エレナの怒り
「ねえ。もうとっくに時間なんですけど!」
突然開けられた扉の勢いには、明らかな悪意が滲み出ていた。
「何様のつもり?こっちが呼ぶまで〝つとめ〟にも出て来ないとか」
あの時の人形を抱いて、思い出に浸っていたプシュケが驚き目をやると、派手派手しい衣装を着こんだ娘が、じろりとこちらを睨んでいる。
どぎつい縁取りを施した化粧が棘のある印象とうまくかみ合い、さらにその存在感を引き立てているような、あくの強い娘──〝ディアム城〟に数多いる宮女たちの、リーダー格のエレナだった。
財力に物を言わせ、落ちぶれた貴族から強引に爵位を奪い取ったと噂される悪徳商人の娘らしく、視線だけで他人を威圧する、ものすごい気迫に満ちている。
親同様、欲望のためには手段を選ばぬこの娘は、何としてでも若き魔王を自分にふりむかせようと必死で、最近では何かにつけて、彼女にとって目障り極まりないプシュケに絡んでくるのだった。
しかしプシュケは、エレナの害意をあるがままに受け止めるだけで、必要以上には動じない。
水のように受け流し、穏やかに返答する。
「いいのですか?昨日は今後、わたしからリュネシス様に会いに行くなと……」
思案するように言ってしまった直後プシュケは、蛇の潜んだ藪を突いたことに気づき、遠慮しがちに口を閉ざした。
そんな彼女に顔色を変えて、エレナはすかさず噛み付いてくる。プシュケに漂う年若い娘とは思えぬ落ち着いた雰囲気が、エレナの癇に余計に障る。
「昨日は昨日!空気読めって言ってんの!!」
感情まかせの、めちゃくちゃな理屈だった。
ここのところ夕刻以降、プシュケはリュネシスの傍に仕えることが、日課となっている。
しかし昨日、そんなふたりを会わせぬよう横槍を入れて取り巻きたちと共にプシュケを威迫したのは、他ならぬエレナ自身であったのだ。
これは完全な言いがかりだった。
「つかさぁ。新入りで年下のくせに口答えとかなくね?どゆこと!?」
エレナは粘着性のある干し果実を、くっちゃくっちゃと嚙みながら、化粧に飾られたしかめっ面を乙女にぐいと近寄せた。
「ちょっと、リュネシスに気に入られてんか知んねーけど、うちら差し置いてあんま調子づかれても困んだわ。それにいきなり、こんないい部屋住んでんのも有り得ないしさ。こっちの立場どーしてくれんの?本当にただじゃおかないよ」
宮女たちの中で堂々と魔王に意見を言い放つのは、この娘だけであった。
その豪胆さと立ち回りの器用さに、彼女が城に来た当初こそリュネシスは、よい退屈しのぎとして傍に置いてはいたものの、最近ではこの娘の捩れた性格に倦み、あからさまに遠ざけようとしている節がある。
ただ、それでも懲りることなく親の影響力を傘に、エレナは宮女たちの中心的存在として当初の勢いのまま不遜に振る舞い続けていた。
そんな彼女は、ほんの少しのきっかけさえあれば、魔王の心を再びつかむことができるはずだと、未だに信じているのだ。小娘さえいなくなれば、何もかもうまくいくと愚かにも盲目的に──。
「解るよね?ここにはここの、ルールってのがあんだからさ。第一リュネシスとてめえとじゃ、王様と奴隷ぐらい身分も違うんだから、わ・き・ま・え・ろ!」
プシュケの鼻に尖った指先を突き立てるエレナの口元から、甘くきつい匂いが漂う。
彼女の素行や言い草は、ただでさえ品位に欠けるものがあったが、プシュケにしてみれば鼻腔を突くようなこの匂いも本当に苦手だった。
「はい。申し訳ありません」
形だけの追従を示しながら、乙女はこの娘を哀れだと思う。
なぜエレナが、自分に絡むのかはよく理解している。
しかし、どうプシュケに当たり散らしたところで、あの気高い魔王がこんな傲慢な娘に心を開くなど絶対にありえない。
一昨日の夜、珍しくリュネシスが愚痴のようなものを零していたが、その多くはおそらく、この娘とその取り巻きたちのことを指していたのだろう。
事実エレナは魔王と少女の関係に余計な横槍を入れた後、リュネシスにこっ酷く一喝され、このような下世話な使い走りを強要されたのだ。
それをこの短絡的な娘は、すべてをプシュケのせいにしないではいられず、ゆえに稚拙な感情の矛先を乙女に向けて罵倒しているのである。
「ふん……」
いきなりエレナは、プシュケの顎先を指でくいっと持ち上げると、その端正な顔をまじまじと覗き込んだ。
まるで召使いを睥睨する、悪役令嬢のような態度だった。
「つか、リュネシスも趣味わっる!」
毒づくエレナの鋭い眼光に、プシュケは動くこともできない。
と、その時——。
「何をやっているの?」
突然プシュケの視界の端から、すっと黒一色の娘が現れた。
ある意味において、魔王以上にこの城の宮女たちから敬意と畏怖を一身に集めている〝魔族の姫アカーシャ〟であった。
気配もなく幽鬼のごとく歩み寄ってくる、アカーシャの放つ〝真の皇女〟のオーラに、さしものエレナもビクッと体を硬直させる。
だが、魔王の〝気〟にも飲まれることのない勝気な娘が、そう簡単にアカーシャにも怯むものではない。
「別に……この子を呼びに来ただけ。リュネシスに言われたからね」
気を取り直したエレナは不貞腐れたように応え、しばし考えこむと、努めて明るく親しみを込めた声で言い直す。
「つか、ぶっちゃけアカーシャ様も、この子邪魔でしょ?ムカつきません?こんな、男の庇護欲をそそるのだけが取り柄みたいな——泥棒猫!」
その言葉にわずかに本心を貫かれたのか、一瞬アカーシャの冷たい視線が、確かに非情な冷酷さを伴って自分に注がれていることをプシュケは感じ取った。
しかしそれも、次の瞬間には妖美な無表情に溶けて消える。
「さあ、何のこと?プシュケ——もう、いいから行きなさい」
「はい。ありがとうございます」
少女は、逃げるように部屋を出ていく。
「……ちっ」
不快げに、エレナは舌打ちをした。
わずかに女同士が揉めている様子を背中に感じながら、乙女は魔王のいる大広間に急ぐ。
長い回廊を歩きながら、彼女は徐々に呼吸と表情を鎮めていく。
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