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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第三章 炎の魔女アカーシャ
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司教との出会い

 リュネシスは〝白夜〟の鞍上で、終わりのない思索を繰り返している。


 その(ゆう)(しゅう)な面持ちは、聖と邪に迷う堕天使のように、()()でありながらも危険な予感を(ただよ)わせて(くら)い影を()いていた。


 魔王にとって、人間との愛ほど無価値なものはなかった。


 たいていの女は何もしなくても好きにできたし、そうでない者も、魔眼で()(りょう)するだけで事は足りるのだ。

 人間を(いと)う彼は、これまで情欲を満たしたいときや退屈に()んだとき——つまり、ただ自分の都合で必要なときにだけ女性を翻弄ほんろうし、好き勝手に扱っていた。


 ゆえに何ら愛に執着したことはなかったし、その意味すらも理解できない。


 ぽつり、ぽつりと降りかかった小雨が、次第に本降りの雨に変わる頃、リュネシスの周りに三十人ばかりの騎兵の一隊──魔王の親衛隊が(うやうや)しく頭を下げながら追いすがって来た。


 アルゴスの大兵士団の中でも、魔王の護衛として特に武勇に秀でた者として選ばれた上級兵士たちである。

 一般の民からすれば、うっかり口を聞くこともはばかられるほどの高位の王宮戦士たちであった。


 リュネシスは気がついていないかのように、彼らには目もくれず馬を進める。


 騎兵たちはすぐに主の周囲を守護の隊列で固めだし、なおかつ、沈鬱(ちんうつ)なる王の機嫌を損ねぬよう、一定の距離を開けて粛々(しゅくしゅく)()(こう)する。


 本降りに変わった雨を()けるため隊のひとりが魔王に傘を差そうとし、そこでようやくリュネシスはおもむろに反応して、無言のまま片手でそれを制した。


 仕方なく兵たちもそんな王に付き従い、物静かに馬を進めていく。


 リュネシスは雨を()ける気にすらならないほど、(あん)(うつ)に一心に思考を(めぐ)らせていた。


——プシュケは気づいていただろうか。あの娘の恋心のきっかけは、そもそも私が魔眼で作り出したものであったことに……そうだ。そんなものに何の意味があるのだ?ただの幻想ではないのか?もしそうであったなら、私は知らぬ間に自分の都合で、とんでもなく罪なことをしてしまったのではないのか?否、それ以前の、幼い頃の想い人とか言う私に対するあの娘の思い込みすらも、私が知らぬ間に魔力ですり込ませたのかもしれぬ、あの娘の錯覚さっかくではなかったか?


(わたしは(こん)(じょう)(かぎ)り、リュネシスさまだけを愛します)


(フフ……リュネシスに()(まぐ)れで翻弄ほんろうされているだけなのに、今生の限りですって?)


 プシュケの切実な声と、アカーシャの(あざ)(わら)う言葉が、同時に脳裏を(よぎ)った。若者の表情が、際限さいげんなく襲いかかる懊悩おうのうにどこまでもくらくなっていく。


——アカーシャの言っていることは正しい。


 今は皮肉にも自らの苦悩に翻弄され、顔を掌で押さえているリュネシスの唇から、思わず声が()れる。


「……莫迦(ばか)な娘だ」


 それは魔王としての、最期の自我の抵抗であった。


 だが——。


——可哀そうなことをした……。


 理性がそう(ささや)く。ずきり、ずきりと心が痛む。


 リュネシスを呼ぶ、プシュケの(ほが)らかな微笑みが——リュネシスを見つめる、アカーシャの哀し気な眼差しが——ぐさり、ぐさりと心を(えぐ)る。


 若き魔王は、さらに深く熟考した。けして起こってはならぬ、この悲劇の本質を解き明かすために。


——アカーシャはいい女だ。呪われた宿命を背負ってはいるが……あれに罪はない。私がプシュケを殺したようなものだ。


 そこで一瞬、リュネシスのほほ(こわ)()る——。


——私が……私が、プシュケを殺しただと?


