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「ついに……30代に突入ね」
「同期の仲間内では、氷緖が一番早いからね」
皆が皆仲が良い訳ではないけど、同期は社内に20名程居る。私の誕生日は4月10日で一番早いらしく、入社式の時には『誕生日が一番早いから』と言う理由で、新入社員代表で挨拶をさせられたのが懐かしい。それが切っ掛けで涼晟に声を掛けられて、部署が違っても連絡を取る仲になった。
『俺の誕生日11日なんだ。1日違いだな』
屈託無く笑った顔に一目惚れしたようなものだった。
兎に角、今年も新入社員が入社してから数日経ち、3日後、私は30歳を迎える事になった。同期でも、20代で結婚して辞めて行った女性社員が何人か居るけど、結婚、出産を経て働き続けている先輩達も多い。子持ちでも本人のやる気次第では、役職持ちのママさん社員も居る。この会社のトップ3が女性と言う事もあって、男女格差がない。とても働きやすい職場だと思う。因みに、今の副社長は50歳の独身女性だ。
「独身でも気にならない」
「気になるようなら、いつでも大歓迎ですよ?」
「───っ!!??」
「ホント、吉村君は氷緖限定の肉食系よね」
耳元で囁く吉村君は、相も変わらず私を翻弄している。1年経っても、私に飽きてないらしい。
「飽きる訳ないですからね?更に好きにはなってますけど」
「なっ──にっ!!??」
30歳になると落ち着くか?と思っていた私の心臓は、1年前よりも制御し難いモノになっていた。それに、最近では本当に容赦が無い。そこそこ良い声で耳元で囁くものだから、気を緩めていると心臓が更にとんでもない事になる。
ーきっと、それも計算されているんだろうー
「吉柳先輩の方こそ、そろそろ諦めて俺に完落ちして下さい」
ー殺し文句が半端無いわね!ー
素直に言うと、半落ちはしている。後は、私のある意味での勇気だけだと言う事も分かっている。きっと、そんな私の気持ちを分かっていて、吉村君も待っていてくれているのだ。
ー性格までイケメンか!ー
そんな吉村君に甘えたまま、更に数ヶ月が過ぎ、吉村君の誕生日まで後2週間となった。社内ではイケメンわんこ系な吉村君は、年代変わらず皆から可愛がられ慕われているから、少し早いけど今週の金曜日にお祝いの飲み会を皆ですると言う事になっている。
『誕生日の当日は、吉柳先輩の時間を俺にください』と、真剣な顔をして言われたから、私も素直に『分かったわ』と答えると、今迄見た事のないような笑顔を向けられた。
ー好き……だなぁ………ー
そんな嬉しそうな笑顔をされると、もう疑う事もできない。吉村君は、本当に私の事を想ってくれているし、私も吉村君が好きなんだ。
ーだから、吉村君の誕生日の日に、私の気持ちをちゃんと伝えようー
それから、私は急いで吉村君の誕生日のお祝いの準備を始めた。
******
吉村君の誕生日は土曜日。約束通り、その日は2人で出掛ける約束をした。誕生日プレゼントも用意してある。
今日は、その前日の金曜日。
「吉村君、おめでとう」
「ありがとうございます」
吉村君は、出勤してから会う人達から声を掛けられたり、お祝いにとお菓子をもらったりしている。吉村君がいかに、皆に可愛がられ慕われているかが分かる。そんな選り取り見取り状態での私。
ー嬉しいような、怖ろしいようなー
それでも、私も受け入れる覚悟ができたのだから、もう逃げる事はしないけど。兎に角、明日、気持ちをしっかり伝える為にも、今日はきっちり定時で上がって明日に備えないと!
