佳境
「うぅぅおおおおおおおおおおおおっ!!」
怒濤の勢いで疾駆し、アカーシャとの間合いを瞬時に詰めたライガルの拳が炸裂する。数歩で最高速に達する、途轍もない筋力から生じる神速の踏み込みであった。
だが、この窮地にあっても、アカーシャの表情は変わらない。嫌味なまでの冷静さで、その紅い眸に冷酷な炎を宿らせている。
〝ごう〟と唸りを上げて、ライガルの拳が大気を引き裂く。
岩をも粉砕する圧倒的破壊力が、アカーシャに迫る。
最早、避けることのできぬ距離である。瞬刻後にそれは間違いなく魔少女の肉体を四散させ、バラバラの肉塊と化していたであろう——。
そう見えた刹那、アカーシャの薔薇の唇が、密かに仕上げていた呪文詠唱の最後の一音を奏でる。
「火炎連射」
呪の発動音と共に、ライガルの拳が虚しく空を切っていた。
同時に、流れるように身を屈めたアカーシャの掌から炎のエネルギーが射出する。いつ動いたのかも分からぬ、芸術的な連続動作であった。
「ぐはーっ!!」
一瞬のスキのできたライガルの腹部に、立て続けに六発もの強力なエネルギー弾が叩き込まれる。一発が上級魔導士の最大呪文に匹敵する、途方もない威力の火炎弾であった。
肉の総量にして魔少女の五倍はあろう闘神の体が、軽々と吹き飛んでいた。
―――― § ――――
ベテルギウスは、ほぼ完全な瞑想状態にあった。
召喚した高次元の御使いたちとの精神回路の同調のため、自身の肉体は昏睡させたままで、瞑想状態としての覚醒した意識を保ち続けている。
彼を覆う防御結界も増幅していく魔力に応じて、より強力なものと高まっている。
ベテルギウスの意識は、一切の迷いのない神的精神状態であった。そのためにただ、心をさざなみひとつない静かな水面のように保ち続けている。
大蛇たちの目がベテルギウスの目となり、戦場での視覚情報は全て賢者の脳裏に流れ込んでくる。
——ん?あれは……。
その大蛇たちの目が──ベテルギウスの意識が、異様な物を捉えていた。
「ザーザールヴェルグ・ルーナスリヴェルグ・レキーフヴェルグ……」
呪文詠唱に入ったケルキーの低い韻律が、前線の騒乱に覆い被さる。
大蛇の攻撃の届かぬ安全地帯にまで素早く移動した彼女は、次なる魔法戦を仕掛けるために、己の周囲を聖獣スフィンクスたちに守らせつつ、隠し持っていた最強の魔術を発動させていたのだった。
それは、魔王リュネシスから授かったもう一つの偉大なる力——封印された圧倒的魔法兵士を目覚めさせるための呪文であった。
妖女の紫水晶の眸が白色の光を放ち、黄金の髪がうねる。
「悠久に眠る猛き下僕たちよ。我が言霊に目覚めよ。大いなる力を、今解き放て!覚醒せよ巨神兵!!」
ケルキーが振りかざした魔杖の宝玉が、赤く光輝いた。
すると魔杖の発光に呼応したがごとく、妖女の背後の魔空間から物凄い地響きが湧き起こる。
昏い空間の中で、巨大な何かが猛り狂っている。
闇の中から姿を現そうとするそいつは、人の形をしているように見えた。
だがそれは、人にしてはあまりに途轍もない巨体を有している。
「がぁ——っ!!!」
大地を震わせる凄まじい咆哮を轟かせて現れたのは、全長十メートルはあろうかという二体の怪物たちであった。
「フフ……魔王様より拝領した希少鉱石の巨神兵たちだ。覚悟するがいい。あの方が世界征服のために、己の手足とすべく生み出した最強の兵士たちの力を!!」
〝巨神兵〟——魔女王との大戦を見据えて、魔王リュネシスが創り上げた魔法生命体である。主の命令のみに従い、一切の感情も知性も持たない。鉄より硬く重い希少鉱石の体躯ゆえに想像を絶する力を持ち、ほぼ全ての物理的・魔法的攻撃を受けつけず、また無生物ゆえに殺すこともできない。
混迷極めるこの世界の戦場において、これ以上恐ろしい存在はない、まさに〝魔王の兵〟と呼ぶにふさわしい最強の擬似兵士たちであった。
「ゆけ!巨神兵たちよ!あの忌まわしい蛇どもを叩き潰してやれ!!」
闇色のマントを翻した妖術師ケルキーの白い指が、大蛇に向かって突き付けられた。
ブオオオオ!!
地鳴りのような雄叫びを上げ、巨神兵たちが突撃を開始する。
攻撃の構えも防御の体勢も取らない、無茶苦茶な突進であった。
しかし底無しの力を振るう巨神兵たちの猛攻の前には、魔族の戦士たちの持つ魔力や異能ですら意味をなさぬ。つまりいかなる者も、この怪物を止める手立てはないのだ。
召喚獣である大蛇たちも、恐るべき強敵の来襲を認識し、鎌首を擡げて目を怒りに輝かせた。
次の瞬間、大蛇たちから立ち眩むばかりの神的殺気が迸り、二対の双眸から光のエネルギーが発せられた。
膨大な光が巨神兵たちを包み込み──。
ケルキーが、無意識レベルで反応したのも、まさにその刹那だった。
妖女の眸の放光と共に、巨神兵たちに指示を与える精神集中が即座になされる。
術者の命令を受けた巨大な二体が、さらに加速した動きを取る。
大蛇たちから光の攻撃を浴びながらも、希少金属の巨神兵たちは全くダメージを受けた様子はない。
太い腕をぐわっと突き出して、大蛇の鎌首にがっしりと組みついた。奥底からみなぎるが如き力強い動作だった。万力のような巨掌が、大蛇たちの頭を容赦なく抑え込んでいく。
すでに動きを取れなくなった大蛇たちの頭から、行き場を失った光の波動が蒸気のように虚しく漏れ渡った。
険のあった妖女の表情に、喜色の笑みが浮かび上がる。
「そうだ!死んでも放すなよ!!」
空を飛ぶ車両から降り立ったケルキーは、巻き添えを食わぬよう慎重に巨神兵たちの戦いの場に近づいて行った。
「そのまま一息に握り潰してやるがいい!!!」
嬉しげに片手を薙いだ妖術師ケルキーの哄笑が、戦場の騒音を圧して高らかに響き渡っていった。