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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第二章 修道女プシュケ
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大切な想い出

 プシュケは沈みゆく夕陽をぼんやりと(なが)めて、一昨日の夜のことを回想(かいそう)し、ひっそりと物思いにふけっていた。


 ここしばらく誰にも言えない(こう)(こつ)(かん)と、やるせない(さび)しさが(いっ)(しょ)になり、こうやってひとり外を(なが)める事がある。


 魔王直々(じきじき)つかえるきゅう(じょ)として、特別にあてがわれた()()(れい)な部屋の高窓から見える街の景色は、(ゆう)()えに一色に染められている。

 その色は乙女の気持ちと同じもので、小さなため息が()れた。


 この魔王城——〝ディアム城〟に来て四ヶ月になる。


 宮女として与えられた雑用を、これまでの彼女はすべて丁寧(ていねい)に、的確にこなしていた。


 そして様々な経緯(いきさつ)により、プシュケは魔王の関心(かんしん)を買い、彼の直接的な世話係を任せられる事となった。

 その多くは(きわ)めて単純な、()(せい)めいたものではあったが——。


 ただ、それらの雑務をプシュケは、誰よりも()(よう)(なお)()つリュネシスの好みを理解して、それに沿うよう行ったため、徹底した能力主義である魔王の気に入り、さらに多くの時間を彼とともに過ごす結果となった。


 それは乙女にとって、(ひそ)やかな願いでもあった。


 しかし、胸の内に秘めた〝想い〟は、いつかは表に現れることになる。


 今こうして魔王の(そば)に仕えていることも、彼女の心の中に幼い頃より(とど)まり続けた、一連(いちれん)の〝想い〟の()(げん)()であったのだ。熟した果実や岩から吹き出す水が、長期に渡って(ひそ)かに続けられた自然の(いとな)みの結果であるように——。


——とうとう言っちゃった……。


〝想い〟を(あま)さず伝えることができた、満ち足りた気持ちではある。


 だが、リュネシスはそれをどう受け止めたのだろうか。


(おまえの目は、誰よりも()(れい)だな)


 そして、彼の甘い言葉は、どこまでが本気だったのだろうか。


 さらにあの時に男が(かい)()見せた、何とも言えない哀しそうな微笑みの意味は何だったのだろうか。


 それが気になりプシュケは、この城に来るきっかけとなった、過去の日々を思い返していた。



―――― § ――――



 プシュケはアルゴス(へん)(きょう)の小さな町で、一介(いっかい)の兵士の娘として生を()けた。


 幼い頃から明るく聡明な娘だったプシュケは、優しい両親に大切に育てられ、裕福とまでは言えないまでも特に不自由のない生活を送っていた。


 そんなプシュケが七歳になって間もない頃──母と連れ立って、市街に買い物に出かけた帰り道のことである。


 いたいけな少女にとっては、母との外出という()(さい)な日常すらも幸福の一場面であり、また母も、無邪気な娘とのなんでもない交流ひとつひとつに、いつも愛おしく接してくれていた。


