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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第三章 炎の魔女アカーシャ
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愛の夢

 リュネシスは今日もただ一人、自身の白馬を(ぎょ)して、アルゴスの地を()()なく彷徨(さまよ)っていた。


 魔王が(またが)る、輝かんばかりに見事な白一色の巨馬——〝(びゃく)()〟と名付けられている天馬(ペガサス)は、()(はつ)で常に主の気持ちに(ちゅう)(じつ)であった。

〝白夜〟の進むがままにさせておけば、おおよそ自身の意に沿()う道筋を選んでくれるので、何の指示も与える必要はない。


 否──今はむしろ、行く先を考える気にすらならぬ。

 そんなことは、どうでもよかった。


 心の芯を失ったかのように、彼はとぼとぼと、いつまでも物静かに馬を歩ませている。


 もう何日、ディアム城に帰ることなく流離(さすら)っているのだろうか。


 だが、プシュケとの思い出の詰まっているその城には、とても帰る気にはなれなかった。

 また、城の中で暗く(ふさ)()んでいるアカーシャとも、到底(とうてい)顔を合わせることができなかった。


 様々な想いは何処(どこ)までもついて回り、リュネシスは〝白夜〟の背に(またが)りながら、深く深く考え込んでいる。


 (さかのぼ)ること半月前——。




 リュネシスとプシュケを乗せて夕空に羽ばたいた〝白夜〟はその後、遠く離れた不可思議な土地へと向かっていた。


 そこは誰も知らない、リュネシスの聖地〝ルーヴェの森〟——時空の(はざ)()に存在し、母ディアーナの眠る秘められた小さな()(かい)であった。


 リュネシスは、ひとりでプシュケの()(がら)()(あつ)く埋葬した。


 人を(とむら)(すべ)も知らぬまま、それでも乙女の身を丁寧(ていねい)に洗い浄め、彼女が大切にしていた、母の形見の服を着せる。

 そして(ひつぎ)には、プシュケの好みそうな花を()()めてやり、最後にその胸に人形を抱かせてやる。


 彼女の部屋にひっそりと飾られていた、赤いドレスの金髪の人形を──。


 神は原初の男と女を創造する時に光と闇で人を(かたち)(づく)り、その鼻に命の息を吹き込まれた——と神話は語る。

 リュネシスもプシュケに口づけをし、己の魂の一部を分け与え、仮の命を吹き込んだ。


 神のそれには及ばぬが、人知を超えた力から成る、かりそめの命とも言うべき霊的エネルギーを……。


——これでおまえの身は、永遠に崩れることはない。この地にいればもう、おまえを傷つける者など誰もいない。


 とわの眠り姫となった恋人の髪を何度も撫でながら、リュネシスは哀切(あいせつ)この上ない眼差しを乙女の顔に向け続けている。


 彼女が一度も、自分を魔王と呼ばなかったことに今になって気づく。


 この世界のいかなる財宝も、いかなる美姫にすらも、価値を感じたことのない彼にとって、しかし彼女だけは何と(とうと)い宝であっただろうか。

 何とかけがえのない娘であっただろうか。

 一度も口に出してやれなかったが、どれほど彼女のことを大切に想っていただろうか。


 なぜ、今まで気づいてやれなかったのだろう。

 プシュケの手元に置かれている人形──あれは昔、たわむれに助けてやった幼い娘が手にしていた物ではなかったか。


 プシュケはあの時の、取るに足らぬと思われた小娘だったのだ。


 あの娘は、あの時からずっと──自分との想い出を、ほんの小さな胸に、密かに大切にはぐくんでくれていたのだ。


 以前、切なげにその想い出を語ってくれた時に、なぜ気づいてやれなかったのだろう。自分はどれだけ愚鈍だったのだろう。


 あらゆる情愛を価値の無いものと見做(みな)していた。

 愛を知らず、また、知ろうともしなかった。それ故の無知だったのか──しかし彼女だけは、こんな愚かな自分に、温もりと安らぎを与えてくれていたのだ。


 自分は何と大切なものを失ってしまったのだろう。

 何と()(わい)(そう)なことをしてしまったのだろう。


 リュネシスは(ふところ)からミスリル銀の横笛を取り出して、湧き上がってくる様々な想いとともに、いつまでも寂しげにそれを見つめていた。


(今日の日を、ずっとリュネシスさまが覚えていてくださいますように——)


