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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第四章 双頭守護神
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密かなる会合

 雲ひとつない夜である。


 静まり返った真夜中の空気が、さわさわと揺らめくそよ風を内包して、辺りにしっとりと満ちている。

 その微細な風はまるで、常ならぬ者の到来を暗示させているかのようであった。


 わずかに(しん)(みょう)な表情を浮かび上がらせて、ベテルギウスは口をつぐんだまま、城の高みにある広間へと歩を進める。ライガルも黙したまま、友の後に続いていく。

 ふたりは申し合わせたかのように、互いに一言も発することなく、そのまましばらく歩き続けた。


 ほどなくして、広い階上の()(だい)が見えてきた。


 その上空では、見事な満月が()()った星空にかかっている。天から(なな)めに降りてきた月の光が、城の上階を(めぐ)るテラスに降り注いでいた。


 見ればそこには、(くるま)()に置かれた三人分の酒席が用意されていた。

 良質の酒に合う品の良い()(そう)が、丁寧に並べられている。


 飾り過ぎず、それでいてわびしさも感じさせぬ、何者をもてなすにも非の打ちどころのない完全な調和の取れた空間が出来上がっていた。

 いかにも如才ないベテルギウスらしい行き届いた(はい)(りょ)に、ライガルの強面が少しだけ緩んだ。


 ふたりは落ち着いた動作で腰を落とす。


 ふと目をやった外には、夏の気配が夜気に満たされていた。

 眼下には初夏の草花が無造作に、それでいて、あるがままの整然さで咲き誇っている。どの草花にも(つゆ)が下りていて、その露のひとつひとつが月の光を宿してキラキラと輝いている。


 そんな暗い()(くう)の中を、幾つもの静謐(せいひつ)な光が飛び()いあう。


 蛍であった。


 いつ見ても見事な友の城の景観(けいかん)を前に、歴戦の拳士ライガルの貌もいくぶん、くつろいだものに変わっていく。


「飲みながら待とう、客人を……じきに来られるだろう」


 ()()(しん)な言い回しとともに、ベテルギウスも軽やかな笑みを浮かべた。


 さいな違和感を覚えたライガルだったが、黙って友の言葉に従うことにした。

 そうしてふたりは、静かに酒を()()わし始める。


 闘神の内側に残っていた激闘の疲労が酒に流されていく。

 ライガルは何も聞かず、ベテルギウスも何も話さないままだった。

 彼らに言葉はいらない。交わされる言葉はなくとも、真の(おとこ)同士通じ合うものがある。


 双頭守護神と呼ばれ、並び立つ者のいない生きた伝説の戦士たちが、(つか)()(いこ)いと安らぎを(たしな)む様は涼やかで、目の当たりにする者がいれば、言葉を失わせるほど透き通った光景に見えたであろう。


 緩やかにふたりだけの時が流れていく。どのくらいの時間が過ぎたであろうか。


 やがて——。


 舞い踊る蛍たちが、突如(とつじょ)、外庭の中空に集まりだす。

 その(ほの)かな光が一つ所に集約されていき、次第に強い輝きへと変わっていく。


 無言でその不可思議な光景を(なが)めていたベテルギウスの口元が、ふっとほころぶ。


「ようやくお出ましか──」


「!?」


 突然、沸き起こった目の前の異変によって、ライガルの穏やかだった表情に、かげりが落ちた。


 辺りの空気が、一変(いっぺん)する。


 小さな蛍たちに形成された眩しい光の中から、何者かが現れようとしている。そこから、()(てつ)もない妖気が大気に(でん)()していく。

 寄せ集められた光の強さが増していき、太陽のごとく限界にまで輝いていく。


 するといつの間にか、(くろ)(いっ)(しょく)のドレスを(まと)う少女が、虚空に姿を現していた。

 見た者の心を刺し貫くような、この世の者とは思えぬ妖美な少女である。


 夜空の銀河より、なおも(きら)めく黒い金剛石(ブラックダイヤモンド)を思わせる髪と、対照的に新雪の如く輝く白い肌。長い(まつ)()(いろど)られた切れ長の瞳は、紅玉(ルビー)のような真紅の光を(たた)え、嫣然(えんぜん)なる唇は鮮血の薔薇(ばら)を飾る。


