決死の暗殺者
「うっ」
昏い孤独な空間の中で、一対の目が〝はっ〟と開いた。
ベテルギウスの脇腹に、不気味なまでの違和感が疾り抜けていく。
肉の内にまで深々と撃ち込まれた冷たい刃の感覚。
その魔力を帯びた諸刃の短剣が、ずぶりと下腹に突き入れられていて、そこから急速に痛みを注がれていく。
「!?」
焼けつくような激痛に捉えられ、ベテルギウスの貌に苦悶の表情が浮かび上がった。
瞑想状態から覚めた賢者の目の前に、人とは思えぬ骸骨の如き細身の男がいた。
不気味な男だった。
全身を気味の悪い黒衣で纏いながら、むき出しになった目だけは異様な殺意でギラリと輝いている。
短剣の柄を握りしめたままの格好で、ベテルギウスを憎らしそうに睨めつける、見るからに〝凶〟の雰囲気を漂わせた男──それは第三魔軍の上位階級に位置する暗黒魔導士たちの中でも、エリート中のエリートとして首領であるケルキーの特攻隊を務め、いかなる使命をも遂行すると言われる「側近」の一人であった。
死とも背中合わせの想像を絶する訓練の果てに得た特殊能力と、謎めいた薬草の恒常的接種により感情すら麻痺させるほどの殺戮機械と成り果てた者。
そいつは忍びのようにクレティアル城内に侵入し、数多の危機を仲間と共に乗り越え、多くの犠牲を出した上でひとり生き残り、鋭敏な知覚を持つ賢者にすら気取られることなく、これほどの接近を成したのだ。
周囲に張り巡らされていた、並外れた域にまで高まった〝防御結界〟までも見事に打ち破って——。
完全に想定外の攻撃を受け、さしものベテルギウスもその身に深いダメージを受けてしまっていた。
「おまえが賢者ベテルギウスだな?死ぬがいい……」
魔導士の狂気じみた声が、暗殺者としての印象をどす黒く浮き彫りにさせ、銀色の賢者を慄然とさせた。
だが、即座に平静を取り戻したベテルギウスの唇から鋭い呪言が迸る。
忌まわしき暗殺者は、その気合いひとつでセリフ半ばに絶命した。
倒れた魔導士の体は、死にゆく肉体が惰性で生じさせる命の残滓に、ビクリビクリと痙攣している。ベテルギウスの呪文をもらうまでもなく、彼はすでに死に体だったのだ。
敵ながらベテルギウスは、目の前の男に感嘆する。
おそらくこの魔導士は、賢者の身を守る防御結界を己の全魔力で打ち破った時点で、結界から生じるエネルギーを全身に喰らい、致命的ダメージを受けていたのだろう。
だが、なんら迷うことなく任務を全うするために、自ら命を捨てにかかったのだ。
ベテルギウスは魔導士の屍を見やり、敵の──魔王軍の恐るべき結束力を想い汗を拭った。
その瞬間、賢者ベテルギウスの精神集中により保たれていたエルシエラ全域の〝封魔の結界〟は、幾度か儚く明滅を繰り返した後、ふっと跡形もなく消滅していた。
同時におぞましき狂信の徒の屍も、その使命を果たしたことで満足しきったかのように、砂のように崩れ落ちていった。




