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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第二章 修道女プシュケ
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魔王生誕

 当て所なく、くらい荒野を彷徨さまよっている。


〝何か〟から逃げてきた。無力な〝幼子〟でしかない彼には、太刀打ちできない恐ろしい〝何か〟から。


——私は、どこに向かおうとしているのだろう?


 彼は自問した。


 しかし周囲には答えの見出せぬ、虚しい闇しかない。それはどこまでも果てしなく、無限を思わせる暗黒のあぎととなって広がっている。


 右も左も分からぬ中、かすみのかかったおぼろな空間の向こうから、唐突に白い集団が現れた。

 白色の旗印を掲げ、白色の鎧兜に身を包み、白色の軍馬にまたがる精悍な気配をただよわせた兵士たちである。

 彼らは十頭ほどの軍馬を御しながら、こちらに向かって走り寄ってきた。


 みるみる内に迫り来た兵士たちの一団に、幼子は身を固くする。


「さあ殿下。お助けに参りました。こちらへ——」


 男たちの中で一際ひときわたくましい男が、深刻な表情で手をさし伸ばしてきた。


 彼はディアム城近衛隊長を名乗った。男の言葉に悪意は感じられず、また、あらがうことを許されぬ気迫があった。


 白い戦士たちに従い、どこかへ連れられていく。


——いったい何処どこへ連れられるのだろうか?


