *   *


 午前十時半前後に風代を出発し、世田谷に着いたのは十二時半だった。

 三軒茶屋にある由憐のアパートは是澤大学から五百メートル程離れた場所に位置し、周囲には一人暮らしをしている学生らしき若者たちの姿が多く見られた。飲食店も軒を連ねており、昼休みをこの辺りで過ごす者も多いようだ。

 由憐は駐車場にプリウスを停め、部屋に向かうかと思ったがそうはしなかった。

「思いっ切りお昼時だな……何処も混んでいそうな」

「えっ、お昼こっちで食べるの?」

 真栗先輩には夕方前に帰ると言っていたが、可能な限りは迅速に行動するものと思っていた僕は驚いた。由憐は呆れたように肩を竦める。

「だって、四時近くまで飲まず食わずでいる訳にも行かないでしょ」

「首都高が渋滞していなければ、来た時と同じくらいの時間で帰れると思うけど」

「いいの。アウトサイダーの目標は『試練の季節』の収束だけど、それと同じくらい大事なスローガンが『今を楽しめ』だから。これは真栗先輩が常々言っている事でね、私がグループの事を知ったビラにも書いてあった」

「すげえ大事な事なんだよ、これ」

 彼女の言葉に、諏佐が補足を加えた。

「『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』と戦う事は、喩えて言うなら四六時中警戒心剝き出しの猛犬と一緒に居るって事だ。いつ襲われるか分からねえし、襲われたらまず助からねえ、だからって不用意に攻撃も出来ねえ。けどさ、そんなに神経を張り詰めていたら疲れちまうし、敵の思う壺だ。なら、いっその事楽しもうぜ、ってな」

「生富先輩も香宗我部博士も、君嶋さんも居なくなった。凄く悲しい。だけど、私たちは戦い続けるしかない。また仲間が居なくなるかもしれないし、次は自分がそうならないとも限らない。だからさ、思い出を残しておきたいんだって。それにもし、自分が死ぬ瞬間まで笑っていられたら──本当にそうかは分からないけど──『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』も理由が理解出来ないんじゃないかな。全然科学的ではないんだけどさ、そしたら私たちとしても、一矢報いたような気持ちになれるというか」

「そうか、それで……」

 僕は、真栗先輩が常に笑顔を絶やさない理由について得心が行った。香宗我部博士や君嶋先輩が立て続けに亡くなったにも拘わらず、(おど)けたような態度を取るのをやめようとしなかった理由が。

 ではむしろ、悲しむまいとする事で余計に悲しみを意識していたのは、僕の方だったという事か──。

「せっかくこっちで飯にするなら、由憐ちゃんの手料理がいいのに」

「無理」

 諏佐の冗談とも本気ともつかない呟きを、彼女はばっさりと切り捨てた。

「このアパートにはもう一ヶ月も帰っていないんだし、食材なんてとっくに切らしてる」

「一ヶ月?」

 僕は耳を疑う。

「大学とか、どうしているんだよ? 単位取れなくなるよ」

「休学中。好きだった生富先輩がああいう事になって、それで精神的に参ってしまったから、って友達には嘘を()いている。親切に部屋を訪ねて来てくれる人も居るけど、携帯も未読無視しているし、居留守使ってるって思われているみたい。ま、その方が好都合ではあるのだけれど」

「友達にははっきり言った方がいいと思うんだけどな。アウトサイダーとして作戦行動中だから、って」と諏佐。

「駄目だよ。戦いに巻き込むのに、私が理由になって欲しくない。アウトサイダーは随時メンバー募集中だけど、私が参加しているから友達として放っておけない、とか思われたくないんだ。だってそしたら、もし友達の誰かが『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』との戦いで死んだりした時──私は自分を許せなくなりそう」

