魔族の姫《誕生編》
アカーシャは、信心深く善良な父の元で長い幼少期を過ごした。
父は若かりし美貌の青年であった頃、母の城で庭師として仕えていたと聞いている。
しかしなぜ、ただの人間であった父と魔女王である母が結ばれて、自分が産まれたのかは知らない。
父は、あまり母のことは話したがらなかったので、ふたりの間にだけしか解らない何かがあったのだろう。
父との生活はとても慎ましいものであったが、アカーシャには微塵の不満もなかった。
魔女王の城からはるか離れた北方辺境の侘しい人里で、永やかにひっそりと、朴訥な父とふたり緩やかな時を過ごした。
自閉気味な幼女であったアカーシャは、物心の付いた頃から、自分がただの人間ではないことを朧気ながら理解していた。
魔性の光を秘める紅い瞳。
新雪のように仄かな輝きを放つ白く冷たい肌。
貴石を散りばめたがごとくに煌めくプラチナブロンドの髪——そして何より、普通の人間ではどれだけ修練を積み重ねてもけして得ることのできぬ、生まれながらにして備わった膨大な魔力と老化しない不滅の肉体。
それは、同じ年代として生を受けた里の子供たちが大人になっても、彼女だけはいつまでも変わらぬあどけない幼女の姿のままだったので、周囲の人間たちを〝魔性の子〟として畏れさせた。
自身の存在に疑問を覚え父に問うても、父はいつもこのように言う。
「確かにおまえには、みんなとは違う何か特別な力と人生が、神様から与えられたようだね。でもおまえは、とても優しくて賢い子だ。父さんの誇りだよ」
そして父は、濁りのない真っ直ぐな瞳でアカーシャを見つめた。
「おまえの母さんは憎しみに囚われていた人だった。でもおまえは、その神様に与えられた力を、正しいことに使いなさい。いずれそのときが来るはずさ。父さんは信じているよ」
不変なるアカーシャとは違い、流れゆく月日とともに、風采の良さを失い老け込んでいく父の姿を見るのは辛かった。
アカーシャのように永久の寿命を持つ者は、極端に緩やかな肉体の成長に比例して、その精神年齢の発達も極めて遅い。
だが、いつまでも育たぬ幼子を、男手一つで養い続けることは大変であろうと、幼心によく理解はしていたから。
そんな親子は、周囲の人間たちの奇異と嫌悪の目の中で、耐え忍んで細々と生き続けていたのだ。
毎年の誕生日に父はアカーシャに、歳の数だけの薔薇の花をプレゼントしてくれた。
いつの世も薔薇の花とは高価な物である。
ある年の誕生日その薔薇の花が、かなりの数になった。
庭師であり、様々な植物が手に入った父にとっても、それは厳しい貢ぎ物であったはず。
アカーシャは、その薔薇の花を一本だけ手に取り年老いた父に向かって、にこやかに笑いかけた。
「お父さんありがとう。でも薔薇は一本で充分——こんなにたくさんはもったいないよ。それよりこれからは、わたしが働いてお父さんを楽させてあげるね」
今まで何度も申し出たことだが、父の返事は決まっていた。
「おまえはどう見ても、まだ働けないだろう。ごめんな。父さん、おまえに余計な心配ばかりかけさせてな」
「そんなことないよ。もう、わたし働けるよ」
六、七歳にしか見えない幼女が、拙くも真剣な表情で訴える。
「ありがとう。その気持ちだけで父さん十分だ。でも外の世界はいけない。おまえには外の世界はまだ早過ぎると思うのだ。綺麗なおまえを利用しようとする、悪い大人が本当にいるからな」
「……」
父の口調はいつもここで厳格になり、アカーシャを強く諭した。
そのような日々が続いた、ある日のことである。