 幼子の胸の中で言い知れぬ不安が、暗雲のようにふくらんでいった。


 向かった先は、見事なまでの白亜の巨城である。


〝ディアム城〟と名付けられるその城は、城の主であるディアーナの名をかんした、世界に知れ渡る名城であった。


 だが、そこには城の美しさに反した、醜悪なまでの悪意と敵意がうずまいていた。


 城に連れられほどなくすると、幼子は狭い居室に軟禁された。彼の護衛であった戦士たちは、わずか数か月ほどで何らかの形で処分され、あるいはほうむられた。


 近衛隊長は幼子の身柄を別の安全な場所に移そうと画策かくさくしたが、それはかなわず移送計画の実行直前に、幼子の目の前で惨殺される。

 彼は死にぎわ、自分の不甲斐ふがいなさと思慮の足りなさを何度も幼子に詫びて死んでいった。


 その後、幼子は捕らわれの身と変じる。世界中を狂気の渦に巻き込んだ〝悪魔裁判〟の被告として。


 幼過ぎる彼には、自分の身に何が起こっているのかを理解することすらできずにいた。ただ、長い時を牢につながれ、痛めつけられる凄惨せいさんな日々を耐え続けた。


 幼子は、右と左で色合いの異なる奇異きいな瞳を有していた。それは、〝魔性の瞳〟と呼ばれた。

 さらに忌み深きことに、瞳の奥に時として浮かび上がる謎めいた光彩には、神と人類の敵対者を示す「逆十字」の紋様もんようがはっきりと刻まれていたのだった。


 ただし、幼子の瞳からあふれる涙と、体から流れ出る血液には希少なる価値が見いだされた。


 幼子の瞳から溢れる涙は、極上の純金だった。


 幼子の身を切り裂いて流れ出る血は、至極の碧玉サファイアだった。


 怪しげな魔導士の告げにより、それら純金と碧玉を同時に手にした者は、無限の富と魔力を得ると信じられた。


 幼子が人ならざる者であることは、疑いようがなかった。


 ゆえにいつまでも、悪魔裁判での物的証拠を建前に、幼子の瞳の涙と血液を奪い取るだけの陰惨いんさんたる日々が続いた。

 それでも彼は、ほとんどうめき声すら立てなかった。


 無垢な幼子が何も知らず連れられたのは、〝風の女王ディアーナ〟の治める王国であったのだ。


 ディアーナは天界で美を司る熾天使であった。

 彼女が御使いとして地上に降り立ち、築いたのが〝風の王国アルゴス〟であった。


 アルゴスは風の力で守られ、愛と平和が約束された国として繁栄する。


 しかし、その栄華が百年続いた頃、世界にくらい異変が起きようとしていた。


〝魔女王ラド―シャ〟の魔手が、世界中を浸食し始めたのである。

 こうけた魔女王の呪いと悪意は、ディアーナの風の王国アルゴスにこそ最も強く向けられた。


〝黒の一族〟と呼ばれ、世界各地に根を張る魔女王の狂信者たちが、まずはアルゴスの国家中枢に深く潜伏することから始まった。

 そして王国を、内部から食い荒らしたのである。


 彼らはいつわりの神をかかげ、国家的な宗教政策とする。

 それはたくみに法にすり変えられ、彼らの意図に沿わぬ者たちをおとしいれる狂気の〝悪魔狩り〟として、野火のびのような勢いで世界中に広がっていった。


 罪のない多くの人々が〝悪魔〟とみなされ裁かれた。

 裁判では不正やちゃくが横行し、そこから利益をむさぼる役人や僧侶たちにより、さらに世界の狂乱は歯止めなく加速していった。


 そしてついに、狂った世界の憎悪の矛先が、アルゴスの女王であるディアーナにまで向けられたのだ。


 ラド―シャの放った魔力と刺客たちにより、なす術もなくディアーナは、力と体を奪われ無惨にも処刑される。


 その場には、密かに監禁されていた幼子が立ち会わされていた。


 彼の流す、この世の至宝である純金の涙と碧玉の血を独占し、最後の一滴までも奪い尽くすために。

 いずれは魔女王とその一味の前に立ちふさがるであろう幼子に絶望を与えた上で、彼の存在そのものを消し去るために。


 突如、目の前で起こった悲劇の意味が、幼子には理解できなかった。長く幽閉された牢を、衛兵たちに連れ出された直後の惨劇である。

 

 目の前で初めて出会うこの世の者とは思えぬほどの美しい女性が、いきなり処刑され、その美体を兵士たちに凌辱され始めたのだ。


——この人は誰だ?


 そのときディアーナの失意と無念が、激しい想念となって幼子の中に一気に流れ込んだ。

 

 いまきわ、彼女が持てるすべてを、愛しい我が子に託すために——。


——この人は私の母だ!!


 幼子の心の叫びと同時に、莫大な魔力と知識の渦がディアーナから注ぎ込まれた。


 そして、女王の落命に呼応したかのように沸き起こった、天空からの凄まじい〝落雷〟に打たれる。


 聖なる美神をじゅうりんしたことによる、人間たちのあまりに深く浅ましき罪業ざいごうに厳罰を下すために、神までもが幼子に〝裁きの天使〟としての力と権限を与えたのであろう。


 風がごうごうとうなり、幼子のまばゆくきらめくプラチナの髪を、威厳ある王者の旗印のように高々となびかせた。

 細胞の一つ一つがれいし、無垢な幼子がこの世のあらゆる負の想念をかてに、妖しげで美しい若者へと急速に成長していく。


 どこからか、地響きが聞こえてくる。


 否──それは、またたくまに幼子から急成長した若者の体内から響き渡っていた。


〝どくん、どくん〟と心臓が、巨大な音を刻みだしている。

 

 まるで地獄の果てから響いてくるかのごとく、不気味にとどろき渡る心音であった。

 

 寄り集まった兵たちの鼓膜まで波打たせるその脈動は、周囲の空間全体をもきしませる。

 理解を超えた現象を前にして、ただ奪う側であったはずの悪兵たちが恐れに色めき立つ。


「フ……フッ、フッ、フッ……」


 若者の口元に歪みが生じていた。


 無限のりょくが沸き上がってくる。


 この世界を支配し得るほどの魔力が。


 望む物すべてを手にし得る〝魔王〟の力が。


 若者のかおが閃光に包まれ、妖麗な笑みを形造る。

 そのほとばしる光の中で、なおも圧倒的な輝きを放たんとする表情の凄まじさに、城内で暗躍あんやくしていた〝黒の一族〟の長たる老婆が叫んだ。


「こ、殺せ!そはまぎれもなく、ディアーナの呪いが生み出した〝魔王〟であるぞ!!」


 だが、すでに絶対的な存在となっていた若者には、武具を手にする魔女王側の兵士たちに囲まれようと、恐れの感情などまったく湧かなかった。彼は、ひとりでに出るわらいをこらえきれなくなっていた。


 黒衣の兵たちからまわしい殺意の波が伝わってくる。

 その者たちは間違いなく、当初から自分を母と共に惨殺ざんさつするつもりでいたことを彼は瞬時に悟っていた。


「フフフ……クッ、クッ、クッ、クハハハ——」


 若者の唇が、悪魔さながらに〝グワッ〟と凄絶せいぜつにつり上がった。


「〝魔王〟……と言ったのか……」


 それが、彼が口に出した初めての言葉だった。


「私を……〝魔王〟と言ったな……」


 み子の言葉に反応して〝風〟が一旦、静止する。


 ざわり、ざわり、と大気が巨大に満ちていく妖気にゆれ始める。


 想像を絶する災厄さいやくを予感した辺り一帯の、人の目には映らない精霊や雑霊たちまでもが、恐怖におののいてその場から散り散りに逃げ失せていく。


 いつの間にか〝風〟がもう一度、強く荒々しく吹き始めていた。


 そう……その〝風〟はすでに〝強大な嵐〟と化していて、若者の内側からわき起こっていたのだ。



 ―――― § ――――



 今、若者は目醒めざめた。


 この世界に君臨する覇者として。


 母ディアーナをはるかに超える存在として。


 天と地に追われながらも、それらを震撼せしめる者として。


「そうだ……私は〝魔王〟……」


 この地上に君臨する力を持つ者の、魔性のひとみはげしく〝カッ〟と見開かれた。


「〝魔王リュネシス〟だ!!」







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