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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第三章 炎の魔女アカーシャ
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正しい人

 シュネイデルはただ一人、(もっ)(こう)しながら馬を進めていた。


 もう、ほとんど日は暮れかかり、街は夕闇に包まれようとしている。


 魔王の命を受けたのが、今日の昼間のことである。ゆえに彼は今、サムエル司教の元へと(おもむ)()(じょう)であったのだ。


——いいのだろうか?


 先ほどから、同じ問いを自分に何度も()(かえ)す。


——いいのだろうか?本当にサムエル様を、魔王様の下にお連れするなんて……サムエル様に危険はないのだろうか?


 シュネイデルは(もと)来た道を振り返った。彼の視線の先には夕闇の中、妖しくも(そう)(ごん)(そび)え立つ魔王の城——〝ディアム城〟がある。


 この国において〝ディアム城〟は()(けい)と恐怖の象徴であり、また、ある意味では若者たちの(あこが)れの城でもあった。


 あの城に戦士として仕えられるのは(しょう)(がい)に望みうる最高の名誉と出世であり、貧しい幼少期を過ごしたシュネイデルは、どれだけの想いで闇夜に(きら)めく〝ディアム城〟を(なが)めたことであろうか。


(いつか母さんに楽な生活をさせてやろう。ぼくを救ってくれたサムエル様にも認められるような戦士になって、御恩にも(むく)いよう。そのためにもこんな世界ではあるが、信じられる道を歩んでいこう)


 幼かったシュネイデルの願望は、愚直だが純真だった。

 それゆえに運命はいたる所でこの若者の努力に(むく)い、援助をし、道を切り開いたのである。


 そして彼は〝ディアム城〟の——しかも魔王の親衛隊の一員にまでなったのだ。

 まだ十八で、なんの後ろ盾もない貧しい庶民(しょみん)出の若者としては、異例の出世であった。


 若者が自分の出身地であるヴィーニュに帰ることは、故郷ににしきを飾ることでもある。

 しかし、今は親衛隊に入隊して初めての(よう)()——そのうえ魔王直々(じきじき)の命令という、あまりに荷の重い大任(たいにん)(まか)されているのだ。到底、浮足立っていられる気分ではない。


 魔王が直接、親衛隊の下士官のひとりに命令を下すなど、まず有り得ない。


 それが、どのような理由によるものかは判然としないが、親衛隊の中で最も若く新米兵士に過ぎない彼に、リュネシス自身の口から下知(げち)されたことなのだ。

 身に余る光栄であり、手違いも絶対にあってはならない。


 シュネイデルはふと、魔王の言葉を思い浮かべた。


「案ずるな……あんな年寄りを害する気などない」


 それはまず、信用していいのだろう。


 若き魔王は理性的で物静かな側面があると噂されており、単に邪悪なだけの存在でないことは元より解っている。

 特にシュネイデルは、リュネシスとの昼間の出来事において、そのことは強く確信していた。

 その()(どころ)がなければ、そもそもシュネイデルは魔王城の兵士になろうとも思わなかった。


 この国の人間なら、幼い頃から誰もが聞かされる魔王の伝説。

 その魔王に対して、恐怖とともに(ほの)かに抱いた幼少期の(あこが)れを思い出し、シュネイデルは決意する。


——やはりサムエル様には、ありのままお伝えしよう。多分、それが正解だと思う。


 青年は顔を引き締めて前を向いた。

 



 サムエル司教はヴィーニュ一帯において、最も愛され、尊敬されている真の聖者だった。


 彼は常に穏やかであり、清らかであった。


 そのような人間だけが持ち得る特質としての(そう)(めい)さ、非利己性などをいかなる時も(ただよ)わせ、親愛的でいながらも()()れしくはなく、博愛的でいながらも押し付けがましさは少しもなかった。


