ロミナの願い
ロミナは退屈していた。
「ひとりでお留守番は、つまんないのだ。壁とにらめっこは、面白くないのだ」
ぶつぶつ言いながら、ボケーッと壁を見つめている。
父のバロンは、昨夜から街に買い物に出かけてしまった。母のライムは地下室で眠っており、しばらく目を覚まさない。地下室に行く扉には鍵がかかっていて、ロミナは開けることが出来ない状態である。
したがってロミナは、家の中たったひとりで母の目覚めを待たなくてはならないのだ。
やがて少女は、窓に視線を移し外の風景を見てみた。いい天気だ。空は青く、太陽はサンサンと地を照らしている。
「今日も、お日さまポッカポッカなのだ。お外で遊びたかったのだ」
そんなことを言いながら、ロミナは窓から外を眺めていた。実にのどかな風景である。しかし、これはアルラト山の本来の姿ではない。
アルラト山は、かつてロクスリー伯爵が治めていた領地である。山と名が付いているが、高さはそれほどでもない。山というより、高い丘と言った方が正確だろう。面積の大半を広大な森林が占めているが、伯爵が切り開いた道が通っており迷うこともない。
かつては、街道に沿って進むよりはアルラト山を突っ切った方が早いと言われていた。そのため、急ぎの用事がある者や行商人などは、街道を通らずアルラト山をまっすぐに進んでいっていたのだ。
しかし……とある事件により、伯爵が不慮の死を遂げる。もともとロクスリーには子供がなく、跡継ぎとなる者もいなかった。そのため、伯爵家は断絶してしまったのである。その後のアルラト山は特定の人間によって治められることなく、荒れ放題の状態になっていた。
そうなると、湧いてくるのは動物たちだ。もともと、この山には狼や熊などが棲んでいた。だが、人間との住み分けは出来ていたのである。動物たちは人間の領域を侵さないし、人間たちも動物たちの領域を侵さない。
しかし、今は違う。旅人が下手に足を踏み入れようものなら、狼や熊のような野獣が容赦なく襲ってくるのだ。
さらに今は、ゴブリンやオークといった亜人たちも出没している。
昔から、亜人たちもアルラト山に棲みついていた。しかし、人目につくような活動はしていなかった。旅人に手を出せば、ロクスリー伯爵が黙っていない。手勢を率いて、巣ごと根絶やしにされるだろう。そのため、伯爵が存命の頃はおとなしくしていたのである。人目を避け、そっと暮らしていた。
ところが、伯爵が亡くなり山を管理する者もいなくなってしまった。そうなると、状況も変わってくる。
今となっては、亜人たちを脅かす者はない。ゴブリンやオークたちも、堂々と出現し旅人を襲うようになってしまった。
亜人たちは、人を殺すことなど何とも思わない。山賊などより、遥かに危険な存在である。しかも、獣よりも賢い上に武器も使いこなす。昨今では、彼らが山の支配者であるかのようにすら見えるほどだ。
不思議なことに、そんな凶暴な亜人たちも、ロミナたち三人家族が住んでいる家の周辺には姿を現さない。熊や狼のような野獣も、家の周辺には近寄ろうとしないのだ。
もっともロミナは、そんな事情は知らなかった。ただ、ひとりで外に出てはいけないと父と母からキツく言われていたのである。
父があらかじめ作ってくれていた昼ご飯を食べると、することもなくなってしまった。仕方ないので、寝室にいく。ベッドに入り、ひとりで昼寝をした。これまた、ロミナのいつもの日常である。
目が覚めると、ロミナは窓から外を見てみた。太陽が地上を照らしており、陽の光が眩しい。となると、母はまだまだ目を覚まさないことになる。
「お母さん、早く起きて欲しいのだ」
そんなことを言いなから、ロミナは壁にかけられていたペンダントを手にした。金属製で、丸い形だ。彼女の手のひらとほぼ同じくらいの大きさであり、見たこともない動物の顔が彫られていた。中央には、美しく光る石がはめ込まれている。ずしりと重く、金色の長い鎖が付いていた。
布巾を持ってきて、丁寧に拭いた。ピカピカ光るペンダントを見ていると、不思議な気分になる。見ていると、なぜかホッとするのだ。
父が出かけ母が睡っている時、ロミナはいつもペンダントを手に取り眺めている。とても綺麗で、しかも安心できるからだ。
日が沈んだ時、ギイという音が聞こえてきた。地下室に通ずる扉の開く音だ。何を意味するかは、考えるまでもない。母のライムが起きてきたのだ。
ロミナの顔が、パッと明るくなる。
「やっと起きたのだ! お母さんと遊ぶのだ!」
