暗躍するふたり
遡ること十二年前。
歴史の表舞台から若き魔王と魔女が消え去り、地上の覇を唱えんとする魔女王ラドーシャの謀略が、あらわに世界を席捲し始めていた頃。
魔女王勅命によるルスタリア王国壊滅作戦は、ラドーシャ直属の精鋭部隊により推し進められ、着実な成果を上げていた。
大国ルスタリアを中心に、十の列国が栄えていたこの時代──目に見えた大きな争乱はなかったものの、 世界各国の地の底では長虫が這い回っていくように、ゆっくりとだが確実に闇の女王の魔手が浸透していったのである。
そして、その裏でうごめく、もうひとつの邪悪な影も存在していた。
ラドーシャ配下「六魔導」のひとり〝蛇の女王メデューサ〟──どす黒い軍功に逸るこの蛇の王の一大部隊が、主メデューサの命を受け、密かにアルゴス急襲を画策していたのだ。
軍団は二つに分けられ、撹乱・殺戮を目的とする「先遣部隊」と、後続の本隊としてあらゆる状況に対応し、極めて高い戦闘能力を発揮する「制圧部隊本隊」により成り立っていた。
先遣部隊の総数は五千余り。
人間を好んで捕食する、ヒト型爬虫類の怪物歩兵を主軸とした、残忍かつ獰猛な殺戮集団であった。
だが夜闇に紛れ、怒涛の勢いで進撃したはずの先遣部隊の行方が突如として消える。定められた刻限に随時伝達されるべき情報が──それを発信する怪物たちの通信が、ぷつりと途絶えたのである。
夜中のうちには焼き尽くされた村や町の一報が、本隊になされていなければおかしい。
あからさまに不穏な気配を察して明朝、本隊指揮官号令の下、先遣隊が最後に通信を発した場所へと制圧隊は急ぎ向かった。
制圧部隊本隊の総数は、蛇王メデューサ配下の魔獣大軍団二万で成り立つ。
その戦闘能力は先遣部隊を遥かに凌駕して、一国の軍隊をも壊滅し得る悪魔の群れであり、思わぬ強敵──強いて言うなら、他国に散り散りになっているとされる魔王軍総帥アカーシャが指揮する「五妖星」とその配下の軍団──との戦闘にも対応できるように編成されていた。
制圧隊が駆けつけたのは、見晴らしの良いアルゴス国境の平原地帯であった。
そこで進軍した者たちが目の当たりにしたのは、ひとつの村にも到達することなく、たった一夜で完膚なきまでに叩き潰された無敵のはずの友軍の──まさかのメデューサ直下殺戮部隊の屍の山であったのだ。
「な……何があったと言うのだ!?」
死屍累々たる惨状を前に、メデューサ制圧本隊指揮官の醜い化け物顔がさらに歪む。
その凄惨たる地獄絵図の中で、わずかに息を残していた一体の兵を見つけた。
「しっかりしろ!おまえは何を見た?」
目の前で倒れる兵をゆすり起こして指揮官は訪ねた。
瀕死の状態で応えようとするのは、蜥蜴人と呼ばれる全身を硬い鱗で覆われた怪物兵である。
二メートルを遥かに上回る体躯を有し、非常に生命力も強いため、人間による攻撃などではびくともしないはずの大型亜人類であった。
「……や、〝奴〟が……たったひとりで……」
死にかけの蜥蜴人は、濁った瞳をさまよわせながら呻いた。
不思議なことに、その蜥蜴人を含めすべての怪物たちに、これといった外傷は見当たらなかった。
だが、いかなる力の働きかけかは推察もできぬが、彼らは皆、命の根源までも喰らいつくされるほどの致命的ダメージを受けていたのだ。
「逃げろ……俺たちみんな……〝奴〟に殺される」
「〝奴〟とは誰だ!?」
なかば怒ったように問い詰める指揮官に対して、蜥蜴人は最期の力を振り絞って応えた。
「……恐ろしい風が……殺戮の……す……」
死に際の台詞がそこで途切れ、がくり、と蜥蜴人の首が傾いた。
「──」
絶句した指揮官は、恐怖にゴクリとつばを飲み込む。
周囲では動揺する魔物たちが、あまりに不吉な仲間の死を見て徐々に騒ぎ出した。
「か、風だと……」
「ま、まさか……」
「魔王リュネシス!?」
想像するのも悍ましいその名前が、彼らの口をついて出た。
並の魔物たちには、かの真名を呼ぶことすら禁忌とされる死の先触れ──ゆえにそいつとの出会いだけは絶対に避けるべく、軍団は斥候を使い魔王の現存に関する情報に関しては、特に徹底して調べ上げていたはずなのだ。
──しまった!他の六魔導軍をだしぬいて、功に焦ったことが裏目に出たか!?