 リュネシスの脳裏に、乙女の言葉が(よみがえ)る。


 若者の肩が震え、瞳から大粒の涙が(あふ)れ出る。

 それはキラキラと金色に輝きながら、プシュケの身に(こぼ)れ落ち——リュネシスは慣れぬ仕草で複雑な印を結び、光の魔術を唱えた。持てる力をひとつに集めて。


——おまえはここで千年の間、幸せな夢を見続ける……そして、ときが至れば天に帰るがいい。神もおまえのことなら祝福するだろう。


 天から射し込む光に照らされたプシュケが、花が咲いたような微笑みを浮かべたのをリュネシスは確かに見た。


 すると彼女の温かい想念が、内側にふわりと優しく流れ込んでくる。


 突然、一瞬の疲労で、気が遠のき景色が(ゆが)んだ。


 ふと気がつくと、七色の光の幻像ヴィジョンの中に彼はいた。妙に心地良い、満たされた感覚に包まれている。

 この地にある(つつ)ましい屋敷でずっと暮らしている、あるはずのない記憶がある。


 ささやかだが趣味の良い家具や、いかにも清潔感のある簡素な食卓が目の前にあり、リュネシスはいつの間にかそこに座っていた。


「リュネシスさま——」


 振り返ると、食事の鍋を運び込もうとするプシュケの(まぶ)しい笑顔があった。


「今日は、リュネシスさまの好きなシチューを作りました。少しだけ待っていてくださいね」


 プシュケはいそいそと、食事の準備をしている。

 手を貸そうと立ち上がりかけると、プシュケはリュネシスの手の甲にそっと白い掌を重ねた。


「ごめんなさい、リュネシスさま。わたしのせいでこんな……」


 乙女の言葉に、リュネシスの表情を一瞬の困惑こんわくがかすめていく。だが、すぐにそれを打ち消して——。


「何を言ってるんだ。私はとても幸せだと思っている。本当に……誰よりもずっと……」


 リュネシスは乙女にうまく伝える言葉を見つけられず、それでもただ、心からなごやかに微笑んでいた。でも以前の彼なら、絶対に口をついて出ることのない台詞セリフだっただろう。


——なんだ、これは?今の言葉は私が言ったのか?


 自分が自分で失くなった、奇妙な感覚に眩暈(めまい)を覚えている。


 どのような作用が働いてのことか──魔王の力も不老不死の肉体も失った、ただの人間の若者としてリュネシスは生まれ変わっている。


 だが、失くしたものになんの未練があるだろう。

 もしも、己の罪業を魔の力と命を捧げることで浄化させ、愛しい乙女との束の間の平安に変えられるなら──なにより、彼女がそれを望むなら──。


 やがて、日々をいそしむふたりの間に愛のきずなの証が産まれる。その喜びを(かて)として、若者は愛する者たちを守るために毎日を懸命に働いていた。


 その、ありえないはずの幻像ヴィジョンを瞬時に脳裏に通過させたリュネシスは、すでに理解している。


——プシュケが……あるいは神が見せてくれた夢、か……。


 景色が再び()らいで(ゆが)む。


——プシュケ……プシュケ……?


 目を閉じ、目を開けると、意識は現実に戻っていた。




 辺りはすっかり夜の(とばり)に包まれ、(りん)とした静けさが、一枚の黒い大きな布のように降りている。

 彼以外のすべての者が、まるで眠りに落ちたように密やかだった。

 夜の風が、孤独な妖魔の髪をわびしくキラキラと(なび)かせていた。


 リュネシスはプシュケを想い、白い息を吐きながら、ひっそりと(またた)く星空を(あお)ぐ。(ゆう)(きゅう)に輝き続ける清らかな星々の光の中に、失った乙女の面影を見出して──。


 やがて心の力を失った若者は、その場にぐったりと崩れ落ちていった。そこで彼は数日間、死人のように動けぬままでいた。

 もし見る者がいたならば、かつてはこの若者こそが、世界を震撼させた恐ろしき魔王軍の〝総大将リュネシス〟であると気づく者は、誰もいなかっただろう。

 そんな彼にとって、このような姿だけは誰にも見られたくなかっただろう。認めることもできなかっただろう。


 それでも倒れ果てた若者は、無意識の内にまた、愛しい娘との甘い夢を求めていた。


 だが彼は、もう二度とその夢を見ることはできなかった。







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― 新着の感想 ―
美しく、得難い夢を与えながらも、もう二度と見れない夢というのは綺麗な別れの様に思えました。 魔王リュネシスが今後どうなっていくのかは、楽しみです!!
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