 信じがたいまでの負のオーラを放ちつつも、この上なく惑的わくてきな少女であった。

 先ほど空気が一変したのは、この少女が秘める魔力のためだけではなかった。悪魔的と言ってもまだ足りぬ、辺りを圧倒するほどの魔性の美貌ゆえでもあったのだ。


〝闇の女神〟とたとえるべきだろうか──。


 燦爛(さんらん)を誇る魔族においてすら、これほどまでに美しい女性は、おそらく存在しないであろう。


 女神はいかなる力によるものなのか平然と宙に浮かび、貌には謎めいた微笑みを浮かべながら、こちらに向かって歩み寄ってくる。


 その(よう)姿()を一目見て、ライガルの背に痙攣けいれんに似た()(かん)(はし)り抜けた。

 同時に確信する。闇夜に潜む()()(もう)(りょう)たちですら(おそ)れに平伏させるであろうこの魔少女こそ、魔王軍の総帥そうすいとしてその名を知らぬ者はいない〝炎の魔女アカーシャ〟であることを。


「お待ちしておりました」


 さすがに顔つきが固くなったベテルギウスが、それを隠すよう慇懃いんぎんに頭を下げる。


 対してアカーシャは、憎らしいほど()(ゆう)綽々(しゃくしゃく)といった視線を、おとこたちに向けて注いでいた。


「お待たせして申し訳ありませぬ。あなたたちがおいでになるより少し前から、こなたでまどろんでおりましたが……」


 その魔少女の薔薇の唇から、ぞくりとするような色気のある声が(つむ)ぎ出される。


「目覚めたときにふと見えた、あなたたちを包む空気があまりにも潔く晴れやかで——妖魔である私ですら、気安くお邪魔をすることが(はばか)られていたのですよ」


「それはそれは……おこころづかい恐れ入ります」


 ベテルギウスは下げていた頭をゆるやかに上げながら、すでに緊張から吹っ切れたかのように心地よさげに応えていた。


 アカーシャもやはり、双頭守護神たるふたりの漢を本当に(おそ)れている風もなく、その貌に不敵な笑みを絶やさぬまま、(あで)やかに宙を歩んで来る。


 魔少女の全身を、淡い魔力の光が(おお)う。月明かりの下で、それは()(げん)のように虚空に放光し、飛散して、そして消えていく。


 やがて少女はテラスにたどり着くと、羽のようにふわりと漢たちの酒席に降り立つ。まるで体重がないかのごとく、枯葉が落ちる音さえ立てない。


 だがその瞬間、それまで(ゆる)く透き通っていたはずの(うたげ)の気配までもが、彼女の危険な色香によって極限にまで張り詰めていった。

 偉大なる魔族の姫の降臨に、さしもの漢たちですら重苦しい圧に包まれていた。


 ただもし常人ならば、その妖美さと際限なく(にじ)み出る桁外(けたはず)れの魔力のこうに当てられて、正常な神経を一時とたもつことはできなかったであろう。


 ライガルは落ち着きを取り戻すために深く息を吐き出すと、かすかに眉を(ひそ)めながらベテルギウスを見つめ、無言のまま返答を(うなが)していた。


 なぜこの酒席に、敵の女統領たるアカーシャが招かれているのかを。


「私がアカーシャ様に式を放っていたのだよ」


 ベテルギウスの返答は、驚くほどあっさりしたものだった。


 ここで言う式とは式神のことである。


 主に雑霊の類であり、魔道に精通する者ならば、これを己の意志に従わせて操ることができる。術者の能力により操ることのできる式神のレベルも大きく変わるが、若き賢者はこの術に特に(ひい)でていた。


「王のご乱心で流れてしまった対話の場を、今こそ我々だけでもうける、良い機会だと思ったのさ。幸いアカーシャ様は(こころよ)くご了承してくださった」


 その答えはベテルギウスとアカーシャとの間に、すでに何らかの意思の()(つう)ができており、今ライガルを交えての真っ当な対話が可能であることを意味していた。


 確かにベテルギウスの居城という誰もが安全にくつろげる場であれば、さも困難を極めるであろう〝魔王軍総帥〟との前向きな交渉——つまり接待には申し分ないと思われる。


 しかし、だからといって簡単に納得のいくことではない。


 たとえ親友であり、誰よりも信頼できる賢者の考案した、魔王軍との前向きな解決策だと理解はできても、誇り高き闘神は宿敵である魔少女にたやすく迎合(げいごう)することはできぬ。


