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エテルネル ~光あれ  作者: 夜星
第三章 炎の魔女アカーシャ
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神に挑む者

 アルゴスより遥か遠く──。




 赤い月の光りに照らされた世界のことわりから外れた場所に、それはそびえ立っていた。


〝ヴェルハール城〟──魔女王の住まう北の暗黒大陸ヘルヘイム西端に広がる、オルティギュアと呼ばれる地に存在する城である。

 その規模きぼは、かの魔王の名城〝ディアム城〟に勝るとも劣らない。

 もし、地上の人の目に触れることがあれば、このような過疎地かそちに、いかなる者が、どれほどの労力を費やして、これほどの建造物を造り上げたのかと目を疑うことであろう。


 もっともこの地は踏み入れたが最後、二度と帰ることはかなわない。


 それを物語るかのよう、妖しい城は、ほぼ明けることのない夜の空を背に、まるで地の底からい出た悪夢のごとくたたずんでいる。

 高い城門は閉ざされ、無数のもんが不吉な光をともしている。風がなくとも不気味な息遣いがそこかられるようで、まるでこの城そのものが生きているかのようだ。


 城にはあまいかめしい居室があるが、最も奥まった所に特別な一室があった。まるでそこだけ明るく開けたかのような、無垢むくな調度品に飾られた空間が──。


 その可愛らしく飾り付けられた部屋の寝台の上で、病にむしばまれた幼い少女が苦しげに横たわっている。


 輝く銀の髪が枯れた花のごとく枕に広がり、透き通るように青ざめた肌は月光を浴びた雪のよう。荒い息遣いは胸の奥で途切れがちに波打ち、熱に浮かされた瞳は、まるで夜空にまたたく遠い星を求めるかのように輝いている。


 部屋には甘やかな薬草の香りがただようも、その香気は彼女の苦痛を和らげるにはあまりに頼りなく、かすかなうめきが静寂を切り裂くたびに、重厚な天蓋てんがいのカーテンが揺れた。

 少女の指先がわずかに動く。夢かうつつか、遠い誰かを求めるように──けれど、その手が触れたのは冷たい空気だけだった。


「お兄さま、お兄さま……」


 弱々しく響く少女の声──だが人気のない城内では、そんなかすれ声など虚しく広がるだけで、それが外の者に聞こえることなど絶対にありえない。


 だが城の外では確実に、闇に沈む森がざわめいていた。


 まるでこの世の誰かが、遥か遠くから少女の声を聞き取り、急ぎ駆けつけているかのように、全ての木々がざわざわと揺さぶられていた。


 唐突に森の上空を、大きな黒い鳥が横切る。


 放たれた矢よりもはやく飛ぶその鳥は、力強い羽ばたきひとつで森全体に、円状に広がっていく羽風を広げていった。


 謎めいた鳥はまたたく間に巨城の尖塔せんとうに降り立つと、虚空に魔力の渦を巻き、ひとりの若者の姿に変える。高貴な漆黒のマントを長身にまとう、およそこの世の者とは思えぬほどの美貌を誇る若者の姿に──。


 若者は、尖塔に隠された秘密の入口から中に入ると、足早に歩を進めて行った。彼は難なく、城内に数多ある魔法じかけのしょうがいをくぐり抜けて行き、最奥にある部屋へと──少女の眠る居室へと急ぐ。


「……お兄さま……どこにいるの?とっても苦しい……助けて……」


 幼い少女のうめき声が、すでにはっきりと若者の耳に届いている。


「ロゼリア!」


 長い回廊の奥にある最後の扉をばんと力強く開きながら、彼は悲痛な表情で叫んでいた。


「ロゼリア……大丈夫だ。私はここにいる」


 少女の──ロゼリアの視界に待ちわびた愛しい兄の姿が映る。直後、彼女の目には、苦しみとは別の意味の涙が浮かび上がっていた。


「ルーファお兄さま!」


「ロゼリア。待たせてすまなかった、ロゼリア!」


 兄ルーファは、幼い妹を驚かさないよう穏やかな声音に変え、それでも熱にほてる少女の体をしっかりと抱き寄せた。そうすることで、彼女の苦しみを少しでも自分の身で受けようとしているかのように。


「もう大丈夫だ。私はここにいる。おまえが良くなるまで、ずっとそばにいる。もう、どこにも行かないさ」


「お兄さま……」


「だがすまない……そばにいるだけで、お前に何もしてやれない私を許してくれ。それでも、いつか必ずお前の病を治してやる……必ずだ」


 兄の抱擁ほうようの中、息切れをしつつも、ロゼリアは月明かりのような安らぎに満ちた笑みを浮かべる。


「ううん……お兄さまがいてくださるだけで、わたしはとっても幸せ」


「ロゼリア……」


 押し殺した声を発する兄を恍惚こうこつと見上げたまま、少女はそっと手を伸ばし、世界一美しい若者の頬に愛しげに触れた。


「ほら……お兄さまのおかげで、もうあんまり苦しくないよ。ありがとう……」


「……」


 哀しげに微笑むしかない若者に、少女は哀願あいがんする表情に変えて続けた。


「でも、今夜はずっとここにいてね……お願いだから、どこにも行かないでね……」


「ああ、当たり前じゃないか」


「お兄さま……」


 すがるように見つめてくる幼い妹を、ルーファはさらに強く抱きしめる。自分以外に頼る者がいないか弱い妹を、誰よりも愛しく思う。世界を──たとえ天と地のすべてを敵に回しても、必ず守ってやろうと誓う。