 彼は、ぎくりと固まった。


 呼吸が止まり、瞬時に様々な記憶が思い浮かぶ。

 プシュケとの出会い、身勝手な力の行使、アカーシャへの不実——。


 それらの想いが錯綜さくそうして、リュネシスの頭の芯にまでのしかかり、瞳の光がくらく重く揺れていく。


——強欲、肉欲、利己心、虚栄心……すべては無知のせいか……一体何のために私は………。


 どうしようもない罪悪感に、彼は(さいな)まれた。


——最低だな。私は……。


 と、そのとき——魔王の行軍にひれ伏す民衆たちの中で、()(さい)を放つひとりの老人に気づかされた。

 その老人は他の者たちのように(ひざまず)くことなく、ただ穏やかな様子で立っている。まるで、そこにだけ光明を当てたかのような、奇妙なまでの高潔さを(ただよ)わせて。


 すぐさま、近衛隊下士官が走り寄る。

 だがその兵士は、本来ならその場で首をはねられてもおかしくないはずの無礼な老人に、遠慮がちにボソボソと話し込むだけであった。


 不審に思ったリュネシスが耳を()ますと、ふたりの声が届いてくる。


「困りますサムエル様。どうか頭を下げてください」


「私は、ただ見ているだけだよ」


「しかし——相手を誰だと思っているのです?」


「大丈夫だ。あの方は心配ない」


 (らち)が明かない様子のふたりに、近衛隊長が怒声を張り上げて近寄っていく。


「おい!何をしている!?いい加減にせんか!!」


 (たくま)しすぎる(たい)()で威圧するように、場を仕切る大男が腰のさやに手をかけながら歩を詰めていく。


「わしは一度しか言わんぞ。頭を下げろ。それに貴様も貴様だ!我が軍の近衛隊員でありながら、さっきから何をやっているのだ!?」


 太い人差し指を突きつけて怒鳴り散らす近衛隊長に、下士官は素早く腰を折って謝罪する。


「はは!申し訳有りませぬ!!しかし、この方は……」


「しかしもカカシもあるか!!魔王様の前だぞ!!」


 怒声を張り上げて、さらにいきどおる大男に恐縮する兵士とは対象的に、老人は一切動じる様子もない。


 雨の勢いはますます強まり、辺りを暗くしていた。

 その老人は出で立ちから察するに、神父・司教の(たぐい)と見えた。

 

