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「先輩、おはようございます。大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。吉村君、昨日はありがとう」
昨日、あれから、いつもとは違う私にも関わらず、何も詮索せずに飲みに付き合ってくれた吉村君は、酔っていない私でも約束通りに家迄送り届けてくれた─と言うより──
「吉村君も同じマンションだったのね」
同じだと驚く事もない。そのマンションは、この会社関連が運営している賃貸物件で、他にも何人か同じ会社の人が住んでいるし、2年前迄は涼晟も住んでいた。
ブブッ──
「………」
昨日から震えっぱなしのスマホが、ズボンのポケットの中でまた震えている。勿論、涼晟からだ。昨日の夜は着信が何件もあって、今朝からは○ine攻撃が続いている。
「吉村君も、取り敢えず、武藤と西条さんの事は内緒にしててあげてね。さ、仕事に戻るわよ」
「はい……」
何か言いたげな顔をしていた吉村君を、私は気付かないフリをした。
******
「吉柳先輩、昨日は本当にありがとうございました!これ、お礼のコーヒーです」
「ありがとう」
満面の笑顔でコーヒーを持って来たのは西条美羽。本当に可愛いったらありゃしない。ただ、この笑顔は本物なのか、計算されたものなのか?私と涼晟の関係を知っているのか?色々訊きたい事はあるのに、可愛い顔を目の前にすると訊けないでいる。
「それと、このクッキーもどうぞ。少し甘目なんですけど、コーヒーに合うと思って買って来ました」
ー気の利く良い子だー
本当はあまり好きではないコーヒー。本当はカフェラテが好き。苦いコーヒーには、甘目のお菓子が丁度良い。西条さんはよく私に甘目のお菓子をくれる。
「本当に、西条さんって可愛いよね」
「はいはい。そりゃあ、いつもお菓子貰ってる氷緖からすれば、可愛く見えるでしょうよ」
何故か、佳奈は西条さんには否定的だ。まぁ、確かに、西条さんは特に私に懐いている感じはする。
「お菓子がなくても可愛いから。あ、そうそう。佳奈、私、涼晟と別れるから」
「はいはい───って…は?別れる!?何で!?」
「説明するから、今日の仕事上がり付き合って」
「勿論よ!残業無しで行くわよ!」
ポケットの中で震えているスマホの事は無視して、私と佳奈は仕事に集中して2人そろって定時で退勤した。
******
「武藤が西条と!?あんのあざと女子が!」
「いや、それが、西条さんは何も知らない感じだったんだよね……」
「氷緖、それ本気で言ってる?絶対知ってるでしょ!知ってて奪ったに違いないじゃない!アンタ馬鹿なの!?」
ー何故私が罵られているの?ー
「それで?武藤は何て言ってるの?」
「昨日から着信と○ineが来てるけど、無視してる」
「今すぐ呼び出せ!」
「佳奈も中川も落ち着いて……」
退勤してやって来たのは、個室のある居酒屋で、これまた同期で佳奈の彼氏の中川真叶も一緒だ。この2人は大学からの付き合いで、結婚の話も進んでいる。
「何で氷緖はそんなに落ち着いてられるの?」
「私にもよく分からないんだけど……ひょっとしたら、恋じゃなかったのかな?って」
恋ではなく、可愛いモノを愛でているようなモノだったのかもしれない。
「確かに、少し悲しい気持ちもあるけど、泣くほど辛い訳じゃないから……」
ひょっとしたら、私の方が酷い女なのかもしれない。そんな私の曖昧な気持ちに気付いていたのかも?とさえ思ってしまう。
「たとえ、そうだったとしても、裏切ったのは涼晟だし、吉柳が罪悪感を抱く必要は無いよ」
「そうよ!氷緖は何も悪くないわ!真叶、今すぐ武藤を呼び出して!」
キレた佳奈と中川をなんとか宥めて、その日は3人で涼晟の悪口を言いながら飲み明かした。
******
週末はスマホの電源を切り、涼晟からの連絡を完全シャットダウンして迎えた月曜日の朝の会議室。
午後からの会議に向けて準備しているところに「逃げるなよな」と、ついに涼晟に捕まってしまった。
「何で連絡に出ないんだよ!?俺がどれだけ──」
