ルナの出生
広間はすでに侍従長や近衛兵、そして何人かの重臣たちが集まり、深刻な面持ちで言葉を交わし合っていた。
「父上!母上!」
「おお……ルナ!」
「ルナ!」
息せき切って飛び込んできた娘に、国王夫婦は言葉を詰まらせながら、体を寄せ合ってきた。
「父上……魔物たちの大群が!」
「分かっておる。だが心配することはない。ルスタリアはこれまでに、何度もこのような危機を乗り越えてきたのだ」
自信ありげに振る舞う王の声は、それでもどこか無理をしているようにルナには感じられた。
「しかしルナ……もしもの時のために、おまえにこれを渡しておく」
王の目くばせを受けて傍らにいた侍従長が、恭しく黒い箱を差し出してきた。王家の儀式のときにのみ使われる重厚な漆塗りの箱である。
驚いたルナは、しかしその場の皆に礼を失さぬよう、あわてて頭をたれて箱を受け取る。彼女は全員の注目の中、厳かな仕草で箱を置き、ゆっくりと蓋を開けた。
そこには一糸乱れぬ折り目で畳まれた、気品に満ちた衣が収められていた。おそらくかつて高貴なる者がまとったであろう、時の重みと静謐を湛えた装束である。
「これって……?」
訝しく思いながらもルナは衣装を箱から取り出すと、父と母が見ている前で丁寧に広げた。
それは、淡い光を放つ世にも見事な羽衣であった。
全体のシルエットは、女神の如き馥郁たる体の線を模写している。ウエストの切り替えから裾に向かっては、ふんわりと膨らんで幾重にも重ねられており、光を受けるとそれぞれの層がまるで虹のような七色の光輝でキラキラと照り返す。
「おまえも見るのは初めてだな。これは〝精霊の羽衣〟だよ」
「……〝精霊の羽衣〟……」
父と同じ言葉を呟きながら、ルナはそっと羽衣を撫でた。
それは今までに知るどんな高級な布地よりも滑らかな肌触りがあった。透けるような半透明の織物は、それ自体が優雅な光沢を放っている。
「そうだ。これこそが我らレミナレス王家が守り続けなければならぬ、この世の秘宝——〝精霊の羽衣〟なのだ」
父王は重々しい眼差しを娘に向けた。
王妃もいつの間にか思いつめた表情で、愛しいひとり娘である王女の肩を後ろから抱いている。
「これから話すことを、よく聞くのだルナ。」
娘の目をしっかりと見つめて父は語りだした。
それは、ルナの出生に関わる物語であった。
十四年前の夏——ルスタリア国王、現レミナレス五十世の待望の世継ぎとして、ルナ・ユースティ・レミナレスがこの世に生を享けた日のことであった。
真夏にしては過ごしやすい気温の夜、国王は不可解な夢を見た。それは夢にしては現実感が濃く漂う、幻視と呼ぶべきものだっただろうか。
国王は心地よい光の中にいた。すべてを優しく包み込むような──。
その光の中で、透き通るような女性の声が聞こえてくる。
「強き竜の子の誕生を祝して……」
崇高な気配とともに、威厳に満ちた言葉が響き渡った。
「近い将来、巨大な邪悪が目覚めましょう。産まれ出たあなたの娘はこの世の希望……ルナに〝精霊の羽衣〟を託すのです。然るべき刻が来るまで、正しき精霊に出会う刻まで、この子に羽衣を護らせなさい。そして、この子にも精霊の加護のあらんことを……」
我が子を守るように寝ていた王が目覚めると、目の前の姫のゆりかごの中には、厳重に保管されていたはずの〝精霊の羽衣〟が、赤子をおおう形に敷かれていた。
神に認められし者にしか触れさせてはならぬとされている羽衣が、自らの意思で彼女を選んだかのようであった。
王はその時、ルナの生まれ出でた運命を確信したのである。
「さあ、この羽衣はおまえの物だ」
一通り語り終え、父王はさらに続けた。
「本来、レミナレス王家の者は代々に渡ってこの羽衣を着用し、定められた儀式を行うのが常であった。だが、我が王家は百年前の「エルシエラ大戦」以来、三代にも渡って「王家の儀式」を成せる者が現れなくなっていた。それはこの刻に備え三世代の時を重ねて──つまりルナ、おまえひとりに神龍の血と力を蓄えていたがゆえと今になって私は悟った。だからこそ、これからはおまえがこの羽衣を、レミナレス王家の使命として守ってゆくのだ」
「……父上」
王家に生まれた者として、ルナはその意味を解っていた。