「そうかな?」

「生富先輩の件だって、元々は彼が自分で始めた事だった。彼が『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』と戦い始めて、真栗先輩は後からアウトサイダーを結成した。だけど私は、分かってはいても彼が真栗先輩のせいで死んだんじゃないか、って思ってしまう。開き直るみたいな言い方だけど、誰かのせいにしないではいられないんだ。それが……どう考えても私のせい、って結論に落ち着いてしまったらと思うと、私は怖い」

「それなら、神様のせいにすればいい」

 僕は、自然にそう言っていた。由憐は「そうだけどさ」と頭を掻く。

「『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』のせいだって事は、分かっているんだけど。通り魔に刺された人の家族や友達が、悪いのは犯人だって分かっていながらも他の事に原因を求めたくなる事ってあるでしょう。一人であんな所を歩かせた自分のせいだ、とか」

「違う。僕が言いたいのは、本当の神様の事。……本当の、って言い方には語弊があるけど、宗教的なあれこれは措くとして。『神様お願い』って思う時の神様だ。信じられない幸運に巡り会った時とか、皆神様に感謝する。試験に合格するのは自分だけど、合格した時は神様ありがとう、って思う。逆に、何で自分がこんな目に遭うんだ、って時も、運命とか偶然とか、それを仕組んだ神様を呪う。神様は全能者じゃなくていい。身の回りの誰かじゃ、そのせいにするにはあまりに現実的すぎるから、見えないところで拠り所になってくれるものがあればいい──」

 思いがけず熱を込めて言ってから、僕ははっと我に返った。柄にもない台詞を、と思った時俄かに羞恥心が込み上げてきたが、

「『神を感じるのは心情であって理性ではない。信仰とはそのようなものである』」

 由憐が(おもむ)ろに呟いた。先程よりも、微かに声が上気している気がする。

「……パスカル」

「だったっけ」

 彼女は視線を逸らすと、ほんの一瞬、素早く目尻を拭った。それから僕と諏佐の方を見ると、初めて──彼女については「初めて」の事ばかりだ──完全に笑った。

「駐車場で神様を語る男子大生ありけり」


          *   *   *


 玉川通りに面した中華料理屋で昼食を済ませると、改めてアパートに戻り由憐の部屋に入った。彼女は「一ヶ月も留守にしたから埃っぽいかもだけど」と断りを入れたが、鍵を開けると予想に反して床は清潔だった。

 彼女は驚いたように廊下を駆けて行ったが、やがて机の上に置いてあったというメモを持って戻って来た。そこには先週末の日付と共に「今週も掃除しておきました。何だかよく分からないけど頑張ってね」と丸みのある文字で書かれていた。

「……友達の字」彼女は、言葉を失う僕たちに言った。「大家さんにマスターキーで開けて貰ったんだと思う。家賃滞納しているから、あのお爺さんも怒ってて」

「今週()、って事は……?」

「多分、とっくにバレてたんだな。そりゃそうか、私も生富先輩が好きって皆に言っていたし、彼がアウトサイダーだった事は皆知っていた訳だし。だってそうじゃなかったら、部屋に戻ってないって分かった時点で捜索願出されているよ」

「な? 悪い事ばっかじゃねえだろ?」

 諏佐が何故か得意げに言い、彼女は何度も首を縦に振った。

 奥まで入って来るように促され、僕と諏佐は廊下を進んだ。廊下にはユニットバスと思しき扉が一つあったが奥の部屋は一つで、六畳程の空間に棚と机とベッド、隅の方に調理台があった。レイアウトとしては僕の住む部屋とほぼ変わらず、そこまで「一人暮らしをする女の子の部屋」感はない──と言える程、僕が「一人暮らしをする女の子の部屋」を知っている訳ではないが。

 机の上に、(くだん)のデスクトップPCが置いてあった。NNEC PC - DT VIDA A27──本体内蔵型の最新機種。由憐は袖口で軽くモニターの埃を払うと、電源を入れ、僕に「ギルガメシュを」と言ってくる。僕は君嶋先輩のUSBを取り出して挿し、数秒で起動した画面を操作して解析用プラットフォームを開いた。

