アカーシャの沈む想い
——めんどくさいわ……。
アカーシャは黄金の竪琴を奏でながら、貌を陰鬱に沈み込ませていた。
広く広く、無暗に高い天井を持つ空間に、アカーシャの演奏する甘さとほろ苦さを帯びた情緒的な旋律が響いている。
もう陽は傾きかけた夕刻——昼間の勢いを失くし赤みを滲ませた陽光が、魔王と魔少女のいる大広間に差し込み、ふたりの魔物たちを次第に柔らかく包み込んでいく。
このふたりの間には永く共に過ごした時はあるが、あまり言葉がない。同じような魂を持つ者同士、言葉は必要ではなかった。
(アカーシャ様もあいつ嫌いっしょ!?あんな泥棒猫!!)
内なる響きに意識を絡み取られ、竪琴を奏でるアカーシャの手が突如として止まる。
疎まし気なため息と共に——。
エレナの叫びが、いつまでも呪いのようにべっとりと頭の裏にまでこびり付いている。
あの娘の言葉は、確かにアカーシャの最も醜い心の側面をついていた。
しかしながら、たとえ見た目はうら若き少女のままであろうとも二百年もの時を生き、人間の娘たちには想像もできない分別と諦観を併せ持つ魔少女にとって、今、内に宿している昏い感情は到底認められるものではなかったのだ。
「ふーっ」
アカーシャの喉から、再び艶やかな吐息が漏れる。
——私でも、まだこんな人間臭い感情が残っていたのね……。
我ながらそれが可笑しくも思え魔少女は、掻き上げた髪を耳にかける仕草を取りながら、ちらりと少し離れた所にいる魔王を見た。
リュネシスもそれに気づき、ふたりの視線が自然に絡み合う。
何とも言えない微妙な静寂が流れていって——アカーシャの中でそれはふと、昔の甘く切ない記憶として呼び起こされる。
と、リュネシスが言いにくそうな表情で口を開いた。
「アカーシャ——」
「……な……なに?」
思わぬときめきに胸の高鳴りを隠し切れず、いくぶん上擦った声でアカーシャは訊いた。
「もう夕方だ」
その刹那、ふたりの空間が黒く残酷に染まり上がったかのような衝撃が疾った
「あ……ああ……そう……だったわね」
男の真意が真逆だったことを悟り、一瞬で硝子のごとく砕け散った期待に、アカーシャの甘美に昇華された想いは殺意へと変換する──だが、そんな心の内をどうにか誤魔化しながら肯くと、魔少女はゆっくりと立ち上がった。
いつもならアカーシャが、夕刻前には自ら大広間を立ち去り、執事が様子を見てからプシュケを呼びに行く習わしとなっていた。
しかし、今日に限ってアカーシャは思案に暮れていたため、それを忘れていたのだ。
ふと目をやると、大広間の入り口近くで、執事が申し訳なさ気に顔を伏せている。
アカーシャはゆらりと畏まる執事に歩み寄り、彼の肩に手を置いた。
「いいわ。ついでだから、私があの子を呼んできてあげる。あなたはこのまま、ここにいなさい」
有無を言わせぬ命令口調に、執事は沈黙のまま恭しく頭を下げた。
この時執事は、肩に置かれたアカーシャの手に微妙な震えがあるのを確かに感じ取っていた。
冷然たる余韻を残して、魔少女は大広間を後にする。
が、回廊に出た時には、彼女はもうすっかり顔付きを険しくしていた。
すれ違った宮女たちが、思わず緊張して立ち竦んでしまうほど、美しくも苦悩の滲む表情であった。
——本当に、私よりあの子を選ぶの?
アカーシャは、不実な男にやりきれない胸の痛みを覚えた。
——私の方が綺麗なのに——。
漆黒の魔少女は、悔しげに指を噛んだ。
——私の方が優れているのに——私の方が遥かに尊いはずなのに——。
魔族の姫は〝カッ〟と両目を見開いた。
——私があなたをずっと支えてきたのに!
「!?」
束の間、不吉な予感に衝き動かされ、魔王は思わず立ち上がった。
——すべて、あの泥棒猫が悪いのだ!!
葛藤から吹っ切れたアカーシャは、ずかずかと迷いなく歩を進める。
天空の女神ですら妬ませる美貌に、鬼のような険相を浮かび上がらせて、魔王の恋人である娘の元へ——。