 そのような微笑ましい親子が、手をつないで仲睦(なかむつ)まじく歩き、人々の多く集まる広場の近くにまで差しかかった時だった。


 唐突に辺り一帯が、物々しい雰囲気に包まれ出した。


 普段は見かけない近衛兵の出で立ちをした上級兵士たちが、街の衛兵たちに混じって、ちらほらと散見(さんけん)される。

 彼らは父が着用している軍服よりも、(いかめ)しい衣装を(まと)っていた。


 プシュケが幼いなりに、その光景にただならぬ違和感を覚えた直後、衛兵たちの叫ぶ声が響き渡った。


「道を開けろ!頭を下げろ!」


 怒声に近いその言いようには、有無うむを言わさぬ圧が()められていた。


 そしてさらに続く大音声が、何者も逆らえぬ強制力となって人々の頭上にのしかかる。


「魔王様がお通りになる!!」


 民は皆、恐怖に駆り立てられ、膝を曲げて(ひざまず)きだした。


 まるで少しでも遅れれば殺されると言わんばかりの、極度に張り詰めた動きだった。


「プシュケ!頭を下げて──早く!」


 普段は(しと)やかな母が、このときばかりは一瞬で顔を(こわ)()らせ、そう強く(うなが)した。


「お母さんがいいと言うまで、頭をこのまま上げないでいて。それと、絶対に魔王様の顔を見てはだめ!」


 彼女は言い終わらぬ内に、小さな娘をかばうようにして、その身を(ひれ)()させた。


 だが運命は時として、思いもかけぬ〝きっかけ〟を演出することがある。


 その瞬間プシュケは、いつも手にしている赤いドレスを着せられた女の子の人形を、(あわ)て過ぎた弾みで数歩先まで弾き飛ばしてしまったのである。


「あっ!」


 幼女が思わず声を出して反射的に顔を上げた時には、それは運悪く近くにいたこの()(へい)の足元に転がっていた。


「娘ェ。早く頭を下げろぉ」


 (いら)()ちに気色ばんだ屈強な大男が、彼にはなんとも()(ざわ)りに見えた、可愛らしい金髪の人形をずしりと踏みにじりながらプシュケを(にら)みつけていた。


 幼女の目線からは小山のようにも見える、恐ろしいまでの巨漢である。士官以上の者に許される板金鎧(プレートメイル)に身を包んだ、近衛兵の中でも上官に位置する男であった。


 だが、プシュケは(ひる)まなかった。


「やめて!」


 叫んで幼女は、人形を取り返そうと男の足元にしがみつく。

 彼女にとってそれは、七歳の誕生日に母親に買い与えられた、とても大切なたったひとつの人形だったのだ。


「コラァ!」


「プシュケ!」


 男の怒鳴(どな)り声と母親の叫びが、同時に重なり合った。


 しかしプシュケの耳には、それらは聞こえていなかった。力の限りに両手を()()り、人形を踏みつける大男の足を押しのけようとする。


 プシュケにとって、踏まれた人形は自分自身だった。

 彼女にはあたかも、自分の小さな体が踏まれ(しいた)げられているように思えたのだ。


「お願い!足をどかして!!」


 哀願(あいがん)する幼い叫びが、裂けるように響き渡った。


 それになおも刺激されたのか、巨漢の近衛兵は怒りにこめかみを脈打たせながら、自分には目に余る女児をたちまちの内にむんずと頭から(つか)み上げると、駆け寄ってきた衛兵たちに燃えたぎる視線を向けた。


「ここではガキどもに、どんな教育をしているのだ?わしのような魔王様の近衛部隊の者に、平気で(たて)()くとは!」


「はは!申し訳ありませぬ!!」


 衛兵たちの先頭にいる彼らの上官らしき初老の兵士が、恐る恐る進み出て、さも(きょう)(しゅく)するように頭を()れた。


 衛兵たちにとって魔王直属の近衛兵とは、同じ場所で息を吸うことすらはばかられるほど遥かに上の立場の者であるのだ。


 その、返す言葉もない状態でいる下級の老兵の顔を一旦じろりと(にら)みつけると、近衛兵は唇の端を残酷に吊り上げた。


「愚かなガキには教訓を与えねばならぬな」


 ()(えつ)を含んだ嫌な口調に、衛兵たちは意図を察して静まり返った。


 周囲で(ひざまず)き地面しか見つめられない者たちの誰かが、ごくりとつばを飲み込む音が異様に響いた。

 平伏(へいふく)する民たちには何も見えないが、頭上で何が起ころうとしているのか理解できる。


 だが、それを止めることはできない。頭を上げることも許されない。そうすれば立ち上がった者は、勇気と引き換えにその瞬間、確実に殺されるだけであろう。


 幼女の頭を鷲掴(わしづか)みにする近衛兵の(たくま)しすぎる(てのひら)に、みしりと力が()もろうとしていた。


「うう……」


 苦痛のうめきが、プシュケの喉から()れる。


 並外れた怪力を誇る大男にとって、無力な幼女の()(がい)を砕くなど、柔らかい果実を握りつぶす程度のことでしかなかった。

 おまけにこの巨漢は、自身の腕力に物を言わせ弱者をいたぶることにある種の快感を覚えるという、歪みきった精神構造の持ち主であった。


「やめてください!!」


 たったひとり声を張り上げ、母親が立ち上がる。


 だが彼女はすぐさま、その場にいた衛兵たちに取り押さえられた。


「ふん。まだ教訓を示さねばならぬ者がいるのか」


 兵士たちに押さえつけられてもなお、娘のために必死で抵抗をしようとする女を見て、近衛兵が()(そん)に呟いた、そのとき──。


〝風〟が、吹いた。


 それは、常人には感知できぬ不可思議な魔力を帯びて一切の気配もなく流れたため、誰一人その動きを(とら)えた者はいなかった。


〝風〟は時間をも突き抜けて、辺り一帯のすべての事象をさらっていった。


 何が起こったのであろうか。


 気がついたときには、頭骨(とうこつ)を圧する痛みから開放されたプシュケの身体は、野卑(やひ)な大男の手の内を離れていた。


 ふわりと心地よい空気の(りゅう)(どう)に包まれながら、しかし少女は自身の身体が、別の何者かの腕の中にあることに気づく。


──高い所……大きな馬の上……?


