『神器』 第11回
移動中、作戦会議の後一旦アパートに帰る事を許された──無論由憐と諏佐が同伴でだが──僕は自宅からノートPCを持参し、ウェブ連載の続きを執筆していた。由憐がテラスに把握されている端末を使うのは不用心だと咎めてきたが、インターネット通信を切っている事はきちんと説明した。
「こんな時に連載、ねえ」
彼女からすれば呆れた事であるのも分かるが、僕にとっては重要な事だ。
「投稿は、水鏡たちが持って来たPCからさせて貰うよ。『小説を書こう』は別に風代特有のものじゃないんだし、グローバルネットワークからでもアクセス出来る」
「『書こう』なんだ、やっぱり」
「前はY──あの頃はまだMurmurerか──で画像投稿していたけど、あんまり読まれなくてさ。いいねだけ付けて読んだ振りする人も居るし。それにYの社長が依怙贔屓で某国の政府要人になったから、ムカついてアカウント消した」
「分かる」
由憐はそこでくすりと笑った。昨日から僕と行動を共にしていて、微かにでも彼女が笑ったのはこれが初めてだった。
「いつから書いているの、小説?」
「中学時代から。あの頃はキャンパスノートにひたすら手書きするだけで、何処に投稿するって訳でもなかったけどね。大学入ってからリライトして連載に回したけど、元のはもう恥ずかしくて人に見せられた代物じゃない」
当時の僕は趣味を「読書」と標榜しながら、読むものといえばお気に入りの海外ファンタジーシリーズを何周も、あとは少し興味を惹かれた本をその時々にと、神話の資料集程度だった。それで自分でも小説を書こうなどと考えていた事が、今ではどれだけ幼稚で無謀な事だったのかが痛感させられる。
彼女は「嘘でしょ?」と目を円くした。「あの頃葛西君、小説書いているなんて一言も言わなかった」
「皆には内緒にしていたんだよ。自分を表現するのを、恥ずかしい事だと思っていたようなところがある。だから──水鏡が聞いていたかは分からないけど、休みの日に何しているのか、っていうクラスメイトからの質問に対して、僕の受け答えは不自然だった」
「知ってるよ。北欧神話が好きで、調べた事をWordでひたすらまとめている……だったっけ。朝から晩までそんな事しているのか、って皆おかしがっていた」
「趣味も本当のところは『読書』じゃなかったね。ただ少し、皆より本を読んでいる印象があった、ってだけで。今みたいに好きな作家を見つけて、過去の文豪とかの本も色々読むようになって、物語の筋だけじゃない文体とか表現とかも含めて『この本が好きだ』って思うようになって、初めて自信を持って『趣味は読書です』って言えるようになった気がするんだ」
「……いいな、そういうの」
彼女はややしんみりとそう呟くと、「だけどさ」と口調を変えた。
「連載って毎日やっているの? 辛くない?」
「書きたい事を書いているんだから、辛くはないね。それに、常にその日投稿する部分よりも二、三百ページ──原稿用紙何枚って言い方、分かりづらいから好きじゃないんだ──先を書くようにしている。一日二日アイデアが浮かばなくても大丈夫なように。まあ一つの作品を書き始めたら、そんな事は殆どないけど」
「けど、こういう事はない? 導入と幾つかの山場と結末は決まっているんだけど、繋ぎが思い浮かばない、みたいな」
「よくある……だけど、それで本当に手詰まりになる事はないかな」
「そういうところ、AIに書かせているって人も居るよね」
由憐がさらりと言った時、僕のキーボードを打つ手がぴたりと止まった。
苦い思い出が蘇り、無意識に唇を噛む。
「どうしたの、葛西君?」
怪訝な顔で尋ねてくる彼女に、僕は答えた。
「正直僕は嫌いなんだ、生成系AI。AIイラストも、AI小説も好きじゃない。『これ創ったのAIですよ、凄いでしょ』ってSNSに投稿している人たち、ユーザーが凄いと思っているのは投稿者本人じゃない事を自覚すべきだと思う」
「……何かあったの?」
空気が急に白けてしまった。由憐が、訝しむように眉を潜めた。
「高校時代、同級生の一人にPDFで作品を読んで貰っていたんだ。その頃もうデビューしている現役の小説家が、初めて生成系AIを試してみたけど凄いですね、みたいな感じでAI小説を出した。自分の今までの著書を全部読み込ませて、文章の癖──漢字の使い方とか改行の位置とかまでの特徴を学習させて、どうです本人そっくりでしょう、って出したらバズった。
その著者名が本人だったから、僕はちょっと首を捻らずにはいられなかった。その件について、その僕の作品を読んで貰っていた同級生と話したんだけどさ。僕が『凄いのは分かるけど、創作者が一生懸命頭を捻ってアイデアを出して書いている作品に対して、ネームバリューのある人が自動生成で書かせてひょいひょい出して話題性を獲得するのは失礼じゃないか』みたいな事を言ったら」
「言ったら?」
「『でもぶっちゃけ、葛西の書いている作品だってAIで書けるんじゃね?』って言われたんだ。……どう思う? 僕のような人間がどんなに凄いアイデアを思いついて表現したとしても、それだったら機械で書けるだろ、って言われるような世の中にしてしまったんだよ、生成系AIは」
──だから僕は、大学入学以来レポートにそれを使った事はない。皆が当たり前のように使い、楽が出来ると崇拝に近い気持ちを感じていたとしても。