「出る必要ある?答えなんて分かってるでしょう?“2人は結婚前提で付き合ってて、私と浮気してた”って、態々私に教えてくれようとしたんでしょう?態々教えてくれようとしてくれてありがとう」
ニッコリと微笑む。
「なっ……本当に、お前って、可愛げの無い奴だよな」
「はい?」
「何でも自分で1人でできて、いつも俺より上から目線でさぁ。確かに、部屋を片付けてくれたり料理を作ってくれたり助かったりもしたけど、それ、もう彼女じゃなくて母親レベルだから。もう、お前の事女として見てなかったって言うか、見れなかったんだよ。それに引き換えて、美羽はお前とは正反対で見た目も性格も可愛いんだよ。いつも俺を立ててくれて頼って甘えてくれてさぁ。だから、俺は美羽を選んだんだ。先週のドタキャンがなかったら、お前をふってから美羽にプロポーズしようと思ってたんだよ。本当に、お前は最後迄思い通りにならない女だったよ」
「………」
「こんな事言われても、泣いたりもしないんだな。本当に可愛げない女だよな。兎に角、今後俺とは関わらないようにしてくれ。それだけ言いたかったんだ」
ー涼晟は、こんな奴だったのかー
こんな奴のどこが良かった?恋心ではなかったのかもしれないけど、ある意味では好きだった──と思う。一緒に過ごした日々は楽しかったし、お互い笑顔だったと思う。涼晟の為ならと、自分を誤魔化しながらも涼晟の為に頑張って来た。それが───
ここで、ようやく初めて胸がチクリと痛みを訴えだした。それでも、こんな奴の前で泣いたりするのは嫌で、グッと我慢をして前を見る。
「アンタの気持ちはよく分かったわ。もう、私からアンタに関わる事は無いわ」
「それなら良かった───」
バンッ────
「“良かった”じゃないわ!!!」
「「っ!!??」」
話は終わり──と思ったところで、部屋の扉が空いて入って来たのは
「西条さん!?」
「美羽!?」
西条さんと佳奈と吉村君だった。
ー修羅場は勘弁して欲しいー
「涼さん、吉柳先輩と付き合ってたって本当なんですか!?」
「え!?ちがっ……」
「違わなくないわよね?皆には内緒だけど、武藤と付き合ってるって聞いてたから」
「佐々木!?氷緖、お前───」
「涼さん、そこで吉柳先輩にキレるって間違ってるから!浮気した涼さんが悪いから!」
「え?美羽、落ち着いて俺の話を───」
「は?何で私がアンタなんかの話をきかなきゃいけないの?」
「「………」」
「涼さんがこんなクズだと思わなかったわ。吉柳先輩に手を出して馬鹿にして捨てるとか………何様なの?何?自分の事“ハイスペ男子”とか思ってます?ないですからね?吉柳先輩や佐々木先輩の手助けあっての一人前ですからね?それでも私が涼さんと付き合っていたのは、涼さんと仲良くしておけば吉柳先輩と仲良くなれると思ってたからですから」
「「「はい?」」」
西条さんの言葉に、私と佳奈と涼晟の口から同じ言葉が出た。
「私が尊敬して憧れてる吉柳先輩に手を出して馬鹿にして捨てた涼さん……武藤先輩なんて、私にとったら排除対象者でしかありません。二度と私達の視界に入らないでもらえます?」
「え?ちょっ…美羽??」
「はっ、気安く名前で呼ばないでもらえます?早くここから立ち去ってくれませんか?じゃないと、私達の事、社内全体に言いふらしますよ?」
「なっ!今は引くけど、また時間作ってもらうからな!」
そう言うと、涼晟は走って部屋から出て行った。
「負け犬の遠吠えか?って………笑える」
「………えっと………西条……さん?」
「はっ!吉柳先輩、大丈夫ですか!?知らなかったとは言え、すみませんでした!どんな償いでもするので、嫌わないで下さい!!」
さっきの“悪女四露死苦”な西条さんはどこれやら?で、今はまたいつもの子兎な西条さんで、長い耳が垂れ下がっているのが見えるし、目はうるうると潤んでキュルンとしている。
「嫌うわけないじゃない!」
「吉柳先輩!!」
「もう、どこから突っ込んで良いか分からないわ…」
と、佳奈が呆れているのは仕方無い。
ーあぁ、何だかよく分からないけど、やっぱり可愛いは正義だー
これからどうなるのか?涼晟がどう出て来るのか?と心配していたけど、それから1ヶ月経っても、涼晟が私達の視界に入って来る事はなかった。