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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第五章 竜剣士ルナ
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魔王との想い出

 温かく柔らかい闇の中に沈み込んでいく。


 意識の(しゃ)(めん)(すべ)り落ち、(ぼう)(きゃく)の世界に導かれてゆく感覚であろうか。


 深い夢の中にルナはいた。


 新月が夜空に(またた)き、()えた光を放っている。

 その光も届かぬ真っ暗な森の中、(とき)()り謎めいた猛禽類(もうきんるい)の鳴き声や狼の(とお)()えに(おびや)かされながら、幼いルナは木々の間を()うように駆け抜けていた。


 はっ、はっ、はっ、はっ!


 軽快に息を切らせているが、その表情にあるのは例えようもない不安と焦り——そして、(おび)えだった。

 幼子には扱いきれぬ()(じゃ)の力を秘める銀の短剣を小さな手に握りしめ、彼女はただ懸命にひた走っていた。




 これより少し前、クレティアル城に突如として、魔物たちが奇襲をかけてきた。


 彼らを先導したのは、魔女王側に通じていたルスタリアの宰相と、一部の重臣、及びそれに付き従う兵士たち。


 その襲撃はあまりにも鮮やかであった。


 エルシエラ周辺に現れた人喰い魔獣の群れを国王らが討伐軍(とうばつぐん)として(おもむ)いたその(すき)(じょう)じ、魔物たちを主力にした突撃軍が、城内にまで()()()んできた。全ては、幼いルスタリア王女を(りゃく)(しゅ)するために仕掛けられた罠であったのだ。


 見事な()(ぎわ)で王女を拉致(らち)し作戦を遂行(すいこう)すると、王城の近衛兵をも蹴散らして、魔物を交えた襲撃隊は夜の闇の中に消えていった。


 だが、選ばれた精鋭のみで()る魔女王の兵員たちですら、予測もできなかった事態がその後に起こる。


 部隊がエルシエラから北東にまで遠く離れ、深まった宵闇(よいやみ)とともに休息を取ろうとした時のこと。


 馬車の中に簀巻(すま)きにして放り込んだ獲物を確認するために、隊員のひとりが(ほろ)を開いたその(せつ)()——わずか六歳の幼女が虎の如く飛び出し、隠し持っていた短剣で、瞬時に数人の大人に斬りかかったのである。

 同時にその場にいたルスタリア宰相が一同の黒幕であると(そく)()()()き、その片目をも素早く切り裂いた。


 自ら拘束(こうそく)()いた上での、信じがたい電光石火の早業(はやわざ)であった。


 直後、幼女は森の中に——デュアール平原の北方に位置する、イリネア森林地帯と呼ばれる樹海へと逃げ込んだのだった。


「あの小娘(ガキ)がぁ……」


 失われた片目から流れ出る血を布で押さえながら、宰相は逆上した。

 元々は幼い王女を生け捕りにし、魔女王に差し出すことで見返りを得る()(くろ)()があったのだ。

 しかし、この時点で彼は方針を変える。


「王女を見つけ次第殺せ!絶対に逃がすな!!」


 もともと魔女王には、ルスタリア王女を捕らえるに際し、その生死は問わぬと命じられていた。


 ゆえに宰相は、レミナレス王家の復讐心をきつけぬための生け捕りという(こだわ)りも、煮えたぎる怒りのためにあっさりと捨て去ったのである。


 迫りくる()(とう)の群れを背中に感じながら、ルナは全力で駆けていく。

 月明かりすら届かぬ闇を、いとも()(やす)く見通して、(さえぎ)(あま)()の障害物を、ものともせずに乗り越える。


 彼女の運動神経は、およそ幼子のそれではなかった。


 だが、「(やみ)眷族(けんぞく)」である追手たちには、さらなる()(のう)(そな)わっていたのだ。

 奥深い深夜の森の中を移動する小さな獲物を、躍動(やくどう)する娘の生命の気配を、悪魔たちの(たん)()が的確にそうと見抜き(ほう)()(もう)(せば)めつつあった。


 はっ、はっ、はっ、はっ!