「……動くか?」

 諏佐が尋ねてくる。少なくともすぐにメモリへの負荷で落ちる事はないようだ、と思いながらタスクマネージャーを開くと、使用率は六十パーセント前後で変動していた。

「アプリ単体でこれくらいか」

「だけど、すぐに処理落ちする事はないみたいだ。……ん?」

 その時不意に、既に解析が済んでいたらしい何文字かがアルファベット表記に直されたらしかった。軽やかな電子音と共に、幾つかの文字列が表示される。

「これ、こんな読み方するのか?」

 諏佐は、眉を潜めながら画面に額を近づける。「ク、スフ……トァ……」

「発音は出来ませんよ、多分」僕は直感的にそう察した。「母音がありません。この表記にしたって、無理矢理アルファベットで、人間の文字で表記するとこうなるっていうだけで、何処まで近いのか」

「近いも何もないんじゃない? 犬はワンワンって鳴くけど、別に『ワンワン』と言おうとしている訳じゃない」

 由憐の解釈に、僕はクトゥルフ神話みたいだな、という感想を抱いた。

 ただ、正確な発音が不可能というだけで音素がない訳ではない事がこれで分かった。人類の持つ言語として、この字の配列自体に意味はない。ただ、「機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ」はこのオーパーツで表される言葉を()()らしい。

「考えてみたら」由憐は、顎に手を当てながら考え込むように俯いた。「あいつがKUを使って香宗我部博士にテラスを作らせるだけなら、最初から人間に適した言語を提示するはず。”神のプログラムコード”を、わざわざ地下迷宮の壁なんて所に、オーパーツで記述する必要はない」

「高次存在が複数居て、あいつらにもコミュニティがある事の証拠だな」

 諏佐が肯き、「『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』の奴め」と変な罵り方をした。

「結局、古代語とか先住民の言葉とかと訳し方は同じじゃねえか。カオスだって、見えねえだけで因果関係には変わりねえんだ。少し種として頭がいいだけで、当たり前みてえに人間を弄びやがって」

「あいつを弁護する気はないけど、案外動物も人間に対してそう思っているかもね」

「それにしてもさ。映画じゃ、人間より頭が良くなったロボットは必ず人間を支配しようとする。人間と動物もそうだけどさ、何でなんだろうな? やっぱり、上位種としてのプライドの問題なのかな」

「ただあいつには、犬も人間に噛みつく事があるって事を分かって貰わなきゃ。頭の良さが存在価値の全てじゃないって事を」

 由憐は「一旦切るよ」と断り、ギルガメシュを閉じる。PCの電源を切り、諸々のコードを抜くと、持参した段ボール箱を開く。僕たちも手伝って慎重に格納を終えると、隙間に緩衝材を詰め込んだ。

 彼女は「PC確保」と確かめるように言ってから、部屋を見回した。

「ありがとうね、心配してくれて。それから、心配しないでくれて。……だけど、私はもう少しだけ留守にする」

 誰かに語り掛けるように呟き、僕たちに「戻ろうか」と声を掛けてくる。

 戻る──という事は、今の彼女の居場所はやはり、アウトサイダーの仲間たちの所なのだ。僕はやや得心の行ったような気持ちで肯くと、PCを納めた段ボールを諏佐と一緒に持ち上げようとした。

 その時、唐突に電話の呼び出し音が鳴り響いた。

 由憐のポケットに入れているプリペイド携帯からだった。彼女は「失礼」と言い、即座に応答する。当然だが、この端末の番号を知っている者はアウトサイダーのメンバー以外に居ない。

「もしもし、露木君? ……はい?」

 彼女の声色が、通話の開始から数秒で強張った。もう一言二言交わしてから、「何ですって?」と低く発する。

 僕は不安になり、「何があったの?」と問うた。彼女は顔を上げ、微かに肩を震わせながらこちらを見てくる。

 ──顔面蒼白になっていた。

「葛西君、落ち着いて聴いて」彼女は告げた。「神曲ゼミナールが、葛西君のアパートに火を点けたんだって」

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