第5話 花の秘密
部屋の中は真っ暗だった。
もちろんもう夜だから当たり前なのだけど、それとは違った闇がこの部屋を支配しているように感じた。
かび臭い匂いが鼻をつく。
手探りで電灯のスイッチを探して入れてみたけど、電球が切れているのか電灯はつかなかった。
花が壁を伝い歩きしながら窓に近づき、サッとカーテンを引いた。
とたんに、月明かりが部屋の中に広がる。
俺はなんとなく後ろ手に扉を閉め、ゆっくりと部屋の中を見渡した。
死体が転がって・・・は、いなかった。
というより、何もない。
あるのは、古ぼけたカウチソファーと、床に置かれた毛布だけ。
その他には、本当に何もない。
「なんだ・・・何もないじゃないか」
俺は胸をなでおろした。
ホッとしたのだが、少しがっかりしたのも事実だ。
が。
花は、窓を背に険しい表情で、ある一点を見つめていた。
その視線の先は、床の上の毛布だ。
「どうした?この毛布がどうかしたのか?」
俺は毛布に近づき、パッとそれを持ち上げた。
一瞬、下に何か隠されているのかとも思ったけど、別に何もない。
「大丈夫だよ、花。何も・・・」
花の表情はまだ険しいままだ。
そしてその視線は、相変わらず俺が持っている毛布に向けられている。
「この毛布がどうか・・・うわ!!」
俺は毛布を床に投げ捨てた。
なんだ、今のは?
別に毛布から何か飛び出してきた訳じゃない。
毛布に何か・・・黒いものがついていたのだ。
それは俺の手にも少しついた。
自分の手を見ても、その正体が何かわからない。
思い切って、毛布を広げてみる。
すると、やはり黒いものが毛布にこびり付いていた。
「花・・・これは?」
花も知らないかもしれない。
でも、この部屋の鍵を父さんから渡されたということは、
何か花に関係あるのだろう。
花は両手を胸の前でギュッと握り締め、呼吸を整えるように深呼吸した。
「それは・・・血です」
「・・・なんだって?」
背筋を冷たいものが流れた。
死体こそなかったが、これが血だということは・・・
それもかなりの量だ。
「わ、私の・・・いえ、私の母の血です」
「え?」
花がゆっくりと俺に近づき、毛布をじっと見つめた。
「私はこの部屋で、この毛布の上で生まれました」
「・・・」
あまりに衝撃的な言葉に、俺の思考回路は止まった。
花がここで生まれた?
この家で?
この部屋で?
花は言葉を続けた。
「母は隣町に住んでいたのですが、偶然やってきた旦那様が母を気に入り、愛人にして・・・
やがて母は身ごもりました。それを知った奥様は、母に『おろしなさい』と迫ったのですが、
母は頑として聞きませんでした。旦那様はそんな母をほっておくことができず、
この家に連れてきて、この部屋で子供を・・・私を産ませました」
ちょっと待て。
花が父さんと愛人の子供?
じゃあ・・・
「俺と花は、腹違いの兄妹・・・?」
「そうです」
何より。
お祖父さんと父さんの死より、花がこの部屋で生まれたということより、
何よりショックだった。
俺と花が兄妹?
なんだよ、それ!
「母は、産後のひだちが悪く、私を産んですぐに亡くなりました。
お葬式もあげられることなく、母の遺体は無縁仏として葬られたそうです」
「・・・」
「奥様にとって、私はもちろん面白くない存在だったと思います。
この部屋に放置し、勝手に死ぬのを待っていたようですが・・・」
花はようやく笑った。
でもそれは、気持ちのいい笑顔じゃない。
少し皮肉が混じった、諦めの笑顔だ。
「私、意外としぶとかったみたいで、いつまでも大きな声で泣き続けてたらしいんです。
それで、それに負けた奥様が、小間使い達に私の世話をさせたんです。
『花』という名前も、その時適当につけられました」
「そう・・・だったのか。花はどうして自分の出生の秘密を知ってるの?」
「奥様が教えてくれました」
それは・・・教えたというより、身の程をわきまえろ、という母さんからの圧力だろう。
花が生まれたとき、俺は4歳くらいだったはずだ。
何も覚えていなくても、仕方ないかもしれない。
だけど・・・なんて罪深いことなんだ。
事実を知っていれば、俺は花を妹として、もっと堂々と大切にしてやったのに・・・
そう、妹として・・・
俺を毛布を持ったまま、両手を握り締めた。
なんてことだ。
父さんはもちろん、母さんも全て知っていたんだ。
お祖父さんも当然、知っていたんだろう。
他の人は?
・・・村人は知らないだろうけど、
この家で働いていた小間使いなら、知っていたはずだ。
誰も・・・誰も、俺には教えてくれなかった。
やり場のない怒りに震えていると、
花がそっと俺の手を握った。
「雅人様。さっき、雅人様と私は腹違いの兄妹だと言いましたが、あれは間違いです」
「・・・え?」
花が微笑む。
今度は、本当の笑顔だ。
いや・・・今までにみたことのない程、優しい笑顔だ。
「確かに私には、半分旦那様の血が流れています。でも、戸籍上、私は旦那様の娘ではありません」
「それは・・・父さんが、花を認知しなかったっていうこと?」
当然そうだろう。
そんなの母さんが許すはずがない。
それに、花の母親も死んでしまった。
だけど、花は頭を振った。
「違います。そもそも私は存在しない人間なんです」
「え?存在しない?」
「はい。私の出生届は出されていません。つまり、私は戸籍のない子供・・・存在しない人間なんです」
「なっ・・・」
「私は今、15歳くらいなんですが、誕生日も分かりません。義務教育も受けていません」
「・・・」
確かに、花が学校へ行っているところを見たことがない。
いつも家にいて、働いていた。
俺は、それが当たり前すぎて疑問にも思ったことがなかった。
「花・・・ごめん」
花が目を見開く。
「・・・どうして雅人様が謝るんですか?」
「何にも気付いてやれなくてごめん。それに・・・父さんと母さんの身勝手を許して欲しい」
「そんな・・・雅人様はもちろん、旦那様も奥様も悪くありません」
「少なくとも、父さんは悪いだろ。愛人作って、身ごもらせて・・・
挙句、ここで産ませて・・・花の出生届けすら・・・出していない」
「・・・」
花が黙って俺の頬に触れた。
その花の手を水が伝う。
・・・あれ?なんだ、これ?涙?
俺、泣いてるのか?
俺は思わず、花を抱きしめた。