指揮官が早くも、煮え湯を飲まされるような後悔の念に震え上がったその刹那──膨大な魔力の波動と強烈な殺気を帯びた呪言が、辺りを疾りぬけた。
ドカーン!!!
直後、凄まじいまでの爆発音が鳴り響き、指揮官の視界の先で千以上もの魔獣の一団が一時に吹き飛ばされた。
「な、何ィ……!?」
あり得ないことであった。
弾き飛ばされたのはバジリスクと呼ばれる蛇の最上級モンスターたちであり、その一体だけでも、十~二十メートルを有するほどの巨体を誇っているのだ。
「な、何だこれは……何が起こったと言うのだ?」
爆発の熱風から顔を背け、押し寄せる高温の空気を手でばたばたとさえぎながら、指揮官が苦し紛れに叫んだ。
そこには、悪夢のような光景が広がっていた。
一万度を超える超高熱が一瞬で周辺一帯を焦土と変え、大地を燃え盛る火炎の赤と炭化した黒に染めている。
その死の荒野のあちらこちらでは、すでにあったものよりなおも惨たらしい骸や、火だるまとなった巨獣たちが混乱して叫び狂っていた。
さらに不可思議な力で形成された巨大な魔力の炎は、常世へと誘う顎となって広がっていき、悲鳴を上げて逃げようとする魔獣たちを贄にして次から次に呑み込んでいく。
大軍団の一部が隕石が落ちたかの如くごっそりと削り取られ、しかもその周りは火の海地獄と化している魔獣戦闘団の頭上に、今度は先ほどのものよりも、よりはっきりとした韻律が悪魔的な色香を帯びて響き渡る。
〝大気に宿る炎の精霊たちよ。古の契約による獄炎の力を示せよ。我が言葉の導たるを汝らの敵とみなせ──〟
それは、密を含んだような、若い女の声であった。
「お、おい聞こえるか!?」
「ああ……聞こえる……けどこの女の声は、一体どこから聞こえてくるんだよぅ!?」
業火の洗礼を免れた者たちも含めて、すでに戦意を失い逃げ腰になっていたメデューサ制圧本隊が、泡を食って上空を仰ぎだした。
無知な怪物たちに意味など解らなかったが、耳を侵す響きだけで、途方もない何かを呼び起こそうとしていることが感じ取れる言葉の羅列──自然界のエネルギーを結集させ、大いなる超常現象を引き起こす言霊の集合体が、空一帯を覆い尽くす。
圧倒的な戦闘能力を頼みとするはずの最強軍団が、為す術もなくうろたえ恐慌の極みに陥った。
妖しい韻律はそんな彼らをあざ笑うかのように、残酷なまでの喜びを交えて、その艶っぽい声をよりいっそう高らかにしていく。
止めようもなく進行していく巨大呪文の詠唱は、いつしか最終段階に到達し、複数の目標を定めてエネルギーを極大にまで増大させた。
そして──。
〝爆殺流星弾!!!〟
天空からの大災害を思わせる巨大光球が立て続けに射出された。
それは今──明け始めた空に浮かぶ太陽よりも一際眩しく輝いて、いかなる者も打ち砕く彗星となって降り注いでくる。
怒りを込めた唸りを上げて、大軍団に襲いかかった火球は同時に三つ。
それらが凄まじい勢いで飛来して、まずは怪物たちの中心に落ち、そして狙いすました両端に激突する。
ドカ、ドカ、ドカーン!!!!
