邪悪なる者
「リュネシスが消えた」
闇が、蠢いた。
「アカーシャも——」
闇が、極度に低い女の声でふっと嗤った。
そこは、黒天鵞絨のカーテンで、外光を完全に遮断した大広間である。
暗い屋内の所々では、精緻な髑髏模様を彫り込まれた巨大なトーチが聳え立ち、その上で人の魂を糧に焚かれた不吉な大火が、ゆらゆらと燃えて大広間を不気味に照らし上げている。
「ならば動きますか?魔女王様。アルゴスごときを滅び尽くす用意は、いつでもできておりまするゆえ」
宙空の闇から、別の何者かが薄気味悪い声を発した。
「待て——」
「?」
「あのふたりを侮るな。うかつに動けば墓穴を掘ることになるぞ」
主のつよい口調に宙空の者が思わず顧みて退いたゆえに、巨大な人魂の篝火に赤々と照らされて、闇の──女の姿が露わになる。
それは玉座に座る、恐ろしいまでに美しくも、とてつもない巨躯を有する女であった。身の丈は二メートル半を軽く上回っている。
女は全身から、常人なら到底耐えきれぬ気が遠くなるような極大の妖気を——否、底知れぬ殺気を漂わせていた。
夜の闇よりなお黒い漆黒の長髪と、対照的に輝くばかりの白い肌。
長い睫毛に彩られた双眸は激しく禍々しい光を放ち、邪悪な微笑をたたえる唇は毒々しい紫。
その身も艶やかで、魔界の貴石を散りばめた真紫のドレスに包まれている。
見る者に恐怖と絶望を与え、なおも魅了すらさせるこの魔性の女こそ、神話の時代より生き、世界の影に君臨する闇の覇者〝魔女王ラド―シャ〟であった。
魔女王の周囲には「死霊の影」や「闇の精霊」などが飛び交い、主を守護し、また、その言葉を待っていた。
「真相の掴めぬアルゴスよりもまずは——」
ラド―シャは立ち上がり、赤い蛇の像がヌメリと先端に絡みついた、魔界の王笏を持つ片手をサッと薙いだ。
「難攻不落の竜の王国ルスタリアを堕とせ」
「仰せつかりました。では——」
影は言い、たちどころに気配を消した。
ラド―シャは、歪んだ嘲笑を浮かべながら玉座に肘を突く。
魔女王の手をびっちりと飾る数多の指輪が──そのすべてが人の世の王にも得られぬ至宝とされる至極の宝石が──ギラギラと忌まわしく煌めいて、闇の中で輝きを放ち続けていた。