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第7話 始まり

バスに揺られてようやく辿り着いた駅のトイレで、

私は小さな紙の包みを広げた。


小麦粉のような、白くてサラサラした粉。


ほんの数グラムで、人の命を奪うというそれを、

私は便器の中に流した。


トイレを出て、包み紙もゴミ箱に入れ、辺りを見回す。

無人駅なので駅員はもちろん、他に乗客の姿もない。


次の電車が来るまで後20分。


私はベンチに腰を下ろした。


もう一度、目を左右に向け、本当に誰もいないか確認する。



・・・いない。



なんだ、やっぱり来ないじゃない。

よかった。

ううん、来てくれなきゃお金をもらえないから困るんだけど、

それでもあの恐い男ともう一度会わないといけないかと思うと、気が重かった。


だからいなくてホッとした。


あの男・・・

恐いと言っても、見た目がいかにも恐い、という訳じゃない。

なんて言うか・・・目が冷たい。

睨まれるだけで、殺されてしまいそうな気になる。


大旦那様のお通夜の日。

喪服姿のあの男に私は声をかけられた。

村で見たことのないその顔と、ただならぬ雰囲気ですぐに普通の弔問客じゃないことは分かった。


何故か男は、私が周りから浮いていると感じたらしい。

そして、こいつは使える、と。


男は私に紙包みを渡してこう言った。

「金が欲しいんだろ?だったら中の粉を、この家の当主の飲み物に混ぜるんだ」


私が、この粉は何かと訊ねたら、男は口だけでニヤッと笑って、

「知りたきゃちょっと舐めてみな。ま、知る前にあの世行きだけどな」と言った。


男の目的は、大方の予想はつく。

雅人様は知らないみたいだけど、岡部村の土地はゴルフ場だかなんだかの開発計画に入っていて、

多分後何年かしたら、物凄く高い値がつく。

男はそれを知っていて、岡部村を手に入れたいんだろう。


たまたま大旦那様が亡くなり、旦那様が名実共に当主となった。

今、旦那様が亡くなれば、次の当主はまだ若くて何もできない雅人様だ。

だから男はこのチャンスを逃さず、旦那様の殺害を謀った。

旦那様さえいなくなれば、雅人様など赤子の手をひねるも同然だ。


・・・まあ、赤子でもなかなか死なないこともあるけど。私みたいに。



とにかく。

男の望み通り、旦那様は死んだ。


後のことなんて、私が知ったことではない。



「そら」

「!!!」


いきなり膝の上に、分厚い封筒を投げられ、私は飛び上がるほど驚いた。


見上げると、いつの間にかあの男が、またニヤついた口元で私を見下ろしていた。

その目は、やはり人を射るように鋭い。


黒い髪に黒いスーツ。

歳は30ちょっと位だろう。

夏だと言うのに、この男の周りだけ空気が冷たい。


「約束の金だ」

「あ・・・ありがとうございます」


喉の奥がヒリヒリして、まともな声がでない。


「上手くやったもんだな。誰も怪しまなかった」

「・・・」

「で、相談がある」


来た。


私も馬鹿じゃない。

こうなることくらい分かってた。


「もう1人、殺って欲しい奴がいる」


男はそう言って、私の膝の上にある封筒の上に、一枚の写真を置いた。

車の後部座席に乗ろうとしている、1人の男の写真だ。


「取り合えず、そいつがいる東京へ行こう。銃の使い方も教えてやる」

「銃?」

「ああ。そいつはちょっとガードが固くてな。今回みたいに飲み物に薬を混ぜるのは難しい」

「・・・」

「お前がこいつの愛人にでもなれば、そのチャンスもあるだろうが。まあ、手段は任せる」

「・・・」


断れば、私も殺されるだろう。


それに、私には旦那様を殺したという弱味もある、

と、この男は思ってる。



この15年、奥様は私に辛くあたってきた。

でもそれは仕方のないことだと思う。

奥様からみれば、私は夫と愛人の娘。

面白いはずがない。

だから、奥様を恨んだことはなかった。


だけど・・・旦那様は許せない。

私の母を身ごもらせ、無理矢理家に連れ込んで私を産ませた。

そのくせ、奥様に頭が上がらず、出産で身体の弱った母を放置してあの部屋で死なせた。

奥様に辛くあたられている私を見ても、助けようともしない。


雅人様は、旦那様のことを「頼りないけど優しい人だ」と思っているみたいだけど、とんでもない。

あれはただ優柔不断で流されやすい馬鹿な人間だ。


あんな人、父じゃない。

心ある人間じゃない。


私はずっと旦那様を恨んできた。

だからこの男に、お金と引き換えに旦那様の飲み物に毒を入れろと言われて、

その条件を簡単に飲んだ。


そして、毒のきつい匂いを誤魔化すために、私はこれをコーヒーに混ぜることにした。

だけど、コーヒーはいつも、旦那様の目の前でポットからカップに注ぐ。

その間に毒を入れるチャンスはない。

となれば、最初からポットに毒を入れておくしかないけど、

そうなると、今度は雅人様のカップにもそのコーヒーを注がなくてはいけなくなる。


雅人様は、世間知らずのお坊ちゃまだし頼りないし・・・だけど、悪い人じゃない。

いつも私のことを気にかけてくれていた。

私がどういう人間か、想像できないほどにお人好しだった。


だから、巻き込みたくなかった。


悩んだ末、私はわざと奥様用のコーヒーを雅人様のカップに注いだ。

前日に、奥様用にいつもとは違う豆を買っていたので、

雅人様も、私がそれを雅人様に味わってもらうためにわざと間違えたのだと思ったようだ。


本当に、呆れるぐらいのお人好しだ。


それなのに、私は結局旦那様のコーヒーに毒を入れることができなかった。

どうしてなのか、自分でもわからない。

ただ手が震えて、どうしてもできなかった。


諦めて毒が入っていないコーヒーを旦那様のカップに注いだけど、

緊張していたせいか、コーヒーをいつもより濃く出してしまい「苦い」と言われてしまった。


そして、旦那様は本物の心臓発作を起こし、亡くなった。


やっぱり悪いことをした人間は、毒なんか盛らなくても天罰が下るんだ。

そう思った。

でも、それと同時に少しだけ、

最後に飲んだのが、淹れるのに失敗したコーヒーだったなんてかわいそうだな、とも思った。





「やってくれるな?」


男が、有無を言わせぬ口調で言った。

「お金はくれるの?」と言って反抗するのが精一杯だった。


「もちろんだ。今回の倍、出そう」

「・・・」


私は膝の上の分厚い封筒を見た。

これの倍?


それだけあれば、当分生活には困らないだろう。


今度は、その封筒の上の写真に目を移した。


若い男だ。

私の目の前にいる男と同じような冷たい目をしているけれど、

それでいてどこか雅人様のような人情味がある。


そう、雅人様のような。


あの夜、私はどうかしてた。

どうして雅人様を拒めなかったのか・・・

でも、不思議と後悔はない。

むしろ、これから1人で頑張っていかなくては、と覚悟を決めることができた。





男は、私の沈黙を「YES」と受け取ったのか、満足そうな声で言った。



「電車が来たぞ。さあ、行こう」








――― 「ある少年と少女の物語」 完 ―――







最後まで読んで頂き、本当にありがとうございました。

この小説はタロウお得意(?)の本編先行型番外編です。

本編連載は・・・まだだいぶ先になりそうですが、

もしよろしければ、そちらもお読み頂けると嬉しいです。

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