新たなる敵の襲撃
まだ宵闇の、孤独な城塞でルナは目覚めた。
すぐに目を開ける気にはならず、幸せの余韻に今は少しだけ浸りたいと思い、目を閉じたままでいる。
幼い頃から今までに何度も見た夢だが、この数ヶ月、特にその頻度が増している。夢の終わりに見るのは、必ず美しき魔王の幻影であった。
目が覚めれば、そのほとんどの記憶が失われている。
しかしルナは、窮地に陥った自分を救ってくれた、若者のことだけは明確に覚えていた。一方、魔女の記憶の方だけは覚醒時には、なぜかすっぽりと抜け落ちてしまっている。
それゆえ彼女の中で、いくぶん事実とすり替わった記憶として定着してしまい──指輪を授けてくれたのは魔王だと誤解している──誰にも話せない、話したところで誰にも信じてもらえない、甘い想い出となってしまった。
だが、もしも魔王に命を救われた、などと得意になって王城内で触れ回っていたら、気の弱い母などは卒倒していただろう。
それでも、ルナは確信している。
魔王として、この世界で畏れられているあの男こそが、地上の平和を影で守り抜いていたのではないか。
本来、行く手を阻む者のないほど、強大な力を持つ魔女王の軍勢が、未だこの世界を掌握しきれていない理由もそこにあるのではないか。
今こうしている間にも、魔王と魔女王側の間で、人知れず死闘が繰り広げられているのではないか。
あの時、自分が助けられたのは、その戦いのひとつではなかったのか。
ならば自分は──。
込み上げる様々な想いに、少女は独り言ちる。
「また……助けられたね」
ルナはクレティアル城での死闘を思い返しながら、薬指にはめた指輪の紅い宝石をそっと撫でた。
——この紅玉から飛び出した生き物は何だったんだろう?あたしを護ってくれた、あの強い鳥のような生き物は……もう一度呼び出せないかな……。
回想にひたり起きることに躊躇っていたルナの脳裏を、突如として悪寒が疾り抜ける。
——敵か!?
ルナは素早く上半身を起こし、枕元に置いていた剣と羽衣を手に取ると、するりとベッドから抜け出した。同時に羽衣は、敵に悟らせぬよう寝具の下に潜り込ませる。
邪悪な何者かが近づいてくるのが気配で分かる。
ぎしっ、ぎしっ、と重く引きずるような足音が、夜の黙に響き渡る。
気配はふたつ──。
聖域であるはずの賢者の城に侵入を果たすとは、よほど高位の魔物であろうと推察できる。
ルナは足音を忍ばせて扉の間際にまで近寄ると、息を殺して剣を構えた。
同時に、いかなる攻撃にも即応できるよう、暗闇の隅々にまで五感を集中させる。
迫りくる二つの気配。そしてさらに──!?
バンッ!!
扉が荒々しく、何者かに開け放たれた。
二体の怪物たちが、のそりと室内に入り込む。人の形をしているが、明らかに人外の者たちであった。
二体とも、身の丈が二メートルを軽く上回っている。そして、どちらも気味が悪いほど長く太い腕を有しながら、それ以外は全く個別の奇異な特徴を備えていた。
一体は、全身が毛深く焼けただれたような醜い肌をしている。
歯肉からは飛び出さんばかりのびっしり並んだ牙が目立ち、眼窩は闇を宿しているのみで瞳がない。また、その鼻も溶け落ちたように二つの穴だけが空いている。
食屍鬼と呼ばれる、アンデッドの上位怪物である。
ゾンビの近種であるが、無知で緩慢なゾンビとは異なり、ある程度の知性を持ち動きも早い。また積極的に人肉を喰らうため、凶悪なエネルギーを蓄えて並のゾンビより大幅に強化された肉体を備えている。
もう一体は土色に汚れた包帯を痩身にくるみ、とめどない凶気を全身から発散する怪物——マミーであった。
やはりアンデッドの上位に当たり、生前のままの知性を残しているため、人間であった時からそのまま引き継いだ能力を持つ。ゆえに個体によっては、桁外れの異能を誇る者もいる。
「たーっ!!」
剣が、一閃する。怪物たちから先手を取った目にも止まらぬルナの斬撃であった。
それは寸分の狂いなく闇の中、敵の頭と胴体の継ぎ目の部分を狙いすまして振り抜かれた。
天才的な剣技と感性の成せる離れ業である。
あっという間にふたつの頭部が宙に舞い、二体の化け物は何が起こったのか認識する間もなく、その首を綺麗に切断されていた。
「いきなり乙女に夜這いとか、ありえないんですけど……」
ルナは足元に転がる首を踏みつけながら吐き捨てると、開かれた扉の闇に怒りの視線を放った。
「さっさと来れば?隠れてるのは分かってんだからね!」
少女の声には、今や押し殺せない敵意と憎しみの感情が露わになっていた。
「おや?これは失礼を……」
闇の中から不気味な声が返ってきた。
「お気づきでしたか……さすがは噂に名高い竜剣士ルナ姫。私の部下をこうもあっさり倒されるとは、やはり相当な実力をお持ちですなあ」
下卑た笑いを口元に含めながら姿を現したのは、藍色のローブを着込んだ痩せぎすの男であった。