「佳奈、私、ちょっと資料室で作業してくるから、何かあったらスマホに連絡入れてくれる?」
「了解。行ってらっしゃい」
******
資料室で作業を始めてから1時間。このままだと予定よりも早く終わりそうだ。この資料さえ仕上げれば、色々と余裕が出て来る。
ー久し振りに、帰ってからお菓子でも作ろうかな?ー
暢気にそんな事を考えていると、資料室のドアがガチャッと開く音と、バタンッと荒く閉まる音がした。
「やっと見付けた!」
「え?な……涼晟?」
ドアの方に視線を向けると、機嫌の悪そうな武藤涼晟が居た。少し、窶れただろうか?会うのはアレ以来ぶりだ。
「営業課に何か用でも?」
「お前、俺に何か言う事とか……謝る事はないのか?」
「は?謝る?」
謝られる事はされたけど、謝る事はしていない。謝られた記憶すらない。恋人だった西条さんにやり込められたのを見てスッキリしたから、特に私から何か仕返しをする事もしなかったけど。
「お前せいで、俺は周りからの信用を失って、仕事もうまくいかなくなって………今度、事務に異動になったんだぞ!?」
「事務………」
開発部から事務に異動と言うのは、左遷に近い……ハッキリ言って左遷だ。結果を出せてはいないと聞いていたけど、ここまで酷い状況だとは思わなかった。
「それは気の毒だと思うけど、何で私のせいになるの?仕事で結果を出せなかった涼晟自身の──」
「とぼけるつもりなのか!?お前が、俺が二股かけて女を捨てたとか言いふらしたせいで、俺が周りからどんな目で見られてるか、知らない訳ないよな!?」
「は?」
「そのせいで、俺がどれだけ良い物を提案しても、誰も興味を示してくれなくなったんだそ!」
バンッ──と、机を叩き付ける。
「涼晟、それ本気で言ってるの?私が、自分から二股掛けられて捨てられたって?馬鹿なの?そもそも、私と涼晟が付き合っていた事は秘密にしてたから、誰も知らなかったのよ?それを態々、私が、自分から二股かけられたとか、捨てられたって言いふらすと思う?」
態々言う訳がない。自分が惨めになるだけなのだから。言いふらすととすれば────
ー西条さんと吉村君と佳奈だよねー
「それは……でも、そのせいで、俺の実力すら認めてくれなくなったんだ!お前が俺の実力を妬んで!」
「それこそ、私とは全く関係無いわよね?私、開発部じゃなくて営業部の人間だから。寧ろ、開発部の成績が落ちたら、社全体のマイナスになるから、敢えて、私が嬉々として涼晟を陥れるような事はしないわよ」
とは言え、アレ以降も開発部の成績が良く無いと言う話は聞かないから、涼晟1人が落ちているだけで、会社としては何の問題も無いんだろう。1年何の成果も出ず、その上での噂での異動なんだろう。
「他人のせいにするのは止めた方が良いわよ。カッコ悪い」
「なっ!?」
「それだけ?他に用が無いなら失礼するわ。涼晟も、早く戻った方が良いわよ。まだ勤務時間な──」
「ならいっその事、復縁してやるよ」
「は?ふくえん?」
ー涼晟は何を言っているの?ー
「お前みたいなお高くとまった、可愛げの無い捨てられた女、誰も貰ってくれる筈がないだろう?だから俺が拾って、また可愛がってやるよ」
「は?」
ーキモいんですけど!?ー
「全く話にならないわ───っ!?」
涼晟の横を通り過ぎドアへと向かって歩いていると、手首を掴まれた。
「このまま行かすわけないだろう?謝れば許してやろうかと思ってたけど、気が変わった。ここで、お前を傷付けるのも……良いかもな」
「何を────」
掴まれた手を振り払おうにも、そこはやっぱり男と女で違うわけで、簡単には振り解けなかった。涼晟は、更にギリギリと握る手に力を入れる。
「こんな時にでも、泣いたりしないんだな。本当に、可愛くない女だな」
そう言いながら、私を見る目は女を見る目で、背中合わせに回した手でスルリと腰を撫であげる。
「───っ!!」
それが、何とも言えない気持ち悪さがこみ上げた。
「ちょっ!やめ───」
ガチャンッ──バタンッ───
「本当に、ここ迄クズだとは思いませんでした」
「なっ!?お前、どうして───」
「っ!!」
振り返るとそこには、冷たく笑う吉村君が居た。