 司教はときおりまどろむように、深く()(さく)することがあった。


 それは無限なる(えい)()と至高なる善への探究であり、そのようなときの彼を見る者には、ある種の恐れすら抱かせた。


 サムエル司教の生活は、極めて単調で崇高であった。


 毎朝夜明け前に自宅と海が一望(いちぼう)できる近くの丘に登り、一時間ほど瞑想にふける。

 そして午前と午後のほとんどを、司教としての務めと善行に費やし、暇な時間だけは彼の持つ(わず)かな畑の仕事に精を出していた。

 その後、夜は教会の扉を開き、望む者たちに神の教えと摂理を説き、人々にさらなる真理の知恵という(ほどこ)しを与えた。


 サムエル司教について特筆すべきは、彼はこの辺りで最も富んだ者であり、そして貧しい者でもあったということだ。


 司教ともなると、現アルゴスにおいて宰相テュルゴの指導体制の元、それなりの(ほう)(きゅう)が約束される。


 しかし、彼はそれをすべて貧しい者たちに惜しみなく分け与えた。


 そのような生活を数年続けている内に、近隣の者たちは皆、彼の所に献金を持って集まるようになった。


 この地方の金がサムエル司教の元に、次から次へと集まりだしたのだ。


 それは膨大ぼうだいな金額にふくらんだので、彼はヴィーニュ近郊で一番の大金持ちとなった。

 ところが、その金は結局すべて水のように下層の貧困層に流していくので、彼の生活は全く変わることがなかったのである。


 サムエル司教を語るうえで、切り離せない(いつ)()がもうひとつある。



 およそ十年ほど前に(さかのぼ)るが、アルゴスでは長らく廃止されていた法王制を復活させる動きがあった。

 百年前に魔王が法王を(ざん)(さつ)するまで、アルゴスは女王と法王による()(きょく)(とう)()であったのだ。


 しかし魔王降臨後、法王制は()(かい)された。


 その後は延々(えんえん)と、法王制を()し返すこと自体、アルゴスでは(きん)()とされていたのである。


 流れが(いっ)(ぺん)したのは十年前——サムエル司教が、神父から司教に昇進しておよそ五年頃のこと。


 国内の百人の司教が集まる初の大会議が、アルゴスの魔都エリュマンティスのサンペクトロ寺院で開かれた。その大会議に出席するためにサムエル司教もエリュマンティスに(じょう)()し、一週間ほど宿泊した。


 ある夜サムエル司教は、滞在中に司教間の(しん)(ぼく)を深めるという名目で、エリュマンティスで最も裕福な司教の邸宅に招かれた。


 その邸宅は噂に(たが)わず(ぜい)()らしたものであったが、それらを邸宅の(あるじ)である司教が、どことなく自慢げにひけらかした。

 さらに彼は、いけ好かない雰囲気を重ねた言葉を二言三言と付け加えたので、さすがにサムエル司教もついぽろりと口走ってしまう。


「いや、立派な調度品の数々ですな。素晴らしく高価な法衣ですな。これらを本当に我々聖職者に対して神が与えたもうであれば——私ならこんな余計な物はごめんだ。()(じゅう)、悪魔の嘲笑あざわらいと、貧しい人たちの泣き声が聞こえるようでね」


 このような、いさかいというほどのことでもないが、特定の司教たちにとってはいかにも耳に痛い発言が、サムエル司教の口かられてしまった。


 その年の大会議の開催(かいさい)目的(もくてき)は、百年近く廃止されていた法王制の復活である。


 一部の司教たちが、すでに水面下で()(せき)を打ち、アルゴスの政治的実務を取り仕切る宰相テュルゴとの間に、法王選出の黙認に近い約束まで(たく)みに()ぎ着けていたのである。


 それは宰相だけでなく、その背後にいる沈黙の魔王をも(あざむ)くに近い、あざとく危険なやり方でもあった。


 だが、欲望にかれた彼らは有耶無耶(うやむや)な内に、密かに完成させていた制度とともに、(ひと)(いき)に法王という地位を()(せい)(しゃ)として(かつ)ぎ上げる。

 その上でアルゴスの多くの教会関係者たちに、多大な利益を──つまりわいを与えることで、百年前の法王制の復活まで(ばん)(じゃく)のものにしようと(もく)()んだのであった。


 その法王候補の一人として、サムエル司教も数えられてはいた。


 だが、サムエル司教はみずからそれを辞退し、会議に出席することもなく数日でヴィーニュに引き返してしまった。


「私のような田舎者では、皆に嫌がられるだけであろう」


 早く帰った理由について、サムエル司教はこのように応えていた。確かに彼を(けむ)たがる司教たちは少なからずいたので、それが正しい判断であったのかもしれない。


 そして、事件はその後に起こる。


 新たな法王が、司教たちの(ひょう)(けつ)により任命された。

 すでに、最も経済力が強く、なおかつ最大派閥でもある司教たちの間で、ぬかりなく()(まわ)しされていたのだ。


 選抜せんばつされたのは、エリュマンティスで誰よりも裕福な司教——以前サムエル司教を宿泊させ、彼を(かい)(じゅう)しようとしたアンサローネ司教であった。


 その、アンサローネ新法王の(たい)(かん)(しき)のことである。


 突如(とつじょ)として()き起こった黒雲とともに、魔王の(こう)(しょう)と死の宣告がなされた。

 

 それはまさに、邪悪な闇の(しん)(しょく)するこの世に厳罰を下さんとする〝神の影〟だった。

 許しを()う間も与えられずアンサローネ新法王は、祈りと歌を捧げる民衆たちの目前で、凄まじいまでの威力を秘めた光の剣によって焼き尽くされたのだ。


 その(しかばね)は百年前の前法王のように、無残にもぐずぐずの灰と化していた。


 ()()(ぎわ)に、すがりつこうとしたのだろう。


 彼の手にはしっかりと、魔女王ラド―シャの配下であることを示す邪悪な蛇の巻かれた〝逆十字の十字架ロザリオ〟が握られていた。

 皮肉にも、サムエル司教の(いさ)めの言葉をそのまま再現する形で命を()たれて——。


 ここにおいて、アルゴスの法王制復活の道は完全に閉ざされたのであった。




 シュネイデルがサムエル司教の元に(うかが)ったのは、もうすっかり日の暮れた小夜(さよ)であった。


 シュネイデルを温かく迎え入れた司教は、落ちつかぬ様子の青年からすぐに話を聞かされた。

 一通(ひととお)りの話を(めい)(もく)して聞いたこの心正しい司教は、最後に極めて物柔らかく微笑みながらこう言った。


「見ていなさい。ようやく時代が、神の意志の元に動こうとしている」








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