エレナのたくらみ
突然、奇妙な違和感が脳裏を過る。
回想に浸っていたアカーシャは、現実に引き戻され静かに耳を澄ました。些細だが不快な知覚——超感覚を持つ魔少女だけにしか感じ取れぬ、醜悪な想念を受けたがゆえに。
「やっと手に入れたよエレナ。うちのばあちゃん秘伝の、西の国の毒薬が——」
「フフ……お疲れ、お疲れ——」
気配が漂ってくるのは、城の上方にこしらえられた居室のひとつ──宮女たちの中でも特に位の高い者だけが侍る特別室である。
どうやらふたりの娘たちが謀をしているらしく、ぼそぼそと話し込んでいる。
「つか、ガチで殺るわけ?さすがにやばくない?」
「やばいよ!だからわざわざ、魔法使いやってるあんたのばあちゃんに頼んでまで、絶対ばれない薬を取り寄せたんでしょうが。今さら何言ってんの」
「あ~うちら、とうとう人殺しになっちゃうのか~美しき暗殺者ってやつ?」
「だ~か~ら~やめろって!」
念を凝らせば声が届く。聞き分けられるほどにはっきりと。
まぎれもなくこのふざけた声の主たちは、エレナと彼女の最も親しい取り巻きのひとり、ダナエであるとアカーシャは悟った。
本来なら深夜の時間帯において、宮女たちが自室外を徘徊することは憚られるはず。
だが、内規上等を平気でのたまい、城内で堂々と幅を利かせているこのふたりには関係ない。
「つか、あの小娘……マジムカつく!服、全部おしゃかにしてやったのに、今度は貧乏くさい格好でリュネシス狙って、あいつの周りをちょこちょこと——マジムカつく!」
「ね!」
吐き捨てるように昂るエレナに、ダナエも追従気味に同意した。
「あの服も燃やしてやろうかと思ったけど、たまたまアカーシャに見つかって邪魔されてさ」
「……え!なんでアカーシャ様が……どゆこと!?」
問いかけるダナエに、エレナは投げ遣りにひらひらと手を振った。
「知らねーし。でもそん時のアカーシャも、なーんか面倒臭そうにしてたから、プシュケが死んだぐらいで本気で追求してくる気はないって。大丈夫、大丈夫——むしろあの女も、ぶっちゃけ喜ぶんじゃね?エレナっちゅわ~ん、泥棒猫ぶっ殺してくれてどうもありがとう♡とか言って、最高の笑顔であたしに抱きついてきたりしちゃってさ。ほら……あいつってば魔女王の娘だから、ホントはうちらより、よーっぽど腹黒いんだよ」
「そーなんだ!つか、あのヒトの笑顔とかマジ怖いんですけど?ははははは……」
陽気に響く嗤い声に苛立ちを隠しきれず、アカーシャは黄金細工に黒天鵞絨を纏わせた肘掛けの上を、指先でトントンと弾いた。
——またか……。
ここ最近のプシュケに対するエレナたちの陰湿な嫌がらせは、目に余るものがあった。
だから見るに見かねて、陰ながらプシュケを助けてやったことがある。
確かにアカーシャとて、プシュケを快く思っている訳ではない。
プシュケが、心の清らかな娘であることは理解している。
彼女は宮女になった当初、打算なく敬意を以ってアカーシャに歩み寄ろうとした。
それは単純に、乙女の屈託のない思いによるものであった。
汚れなき心による純粋な好意——そのような人間の娘に会ったことのないアカーシャは戸惑った。そして次第に、乙女の無垢な心の光に吸い寄せられそうになってはいた。
しかし、結局アカーシャは頑としてそれを受け入れず、未だに彼女にはことさら冷たく、辛く、当たってしまっている。
リュネシスのプシュケに対する、あからさまな贔屓に同調するようでは宮女たちに示しがつかぬ。
それに何よりも、魔王ですら心惹かれた、その清らかさが小憎らしかった。
無類なき完全さを誇りながらも、どこまでも闇の存在でしかない自分には、永遠に得られぬであろう輝きを放つ乙女の存在が小癪に思えた。
プシュケに対するどす黒い排他的な感情は、自制心の強い魔少女でさえ、コントロールができぬほどに膨れ上がっていたのだ。
とは言え、それはそれ——これはこれである。