「あなたが……黄金の闘神と名高いライガル・ゼクバ・レミナレス殿ですね」


 アカーシャが、ライガルの反応を(うかが)うように柔らかい笑みを浮かべ目を合わせてきた。


 ライガルは応えず、しかしぜんと腕を組んで魔少女を見つめ返すことで、黙認と警戒の意志を示す。


 そんな漢の戦意を受け流すかのように、彼女は意外なまでの言葉を発する。


「ああ……いいのですよ。第五魔軍のことは……あれはいずれ始末すべきだった我が軍の恥部(ちぶ)。おまけに私と第五魔軍の将ジャドーとは水と油の関係でした。部下とはいえ、私はあの者を心底嫌っていましてね。ここでしか言えませんが、ある意味あなたには、わずらわしいゴミを片付けていただいて感謝をしているぐらいですよ」


 驚くべきアカーシャの発言である。しかも、その言葉には全く裏が感じられない。


 統領として不謹慎と言えるほど、配下の軍を失った悔恨(かいこん)がないのだ──魔王軍の内情について知るよしもなく、にわかには信じられぬことだが、これは本気で言っているのだろう。


「召し上がりませぬか」


 理解しがたい雰囲気を(なご)ませるためなのか、ことさら涼しげな声で、ベテルギウスがアカーシャに酒と馳走を(すす)めてみせた。


(しろ)()(まつ)というルスタリアの奥地でのみ、ごくまれにしか収穫できぬ大地の秘宝です。裕福で知れ渡る魔族の姫君にも流石(さすが)にこの酒肴(しゅこう)はお気に召していただけるものと思い、特にご用意を致しました」


 ベテルギウスが指し示す皿の上には、いかにも食欲をそそるような旨い香りを奏でる、白い大ぶりの(しょう)()が目見よく盛られている。

 加えて(いろど)りを添える季節の味覚が、綺麗な配列で飾りつけられていた。


「喜んで」


 アカーシャの常に浮かぶ妖艶な微笑みが、年相応の少女らしい無邪気な笑みに変わった。


 ライガルもそれを見て、いささか拍子が抜けたように、警戒を解かれてしまう。


 そうして三人はしばし、当たり(さわ)りのない一言、二言だけを時折(ときおり)交えながら、飲み、食べた。


 やがて密やかな馳走の時も、ささやかに流れる風のように過ぎ去って——。


「ふーっ」


 (つや)っぽい吐息を漏らしながら、アカーシャは(ゆう)()な仕草で、空になった盃を置いた。


 ことり——と、月夜の静けさを(あや)なすように乾いた音が辺りに響く。


 もう、相当に酒が回っているはずなのに、()(じん)も酔いを感じさせぬ、魔少女の完全なまでの動作であった。史上最強を(たた)えられる漢たちですら、彼女の一分の(すき)もない挙動(きょどう)に改めて目を奪われていた。


 それが合図であるかのように、(うたげ)であったその場の緊張感がやにわに高まっていく。


「さて……」


 アカーシャが満月を見上げながら、ため息をつくかのように甘く呟く。


「思わぬ所で()き時を過ごしました。仮にも魔族を統べる者として、手厚くもてなされた礼を致さねばなりませぬね」


 魔少女の蜜のような言葉が、夏の夜気に淡く()びていき、月の光の中に溶けてゆく。その場にいる漢たちの魂が、彼女の官能的(かんのうてき)な言霊に我を忘れて、月光と(たわむ)れているかのような錯覚に(おちい)りそうになる。


 しかし、そんな誘惑にけして(まど)わされることなく、ベテルギウスは薄い笑みを浮かべながらも、アカーシャの次の言葉に注意深く耳を傾けていた。


「ルスタリアの平和は、この私がお約束いたしましょう」


 アカーシャは月を見上げたまま、しとやかなまでにそう言った。


「ただし、ふたつの条件があります……」


 アカーシャの美しすぎる横顔が、月の光に照らされて一際(ひときわ)白く輝いた。


「ひとつ目の条件は、ルスタリア王家に()(ぞう)されている〝精霊の羽衣〟これをいただきたく存じます」


「〝精霊の羽衣〟——ですか」


 ベテルギウスは、感心したように魔少女を見つめながら言葉を返していた。







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