先刻のものをさらに上回る三つの爆発音とともに、想像を絶するエネルギーの直撃が大地を激しく揺さぶった。それは真っ赤な炎を含んだ超高温の衝撃波を派生させ、巨大な土砂の波紋となって広がっていく。
神の──否、悪魔の鉄槌とも呼べる連弾は、目も眩む閃光となり炸裂し、周辺一帯を一瞬のうちに死の炎で焼き尽くした。
「フフフフフ……」
この光景を、遥かに離れた丘の上から眺めるひとりの女がいた。
陽光を吸収する漆黒のマントで全身を包んだ、この上なく妖美な姿で──極大呪文を決めた直後の、片手を伸ばした優雅な姿勢で佇んで、闇の女神を想起させる切れ長の双眸を、紅蓮の残り火で燃やしている。
炎の魔女アカーシャ──魔王に比肩する実力を有し、ともに伝説として語り伝えられる魔性の少女である。
大火の力と強力な幻術を自在に操る圧倒的な能力により、魔王ですらも一目を置かせ、巨大な魔王軍団の事実上の頭領として君臨する、至高なる〝魔族の姫〟であった。
「ふーっ」
アカーシャはゆっくりと腕を下ろしながら、美しくも険のあった表情を和らげて、穏やかな吐息をつく。その呼気にまで炎の残滓が混じり合い、妖しげな光景を飾り立てる。
そんな彼女のすべての仕草が、いかなる美姫にも真似できぬであろう途轍もなく蠱惑的な色香を放っていた。
「派手にやったな」
唐突に背後から、魔少女とは違う種類のなまめかしい声が響いた。
アカーシャが少しだけ顔を巡らせて、後ろに目線を送る。
そこに、漆黒の魔少女とは似て異なる黒一色のマントを纏う若者が立っていた。
見る者の心臓を凍りつかせるほど、妖麗な若者である。
神の最高傑作として称えるに足る切れ長の目が、それぞれ碧と黄金の異なる色の光を──〝魔性の双眸〟を宿している。同じように鼻梁と唇のラインも、芸術的としか言いようのない造形美を誇っている。
まだ夜空を残す有明の空が、強い黎明の白光を、ふたりの間に差し込ませた。
ふいに朝日を受けた若者の美貌が、きらきらと光の粒を踊らせて、神秘のオーラをともない一帯を仄かに勁く染め上げていった。
その聖光に打たれたアカーシャが、眩しそうに手をかざして、ほんのわずかだが苛立たしげに目を細める。
魔王リュネシス──天と地のあらゆる者を震撼させ、闇の支配者たる魔女王ラドーシャと地上の覇権を二分する男である。
若き魔王はあどけなく微笑みかけながら、魔少女にゆるやかに近づいて行った。
「さすがだな。アカーシャ──」
感心したように彼は言った。
すでに二分の一に相当する一万強もの魔獣兵団を一挙に失い、完全にパニックに陥って逃げ惑うメデューサ軍団を、男は尻目に見る。
壊滅であった。
長期戦ならまだしも、瞬時のうちに得体の知れない相手からこれほどの被害を受ければ、メデューサ軍団全体が受けた心理的ダメージも計り知れぬ。そして軍団を指揮すべき者も、今しがたのアカーシャの魔法攻撃で焼き殺されている。
そんな景観を遠くから眺めているふたりの瞳には、怪物たちを炙り殺しながらどこまでも拡大していく真っ赤な灼熱の地獄が、ありありと映しだされていた。
「まあ、これで見せしめにはなったわね。私たちの意思も十分、魔女王側に伝わったはずよ……」
アカーシャがそれらに視線を定めながら、危険なまでにあだやかな笑みを浮かべた。
「当分やつらが、こちら側に攻め入ってくることもないと思うわ」
「そうだな。後の始末は私がやろう」
リュネシスが軽くうなずいた。
「任せるわ……」
言ってアカーシャは、彼をじっと見つめた。
「リュネシス──容赦はしないで。敵の先遣部隊の中に生き残りが随分いた……あなたともあろう者が、何をやっているの?内側に迷いがあったからよ」