由憐は口を引き結んでいたが、やがて徐ろに言った。
「だけどシビアな話するとさ、受け手からすれば面白いものは面白い、つまらないものはつまらない、でしょ。例えばAIが人間より絶対に面白い──っていうのは人それぞれの価値観ではあるけど、まあ多数派にとって、程度の言葉だと思っておいて。面白い作品を書けるようになったとして、それに劣る作品を『人力で書いているんだから』なんて言っても通用しないよ」
「試し読みしたけど、面白くなかったよ。魂が感じられない」
僕は反論する。「魂」などという普段は使わないような言葉を使ったのは、それだけ自分が感情的になっているという事らしい、と、何処か分析的な自分が心の中で独りごちていた。
「それは葛西君が創作者で、最初から生成系AIが嫌いだからでしょう」
「単なる偏見って事?」
「そこまで大雑把な言い方はしないし、私もAI小説を読んだ事はない人だからさ。だけど仮に、葛西君の好きな作家の正体が実はAIでした、なんて事が判明したりしたら、あなたはその作品を嫌いになる?」
彼女の尋ね方は、やや意地が悪かった。”運転席”から諏佐が「由憐ちゃん、そのくらいにしておけよ」と容喙してくるが、彼女は何故かむきになったように言い募った。
「ギルガメシュの解析を見ても分かるはずだ。人間の感情は作用力動で、それが起こるまでの論理があって、論理があればAIはそれを動かせる。面白い、感動した、って思わせる作品が作れる。それは、オーパーツを読み込んでアルファベットで表すとこうだ、って答えを出すのと同じ。ただ、人間の脳ではそこまで細かい事を考えられないから、論理的思考力──ああ、AIが『考える』って言い方は葛西君好きじゃないんだっけ。論理的な選択と判断の能力は向こうに敵わない。これは仕方のない事だ」
「AI小説の方が当たり前に優れているって?」
「そこまでは言っていないでしょ。さっきも言ったけど、何を『面白い』と思うかは人それぞれだもの。だから人間の作品も、葛西君の作品も否定するつもりはない。けど、AI小説を『面白い』って思う人が居る事も、怒る程の事じゃないってだけ」
由憐は「だって」と付け加えた。
「葛西君、『生成系AIは創作者の敵』とまで言い出しそうで」
「………」
実際そのように思っている事を、僕は口には出さなかった。ここで彼女と口論する事に特段の意味はない。だが、適当に「そうか」などと相槌を打って、説得されたような振りをするにはプライドが邪魔をしていた。
矢庭に諏佐が、
「でも慈郎の言う事が、もしも生理的にそういうものを受け付けない、とかだったら」
あまり深い事は考えていない、というような口振りで言った。
「それって、人が『機械仕掛けの神』には敵わない、っていう事を否定したい気持ちと似ているんじゃねえかな? 屈辱的というか、それを認めたら人としてのアイデンティティに関わるというか」
「そんな単純な話にまとめないで下さい」
やめておけばいいのに、と心の声がするが、僕は結局言ってしまった。
「だけどそうだな、そんな風に感情的になっても、その態度を人として理性的に否定するような事もして欲しくはない。水鏡は、アウトサイダーの一員なんですから」
「『機械仕掛けの神』はAIじゃないよ」
由憐は乱暴に吐き捨てた。「一緒くたにしないで」
「『機械仕掛けの神』には抗うべきだけど、AIが人より優れるのは仕方ないって?」
「今度はAIが人を支配しちゃうかも、って言いたいの?」
彼女は素早く切り返してくる。
「『ターミネーター』の話なら、真栗先輩とした方が盛り上がるよ」
「そういう言い方は──」
僕が言いかけた時、諏佐が「そこまでだ」と割り込んできた。
「喧嘩になりそうだったから俺がリミッター掛けるつもりで口出したのに、何でまたそれでやり合うかねえ。まあ、喧嘩する程何とやらとは言うが」
険悪な場にそぐわない程おっとりした彼の呟きが、僕と由憐の間に漂っていた空気を多少なりとも弛緩させた。先程から心の中で制止の声が響いていただけに、僕は居心地が悪くなる。
彼女が、顔を逸らしながらも横目でじろりとこちらを睨んでくる。僕が更に無言で視線を逸らすと、彼女は「ごめん」と謝った。「どうかしていた」
「いや……僕こそ。つい嫌な事を思い出してしまった」
毒気を抜かれ、僕も軽く頭を下げる。
「自分がどうしてこんなにむきになるのか、分からない」
「分かるよ、葛西君の気持ちなら。分からないのは私の方。何でこう……意味もなく他人を困らせようと、いえ、傷つけようとするのか」
「由憐ちゃん」
諏佐は、もう勘弁してくれと言いたげだった。
「病んでいるような振りをするなって、真栗先輩にいつも言われてんだろ」
「そういうつもりじゃ」言いかけ、彼女は言葉を切った。「だけど、本当に……葛西君の書き物、私何も知らないのにね」
「いいって、もう」
「そうだ、ペンネーム教えてくれないかな? 私も読んでみたい」
由憐の思いがけない言葉に、僕は「えっ?」と声を出す。
「やっぱり、昔のクラスメイトに読ませるのは抵抗ある?」
「いや、そんな事はないよ」
急に態度を軟化させた彼女にやや戸惑いながらも、九畳有砂、と教える。案の定彼女もまた、この女性名らしい語感に意外そうに眉を上げたが、名前の響きで性別について決めつけをするような価値観は彼女にはないらしい。特に何も言う事なく、プリペイド携帯で検索を掛けた。