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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第三章 炎の魔女アカーシャ
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新しい世界へ

 くらい空間に、若者のすすり泣く声が響いていた。


 糸が切れて離れた首飾りの玉のように、辺りには黄金の涙がキラキラとした輝きをまいて散らばっている。


 本来なら、巨万の富を持つ者であろうとも求め得ぬ珠玉の宝のしずくが、例えようもないほどの深い哀しみの色で満たされていた。

 それは、流した魔のものの、悲痛なまでの想いがふんだんにめられていたゆえに——。


 その、頼りなく哀哭あいこくしているのは、元々の彼を知るすべての人々が目の当たりにすれば、にわかには信じがたい光景——若き魔王の、誰にも見せられぬあわれな姿だったのだ。


 そんな彼をいたわるように、老いた司教が見守り続けている。


「本当に、そうなのか?」


 魔王はかすれる声で、司教を見上げてたずねた。


 まるで、真の聖者であるサムエルを心から認め、彼にすがり、頼り切っているかのように。


「プシュケの——あの娘の私への愛は、けして私の忌まわしい力の影響ではなかったのか?本当に……」


 リュネシスのかなしげな問いに、老いた司教は確信を持って応える。


「断じて陛下。神に誓って」


 優しく力強く言いながら神の使いたる司教は、もう幼子のように無力になった若者の肩に置いていた手を、その握られた拳の方におもむろに重ねてくる。


 司教の言葉を受けリュネシスは、少しだけ安心したように表情を和らげながら、涙の止まらぬ瞳を横に広がる闇にそらした。

 同時に彼の泣き声が、さらに細く絞ったような声に変わっていく。

 

 今のリュネシスは、か弱くはかない存在に成り果てていたが、しかしそれこそが、彼の人間らしい理性と繊細な本質を現しているのかもしれない……。


 さらに時間が流れた。


「何が……望みだ……?」


 ようやく涙を止めて、リュネシスはそれだけをいた。


 若者の口調はある程度正常に戻っていたが、その声からは、彼がどころとしている魔王としての凄みも妖しさも消えている。


「ただ、正しい道を——」


「言ったはずだ。解るように言え」


「……ならば陛下」


 司教は神の代弁者のごとく、もの静かな尊厳を持って語りだした。


「この世界の弱く貧しい者たちのために、清らかなる()()をなさいませんか」


「布施?」


「そうです。人は自分だけが財や富を多く得ることで、幸せが得られると思っています。しかし陛下——自分と自分以外の者は、けして無関係にはありませぬ。おのれひとり富み、他の幸せを願わない者は、()(だい)に徳が失せ、得た物すら失って貧しくなり、死して浅ましい魔となるのです。自他(じた)不二(ふじ)であることを信じ、()(とも)(ども)にしか幸せになれないことを知って、他の(ほう)(しゃ)を求めることなく、ただ清らかなる布施の徳をお積みなさい。陛下——これが真に富むということです。そして真の知恵です。清らかなる布施によって、陛下の迷いも苦しみも消えることでしょう」


