植物人間
書いている途中で1500字ほど消えました。2時間分の作業が逝きました。僕の精神も逝きかけましたが、なんとか持ち堪えました。
『今月の新規感染者は158962人で、先月より57%増加しており、また今月の死亡者数は1057人で、先月より46%増加しました。どちらも過去最高の数値を記録しており、この事態に対して政府が先ほど会見を行い、緊急事態宣言を異例の“レベル5“に引き上げると発表しました。この件について専門家は━━』
━━“死の植物症候群“。感染すると、頭痛、吐き気、眩暈などの症状が現れる。そして発症から一週間ほど経過すると、体から植物が生えてくる。原因は死の植物による“寄生“。植物から放出された花粉が生き物の体内に入り込むと、その生き物を宿主として寄生する。そして、その宿主が死ぬまで栄養を吸収し続けるのだ。この恐怖の植物に対して人類は、ただ閉じこもって怯えていることしかできなかった。
「彩葉、調子はどう?」
「あ、隆二。今日はね、アサガオの花が咲いたんだよ」
「…ああ、綺麗だね。…今日はイチゴを持ってきたんだ。食べる?」
「ありがとう。食べる…」
俺の恋人の夏目彩葉は、十日ほど前に“死の植物症候群“に感染してしまった。今は街から遠く離れた病棟に隔離されている。左半身の大半が植物で覆われてしまった彼女の姿は、見ているだけで痛々しい。感染の性質上、彼女と会う時は防護服を着なければならず、直接触れることすらできないことに、もどかしさを感じていた。
アサガオの花は彼女の左手あたりに咲いていた。日に日に衰弱していく彼女とは反対に、美しく咲き誇っているその花を見ていると、憎くて憎くて仕方がなくて、彼女の体からそれをむしり取ってやりたかった。しかし、そんなことをしてしまうと、植物が回復しようとして栄養をどんどん奪っていってしまうため、自分にできることなど何もないのが現状だった。
そんなことを考えていると、イチゴを食べ終わった彩葉から声をかけられた。
「この病棟の近くにね、亡くなった人たちを安置しておく場所があるんだって。そこでは色んな花が辺り一面に咲き誇ってて、すごく綺麗なんだって」
「そうだね、俺も聞いたことあるよ」
そこまで話すと、彩葉は何かを考え込むようにして黙ってしまった。しばらくしてから、彼女は口を開いた。
「私が死んだら、その花畑まで連れていって欲しいな」
「何言って……!?」
咄嗟に言葉が出た。まるで、必死に見ないようにしていた現実から、ぶん殴られたような気分だった。いや、それは現実じゃない。それは幻想だ。それは、悪夢だ。
「大丈夫だ!きっと助かる!きっと治る!だから…だから……“死んだら“なんて、言わないでくれ…」
そうやって手を握りしめながら泣き喚く俺のことを見て、彩葉は目を丸くしていた。きっと、俺が感情を爆発させることが滅多になかったからだろう。彩葉は再び何かを考え込んだ。その間、部屋の中には啜り泣く声だけが響いていた。しばらくすると彩葉は顔を上げた。
「…そうだよね。大丈夫だよね。助かるよね?治るよね?また、外を歩けるよね?」
「…ああ、そうだ。絶対に治る。だから…大丈夫だから…」
再び、部屋の中には啜り泣く声が響き始めた。今度は、もう一つ加わって。
「…あ、今日も来てくれたんだね。見て…今日は青いバラが咲いたんだよ。綺麗だし、珍しいよね」
次の日、俺はまた病室に来ていた。あんなことが昨日あったから、自分にも現実が見えてきた。彩葉はもう覚悟を決めているのかもしれない。だとすれば、あんなにウジウジ泣いていたのが、自分でも恥ずかしく思えてきた。
青いバラは彼女の左肩辺りに咲いていた。相変わらず、憎らしいほどに堂々と咲き誇っていた。
「ありがとうね、毎日来てくれて。1人は寂しいから、嬉しいよ」
「俺も彩葉がいないと寂しいから、毎日来てるんだよ」
「じゃあ、お互い様だね」
会話はそこで途切れてしまった。何かを話そうとしても、何と声をかければいいかが分からなくて、その日は結局何も話せなかった。
その日の夜、夢を見た。花畑に、彩葉が横たわっている夢。やけにリアルな夢で、これが正夢だったらと思うとゾッとして、どうにかして否定したくて、そうやってどんどん悪い考えが浮かんできた。彼女に触れようとすると、手が彼女の右肩をすり抜けて━━━
その瞬間、意識が覚醒した。スマホを手に取ると、液晶に時刻が映し出された。5時20分。随分と目覚めの悪い朝だった。何も触れなかったはずなのに、手には気持ちの悪い感触が残っていた。
今日はいつもより早く病室に向かった。今朝見た夢のせいか、何かに心臓を振り回されるような感覚がしていた。あれは正夢なんかじゃない。だって、昨日は普通に喋っていたのに。普通に笑っていたのに。だから、神様、どうか━━
━━どうか、僕の大切な人を、連れて行かないでください
私は花畑の中にいた。自分の体を見下ろすと、周りに広がっているものと同じ様になっていた。もっと見ようとしても、体を動かすことができない。その時、私は直感的に悟った。
ああ、私━━
死んだんだ。
面倒な手続きを終えて、足早に病室へ向かった。だんだん向かう足は速くなり、駆け出していた。病室の入り口に着くと、施設の職員が彩葉が寝ているところの側に立っているのが見えた。そこで俺は、全てを悟ってしまった。それと同時に、もう、全てがどうでも良くなった。
鬱陶しい防護服を脱ぎ捨てて、職員を押し除け、彼女を抱き抱えて施設を飛び出した。山の中を駆け、木を避け、走って、走って、たどり着いたのは、いつか彼女が言っていた花畑だった。その中心に歩いていき、彩葉をそこに横たえた。彼女の体の左半身は、顔も含めて、全て植物に覆われてしまっていた。
彼女の横に俺は寝転んだ。そして彼女の、まだ植物に覆われていない右手を握って、そのまま、深く眠ってしまった。
どれくらい寝たのだろうか。目が覚めて、彩葉の手を握っていたはずの左手を見ると、そこには一輪のアイビーが咲いていた。
最後まで読んで下さり、ありがとうございます。この物語は、新型コロナウイルスによって引き起こされたパンデミックの経験を元につくったものです。見えないものに対する恐怖や無力感を落とし込みました。余談なのですが、作中に登場する花には意味が込められています。それについて調べてから読み返して見ると、面白いかもしれません。以上、ヨロズヤでした。今後の作品にご期待くだされば幸いです。