魔族の姫《激闘編》
そして、月日は流れた——。
幼女は——アカーシャは、この上なく妖美な〝魔少女〟として成長し、やがてその天分は、幼くして「火の精霊界」すら掌握するまでになる。
魔少女は身分の上でも、そしてその実力も、魔女王ラド―シャの後継者として恥じぬ、魔族の皇女として成り上がったのであった。
しかし、アカーシャの心はいつも空虚だった。
燦爛とときめき常に讃えられる「魔女王の娘」たる地位も、「魔族の姫」としての煌びやかな暮らしも、すべてが虚しいだけであった。
人間への復讐を誓い、闘いの日々に身を投じても、強大な敵対者の息の根を止めても、やりきれない思いはただ募るだけである。
むしろ冷酷非情な母ラド―シャに利用されているだけのようで、ぬぐいきれぬ不快感だけが沸き上がり、アカーシャはいつしか母とあからさまに反目し合うようになり、同時に一つの確信を得る。
——父が惨殺されたあの日の一幕は、すべて母が仕組んだのだ!
だが、もう引き返せない。
アカーシャには、すでに皇女としての立場と責務が確立されており、それを自ら捨て去ることは己の腕をもぎ取ることに等しく、到底できる決断ではなかったのだ。
さらにラドーシャの持つ神のごとき無限の魔力には、最強にして無敵不敗を誇るアカーシャですら畏敬を抱かずにはいられないほどであり、血の繋がりを道理に好まなくとも母には従わざるを得なかったのである。
たとえ形だけではあろうとも——。
日々鬱積する陰鬱な想い……。
しかし、百年前のあの日、突如として世界中を覆いつくし宣戦を布告した若き魔王の至大なる幻像——全世界の誰もが恐れ戦く中、アカーシャだけには、それが大いなる崇高な〝神の影〟に思えた。
——あれは、母ラド―シャですら凌駕し得るのではないか?
あの幻像を目の当たりにした時から、アカーシャの胸の奥に強く疼くものがあった。
気のせいだと簡単には受け流せない、烈しく惹かれ吸い寄せられるような想いと予感が——。
——行くべきなのかもしれない。私は……あの男の元に………。
初めて感じる未知なる心胸に戸惑うアカーシャの元に、奇しくも魔女王ラド―シャより、魔王リュネシス討伐の大任が下される。
建前はあくまで、強敵である魔王を討つ誇り高き要務──とのことであったが、聡明なアカーシャは、この申し渡しを額面道理には受け取らない。
——これは、私と魔王との共倒れを狙おうとする卑劣な母の画策だな。フフ……いかにも腹黒い魔女王の考えそうなことだわ。
最早、肉親とも思わぬ母に対して憎悪に近い嫌悪感を覚えながらも、しかし、アカーシャは迷わなかった。運命の糸に引き寄せられる力を確かに感じる。
さして未練のないこの命を、あの男と刺し違えるのも悪くはない。
——行こう。あの男の元に!
かくして、アカーシャは母の命を受け出陣する。
〝そして見たのだ!〟
アカーシャ率いる魔女王の大軍団を相手に一歩も引かず、たった独りで闘いを挑もうとする若き魔王の姿を——内なる奥に身震いを覚えたがゆえに、アカーシャは猛った。
刹那とはいえ、誇り高き魔少女の心を奪った者を、許す訳にはいかない。
しかし、魔王の力は——己のみに頼って立つ孤高の存在そのものが、魔少女を諾い得るほどに勁烈で、生まれて初めて込み上げた熱い想いを、アカーシャは認めざるを得なかったのだ。
そのようにして魔少女は、魔王と共に進む道を選んだのである。
そして、ほどなくしてアカーシャには、リュネシス麾下〝魔王軍総帥〟としての地位が与えられたのは先にも述べた通りである。
ただアカーシャには、それがリュネシスからの無言の敬意のように思えた。
事実、魔王軍の最終決定権を持つはずのリュネシスが、アカーシャの立案に横槍を入れることは、まずなかったのだ。
これは魔王にはない、魔少女の優れた実務能力を最大限に考慮しても、容易には説明の付かないことであった。
魔王軍としての名目上、世界征服の野望は軍を維持する上において、まず必要不可欠であるが、実のところアカーシャはそのような烈烈たる征服戦争には、魔女王ラド―シャの配下にいた時から倦んでいた。
それが母との確執を生む、大きな要因のひとつでもあったのだが——。
そんなアカーシャの本心を配慮したかのように、リュネシス自身も世界征服の野望を口にすることは殆どなくなり、軍の方針そのものも全て魔少女の一存に委ねられた。
まるで魔王が、己の権限を丸投げしたかのように——。
ゆえにアカーシャは自由であった。
リュネシスは当初ふたりの間に存在した、暗黙に近い約束すらもけして違えはしなかったのだ。
だからこそアカーシャは、リュネシスに成り代わり真摯にすべてを取り仕切り、覇を唱える魔の大軍団を束ねた。
ただアカーシャは、リュネシスの信頼に応えたかったから——。
その後、六ヶ月に渡り両魔軍の熾烈なる抗争は続く。
魔王軍と魔女王軍の操る大いなる魔力の戦いによって地上は焼き尽くされ、荒廃し、脆弱な人間たちはその犠牲となっていった。
特に、幼い命が無惨にも奪われていく悲惨な現実は、地上に地獄を溢れさせたがごとき凄惨な光景だった。
見かねたアカーシャは独断で、魔女王に対し休戦協定を申し入れた。魔王に裁決を仰ぐ余裕もないほど、ことは急を要していたからである。
邪悪な魔女王の本心がどこを向いていたのかは解らぬが、意外にもそれはあっさりと受け入れられた。
魔女王軍の被害も想像以上に甚大で、このまま突き進めばたとえ魔女王軍が勝利を収めたとしても、壊滅に近いダメージを受けることは必至であった。
残酷無慈悲な魔女王であろうとも、さすがにそれだけは避けたかったのかも知れぬ。
ともあれ休戦協定は、双方にとって不利益のない平等なものとして定められ、ようやく地上は一定の平和を取り戻した。
何の断りもなく重大な決定を独断専行したアカーシャであったが、魔王軍の総大将であるリュネシスは、やはり一言も口を挟むことはなかった。
休戦協定にかかる事後承諾をもあっさりと了承し、その概要や詳細についても魔少女に丸投げで、必要以上の関心を持とうとはしなかった。
だがその後、これも不可解なのだが──魔女王軍の自国への挑発的な侵略に対し憤り、配下の魔軍を動員して本格的な反逆をしかけようとするアカーシャの動きに対してだけは、魔王は待ったをかけたのである。
——いまさら魔女王を恐れてのこととは思えない。ただ、よほど人間たちの為に戦いたくはないのか。それとも彼は……。
先見の明のある魔少女にすら理解の難しい魔王の意図が読めず、それだけにリュネシスはアカーシャにとって、この世界でただひとり興味の持てる存在であると言えた。
アカーシャとて、つまるところ人間たちがどうなろうと知ったことではない。ただリュネシスの本心には、他に何か含みがあるような——。
まとまりのない思考を巡らせながら、魔少女は静かに、魔王から微かに匂う〝甘さ〟を想った。