 黙して聞いていたリュネシスだったが、くぐもった声で笑った。


「何が布施だ……仮にも私は魔王だぞ。どこまでいっても……私は魔王なのだ。そんなことができるか……」


 だが、そう言い放った後、若き魔王は真剣な表情になり(しゅく)として考え込む。

 意味深い、それでいながら奇妙な沈静が数刻(すうこく)の間、辺りを包んだ。


 やがてリュネシスは、何事かを決めたようなかおで立ち上がる。たった今まで泣き崩れていた者とは思えぬほど、しっかりと足で地を踏みしめて。


 それは、何かを予感させる、永い一瞬だった——。


 にわかにリュネシスが、光の呪を唱えだした。


 強い決意を秘めた、(りん)とした声を響き渡らせて。


 同時に複数の指先が、虚空に滞留する数多の光のサインを描き出す。それらの()(せき)は流星のように四方に流れていきながら、徐々に複雑さを増していく。

 唇からは、独特の(いん)(りつ)で上下する呪言が(あふ)れだす。

 それはアルゴスのすべてに音でない音として広がっていき、何らかの見えない呪術的効果として、()(だい)に強く(しん)(とう)していく。


 一国の運命をも変える人智を超えた不可思議な力が密かに、しかし極限にまで高まってゆく。


 臨界点(りんかいてん)を超えようとするしゅの力を制御するために、最後の気合いを込めた魔王の両眼が〝カッ〟と見開かれ、辺りが(まばゆ)い光に包まれた。


 そして——。


 今度こそ尽き果てたかのようにリュネシスは、がくっと膝を落とした。彼が不得手(ふえて)とする光の呪に、今持てる全ての力を注ぎ込んだがために。


 サムエル司教も驚きを隠せず思わず息を呑む。

 彼はもう、アルゴスで何が起こったかを理解している。


 扉を開けるとその向こうには、すでに新しいアルゴスが誕生している。それまでの司教は、世界が変わることに一片(いっぺん)の疑念も抱いてはいなかった。


 しかし、だからと言って、それがまさか今日このような形で、魔王リュネシスの手によって——。


——やはり神は、誰よりも正しく、すべてを理解されている。


 枯れ木のごとき手が、感動でわなわなと震えるのをようやく押し殺し、司教は涙の(こも)った深い敬意を払う眼差しでリュネシスを見つめた。


「よくぞ、勇気あるご決断をされました」


 同時にサムエル司教は、(しん)(みょう)そうな(おも)()ちで深い息を吐いた。


「それにしても陛下──あなたもお人が悪い。私に、このような(じゅう)(せき)を背負わせるとは……」


 新たなる世界では、法王としての彼の地位が約束されてしまっている。

 いかに謙虚な老人であろうとも、以前の彼のようにそれを辞退することはできなくなっていた。


 リュネシスは、サムエルのため息混じりの言葉に、何も応えなかった。


 応える気力すら失くしているのかもしれない。


 その貌は(いん)(えい)を落としていて、司教にも見えなかった。

 ただ、若者は弱々しく手だけを振り払い、老人にこの場を去るようにと無言で(うなが)した。


 サムエル司教は深々と頭を下げた後、しばらくの間、困惑を交えながらも、澄み切った真っ直ぐな目でリュネシスを見つめていた。


 が、疲弊した様子の彼の邪魔にならぬよう、やがて音もなく立ち去って行った。


 薄闇の中、ひとりになったリュネシスは、よろりと立ち上がると力なく自分の玉座に歩み寄った。

 疲れ果てた彼は、そこにぐったりともたれかかる。


(リュネシスさま)


 だが、天使のように(ほが)らかに笑うプシュケの呼び声が確かに聞こえ、今やただの若者となったリュネシスは微かな——それでいて満足しきった笑みを浮かべながら、(くう)(あお)ぎ静かに目を閉じていた。


 ほどなくして——。


 どこからともなく、アカーシャがすっと現れた。


 彼女は幽霊のように、何も言わずにリュネシスを見守っていた。


 沈黙するふたりの(えい)(びん)な感覚の中に、城外からあらゆる人たちの幸福な思いが流れ込んでくる。


 突如、(ちょう)(へい)(せい)が廃止され、恋人の元へ喜び勇み帰る青年や、家族の元へ急ぐ父親、そして彼らを心待ちに待つ人たち。


 奴隷制の(てっ)(ぱい)で、()(じょう)()で過酷な労働から解放された人々、そして、明日への希望をもって生きるようになる、その家族たち。


 (やまい)、あるいは(ろう)(れい)のため、死を待つしかない人々に与えられる正しい法王制度による()(とう)な恵み。


 すべてが最初からそうであったかのように、しかしながら、悲しみの世界を乗り越えた幸福に、皆が静謐(せいひつ)に歓喜していた。


 天への高みに近づいた平和に、神聖な輝きを見出していた。


 彼らから()き上がってくる、天上の天使たちの祝福のような大いなる感動と勝利の前に、すでにふたりの魔物たちは無力であった。



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― 新着の感想 ―
なるほど。こういう着地ですか。 魔王としてのリュネシスの感情が読み取りきれていませんけど、プシュケの件での後悔が背を押すキッカケになったのでしょうね。 (*´ω`*) にしても、アカーシャとはいつの…
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