唐突に、その地を治める領主直属の兵士たちが、家に踏み込んできた。
灰色の鎧の触れ合う耳障りな金属音をガチャガチャと鳴らしながら、今にも張り裂けそうな害意を高波のように伴わせ、慎み深い親子の空気を周囲から圧してくる。
兵士たちは十人ほどはいるであろうか。
「この家に、魔女の娘がいるとのことであるが……」
押し入って来た兵士たちの隊長と思しき大男が、じろりと眼球だけを動かしてアカーシャを睨んだ。
「この娘のことだな」
「!」
浅ましい悪意を感じ取って、内向的な幼女の鼓動が恐怖に跳ね上がった。
彼らの目的は、アカーシャを拉致することである。
病的な幼女嗜好の気質を持つこの地の領主は、実のところ、ずいぶん前から善良な庭師の老人に娘を差し出すよう求めていた。
しかし穏やかな彼も、こればかりは絶対に承諾ができず、頑として拒んできたのだ。
——せめて娘には、人並みの幸せを与えてやりたい。
子を守ろうとする父の強い想いが、卑しい領主を最も残酷かつ卑劣で、短絡的な解決方法に走らせた。
つまり「魔女」としてアカーシャを強制連行することで邪魔な父親から引き離し、幼女を手に入れようと考えたのである。
「兵士様。この子はとても幼く、虫一匹殺せない優しい子です」
父親は、娘の前に毅然と立ち塞がった。
「魔女など、どこにおりましょうか」
「黙れ!!この娘は領主様がこの地を治める遥か以前からこの里におり、魔性の娘と噂されていたのだ!」
兵隊長は、目を剥いて一喝した。
「この紅い瞳も、まぎれもなく魔の証よ!ひっ捕らえい!!」
怒鳴りつける兵隊長の声が耳を打つほど響き渡り、部下の兵士たちが命令に従い動きを見せようとする。
「わ、私はどうなっても構いませぬ。しかし、どうか娘だけはお見逃しを!」
足元に縋りついて許しを請う老人を、兵隊長は情け容赦なく蹴り上げる。
「どけい!」
「お父さん!!」
父親に向かって悲鳴を上げる女児を、一人の兵士が抱え上げた。
「む、娘だけは、娘だけは!私はどうなっても……」
老人の口から漏れた血が、兵隊長の誇る上価な鎧をしとどに濡らす。
「この……!」
内に秘める残虐性を行動力に変えることで、どうにか兵隊長に成り上がった大男は、こめかみを脈打たせて怒声を張り上げた。
「ならば死ねい!貴様の娘は領主様の慰み者に差し上げてくれるわ!!」
吐き出された下劣な本音とともに、無慈悲に振り下ろされた刀剣が、哀れな父親の背から胸を刺し貫いた。
「いや——っ!!!」
凄惨な光景を目の当たりにして絶叫する幼女の眸が、紅蓮に烈しく輝いた。
同時に撓められていた魔力が、爆風となって奔出する。
気がついた時には幼女は、十人の兵士であった者たちが燃え盛り消し炭と化した黒い塵を、全身に浴びた姿で立ち竦んでいた。
こと切れた父親を、滂沱の涙を流してずっと抱きしめたままの幼女の煌めくプラチナブロンドの髪は、知らぬうちに夜の闇よりもなお暗い艶艶しい漆黒に染まり切っていた。
偉大なる母の血に目覚めたがゆえに——。
その後、我を忘れたように虚ろな目でいつまでも座り込む幼女の元に、どこからともなく魔女王の使いを自称する闇の尼僧が送られてきた。
悪黒き尼僧は幼女を讃え、片膝をつき、威厳をもった顔つきで魔女王の秘めたる意思を彼女に伝えた。
あなたこそが闇の女王の血を受け継ぎ、汚らわしい人間どもを滅ぼすためにこの地上に生誕した、高潔なる〝魔族の皇女〟であると──その言葉は、憎しみに堕ちていた幼女を悪の道へと決断させるのに十分であった。
然して幼女は〝闇〟に導かれるまま、魔女王ラド―シャの元へと赴いたのである。