 この世でロゼリアに味方する者は、彼以外いないのだ。


 魔界の帝王であるルーファの血縁という身分でありながら、彼女は光にも闇にも受け入れられない存在であった。


 父である堕天使ディルヴァウスの忘れがたみであるという彼女の呪われし宿命は、天にも地にも居場所を見出すことができぬ。また闇の世界においても、ルーファの権力闘争に巻き込まれる、か弱き犠牲者として常に狙われる立場にあるため、彼女の存在そのものを、この巨城で隠さなければならなかったのだ。


 さらにロゼリアは不治の病に犯されていた。


 しゅう病魔の苦しみにさらされながらも、姿形だけは崩れることなく、老いることも死ぬこともできない。


 彼女は天使長であったディルヴァウスの、清い心の映し身であるため、現世にはわずかな力で(とど)まっている、非常に(もろ)い存在に過ぎなかった。


 神に最も近い()(てん)使()から受け継いだ至高なる霊質は、魔界の(しょう)()に当てられると激しい拒否反応を示す。だが逆に太陽の光を浴びてしまうと、ざわめく血が彼女の肉体に(きょく)()()()となってのしかかる。


 わずかに苦しみから開放されるのは、月明かりに絶えず照らされたこの地にいるときのみ。それでも彼女には、激しい病魔の苦しみがつきまとう。


 いかなる()()()(ほう)もこの世界最高の医術も、あまりに(とく)()な彼女の身を(いや)すことができず、それゆえロゼリアは長き時を苦しみに(さいな)まれて生きてきたのであった。


 周期的にやってくる発作のごとき症状──助けてやれる方法はない。

 今も……おそらくこの先もずっと……。


 その時だった。

 唐突にルーファの表情が、恐ろしく変わったのは──それは、決死の覚悟を宿した顔つきでもあった。


 暗黒の皇子は扱えるはずもない、光の呪を発動させようとする。

 もし成功したとしても、自身の身を滅ぼしかねない取り返しのつかぬ精神集中の(かん)()となる。


 ロゼリアに(かざ)された掌が淡く輝く──はっと少女は目を開き、兄の腕をその小さな両手でしっかりと握りしめる。魔法の知識の浅い少女にも、その危険な意味は理解できていたのだ。


「……だめ、お兄さま……絶対にだめ」


 ロゼリアの言葉を無視して、ルーファの掌に魔力の(りき)()(けい)(せい)されていく。圧縮されたエネルギーが光の(しも)となって(にじ)み出る。辺りを(はかな)く照らした光は一瞬だけ大きく(ふく)らみ、少女を包んだかに見えた。


 だがそれは何の効力も見せず、すぐに虚しく消え去って──解りきっていたことであった。それでも……。


「すまないロゼリア……今の私は、苦しむおまえに何もしてやれずに……」


 歯がゆい思いに貌を歪めて、同時にルーファは、反転した光の波動に力を奪われて膝を突く。

 自分の内奥ないおうで命の根源まで吸い尽くされたような、耐え難い光のエネルギーが(うごめ)いているのが解る。(しょう)(すい)した王子の額に、辛い汗がダラダラと流れていく。


 闇の頂点に立つ者として、強大な敵を打ち倒す破壊の魔術のみを彼は極めている。だからこそ光と癒しの法力とは絶対に(あい)()れない。どこまでも冷静で聡明なはずの男だが、苦しみもだえる妹を前にするときだけは、あらゆる衝動を抑えることができなくなるのだ。


 そんな兄に小さな妹は、苦しみに耐えながらも切なげな視線を向ける。


「ううん……わたしはお兄さまが、そばにいてくれるだけで幸せ……それなのに、わたしの方こそごめんなさい……ごめんなさい……」


 (あお)い瞳にあふれるほどの涙を浮かべて、少女は兄にしがみついた。彼女は健気に精一杯、小さな体から()やしの波動を送ろうとしている。


「だからもう……無茶はやめてね」


「ロゼリア……」


「お兄さま。大好き……」


 光の差さぬ暗い魔城の中で寄り添う、世にも(うるわ)しい兄妹の声が、密やかに(ひび)(わた)った。

 少女をそっと抱きしめる皇子の瞳に、やるせないまでの怒りの色が浮かび上がる。


──神よ。なぜ……なぜロゼリアにまでこのような(ごう)を背負わせるのだ。何の罪もない、汚れなき我が妹になぜ!?


 ルーファは遥かなる天を見上げるようにして、憤慨(ふんがい)に歯を食いしばった。


──許さん!我と我が父のみならず、清らかなロゼリアにまで永劫(えいごう)の苦しみを与えるというのか!!こんな幼き無力な娘に、一片の情けもかけてやらぬというのか!!それが、(きさま)(せつ)()だと言うのか!!!ならば……ならば(きさま)の摂理は、この私が変えてやる!


 内側で耐えがたいまでのいきどおりが湧き上がっていき、同時に左の腕に飾られた〝覇者の腕輪〟がドクンと揺れる。

 そんな、呪いに固まるルーファの体に、ロゼリアのぬくもりがふわりと(おお)(かさ)なっていた。


 あたかも彼の(すさ)んだ心を、温めようとするかのように──。






エテルネルをご覧いただきありがとうございます。

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どうかよろしくお願い申し上げます。  


 

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― 新着の感想 ―
冒頭で出てきていたブラコンシスコンの兄妹ですね。 同じ時間軸なのかな? リュネシスたちと交わる時が楽しみです。 (*´ω`*)
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