 呼吸が、荒い——。


 並みの大人でも走り得ぬ距離を、すでに幼い姫は疾走(しっそう)していた。

 もう追手たちが、すぐ後ろにまでせまっているのが感じられる。超人的資質を持つ幼子を、されど軽く体力で上回る巨大な怪物たちが凄まじい勢いで()()ってくる。


 特殊(とくしゅ)夜目(よめ)がきく追手の視点からは、木々の(すき)()(とう)(そう)する幼女の(しき)(さい)がちらついて見える。

 獰猛(どうもう)な怪物たちの視界がはっきりと、ルナの背を()らえたのであった。


 十メートル……五メートル……一メートル……。


 間隔(かんかく)限界(げんかい)にまで()められ、背後にいる魔物の太い毛むくじゃらの手が、生暖かい不気味な息遣(いきづか)いと共にぬっと伸びた、その時——。


 森が、開けた。


 月明かりが一面に降り注ぐ、緑の平野が目の前に横たわっていた。


 ()(しげ)る野草と低木だけの、あたかも()(とぎ)一場面(ワンシーン)のような風景——そこに、夜空からの蒼白(あおじろ)い光に照らされた、ふたつの影が存在していた。


〝人〟であろうか。


 だが、人にしてはどこか幻想めいた、おぼろげで妖しげな気配がある。

 そして、陽炎(かげろう)のようなその者たちの口元に、フッと(うす)()みが浮かび上がったのがはっきりと見え──。


 その(せつ)()である。

 計り知れない殺気の(かたまり)(ふく)れ上がり、ルナの頭上を風となって(はし)()けていったのは!


ようきょく風斬ふうざん!」


 (きょう)(がく)(こお)り付いた幼女の耳に、妖しくも(りん)とした気合が響き渡った。


 風と見えたのは、ルナの目の前にいたひとつの影が、頭までも包み込んでいた黒いフードを脱ぎ捨てざまに放った斬撃(ざんげき)であったのだ。


 突如(とつじょ)として現れた神秘的な輝きを宿す大剣が、(うな)りを上げて(まぶ)しく発光する。それは使い手の魔力を()めた、〝殺戮(さつりく)の風〟となって射出されたのであった。


〝どさどさどさっ〟とルナの背後で、(いっ)(せい)(くず)れる落ちる音がした。()(ぢか)にまで(せま)っていた(あま)()の凶悪な邪気が、一瞬にして消滅した。


 恐る恐る振り返ると、そこにあったのは、血と(ぞう)()をまき散らす()(ざん)(にく)(かい)と化した怪物たちの(しかばね)であった。


 信じられぬ現象に目を見開く幼女の目の前に、いつの間にかひとりの若者が立っていた。


 失われた神の絶技──〝聖剣奥義〟を決めた直後の姿勢で立ち尽くす、この世の者とは思えぬ美貌の若者である。


 (げっ)()(きら)めき七色に変色するプラチナの髪。芸術美と呼ぶに相応(ふさわ)しい切れ長の目。整った()(りょう)と無駄ひとつない唇のライン──そのすべてが、理想的形状を描き崇高なまでの美を(たた)えている。


 しかし、何よりもルナが()かれたのは若者の(ひとみ)であった。


 それは、(めい)()な髪の(すき)()から見え隠れする魔性の双眸(オッドアイ)──吸い込まれそうなまでに魅了される(あお)と金のひとみが、(おび)えていた幼女の心ですらも熱く溶かしてしまうほど、つよはげしく輝いている。


「まだ……()りずに来る……バカどもがいるみたいだな」


〝聖剣奥義〟の体勢をおもむろにいた若者が、冷めた表情で呟きながら、息をんで(たたず)んでいるルナの横をゆっくりと通り過ぎていく。

 幼女を追って後から駆けつけてくる無数の魔物たちの遠い気配を、彼は正確に察していた。


 若者の全身が、(あざ)やかな(あお)いオーラで燃え上がる。


 彼は光り輝く大剣〝雷煌聖舞〟を力強くひと()ぎすると、樹海に広がる闇をじっと見据(みす)え、そのまま歩を進めて行った。


「こっちにいらっしゃい……ひとりでいると危ないわよ」


 呆然ぼうぜんとして若者を見送ったルナの背後から、密を含んだような甘い声が月夜に響いた。


 見れば草原の中ほどに、先ほどの若者と似て異なる漆黒のマントで全身を包んだ女がいた。


 とてもミステリアスな女である。


 ルナの()(ねん)を感じたのか、その女は安心させるように、するりとフードを脱いだ。


 現れたのは、月光に白く染め上げられた世界でなおも、(ひと)(きわ)に輝いて見える女神の顔容(かんばせ)であった。


 銀河の星屑(ほしくず)以上に(きら)めく黒い金剛石(ブラックダイヤモンド)の髪をなびかせて、新雪のように白い肌は(ほの)かな光を(まと)っている。紅玉(ルビー)の瞳を宿す双眸(そうぼう)は悪魔的な視線を放ち、か細い()(りょう)は非の打ち所がない(りょう)(せん)えがく。


──この人たちは、本当に人間なのだろうか……?