叫びながら、すぐに寝室を出る。
ライムは、食卓の前に立っていた。いつもと同じく、気だるそうな表情である。それでも、ロミナの顔を見ると微笑んだ。
ロミナはというと、ビシッと右手を挙げる。この子の挨拶だ。
「お母さん! おはようさんなのだ!」
「ロミナ、おはよう。いい子にしてた?」
「もちろんなのだ! おとなしくしていたのだ!」
胸を張り、ふんぞり返るロミナ。偉そうな仕草だが、とても可愛らしいものだ。ライムは、くすりと笑って頭を撫でる。
「そうだよね。ロミナは、いい子だもんね」
その後、ふたりは食卓に着いた。ロミナが元気よく夕飯を食べる姿を、ライムは優しく見守っている。
「今日も、ご飯が美味しいのだ!」
言いながら、パンにかぶりつく。
「ふふふ、お父さんが作ってくれたご飯だもんね」
ライムは笑いながら、温めたスープをロミナの皿によそった。
「うん。でも、それだけじゃないのだ。お母さんのおかげなのだ」
「えっ、あたし?」
「そうなのだ。お母さんと一緒に食べるから美味しいのだ。昼間のご飯も美味しかったけど、今のご飯はもっともっと美味しいのだ。それは、お母さんがいるからなのだ」
「そう……」
ライムの顔に、なぜか悲しげな表情が浮かぶ。ロミナから目を逸らし、窓の方を見つめた。
少しの間を置き、そっと尋ねる。
「もし、お父さんとお母さんがいなくなっても、ロミナなら大丈夫だよね」
「えっ? どういうことなのだ?」
「この先、お母さんの病気がひどくなったら、お父さんと一緒によそに移らないといけないんだよ。でもね、そこにロミナは行けないかもしれないんだ」
静かな口調で語っていたが、聞いているロミナの表情は曇っていった。
それに気づかず、ライムはさらに語り続ける。
「そしたら、ロミナはひとりで暮らさなきゃならないんだよ──」
「嫌なのだ!」
ライムの話を遮り、ロミナが叫んだ。その目には、涙が浮かんでいた。
唖然となる母に向かい、娘はなおも訴える。
「そんなの、嫌なのだ! 絶対に嫌なのだ! ロミナも、お母さんと一緒に行くのだ!」
「で、でも──」
「ロミナは、お母さんとお父さんと、ずっとずっと一緒にいたいのだ!」
地団駄を踏みながら叫ぶロミナに、ライムは根負けした様子でウンウンと頷いた。
「うん、わかった。大丈夫だよ。お母さんは、ずっとロミナのそばにいるから」
「ほ、本当か?」
「本当だよ」
「嬉しいのだ! お母さん、大好きなのだ!」
ようやく、ロミナの顔にも笑顔が戻った。再び、もりもりと食事を平らげていく。
その様子を、ライムは笑みを浮かべて見ていた。もっとも、その瞳は悲しみを隠せていなかった。
やがて夜になり、ライムはロミナを寝室へと連れて行く。ベッドの上に寝かせ、自身はその横に座った。すると、少女がボソッと呟く。
「いつか、ロミナも街に行ってみたいのだ」
「えっ、街に?」
「そうなのだ。街は、人がいっぱいいるらしいのだ。面白そうなのだ。行ってみたいのだ」
「う、うーん……でもね、街は危ないところもいっぱいあるよ」
困った表情で言ったライムに、ロミナは好奇心に満ちた表情で尋ねる。
「危ないところ!? それは、どんなところなのだ!?」
「えーとね……お化けが出るようなところ」
「オバケとは、何なのだ!?」
「えっ、お化け知らないの?」
「知らないのだ! オバケとは、何者なのだ!?」
瞳を輝かせて聞いてきたロミナに、ライムは苦笑しつつ答える。
「お化けっていうのはね……とっても怖い奴。ロミナみたいなかわいい子がひとりでいると、捕まえて食べちゃうんだよ」
「そ、それは怖いのだ……」
顔をしかめるロミナ。ライムは、そんな少女を見ながら、そっと呟いた。
「でも、あんたもいつかは街に行かなきゃならないんだよね。人間の友だちも必要だし」
「えっ?」
「何でもない。こっちの話だよ。だったら、今度お父さんが街に行く時は、一緒に連れて行ってもらえるよう頼んでみるよ」
「ほ、本当か?」
「うん、本当だよ。明日お父さんが帰って来たら、お母さんが言ってあげるから」
「嬉しいのだ! だから、お母さん大好きなのだ!」
叫ぶと同時に、ロミナは母に抱きついていった。ライムは、そんな娘を優しく受け止める。しかし、顔には複雑な表情が浮かんでいた。
やがて、ロミナほ眠りについた。静かな寝息が聞こえてくる。
ライムは少女が熟睡したのを確認すると、そっと立ち上がった。昨夜と同じく、闇の中へと消えてゆく。