妖術師ケルキー
一方——。
進軍する第三魔軍の後列中央に、飛び抜けて異形なる四体の魔獣が、数十人の護衛を並走させて空に浮かんでいた。
それら魔獣一体・一体の全長は、明らかに五メートルほどはあろうか。マンティコアやグリフォンに似た姿形をしているが、サイズや威容はそれらを遥かに超えている。
スフィンクス——合成獣の中でも最上級に位置する魔獣である。巨大な獅子の胴体に、鷲の翼・蛇の尾を有している。かの者四体の内二体の上半身は豊満な乳房を持つ女の姿であり、他の二体は筋肉隆々な男の姿をしている。
その形様はまるで神話の世界から抜け出した獣のように荘厳で、事実、目撃例も無きに等しい伝説上の生物ゆえに〝聖獣〟と呼称される。
かくのごとき凄まじい、四体の聖獣を連ねた空を飛来する戦車の上に、悠々と佇立するは妖しくも美しい女。
魔界でも希少とされる、〝千年闇蜘蛛〟の糸で特別に仕立てた闇色のローブに、闇色の外套をすらりとした身に纏っている。
その豪奢な闇の生地に、鮮やかな黄金が滝のように流れ落ちている。本物の純金のごとく艶のある髪が、煌々と風になびいている。
貌の造りも体型も、すべてが信じられぬほど婀娜やかな風貌を誇る女であるが、脆弱さは微塵も感じさせぬ。周囲の魔獣たちをも軽くあしらい従わせるほどの、強大な気を発散している。
圧倒させられるまでの妖姿を誇り、巨獣スフィンクスですら子猫のように扱うこの女こそ、魔王軍総帥アカーシャの腹心にして第三魔軍の将──〝妖術師ケルキー〟であった。
——フフ……〝竜の王国〟と名高い難攻不落のルスタリアか……少しは楽しませてくれそうだな。だが、この第三魔軍の大戦力を前にどこまで持ちこたえられるかな……ん?
邪な笑みを浮かべるケルキーの視線が突如捉えたのは、エルシエラ全域手前の空間である。
そこに〝違和感〟を覚えた。
超高等の妖術師ケルキーでなければ察知できない、微かな異変である。
光がわずかに屈折している。人の視力では、まず捉えられないほど微細にではあるが——。
ケルキーの紫水晶の瞳が、仄かな赤みを帯びて妖しく輝く。
魔眼である。
常人の肉眼では到底見通せぬ距離の対象物までも、その細部に至るまで正確に把握する悪魔的視力——この視線が感知したのは、厚く透明なガラスのようにエルシエラ全域を覆いつくす、強力な封魔の結界壁であった。
——ほお……やはり結界を結んでいたか?それにしても、なかなかのものではないか……噂に名高いルスタリアの賢者ベテルギウスとやらが仕掛けたものだな。
ケルキーは感心してニヤリと嗤った。
妖艶な魔女は、先端に赤い宝玉の付いた、魔法の杖を持つ片手をサッと薙いだ。
「止まれ!」
その指示に、大地を埋め尽くす巨大な軍団が、一つの生命体のようにぴたりと動きを止める。
「ケルキー様?」
訝しむ側近の魔導士に向かって、妖女はこともなげに微笑んだ。
「封魔の結界だ。かなり強力な……あの中に入れば魔獣たちの能力は封じられ、我らの戦力は大幅にそぎ落とされることになる。さて、どうしたものか……」
ケルキーは楽しそうに目を細めつつ、歪んだ笑みをしばらく消して──。
突如、真顔になった妖術師の双眸が白色に輝く。両手を広げ天を仰ぐその周囲に、オーラと魔力が満ちてゆく。
「至高なる赤き宝玉よ。我に力を与えよ。レ・グリアスク・マリオーテ・レアム。ウェルダー・メルダー・ラ・オラール——」
魔王リュネシスから授けられた、異界より雷のエネルギーを引き出す呪文詠唱が、女の唇から紡がれていく。
それは、とてつもない呪力を必要とするゆえ、立て続けに使用する事はできぬ巨大呪文である。
だが、すでに目前に立ちはだかる見えざる敵が、わずかの手加減も許されぬ相手であることを迅速に見抜いた妖術師ケルキーの鮮やかな対抗策であった。
妖女の黄金の髪が大きくうねるように宙をたなびき、ほっそりとした指が繊細な印を結ぶ。光と熱の力が魔法の杖の宝玉に凝縮され、ケルキーの貌を美しい悪魔のように浮かび上がらせる。
「おお冥界の雷よ!汝らの主、〝風の精霊王〟に変わり我は命ずる。光の刃となりてその力を示せ!」
直後、魔杖を持つ片手が、高々と空に突き上げられた。
「雷霊極破光!!」
魔杖の赤い宝玉から天へと駆け上ったプラズマが、強烈な雷光へと膨れ上がり、轟音とともにクレティアル王城に向かって翔けていく。
「ゆけ!雷精よ!!我に立ち向かう敵を焼き尽くすのだ!!!」
立ちはだかる巨城を鋭く指差す、ケルキーの艶気を含みながらも凛とした叫びが、大気を振動させた。同時に霊的探知能力を持つ雷精が、打ち倒すべき相手の居所を瞬時に見極め、目標に向かって迷いなく飛んでいく。
その直後——。
クレティアル王城に、凄まじいまでの破壊音が響き渡った。
耳をもつんざくほどの雷鳴の衝撃音とともに王城全体が大きくきしみ、グラグラと揺れた。
大広間の壁・天井が小石や塵を交えてぼろぼろと崩れ、すでに動揺していた家臣や女官たちは、押し寄せる不安に耐えきれず顔面を蒼白にして、張り裂けるような悲鳴を上げる。
「は、始まったのか!?」
王の間の最奥に避難していたレミナレス王は波打つ床を這い伝いながら、何とか窓辺にまろび寄り、雷が落ちたと思われる城の上を仰ぎ見ようとする。
そこからは死角になってわずかしか見通せなかったが、すでに巨城の上階の大半までもが吹き飛ばされていた。