 あまりにも美しく超越的存在に心を奪われ、気がつけばルナはふらつく足で漆黒の女——否、漆黒の魔少女の元に歩み寄っていた。


 幼いルナの目から見ても、彼女は人ならざらぬ者でありながら、自分を助けようとしてくれる信頼に足る何者かであることだけは確信できた。


 十分にルナが近寄ると、魔少女は幼女の目線に合わせて腰を(かが)める。その動きひとつまでも、とても幼女を思いやった柔らかい身のこなしであった。


「ふふ……素直ないい子ね。もう大丈夫……何の心配もいらないわ」


 あやす声音で語る魔少女は、(ひな)(かば)う親鳥がするように優しくルナを抱きしめた。何とも言えない(あん)()が、おびえきっていた幼女の心を満たしていく。


 直後——彼女らの温かい邂逅(かいこう)を打ち破る心無い者たちの集団が、ばらばらとふたりを取り囲んだ。

 ルナを(はさ)()ちにするために、他方から回り込んだ宰相たちの突撃部隊であった。


 彼らの中心には、片目に血で濡れた布を巻きつけて、怒りに震える小男の姿がある。


「……女ぁ。なかなかの手練(てだ)れのようだが、名の知れた魔導士か?」


「……」


 いきなり乱暴に投げかけられた宰相の言葉には応えず、漆黒の魔少女は背を向けて、ルナを抱いたまま静止している。


「寄こせ、その娘を!すでに魔女王様の部隊がこちらにせまっている。死にたくなければ娘を置いてすぐに立ち去れ!我らに逆らうことは魔女王様に逆らうことになるのだ!魔導士ならばその意味がわからぬ訳ではあるまい!!」


 斬りつけられた片目の痛みに激昂(げっこう)している男は、謎めいた女を一応警戒し少しの距離を置きながらも、彼女の実力を慎重に()(はか)る余裕を失っていた。

 そのため、不動のまま押し黙る魔少女を降伏(こうふく)の意と(とら)え、遠慮なく前に踏み出そうとした。


 反射的にルナの全身が恐怖に硬直する。


 が、幼女の恐れを(しず)めるためなのか、あるいは()(ぼう)(きわ)まりない男たちを前に、ついに燃え立つ()(しょう)の血を抑えきれなくなったのか、鮮血(せんけつ)薔薇(ばら)を思わせる唇が妖美な笑みを浮かび上がらせる。


「あなたたちこそ立ち去りなさい……我が炎に焼かれて、永劫(えいごう)の闇を彷徨(さまよ)いたくなければ……ね……」


 どす黒く──そして、不気味な迫力のあるその言葉に、宰相の動きが〝ギクリ〟と止まる。


 直後、心臓を鷲掴(わしづか)みにされたかのような恐怖が、足元から()い上がってきた。魔族への造詣(ぞうけい)が深い男は、このような言葉を使う女をただひとりだけ知っている。


 そして、女の内側から(でん)()する()(てつ)もない妖気も——。


「……ま、まさか……あなたは……」


 顔面を蒼白(そうはく)にして唇までこわばった男の言葉が、そこで途絶(とだ)えた。

 しかし、なまじ強者ぞろいの部下たちには、まだ状況が()(あく)できていない。


「なに言ってんだ、ねーちゃんよぉ!」

「めんどくせー!殺れー!!いや、先に犯せー!!!」


 荒くれ者を交えた部隊の幾人かが、すでに(おさ)まりが付かないほど(たかぶ)っており、指揮官である宰相の制止も聞かず問答無用の勢いで魔少女に飛びかかった。


——殺される!