目の前の虐待と言っていい度を越した行為を、やはり無視はできずに止めたのだった。
たったひとつしかないという、少女が大切に閉まっている母の形見の服を燃やそうとするなど論外である。
たとえ冷酷ではあっても、そのような相対する美意識が──父から植え付けられた人としての道徳観念が、アカーシャの奥底には根強く存在していた。
ただ、宮女たちの管理など本来ならば執事の仕事である。アカーシャほどの身分の者が、そのような下世話を焼かねばならぬ謂れは無い。
しかし執事たちは、エレナ一味に金でも掴まされているのか、ただの言いなりと化し、卑げな彼女たちがお局のごとく城内で権勢をふるまい続けている今、宮女たちの管理をもアカーシャ自らが手掛けざるを得ない。
そして事実エレナたちは、その若さで末恐ろしくなるような、歪な王族の権力闘争のごとき謀略を巡らせているのだ。
「それにうちら、結局はリュネシスとアカーシャの為に殺るんだからいーんじゃね?だってここは、世に恐ろしき魔王城だよ」
エレナは悪魔さながらに、ニヤリと笑った。
「やっぱさ、魔王の城に修道女は——」
「「ないわー」」
意地の悪いしかめっ面をして盛り上がる、やけに気の合うふたりは、しかし、直後に凍りついた。
音も気配もなく特別室の扉側に立つアカーシャの、すべてを見透かした魔性の眼差しに当てられたがゆえに──。
「ずいぶん剣呑なことを企んでいるのね。あなたたち——」
見る者に畏怖を覚えさせる紅い瞳に、一切の誤魔化しを許さぬ力を籠めてアカーシャは微笑んだ。
「いくら魔王城でも宮女同士の〝私刑〟は禁じます。ましてやリュネシスのお気に入りに手を出せば、どうなることやら……解るわねエレナ?」
脅しとも取れる窘め方に、エレナは一瞬びくりと体を震わせる。
しかし瞬時に怯えを噛み殺すと、ゆらりと歩み寄ってくる漆黒の魔少女に対し、獣のごとく鋭い視線を放って言い返した。
「別にいいじゃん!アカーシャ様もあいつ嫌いっしょ!?あんな泥棒猫!!だから、うちらアカーシャ様のためにも殺るんだよ!!」
しかしアカーシャは、エレナの態度に微塵も動じることはない。
「馬鹿なのあなた……これほどのことをして、勘のいいリュネシスに気づかれないと思っていたの?あなたの言う通り、ここは世にも恐ろしき魔王城。プシュケを殺害して魔王の逆鱗に触れたあなたたちは、証拠の有無に関係なく、弁明の機会も与えられず、惨めに豚のように殺されるだけ。そうね——あなたたちは確かに綺麗だから、それに見合った死を与えられると思うわ。例えば散々、飢えた魔物たちの慰み者にされてから、バラバラに引き千切られた挙句、竜の餌にでもなるんじゃなーい?」
アカーシャは妖し気な仕草で、茫然と立ちつくすダナエの耳元に貌を近づける。
そうして、彼女の耳穴の奥にまで〝ふっ〟と息を吹きかけた。
その嫣然とした物腰から底知れぬ迫力が伝わり、ダナエはガタガタと震え出した。
きつい化粧を施した娘の顔が、恐怖に険しく歪んでいる。
気がついたときには、後生大事に握りしめていた猛毒入りの薬瓶は、理解もできない魔術的な一瞬でアカーシャに取り上げられていた。
それを見ていたエレナも、すでに虚勢を張る余裕がなくなり、絶句して青ざめた。
そこにアカーシャが、とどめを刺すがごとき目線を向ける。
「それから、もうひとつ言っておくわエレナ。今度、私の陰口を少しでも叩こうものなら……たとえ少しでも、私に対して舐めた口を聞こうものなら……あなたのこと、絶対只じゃあ置きませんからね」
魔少女の最後の一言が、ぞっとするほど低くなる。
凄まじい一瞥を投げかけて立ち去っていくアカーシャの、胸元の壮麗なルビーが——いかなる望みを叶えるとも、忌みなる災いをもたらすとも噂される魔界の宝玉である〝紅玉の首飾り〟が——主の意図を反映したかのように〝きらり〟と輝くのを、恐怖に震えるエレナは見た。
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