彼女は、意味深な間を開けて──。
「美徳と非情との狭間で揺れるのは理解できるけど、最近のあなたは優しすぎる」
そう、言葉に力を籠めた。
だが、リュネシスはさも鷹揚に言い放つ。
「優しい、だと?私は魔王だぞ──情けとは無縁だ」
「あらぁ?どの口で言ってるのかしら……」
〝にやぁ~〟とアカーシャは、いかにも意地悪く口元を歪めると、身体を妖艶に揺らしながらリュネシスに近寄って行った。
他人を嘲弄するときの彼女の悪い癖であるが、これほどの婉然な笑みを受けて平静を保てる男は、この世には存在しない。
「この口?」
アカーシャは白いしなやかな指先で、リュネシスの完璧な形状の唇を、いたずらっぽくそっと押さえた。
だが、魔王は動じない。
彼はあくまで、さり気なく切り替えした。
「アカーシャ──私を信じないのか?」
「……信じてるわよ」
平然とする魔王の忌みなる瞳を、魔少女は愛しそうに覗き込む。
彼女は、若者の口元に添えていた指先をすっと胸にまで降ろすと、含みを込めて二度突いてやった。
「でも……そうね。たまにあなたを無性にいじめたくなる時がある。今は、まあ……そんな気分ね」
リュネシスは困ったように、あるいは思案する感じに色違いの瞳を斜め上に動かして──。
「だったら……」
しばし置いてから、若者は応えを見出した。
「少しだけ待て。おまえの機嫌を損ねた代わりに、私がきれいに奴らを片付けてやる。それで気を晴らせ……」
「わかったわ」
わずかにあった夜の残り香は、もうすっかり消え果てている。
眩しい朝日を避けるため、漆黒の魔少女は後ろに下った。
同時に魔王の唱える呪が、重々しい神的圧力をもって、一帯に響き渡る。魔性の眸が妖しく輝き、指先が宙に優美なサインを描き出す。それは呪術的な合図となって、異空間に眠る途方もない力を持つ者たちを次々と目覚めさせ──。
突如として、魔獣軍団の存する空間を割って、十メートルはあろう巨大なヒト型が現出した。狂おしい唸りを上げる、それらは二十体余り。
魔王リュネシスの造り出した魔法生命体──無敵のレアメタルの巨神兵集団であった。
数体だけでも「メデューサ魔獣軍団」を壊滅可能であろう最強の疑似兵士たちが、大気を震わせるほどの雄叫びを上げて軍団に一息に襲いかかる。殺戮を行う側のはずであった怪物たちが、絶望の悲鳴を発した。
巨神兵たちを操る魔王の唇に、残忍な笑みが浮かぶ。彼はもう、けして誰一人、生かしておくつもりはなかった。
数分後、蛇王メデューサの一大魔獣軍団は巨神兵たちに叩き潰され、地上から完全に消滅していた。
この急報を受け、メデューサはあまりの怒りと恐れに震え上がった。
そして、魔女王ラドーシャは──知らせを告げる使者の前で、ただ不遜にほくそ笑んでいたと言う。
それは、表の歴史には永遠に刻み込まれることのない、人の知ることのない影の史実であった。
お久しぶりです。夜星です。なろうでは三ヶ月ぶりになりますね。
本日より「エテルネル~光あれ」の新章「竜剣士ルナ」編を始動いたします。
今回、冒頭からアカーシャたちがあまりにもかっこよく登場してますが、この新章はあくまで竜剣士ルナの活躍を描いたものになります。
後に魔王リュネシス麾下四天王のひとりとなり、彼らのムードメーカーともなる最年少にして最強の美少女剣士の物語です。
これまでのエテルネルには登場しなかった、自由奔放でとても魅力的なキャラクターですので、皆様にも楽しんでいただけると思ってます(^^)
応援よろしくお願いいたします\(^o^)/