 思考が現実に追いつかず、目に映るものをまだ認識できないプシュケの視界が、その時点からようやく(めい)(りょう)になっていった。


 ただならぬ強大な気配を感じて、もしやさらに悪い者に捕らわれたのかと、幼女は一瞬身を固くする。


 だが、視界が(とら)えたのは、近衛兵の衣装の色合いとはまるで異なる耿耿(こうこう)たる光を想起させる色彩──それは、神が「最高傑作」として造り上げたのかと()(まが)うほど、美しくも凛々りりしい若者の姿であったのだ。


 陽光を受け無限に変色して(きら)めくプラチナの髪。その隙間から見え隠れする芸術的な切れ長の双眸(そうぼう)

 それは碧と金の〝魔性の眸(オッドアイ)〟で構成されていて、幼い魂をまるごと吸い込みかねない悪魔的魅力を宿している。


「最高傑作」として造り上げられているのは、それだけではない。


 完璧な造形美に整えられた()(りょう)。そして、同じように完成された形状の唇。


 そのどれもがこの世のものとは思えず、まだ()(しゅう)についての価値観をはっきりと持たぬ女児ですら、あまりの若者の美しさにあっ()にとられ、目を離すこともできない。


 彼は並のサイズの数倍はあろう、白一色の天馬(ペガサス)の背に(またが)っていた。


「〝教訓〟……と言ったのか?」


 あどけなく放心して、見上げたままの少女を片手に抱いた馬上の若者の唇から、唐突に声が発せられた。


 それもまた、ぞっとするほど(なま)めかしい声であった。


「ま、魔王様!!」


 巨漢の近衛兵が今までの態度を一変(いっぺん)させ、獅子の前に縮こまる豚のように大慌てで身を深く(かが)めた。


「……〝教訓〟だと?こんな幼い娘に、何の教訓を与えようというのだ……私にも解るように説明してくれないか?」


 落ち着いた口調の裏にある、美貌の若者の──若き魔王の非難に満ちた気配を感じ取って、大男は震え上がった。


 気がつけば、素早く駆け寄って(あるじ)の周囲を固める側近たちの冷たい視線が、いっせいに自分に向けられている。


「お……恐れながら!」


 心臓が破裂してしまいそうな恐怖に飲み込まれる前に、近衛兵は勇気を()(しぼ)って一気にまくし立てた。


「我が軍に──ひいては魔王様に恐れげもない態度を示さんとする者に、この場の任を預かる立場として〝罰〟を与えようとしておりました」


「〝罰〟を与える?」


 近衛兵の返した言葉に、魔王の眉が不快に(ひそ)められた。


「相手は年端も行かない子供だぞ。それが少し立ち上がったというだけのことで、(らん)(ぼう)(ろう)(ぜき)を働かねばならぬ理由になるというのか」


「──!」


 反論しようのない正論に、近衛兵は言葉も忘れて絶句する。


「私は魔王だが──外道の行いは認めていない」


 人ならざる若者は、この上ない妖麗な笑みを浮かべながら、名前も認識しておらぬ配下の腕章を見てその身分を察する。


「私の部下なら解るだろう?ええ……近衛隊──小隊長殿?」


「は、ははぁ!!誠に申し訳ありませぬ!!!」


 殺されるのではないかという不安が、どうやら容赦(ようしゃ)されるかもしれぬ(ゆる)い空気に変化したのを読んで、近衛隊小隊長はその奇跡にあやかろうと勢いよく最敬礼した。


 それには目もくれず魔王は、幼女とともに取り返してやった人形を手に取り〝ふっ〟と息を吹きかける。


 汚れて(つぶ)されたはずの人形が、たちまちの内に元の姿に復元された。


 魔王の(あやつ)る奇跡の()(わざ)に目を見張る少女には構わず、彼は一見(いっけん)無造作に──しかし意外な繊細(せんさい)さで、返された人形を抱いたままぽかんと口を開けている女児を、馬上から母親に引き渡してやった。


「プシュケ!」


 まだ若い母親が、不安にやつれきった顔を精一杯の喜びに変えて、愛しい娘を抱きしめた。


 神の手で、地獄の底から救い出されたかのような、幸福の一瞬だった。

 静かに──そして確実に周囲の人々の間にも、(あん)()の気配が広がっていく。


「あ、ありがとうございます!ありがとうございます!」


 母親は()かれたように、妖しくも美しい男にその言葉を(れん)()した。


 だが魔王は彼女に振り返りもせず、何事もなかったかのように、直属の近衛大隊を引き連れて立ち去って行った。






エテルネルをご覧いただきありがとうございます。

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皆様の応援をいただいて始めて、本作を最後まで書き上げる原動力になるからです。

どうかよろしくお願い申し上げます。

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