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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第二章 修道女プシュケ
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少女の初恋

 その日を(さかい)に少女から、以前のような(あふ)れんばかりの快活さは消えてしまった。


 無邪気な性格に変わりはなかったのだが、時々物思いに(ふけ)るようになり、幼いながらも遠くを見る目でため息を()らすことすら度々(たびたび)あった。


 美しい魔王に()()った、あの日のことが忘れられない。


 あの時──背を向けて立ち去ろうとする若者は、しかしその()(ぎわ)、顔をわずかにこちらに傾けて、密かに優しく微笑んでくれた。

 

 冷たさの中に(いつわ)りのない温もりを宿した──理不尽な暴力にさらされた少女を、いたわる意味で特別に与えてくれたのであろう──そんな笑顔だった。


 また、会えるだろうか……もう一度、()いたい……。


〝恋〟の概念(がいねん)も知らぬはずのほんの小さな少女が、その意味も解らぬまま、燃えるような深い〝恋〟に落ちてしまった。


 少女の最も身近にいる母親には娘の心が──その〝想い〟が痛いほど、よく理解できた。

 

 けして、あからさまに(とが)めることはしなかったが、それは破滅を(ともな)う危険な〝恋〟にしかならぬであろうことを予感した。


 母親はあらゆる努力を試みて、娘の魔王への〝想い〟を()らそうと努め続けた。


 だが、〝恋〟は思案の外──ひとたび胸を()がす狂おしい(あい)(ねん)に捕らわれた者には、いかなる言葉も忠告も、あらゆる魔術も護符も、意味はなさぬ。


 いつしか少女は、自身の〝想い〟に染まりきって、外界に対して心を閉ざすようになっていた。


 考えるのは、いつもひとりの〝男〟のことだった。


 やがて彼女は幼いながらも、その鋭い直感で、隠された本質を見抜いてしまう。

 若者の瞳の奥に──誰にも気づかせない〝魔性の瞳〟の奥底に、例えようもないほどの深い哀しみの色が、確かに宿っていたことに。


──きっと、あの人は助けを求めている……あの人自身が自覚していないほど、深い深い奥の部分で……。


 (つたな)くも、少女はさらに考察(こうさつ)した。


──わたしに、何かできることはないだろうか?


 ある時、ある〝想い〟が、恋する少女の胸をぐさりと突き抜けた。


 それはあまりに恐ろしく、劇的で、熱に浮かされたような(ひらめ)きだった。


──きっとわたしにしか、あの人を助けることができない!


 もしも他人に話せば、よくもそんな馬鹿げた妄想をと、(いっ)(しょう)に付されたことであろう。


 もちろんそれを口に出し公言するほど、プシュケは愚かではなかった。

 秘めるべき本心として固く口をつぐみ、愛する両親にすらも絶対に、その〝想い〟を打ち明けようとはしなかった。


 だが、プシュケにはそうとしか思えなかった。

 でなければ、神が(はか)らったとしか考えられぬ数々の偶然の上に成り立った魔王との()()いに、何の意味があるだろう。


 あれは気まぐれの微笑みだったのかも知れない。

 それでもあの男が、あんな優しい笑顔を投げかける相手が、そうそういるだろうか?


 少女の中で、それらが甘い確信として(しょう)()されるまで数年かかった。


 そうして自閉から(だっ)(きゃく)して健全な精神状態に戻ったときには、彼女は十歳に達していた。

 折しも災厄(さいやく)のような不幸で両親を失った時期と重なり、プシュケは祖父である司教に引き取られることとなった。


 祖父は、司教としてこれ以上に正しい者がいないと言い切れるほど、神の教えに忠実な人であった。

 そこでプシュケは、光の真理を学んだ。


 その日々も彼女には、やがて必要になることであると感じられた。

 若者への〝想い〟を大切に胸に閉まい、少女は尊敬する母と祖父から受け継いだ心の宝──()(あい)という美徳を着実にはぐくんでいった。


 その後プシュケは十二歳になって、ひとつの岐路(きろ)に立った時、自らの意思で神との()(つう)を図る場所──修道院へと進んでいったのだった。


 若者の迷いと苦しみを消し去る(すべ)を、確実なものとするために。


 (はかな)くなった母の想いを受け、この世の光明の一助(いちじょ)となるために。



 ―――― § ――――



 さらに三年が過ぎたある日──。


 魔王の下で(つか)えているというひとりの男が突然、プシュケとの面会を求めて修道院を訪ねてきた。


 男はこの国の宰相──テュルゴと名乗った。


 初めて会うというのに、宰相テュルゴはプシュケのことをよく知っているようだった。


「プシュケ。あなたには、私の話せるすべてのことを話しておきたい」


 出会ったばかりの当初、壮年の男はげん(しゅく)な表情の中に隠しようもない()(じゅう)の色を(にじ)ませて、初対面のあいさつを済ませると乙女に語った。


「私の今やっていることは、くだらん仕事だ。自分でも嫌になることがある。宰相というのは肩書だけで、その実は魔王様のご()(げん)()りだよ。それも、美しい娘を魔王様にあてがい、関心を買うという情けないやり方まで使うこともある。この国では使用人も宰相も何ら変わりはない。しかしな。こんな仕事であっても、()(とう)な意義を持たせたいと思うのだよ。最近は特にそう考える。