 だが、何より目を引くのは彼の(とう)(めい)(せい)である。この状況であるにもかかわらず、見えない光明の反射があり、顔全体が満足と希望と幸福の表情で輝いている。


「貴様、まだふざけた態度をとるのか!いい加減、頭を下げんかーっ!!」


 老人の不可思議な圧にわずかにたじろぎながらも、荒ぶる近衛隊長が剣を振り上げ襲い掛かる。


 その瞬間薄闇うすやみの中、天の反映が老人の上にあり、その身が(おごそ)かで()み切った後光で包まれているのをリュネシスは見た。

 彼は思わず叫ぶ。


〝やめろ!!!〟


 それは、生きとし生きる者すべてを震わせる獅子の(ほう)(こう)であった。


 同時に放出されたリュネシスの強烈な思念波が、近衛隊長の剣を粉々に打ち砕いていた。


 魔王の怒りがなぜ自分に向けられたのかを理解できぬまま、近衛隊長は真っ青になった。


 (やいば)(うしな)(つか)だけを持つ手が、()りかざした格好のまま静止してブルブルと震えている。

 民衆のみならず兵士たちも、あまりに凄まじい魔王の(いっ)(かつ)(せん)(りつ)し、皆、水を打ったようにしーんと静まり返っていた。


 リュネシスは目を閉じて、大きく息を吐いた。

 そして、ゆっくりと目を開ける。激昂げっこうした王は、それでいつもの平静さを取り戻していた。


「構わんから捨てておけ。たかが枯れた年寄りひとりぐらい——」


 リュネシスは冷めた(いち)(べつ)と、ただその言葉だけを近衛隊長に投げかけると、埋めようのないせきりょうかんを背に漂わせながら押し黙って立ち去った。


 近衛隊長共々、凍り付いていた騎兵たちは、我に返ると慌ただしい様子で魔王の後を追う。


 帰る道すがらリュネシスは、しばらく考えた後に側近を通じて、先ほど老人に走り寄った下士官を呼び寄せるよう命じた。


 静かなる暴君の突然の声掛かりに、連行されるように近衛隊員に連れてこられた未熟な兵士は、血の気の引いたおびえた顔で唇を固く結んでいる。


 顔を見れば彼はまだ、少年といってもよい年齢に見えた。栗毛色の巻いた髪が特徴的な若者だった。


「なんだ、あれは?」


 歩を進める〝白夜〟の鞍上で前を向いたまま、リュネシスは(たず)ねる。


「は!」


 若者は顔色を(そう)(はく)のままに、必死で答えようとする。

 だが、恐怖に(から)み取られているのか、あるいはかんりゃくすぎる魔王の問いへの返答に困惑こんわくしているのか、続く言葉が出てこない。


「心配するな。別に貴様をとがめようと言う話ではない。さっきの年寄りと(めん)(しき)があったようだが、どういう男なのだ?ただ、それだけをいている」


「は!あの方は私の恩人です」


「そうなのか。多少言葉は乱れてもいい。貴様なりの説明の仕方でいい。できるだけ詳しく話せ」


 皆がおそれる王の意外なまでの()(りょ)(ぶか)(たず)ね方に、わずかに(どう)()と警戒が収まった若者は、しどろもどろにも何とか答え始めることができた。


 リュネシスは彼の要領を得ない話を、馬の歩みを遅くしてすべて辛抱強く聞いた。


 若者は幼少時代、病気がちな母親とふたりだけで、大変貧しい生活を送っていたらしい。

 辺境の村に住んでいたが、金貸しに土地も家も取り立てられたために村を出たと言う。

 そして、流れ着いた町の(せい)(どう)に恵みを求めに入り、そこで出会ったひとりの司教に救いの手を差し伸べられた。

 住む場所も、服も、母親の仕事や、若者が通う学校の世話までも司教は親切に面倒を見てくれたのだ。見ず知らずの彼らのために。


「あの方は——サムエル司教は私の父です」


 黙って、しかし真剣に耳を傾けわずかに相槌あいづちまで打つリュネシスの様子に安心したのだろう。

 いつの間にか、ほぼ(じょう)(ぜつ)になっていた若者は最後にそう()めくくった。


「そうだったのか……よく解った」


 リュネシスは、納得したように短く(つぶや)いた。


「ええ……今はせめてお(きゅう)(きん)の中から少しずつでも、昔お世話になったお返しをしています。なので、今でもたびたびサムエル様とはお会いしているのです」 


「そうか……」


「は!」


 しばらく黙した後、ふとリュネシスは尋ねた。


「貴様、名前は何というのだ?」


「は!シュネイデルと申します」


 若者は最敬礼をして応えた。

 彼の中で巣食っていた恐怖がいつの間にかほとんど消え、代わりに不思議な熱い思いへと昇華されていた。


 その時である。


 リュネシスの内側にも突如とつじょとして再び、先ほどのような(つよ)い衝動が()き起こっていた。


 それは(あらが)えぬ力となって、喪失感でなかば我を失っていたはずの彼を(うなが)し、取るべき行動としてその口を付いて出る。


「シュネイデル。近い内にあの司教を私の所へ連れて来い。おまえにしかできぬことだ。近衛隊長(やつ)にも(くち)()えをしておこう」


「サムエル司教を──ですか」


 さすがに顔を曇らせるシュネイデルに、リュネシスは感情の()もらぬ声音で言い切った。


「案ずるな……あんな年寄りを害する気などない」


「は、ははぁ!」


 シュネイデルを立ち去らせるとリュネシスは、疲れ切った表情を刹那に忍ばせながら、雨の上がりかけた雲間を見上げる。


 天空からはうっすらと淡い陽の光が差し込み、今までとは異なる未来の到来を示すかのように、大地をゆっくりと包み込もうとしていた。







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