 思わず身を固くしたルナの鋭敏(えいびん)な聴覚が、その瞬間、(かす)かな呪の一言を確かに聴き取る。


 一瞬、常人には知覚できぬあかい波動が魔少女を中心に音もなく広がっていき、時の流れまでもが()()められた。


 その不可思議な静寂の中、ぞくりとさせられる(つや)っぽい声が、幼女の耳元に(ささや)きかける。


「安心なさい。彼らはすでに……」


 魔少女の切れ長の目に宿る紅いひとみが、すーっと真横に流れる。

 再び時の流れが元に戻り、背後で真紅の(ほのお)(いっ)(せい)に咲き乱れた。


「……燃え尽きている」


 最期の言葉と同時に、薄紙のように燃え盛る男たちの絶叫が辺りに響き渡る。


 いかなる魔力によるものなのか、ルナの目前で突撃部隊全員が、体内から炎を(ふき)()して一気に焼き尽くされたのであった。

 (がん)()から、()(こう)から、口から、全身の穴という穴から朱色の火炎が吐き出され、瞬時に溶解(ようかい)した肉が人型の(ろう)の如く燃え盛り、骨も残さず白い灰となって消えていく。


「フフフフフ……」


 だが、漆黒の魔少女はそれらに目をくれることもなく、闇を焦がす火の原を背に、薄い笑みを浮かべていた。


 彼女はしばし、がたがたと震える幼女の(おび)えを消し去るため優しく抱きしめたまま、暗い()(くう)に目を向け続ける。


 と、魔少女の見つめる方角から先ほどの美しい若者が——否、やはり彼も少年と呼ぶべきであろうか——夜目に煌々(こうこう)と輝く〝雷煌聖舞〟を(さや)に収めながら、悠然(ゆうぜん)と歩み寄ってきた。


「済んだの?」


 魔少女が、さらりと()いた。


「ああ……」


 少年は、何事もなかったかのようにこたえた。


 彼は後から(せま)り来た魔物たち──(こう)(はん)()(たん)(さく)するために派遣された魔女王の一個師団を、ふたりの少女に害が及ばぬよう、離れた場所ですでに殲滅(せんめつ)させていた。


「見て。リュネシス……」


「うん?」


 魔少女は少年にもよく見えるように、いくぶん落ち着きを取り戻しかけた幼女の体をそっと押して、少しだけ彼の方に振り向かせた。


「この子、人間なのに私と同じ赤い目をしている……きっと、誰よりも強くなるわ」


「……そうだな」


 リュネシスと呼ばれた少年は穏やかに(うなず)くと、初めてルナの存在を認めたかのように幼女の顔を一瞥(いちべつ)する。

 その、魔力を宿した(よう)(れい)な瞳に(ちょく)()され、幼いルナの心臓が〝どきり〟と跳ね上がった。


「確かにこの娘は、おまえとよく似た目をしているな……アカーシャ」


 ようやくルナに興味を持った様子で、リュネシスは静かに言った。


「フフ……」


 アカーシャは満足そうに微笑むと、もう一度ルナを自分の方に振り向かせた。そして、(あで)やかな美貌を真顔に変えると、(あか)い瞳に力を()める。


「いいこと?ルナ……今夜の出来事は忘れなさい。ただし——」


 アカーシャは自分の指に()めていた赤い宝石の付いた指輪を外すと、そっと、ルナの掌に握らせた。その上に、しなやかな白い手をふわりと()えて、大事に大事に念を押しながら彼女は告げる。


「この指輪のことだけは絶対に忘れないで、いつまでも大切にするのよ。これは、〝炎の指輪〟——この世にたったひとつしかない、あなたを(まも)る魔法の指輪なのよ。わかったわね……ルーナ」


 なぜ、この人は私の名前を知っているのだろう……王女であるあたしを呼び捨てにするなんて、どういう人なんだろう……様々な疑念がルナの中で生じたが、なぜかすべてのことが当然のように受け入れられた。とても温かくて、愛おしくて、そして尊いこととして……。




 意識が(ぼう)(きゃく)の水底をただよいながら、ゆっくりと浮上してゆく。

 無意識の(りょう)(いき)から、はっきりとした(しき)(さい)(ほん)(りゅう)に導かれて。

 (めい)(りょう)(かく)(せい)の世界に向かっていくにつれて、(のう)()に焼き付いた幸福な場面が魔少女の言霊(ことだま)で切り取られた後——。






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