 数日前のことだ。私がもっと他のやり方で、魔王様にこの国を守って(いただ)くよう働きかけることはできないか、と考えていた時にだが……ふと、何か声が聞こえた。(いや)——直接、頭に響いてくるような、不思議な声と光を感じた。

(こちらへ来なさい。あなたの望む人がいる)

 目の前に、ぼおっと光る何かが()り、私に語りかけてくる。その光から(ひび)く声は、男のようでも、女のようでもあった。大人のようでも、子供のようでもあった。とにかく温かく引き寄せられる、崇高(すうこう)な〝何か〟を感じたよ。

 私は、その光と声に導かれるまま歩き続けた。かなり歩き続けたが、全く苦にはならなかった。すると辿(たど)り着いたのが、この修道院なのだ。光はそのまま庭にまで飛んで行き、そこにいた、ひとりの娘の中に入っていった。あなたの中に入っていった。

 そして、振り返ったあなたの顔を見たときに驚いた。

 私はかつて、あなたほどに(けが)れのない、天使のような笑顔をくれる娘を見たことがない。そのとき私は確信した。はっきりと悟ったのだ。

 この清らかな乙女こそが、今のアルゴスの闇を払う希望の光であるに違いないと。あのとき感じた尊い光と声は、神のお導きに他ならないと」


 テュルゴは穏やかな敬意を払う(まな)()しで、プシュケを見つめた。


「この国が今、リュネシス様の支配下にあるのも、元々は人間たちの()いた深い罪業(ざいごう)ゆえのことだ。

 それでも、まだましだと思っている。あの方がいなければ、この国はとうの昔に魔女王に滅ぼされていたであろうからな。

 ああ……ここで解りやすいように、少し私の一族の話をしよう。私の一族は、百年前に〝悪魔狩り〟によって滅ぼされかけた。

 しかし、それを生き(なが)らえたのも、百年前に怒り狂ったリュネシス様が、世界中に(はび)()った恐怖の〝悪魔狩り〟に(しゅう)()()を打ってくださったからこそだ。

 だが、もうリュネシス様は動こうとはせぬ。

 半年前に私の息子が死んだ。自らこの国を守る兵士として志願してな。私は息子を止めたのだ。だが、あれは今の私の()り方に反発をして、出てゆき、そして、そしてな……」


 哀れな宰相は肩を(ふる)わせ、(ざん)()(ねん)(あら)わに涙を浮かべた。


「ま、魔女王の軍勢との戦いで、()()にしたのだ。あの親不孝者めが!まだ二十歳(はたち)にもならぬ内に——私への当て付けか。親より先に死ぬ子があるか。妻が……あれの母親が()(わい)そうだ。たった一人の息子を魔物たちにバラバラにされて、墓に埋めてやることすらできない。だから妻は今でも毎日泣いている。あれと愛し合っていた娘も、どれほど(なげ)いたことか——いったい何人の若者たちが、命を落としたことか——こんな時代が、いつまでも続いてはいけないのだ。リュネシス様が立ち上がれば、魔女王を打ち倒すことができる。だが、これだけの犠牲に目もくれぬあの方を——有り余る魔力を持ちながら、弱い民に一切の情けを()けようともせぬ、あのような方を——いかなる事情があれ、私には『陛下』と呼ぶことなどできぬ」


 テュルゴは、目の前の(なら)のテーブルに両手を突いた。


「神の予言では、全てを正しく導く〝白き子羊〟が現れるという。それは、あなたのことに違いない。愚かさを承知して頼む。どうか、リュネシス様に(つか)えていただきたい」


 長く語り終えた男は、そこでプシュケを直視すると、自分より(はる)かに年下で位も低いはずの娘に深々と頭を下げていた。


 それを受け乙女は少しの間、恐縮するように沈黙(ちんもく)を保ち、やがて静かに(うなず)いた。


 多くの人たちの哀しい運命に共感し、自分に与えられたのかもしれない使命の重みに()(まど)って。

 決意を固めていたとは言え、まさか本当に自分が──でも、やはりそうだったのか──という気持ちに揺れ動いて。


 あらゆる想いを溜め込んで、知らぬ間に彼女の翠玉(エメラルド)(ひとみ)からは、一筋(ひとすじ)の涙が流れていた。







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