残されていた因縁
水の流れが空へと向いた螺旋階段は、魔法の自動階段となっていた。
足を乗せても靴が濡れることはなく、そのまま体をスルスルと上空の城──魔王のいる〝聖天宮〟へと運んで行ってくれるのである。
三人はディーネの指示に従い、自動階段に体を預けて天空へと昇っていく。
その不可思議さに驚きながらも、ルナはけして表情には出さないよう努めている。
これから憧れの男に会いに行くというのに、ルスタリアの王女たる者、常に余裕のある態度を貫くべきだ──と考えたからである。
一見、浮ついているように見えながらも、こんな生真面目な側面が、王家の娘として生まれ育ったがゆえの、ルナの美徳のひとつと言えるのかもしれない。
だが、さすがに少女らしい欲求には抗えず、ルナはちらりと隣に立つディーネを見た。
青い空を背景にした水の精霊の横顔が、移動する魔法の階段の上で、ゆるい風にそよがれている。心なしか、甘い果実のようないい匂いも漂ってくる。
──近くでみると、ほんとやばい。あたしより、ふたつかみっつぐらい年上に見えるけど……でも精霊だから、本当の歳はもっともっと上なのかな?
そう思いながらも、ルナは精一杯何気なさを装う。
──この人の本当の歳を知りたい。つか、すっげーおっぱいなんですけど……あたしの十倍はあるんじゃん?それにリュネシスと、どういう関係?あいつと変な関係とか、絶対嫌なんですけど?
ちらり、ちらりと気になる様子で、何度も自分を見てくるルナに気づき、ディーネがにっこりと微笑みかけてきた。
「実際にあなたに会ってみて、とても美しい素敵な方で驚きましたよ?ルナさん」
「え……?」
目力の強い紺碧の瞳に当てられて、少女はつい萎縮する。
──やばい。おっぱいのこととか、考えてたのがバレちゃった?
まるで、心の深淵を覗き込まれたような気がした。
だがディーネの言葉は、ルナの懸念とは全く別なことであった。
「見ていたのです。あなたのことは──」
「?」
きょとんと首を傾げるルナに、ディーネが解りやすく繰り返した。
「わたくしたちの魔法の水晶の映像でね」
「……そう……だったんですか」
ようやく理解したルナの中で複雑な想いが湧き上がり、少女は両手をきつく握りしめる。
──ひょっとしてこの人は、ルスタリアが滅ぼされた瞬間も見ていた……とか?
あたかもルナの思索を悟ったかのように、ディーネはうなずいた。
「そうですね……見ていたのはあなた方三人が集い、こちらに向かわれた辺りから──お若く高貴なあなたが、とてもお辛い目に合われながらも大変な決意をされていること。わたくしは尊敬いたします」
「いえ。そんな……」
ディーネの声には、まごうことなき慈愛の色が籠められている。一瞬その言葉に、ぐらりと心がほだされそうになったが、今は勁く耐えた。
水の精霊は、そんな少女の反応を、しばらくまっすぐに見つめて──やがて、その青い視線を限りなく広がる大空に向けた。
「この世界は、リュネシス様が創造された異空間です」
見なさいとばかりにディーネは、〝光の杖〟をもつ片手を優雅に薙いだ。後ろにいるふたりの漢たちも、黙って耳を傾けている。
「そこに、わたくしの水の魔力による仮想現実で新たな世界観を形造り、さらにアカーシャさんの幻術を上乗せして、我々の力で天界のような快適な空間へと仕上げたのです」
ディーネは、ゆるやかに振り返った。
「あらためて、わたくしたちの精霊世界エストラーダにようこそ。あなた方が初めての来訪者です」
言い終えるタイミングで、四人は天空の城に到着する。
螺旋階段の終着点は城の階下の中央にあり、さながら聖堂を思わせる厳かで広い空間であった。
ルナたちがそこに足を踏み入れた時、何やら大勢の人がざわめく声が聞こえた気がした。
まるで宴の喧騒を思わせるような──それは、目前にある大扉の向こうから漏れ伝わってくる。
「あらあら。アカーシャさんたら……」
ディーネが少し困ったように、綺麗に整った口元を歪めた。
「百年前の因縁ある双頭守護神のお二方のことは、あまり歓迎されてはいないようですね」
そう言った彼女の笑みが、含みのあるものに変わり──唐突に、切れ長の目に宿る紺碧の瞳を、ふたりの漢のいる方にさり気なく流した。
それが合図であるかの如く、大扉が音もなく開く。
あたかも、いわくつきの舞台の演出が開始されたかのように──。
「これはご忠告なのですが……アカーシャさんの幻術の力は、このわたくしよりも上なのですよ?」
意味深なディーネの言い回しを、しかし瞬時に理解したベテルギウスの表情が険しく変わる。
「見るな!ライガル!!」
だが、友の警告にライガルが反応するよりも早く、開放された扉の向こうから華やかな色や音が、洪水の勢いとなって大量に流れ込んでくる。




